長者町岬さんの最新刊「台湾航路」(田畑書店)の書評を「美術評論+」で書こうと思い立ちました。この本の副題は「同化政策にあらがった陳澄波と藤島武二」です。
日本人であっても日本の同化政策にあらがおうとする“異邦人”の視点を持つ筆者は、この本を夢中になって読みました。そして、こうも思いました。「自分は今まで台北に一回行っただけで、本の舞台となっている台湾のことを何も知らない。これは、台湾に行かなければいけないぞ」。
台南市美術館の「The Formosa Era」展に陳澄波の作品も出ているようなので、台南市、そして台南からバスで70~80分の玉井(ユージン)、さらに高雄市にも足を運びました。研究旅行の調査を生かした書評は、本稿とは別に「美術評論+」で発表いたしますので、お楽しみに。
【ユーは何しに玉井に?】
書評を書くための研究に、玉井が何の関係があるの?
そう思った読者の方も多いでしょう。スミマセン、特に何の関係もございません。脇にそれるのが大好きな筆者は、研究の合間であっても常にそれ以外の楽しみを虎視眈々と狙っているのです。
実は玉井は新鮮でおいしいマンゴーが安価で食べられる、と観光ガイドなどに書かれていたのです。どれくらい、安くておいしいのか、実地調査しようと思い立ったので、行ってきた次第です。

玉井のマンゴー市場。大量のマンゴーが所狭しと並ぶ
街の中にマンゴーがあるのではなく、マンゴーの中に街がある。そう言っていいくらい、マンゴー尽くしの街でした。街の中心部のマンゴー専門の市場に足を運ぶと、あるわあるわ。おいしそうなマンゴーが大量に横たわっています。持ち運びしやすい取っ手つきの化粧箱に入っていることもありますが、ほとんどは大きなかごの中に入っています。
驚いたのは、価格の安さ。日本で購入したら1個5000~8000円はしそうな高級な特大アップルマンゴーが1個600~700円程度です。黄色いペリカンマンゴーに至っては、1個100円程度と破格のお値段です。
市場と言えば、普通、ある程度まとまった形で購入しなければいけないというプレッシャーがありますが、この市場はお店の人との交渉次第で少数でも買えました。台南市の宿で冷やしてから食べることにして、玉井の街を散策しました。
猫の額のような街です。戦前もしくは1950年代を舞台にした映画を撮影するのにぴったりの何となくレトロな感じの街並みです。

玉井の街中に設置されたマンゴーのキャラクター立像

金属製フェンスに描かれた、マンゴーを収穫する女性の絵
街のいたるところにマンゴーのモチーフのものが散らばっています。マンゴーのキャラクター(?)が街中に置かれていたり、マンゴーを収穫する女性の絵が街中の看板の上に描かれていたり、大きな石にペインティングを施し、マンゴーに見立てていたり、マンゴーモチーフのタイル画を制作したりとマンゴーにまつわるものだらけ。

玉井マンゴーのロゴ

大きな丸い石に彩色を施しマンゴーに見立てている

タイルに彩色したと思われるマンゴー壁画

袋掛けした果実がたくさん実るマンゴーの木
ここまでくると、もはや「マンゴーアートの街」と呼びたくなります。街のあちこちにマンゴーの木が生えています。マンゴーの実には袋掛けがされているので遠目でもすぐに分かります。

腐ったマンゴーが路上に落ちている
“野良”のマンゴーの木から、ぼとぼと落ちた大量の実が路上で腐っていました。一つひとつの実の上にはびっしりと蠅がたかっています。歩いてきた筆者を認めると、それらの蠅がいったん腐れマンゴーからさっと離れますが、またすぐに実の上に戻り、無我夢中でしゃぶりついていました。
「あぁ、この蠅たちはまるで私みたいだな」と思いながら、散策を続け、飲食店で足を休めます。マンゴーかき氷を食べました。さっきの蠅さながら、マンゴーにむしゃぶりつく自分が現出し、苦笑いしました。
台南の宿に到着してから食べた高級特大アップルマンゴーの味ときたら……。55年以上、生きてきて「今まで食べたマンゴーの中で一番おいしい」と断言できるほどでした。台湾滞在中、玉井で購入したマンゴーを結局、8個も食べてしまいました。ごちそうさまでした。マンゴーが大好きな方には絶対お勧めの街です。
【マンゴーだけじゃない玉井】
ただ、筆者が玉井に興味を持ったのは決してマンゴーだけではありません。日本の観光ガイドブックにはほとんど何も記述がありませんが、今から110年前の1915年に抗日武装闘争「タパニー事件」(西来庵事件)が玉井で起きたのです。
1895年、日本による台湾植民地統治が始まりました。この統治から20年目に最大規模にして犠牲者の数も最多となる武装蜂起「タパニー事件」が発生しました。

タパニー事件の首謀者を図示した人物相関図

タパニー事件首謀者・余清芳の写真2種
首謀者は余清芳、羅俊、江定の3人。1915年夏、民兵たちは鎌、すき、刀、長槍、さらに竹竿に包丁を取り付けた物などを武器に台湾総督府(=日本)に対する武装蜂起を決行しました。日本側の犠牲者は41人。民兵は309人が死亡したと記録に残されています。

民兵が用いた武器類
台湾の人々がなぜ、武装蜂起したのか?
玉井の街には、実はマンゴーだけでなく、このタパニー事件の概要を詳述した博物館施設があります。日本人の一人として、この事件はきちんと学ぶ必要性があると思い、展示をじっくりと見てきました。そこで知った事実は、何とも恥ずかしいものでした。事件の背景として次のような理由が示されていました。
日本人は傲慢で、台湾人を蔑視し、ことあるごとに「チャンコロ」と罵った。
各種の税負担が重く、人民はその徴収に耐えられなくなっていた。
日本が経営する製糖会社をバックアップして、農民の利益を搾取した。
林野調査が行われ、台湾の民間による林業が接収された。
さまざまな不当な税制、法制、経済的圧力のもと、民衆の不満が溜まり、それが事件の火種となった。
ここに書かれていること、皆さんも薄々は気が付いていますよね。つまり私たちのご先祖様が戦争中、アジア諸国に対して、どのような態度で振る舞っていたか、です。「五族協和」とか「八紘一宇」とか、ずいぶん格好の良いことを大言壮語していた日本ですが、台湾の人々から見れば、傲岸不遜で礼儀知らずで没義道な仕打ちしかしてこなかったのが日本人です。

日本の警察を皮肉ったと思われる「南無警察大菩薩」という絵(上段右側)が目を引く
日本側にも瑕疵、いやいや瑕疵ではなく、大きな原因(つまり、傲慢すぎる統治)があったのにもかかわらず、事件が鎮圧された後の裁きは常軌を逸した内容でした。「図説 台湾の歴史」(平凡社)の108ページから引用します。
この事件でもっとも興味深いのは、余清芳が捕まった後、台南臨時法院は「匪徒刑罰令」によって裁き、被告が1957名にも達したことである。2ヶ月後の判決では、死刑は866名、懲役刑453名、行政処分及び不起訴544名、無罪86名、その他8名であった。この判決は日本国内の世論、および帝国議会の厳しい批判を引き起こし、その年の11月に台湾総督は大赦の名目で彼らの減刑を宣言し、死刑は無期懲役に、そのほかも1等ずつ減刑された。しかし当時すでに95名の死刑は執行済みであった。
事件後、台湾人の犠牲者があまりにも多かったため、また、国内からの厳しい批判も浴びたため、日本政府は、懐柔的な「内地延長主義」によって台湾統治を進めることに変更しました。この事件をきっかけに、台湾で高い理想を持つ人々は社会運動、政治改革、文化的アピール路線をとるようになり、「台湾文化協会」等の団体が組織されました。
実は、玉井からそれほど遠くない場所に、国内右派の方々が大好きな“聖地”があります。石川県出身の水利技術者・八田與一さん(1886~1942年)が、台湾で不毛の大地と呼ばれていた嘉南平原に建設した、当時では東洋一の規模であった烏山頭ダムがその聖地です。八田さんはダムだけでなく、総延長1万6000キロに及ぶ給排水路を完成させた功績も知られ、現在でも日本と台湾の友好の架け橋になっていると評価されています。
右派の方々は、こう主張します。「日本は台湾を始めとするアジア諸国に良いこともたくさんした。悪いことなんてほんの少ししかしていない。総体的に見れば良いことの方がはるかに上回っている。だから、日本による戦時中の海外統治は正しかった。あの時代を正しくないと言うような輩は自虐史観の持ち主だけだ」と。
しかし、タパニー事件の歴史を学べば、ダムの功績もかすんで見えてきませんか? やはり、どんな美名を冠したにせよ、他国を侵略する行為はよくないことでしょう。その国固有の文化や歴史や経済にまでたっぷり介入・収奪しておいて、「お前たちが遅れている国だから、俺たちが立派な国にしてやる」と相手に告げるのはあまりにも無理筋かつ無礼な所業です。
八田與一さんの功績を大きな声で称える方は、どうかタパニー事件のことも学んでください。台湾の人々が大量に虐殺されたという史実を前にして「自虐」というのは明らかにおかしいです。
能天気なマンゴーの話しから、いきなりシリアスな虐殺の話しになってびっくりした読者の方もいらっしゃるでしょう。ただ、私の長年に及ぶ国内外行脚から得られた一つの結論は、「何でもないような牧歌的な場所にとんでもない史実が潜んでいる」です。
世界に誇る映画監督・吉田喜重さん(1933~2022年)の作品名をもじれば、今回の私の旅は「マンゴー+虐殺」とでもなりそうです。まぁ、マンゴーの味と香りには「エロス」が感じられなくもないので、旅の名づけにはぴったりかもしれません。
読者の皆さんも、マンゴーを食べまくりつつ、戦前日本の暗部を知る旅に出かけてみてはいかがでしょうか?(2025年6月22日16時59分脱稿)