風景とその仮象 ―成田輝 個展「遠くのペラペラ」をめぐって

本原稿は2025年7月4日(金)から8月11日(月)まで山梨県北杜市のGASBON METABOLISMで開催される、美術作家‧成⽥輝氏の個展「遠くのペラペラ」に寄稿したものです。ご提供いただいた画像および筆者撮影の記録写真とあわせ『美術評論⁺』への掲載についてご許可いただきました成田氏とGASBON METABOLISMの皆様に、心よりお礼を申し上げます。

 

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17世紀イギリスの思想家ジョン・ロックは、誕生時の人間はいわゆる白紙状態(タブラ・ラーサ)で、全ての知は視覚や聴覚を通じて後天的に獲得されると考えた。その彼が感覚器官を「窓」に例え、こんな言葉を残している。
“that external and internal sensation are the only passages I can find of knowledge to the understanding. These alone, as far as I can discover, are the windows by which light is let into this dark room”(An Essay Concerning Human Understanding, 第2篇11章7節Dark room)

簡潔に訳せば「感覚こそが知に至る唯一の方法で、それは暗い部屋に光をもたらす窓である」となろうか。同節には「小さな開口部のある、閉ざされたクローゼット」という別の比喩もあり、これはカメラ・オブスクーラの原理を思い出させる。ちなみに彼の生年は、絵画制作にこの装置を用いたヨハネス・フェルメールと同じ1632年である。

成田輝は1989年青森県生まれ。デザイナーを目指して武蔵野美術大学に入学したが、そこで彫刻に魅せられた。最初に強い影響を受けた作家は4年生の時に知ったトム・サックス。「自分の常識が壊され、その勢いで大学院に進んだ」という。修了制作から始めたフィギュアがモチーフのFRP製のシリーズを経て、2018年以降は、廃材を用いた立体とエアブラシによる平面表現を、同時並行的に手掛けてきた。

 

2015年 RISE GALLERY(東京)にて筆者撮影

 

2019年 TS4312(東京)にて筆者撮影

 

「彫刻とは何なのか」を考えている時間がいちばん多いと成田は言う。そして彼は「立体と平面」の定義や関係性をめぐる問いを叩き台としながら、様々な方法でその思索を可視化させてきた。アニメーション映像のキャラクターの動きをレリーフとした《bow-wow》(2019年)、絵を描いた布を縫い合わせて詰物を入れた《untitled》(2022年)もそれにあたる。

 

2019年 ARTDYNE(東京)にて筆者撮影

 

2022年YOD TOKYO(東京)にて筆者撮影

2025年の新作《不在の視線》では、縦長の物体に、庭や山並みが凹凸のみで表されている。全体のプロポーションはドアのようだが、眺望の様子からすると窓と捉えるべきだろう。

 

「遠くのペラペラ」展のメインヴィジュアルおよび《不在の視線》(2025)

 

私はこの作品について、2つの試みに注目している。ひとつは表面の仕上げ。大部分が黒一色で、鏡のように磨かれている。ゆえに、鑑賞者が詳細を知りたいと近づいても視線は映りこむ自らの姿につるりと躱されてしまう。このような、開口部の向こう側への探求心が報われない状況は、美術史上のある作品を連想させる。それは窓ガラスを黒革に張り替えることでまなざしを遮断したマルセル・デュシャンの《Fresh Widow(なりたての未亡人)》。題名も含め、いかにもデュシャンらしい不道徳なムードが漂う作品だ。しかし一方で《不在の視線》はというと、かような人間の暗部とは無縁で、むしろ哲学的でさえある。

というのは、カートゥーン的なフォルムこそ大衆性をまとうものの、鑑賞者がその前に立つと、古代ギリシャ以来の芸術における主要命題のひとつ「実在と仮象」が交差的に2セット出現するからだ。ひとつは「鑑賞者」と「作品に映るその姿」、もうひとつは(この作品に限らず全ての視覚的認識に言えることだが)「作品」と「鑑賞者の網膜上で結ばれた像」である。また、前者の仮象はイリュージョン的要素が強く、ロックが窓に例えた感覚器官から得られるものが実際には思いのほか不確かだと悟らせるかのようである。

もうひとつは、鍛金による造形のように「表の凸=裏の凹」という関係としたこと。すなわち、この作品の実体は塊というよりむしろ面なのだ。きっかけは作家が「登山の時に見た眺めが、まるで平面のように見えた」という経験。常日頃からの思索の影響も多少あるかもしれないが、生理学的観点からすれば、むしろ的を得た認識なのかもしれない。なぜなら、カメラ・オブスクーラと同じ原理で網膜に投影された「仮象としての風景」は、少なくも立体物ではないからだ。なお、初公開の機会となる個展において、この《不在の視線》は甲州の山並みを望む窓と向き合うようにインストールされる予定である。

山内舞子(美術評論家)

 

成田輝  Hikaru Narita
1989年青森県生まれ。2013 武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業、15年同大学大学院造形研究科修士課程美術専攻彫刻コース卒業。主な個展に、「’Reproduction’」(CALM & PUNK GALLERY、東京、2020) 、「huggy in piggyback」(ACME FURNITURE、東京、2019)、「smell」(TS4312、東京、2019)、「Memory and Record」(Gallery Geoje、韓国、2018)、「HOLLOW」(ANAGRA 、東京、2018)など。
Instagram @naritateru

展覧会情報
成田輝 展「遠くのペラペラ」
日時 : 2025年7月4日(金)-8月10日(日) 11:00~17:00 (火・水・木曜休館)
開廊時間外はアポイントメント制にてオープン可
場所 : GASBON METABOLISM

オープニングレセプション
日時 : 2025.7.5 (土) 17:00~20:00

アクセス
〒408-0205 山梨県北杜市明野町浅尾新田12
車:中央道須玉I出口より5分
最寄駅: JR中央本線 韮崎駅
WEB http://studio.gasbook.net/ Instagram @gasbon_gasbook

著者: (YAMAUCHI Maiko)

あなたの街のキュレーター。1979 年埼玉県生まれ。京都大学大学院文学研究科美学美術史学専修修士課程修了(仏教美術史)。神奈川県立近代美術館等の勤務を経て、現在はフリーランスで国内外の現代美術、工芸、および美術教育に関する執筆・企画・講演・モデレーターなどをてがける。近年の主な文章に「日本の酒器と工芸―その概況と展望」(『炎芸術』152号 阿部出版 2022年)、『愛しの茶器』(19名の陶芸家について 阿部出版 2023年)、「めでたいと おめでたい」(『版画芸術』159号「版画アートコレクションの作家 西平幸太」 阿部出版 2023年)、監修に『教養として知っておきたい 名画BEST100』(永岡書店 2021年)、WEB連載「痛風美術館」(持田製薬株式会社 2022-23年)、美術関係のツアー企画に「ふらっと入りにくいギャラリーがある街」(美術アカデミー&スクール 2022年~/年10回)などがある。千葉商科大学・福井大学非常勤講師。所有する資格は博物館学芸員(国家資格・文部科学省)および国内旅行業務取扱管理者(国家資格・国土交通省)。

メールアドレス ymaiko2020@gmail.com

https://ymaiko20.jimdofree.com/