寄稿「中村高朗・虎岩直子編著『記憶と芸術――ラビリントスの谺』法政大学出版局・2024年」秋丸知貴評

 

2024年3月4日刊行の中村高朗・虎岩直子編著『記憶と芸術――ラビリントスの谺』(法政大学出版局)に、拙稿「ポール・セザンヌと写真――近代絵画における写真の影響の一側面」を寄稿しました。

本書は、美術評論家連盟会員でもある中村隆夫(高朗)多摩美術大学教授の定年退職を記念する本として構想された論文集です。

活字発表の機会を与えていただいた中村先生と虎岩先生に、心より感謝申し上げます。

 


以下、法政大学出版局公式ウェブサイトより引用。

内容紹介

「もしかしたら、ノスタルジアこそ、あらゆる芸術の源泉なのである」(澁澤龍彥)。「記憶」の断片から「芸術」のはじまりを紡ぎ出し、人間の根源的な営みを解きほぐしてゆく。美学、文学、美術史、演劇、観光人類学、オブジェ制作等をめぐって第一線の論者たちが織りなす知の饗宴。

目次

まえがき


記憶と芸術──二重螺旋の詩学 【北川健次】
壁に掛けられた小さな風景画──イタリアの自然と画家たちの記憶 【小針由紀隆】
絵画の時間性 序説 【谷川渥】
+記録/+記憶──あるパフォーマーのこと 【水沢勉】
歴史画と集合的記憶 【宮下規久朗】


生の織物 【海野弘】
ポール・セザンヌと写真──近代絵画における写真の影響の一側面 【秋丸知貴】
ハワイ・ポノイを歌うこと 【進藤幸代】
意味を逃れる 【萩原朔美】

《幕間》
澁澤・種村時代を語る──谷川さんと午後五時にお茶を 【谷川渥×中村高朗】


「引用的人間」の記憶について 【高遠弘美】
W・B・イェイツとシェーマス・ヒーニーをめぐる記憶 【虎岩直子】
芸術創造のプロセス──「さまよえるユダヤ人」伝説をめぐって 【中村高朗】
戦前の記憶と戦後の生──太宰治における天皇・メディア・死 【丸川哲史】

あとがき

 

●著訳者プロフィール

中村 高朗(ナカムラ コウロウ)
多摩美術大学教授、批評家/文筆家。中村隆夫として著書に『象徴主義と世紀末世界』(東信堂)、共著に『バロックの魅力』(東信堂)、訳書にピエール・カバンヌ『ピカソの世紀』『続ピカソの世紀』(西村書店)、ヴァニーナ・コスタ『オルセー美術館』(福武書店)、共訳にメアリー・ホリングスワース『世界美術史』(中央公論社)。中村高朗として共著に『病と芸術』(東信堂)、「「日本のゴッホ」と呼ばれて」(『別冊太陽 山下清』平凡社)。ピカソ展、ユトリロ展など展覧会監修多数。

虎岩 直子(トライワ ナオコ)
明治大学政治経済学部教授。共著:『アイルランド・ケルト文化を学ぶ人のために』(世界思想社)、共訳書:『エンジェル・アト・マイ・テーブル(上・下)』(筑摩書房)。

 

●執筆者プロフィール

北川 健次(キタガワ ケンジ)
美術家・写真家・詩人・美術評論家。著書『「モナ・リザ」ミステリー』(新潮社)、作品集『危うさの角度』、『美の侵犯──蕪村×西洋美術』(求龍堂)、写真集『サン・ラザールの着色された夜のために』、詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』(沖積舎)など多数。

小針 由紀隆(コハリ ユキタカ)
ベルナール・ビュフェ美術館館長、元静岡文化芸術大学教授。著書:『ローマが風景になったとき──西欧近代風景画の誕生』(春秋社)、『クロード・ロラン──17世紀ローマと理想風景画』(論創社)、『サルヴァトール・ローザ──17世紀イタリアの美術家が追い求めた自由と名声』(論創社)など。

谷川 渥(タニガワ アツシ)
美学者・批評家。著書:『形象と時間』『美学の逆説』『鏡と皮膚』『肉体の迷宮』『孤独な窃視者の夢想』『ローマの眠り』ほか。訳書:P゠M.シュール『想像力と驚異』、Ch.ビュシ゠グリュックスマン『見ることの狂気』、アニエス・ジアール『愛の日本史』ほか。

水沢 勉(ミズサワ ツトム)
神奈川県立近代美術館長、美術評論家、美術史家。著書:『この終わりのときにも』(思潮社)、『エゴン・シーレ まなざしの痛み』(東京美術)、共編著:『点在する中心』(春秋社)、『モダニズム/ナショナリズム』(せりか書房)、訳書:クリスティアン・M.ネベハイ『エゴン・シーレ──スケッチから作品へ』(リブロポート)など。

宮下 規久朗(ミヤシタ キクロウ)
神戸大学大学院人文学研究科教授。著書:『カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会)、『食べる西洋美術史』『ウォーホルの芸術』(以上、光文社)、『闇の美術史』『聖と俗』(以上、岩波書店)、『そのとき、西洋では』(小学館)、『聖母の美術全史』『日本の裸体芸術』(以上、筑摩書房)、『バロック美術』(中央公論新社)ほか多数。

海野 弘(ウンノ ヒロシ)
1939年東京生まれ。著書:『アール・ヌーボーの世界』(造形社)、『装飾空間論』(美術出版社)、『都市とスペクタクル』(中央公論社)、『アンドロイド眼ざめよ』(駸々堂出版)、『カリフォルニア・オデッセイ』(グリーンアロー出版社)ほか多数。2023年死去。

秋丸 知貴(アキマル トモキ)
美術評論家連盟会員・鹿児島県霧島アートの森学芸員・滋賀医科大学非常勤講師。著書:『ポール・セザンヌと蒸気鉄道』(晃洋書房)。共著:『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ)。

進藤 幸代(シンドウ サチヨ)
多摩美術大学教授。論文:「「疑似体験」としての「旅行」──日本人にとってのホノルルマラソン」(『総合観光研究』第5号、2006)、「ホノルルマラソン観光におけるハワイアン」(『総合観光研究』第12号、2013)など。

萩原 朔美(ハギワラ サクミ)
多摩美術大学名誉教授、金沢美術工芸大学客員教授、前橋文学館館長。昨年全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。著者多数。

高遠 弘美(タカトオ ヒロミ)
明治大学名誉教授。著書:『プルースト研究』、『乳いろの花の庭から』、『物語パリの歴史』、『七世竹本住大夫』、訳書:プルースト『失われた時を求めて』、オマル・ハイヤーム『トゥーサン版 ルバイヤート』ほか多数、編著:『欧米の隅々 市河晴子紀行文集』(素粒社)。

丸川 哲史(マルカワ テツシ)
明治大学政治経済学部教授。著書:『魯迅出門』(インスクリプト)、『思想課題としての現代中国』(平凡社)、『竹内好』(河出書房新社)、『台湾ナショナリズム』(講談社)。

※上記内容は本書刊行時のものです。
法政大学出版局公式ページ
著者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美学者・美術史家・キュレーター。1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日〜2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto〔虚白院 内〕、会期:2015年3月7日〜2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院〔建仁寺塔頭〕、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日~2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:掌美術館、会期:2022年3月3日~2022年5月6日)等。2020年4月から2023年3月まで上智大学グリーフケア研究所特別研究員。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。上智大学グリーフケア研究所、京都ノートルダム女子大学で、非常勤講師を務める。現在、鹿児島県霧島アートの森学芸員、滋賀医科大学非常勤講師、京都芸術大学非常勤講師。

【投稿予定】

■ 秋丸知貴『近代とは何か?――抽象絵画の思想史的研究』
序論 「象徴形式」の美学
第1章 「自然」概念の変遷
第2章 「象徴形式」としての一点透視遠近法
第3章 「芸術」概念の変遷
第4章 抽象絵画における純粋主義
第5章 抽象絵画における神秘主義
第6章 自然的環境から近代技術的環境へ
第7章 抽象絵画における機械主義
第8章 「象徴形式」としての抽象絵画

■ 秋丸知貴『美とアウラ――ヴァルター・ベンヤミンの美学』
第1章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念について
第2章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラの凋落」概念について
第3章 ヴァルター・ベンヤミンの「感覚的知覚の正常な範囲の外側」の問題について
第4章 ヴァルター・ベンヤミンの芸術美学――「自然との関係における美」と「歴史との関係における美」
第5章 ヴァルター・ベンヤミンの複製美学――「複製技術時代の芸術作品」再考
第6章 ヴァルター・ベンヤミンの鑑賞美学――「礼拝価値」から「展示価値」へ
第7章 ヴァルター・ベンヤミンの建築美学――アール・ヌーヴォー建築からガラス建築へ

■ 秋丸知貴『近代絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに』
序論 近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究
第1章 近代絵画と近代技術
第2章 印象派と大都市群集
第3章 セザンヌと蒸気鉄道
第4章 フォーヴィズムと自動車
第5章 「象徴形式」としてのキュビズム
第6章 近代絵画と飛行機
第7章 近代絵画とガラス建築(1)――印象派を中心に
第8章 近代絵画とガラス建築(2)――キュビズムを中心に
第9章 近代絵画と近代照明(1)――フォーヴィズムを中心に
第10章 近代絵画と近代照明(2)――抽象絵画を中心に
第11章 近代絵画と写真(1)――象徴派を中心に
第12章 近代絵画と写真(2)――エドゥアール・マネ、印象派を中心に
第13章 近代絵画と写真(3)――後印象派、新印象派を中心に
第14章 近代絵画と写真(4)――フォーヴィズム、キュビズムを中心に
第15章 抽象絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに

■ 秋丸知貴『ポール・セザンヌと蒸気鉄道 補遺』
第1章 ポール・セザンヌの生涯と作品――19世紀後半のフランス画壇の歩みを背景に
第2章 ポール・セザンヌの中心点(1)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第3章 ポール・セザンヌの中心点(2)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第4章 ポール・セザンヌと写真――近代絵画における写真の影響の一側面

■ 秋丸知貴『岸田劉生と東京――近代日本絵画におけるリアリズムの凋落』
序論 日本人と写実表現
第1章 岸田吟香と近代日本洋画――洋画家岸田劉生の誕生
第2章 岸田劉生の写実回帰 ――大正期の細密描写
第3章 岸田劉生の東洋回帰――反西洋的近代化
第4章 日本における近代化の精神構造
第5章 岸田劉生と東京

■ 秋丸知貴『〈もの派〉の根源――現代日本美術における伝統的感受性』
第1章 関根伸夫《位相-大地》論――日本概念派からもの派へ
第2章 現代日本美術における自然観――関根伸夫の《位相-大地》(1968年)から《空相-黒》(1978年)への展開を中心に
第3章 Qui sommes-nous? ――小清水漸の1966年から1970年の芸術活動の考察
第4章 現代日本美術における土着性――小清水漸の《垂線》(1969年)から《表面から表面へ-モニュメンタリティー》(1974年)への展開を中心に
第5章 現代日本彫刻における土着性――小清水漸の《a tetrahedron-鋳鉄》(1974年)から「作業台」シリーズへの展開を中心に

● 秋丸知貴『比較文化と比較芸術』
序論 比較の重要性
第1章 西洋と日本における自然観の比較
第2章 西洋と日本における宗教観の比較
第3章 西洋と日本における人間観の比較
第4章 西洋と日本における動物観の比較
第5章 西洋と日本における絵画観(画題)の比較
第6章 西洋と日本における絵画観(造形)の比較
第7章 西洋と日本における彫刻観の比較
第8章 西洋と日本における建築観の比較
第9章 西洋と日本における庭園観の比較
第10章 西洋と日本における料理観の比較
第11章 西洋と日本における文学観の比較
第12章 西洋と日本における演劇観の比較
第13章 西洋と日本における恋愛観の比較
第14章 西洋と日本における死生観の比較

■ 秋丸知貴『ケアとしての芸術』
第1章 グリーフケアとしての和歌――「辞世」を巡る考察を中心に
第2章 グリーフケアとしての芸道――オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』を手掛かりに
第3章 絵画制作におけるケアの基本構造――形式・内容・素材の観点から
第4章 絵画鑑賞におけるケアの基本構造――代弁と共感の観点から
第5章 フィンセント・ファン・ゴッホ論
第6章 エドヴァルト・ムンク論
第7章 草間彌生論
第8章 アウトサイダー・アート論

■ 秋丸知貴『芸術創造の死生学』
第1章 アンリ・エランベルジェの「創造の病い」概念について
第2章 ジークムント・フロイトの「昇華」概念について
第3章 カール・グスタフ・ユングの「個性化」概念について
第4章 エーリッヒ・ノイマンの「中心向性」概念について
第5章 エイブラハム・マズローの「至高体験」概念について
第6章 ミハイ・チクセントミハイの「フロー」概念について

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