クレア・ビショップは昨年の2024年にVerso社から『Disordered Attention』を上梓した。その第1章は「情報オーバーロード:リサーチ・ベースド・アート(Information Overload: Research-Based Art)」となっているが、そもそもビショップは、2021年に開催された東京藝術大学国際芸術創造研究科での学内向けオンライン特別講義において「情報オーバーロード」というレクチャーを行い、2023年には『Artforum』誌で「Information Overload」という論考を発表している(ちなみに『Artforum』誌版については簡単な解説を書いたことがある)。「情報オーバーロード」というタイトルが同じであるため、『Artforum』誌版と『Disordered Attention』版には大した違いがないように思われるかもしれないが、『Disordered Attention』版は分量が倍近く増えており、かなり多くの増補が行われている。訳あって個人的に『Disordered Attention』版をじっくり読む機会があったので、基本的な論旨にはそれほど大きな変化はないとはいえ、それらの違いをここに記しておきたい。
まず『Disordered Attention』版では、教育の新自由主義化や市場化に関する議論が補足されている。知が資本として意味づけしなおされたこと、教育が成果主義化したこと、それに応じて北ヨーロッパの実践ベースの博士課程においてその成果を発表する大量の論集が公刊されたことが語られている。
そして『Disordered Attention』版において最も大きな増補は、リサーチ・ベースド・アートの「三つの系譜」に関する箇所だろう。『Artforum』誌版では、三つの系譜としてフォトドキュメンタリー、フィルム・エッセイ、コンセプチュアル・アートの名が挙げられていただけであったが、『Disordered Attention』版ではそれぞれについて具体例も挙げながら詳しく説明されているのである。フォトドキュメンタリーではFSAの写真や、デイヴィッド・ゴールドブラット、タリン・サイモン、フィルム・エッセイではハンス・リヒターやヒト・シュタイエル、コンセプチュアル・アートではハンス・ハーケが取り上げられている。そして、それら三つの系譜からリサーチ・ベースド・アートの第一段階へとつなぐものとして、ヴィレム・フルッサーによる「テクノ画像」やドゥルーズ&ガタリのリゾームに関する議論が新たに導入されている。
リサーチ・ベースド・アートの第一段階について言えば、『Artforum』誌版ではレネー・グリーンの《インポート/エクスポート》がメインで取り上げられていたが、『Disordered Attention』版ではそれに加えて、ウルスラ・ビーマンがもう一つの例として論じられている。第二段階に関しては、『Artforum』誌版では名前が軽く触れられていただけのマリオ・ガルシア・トレスに『Disordered Attention』版では多くの紙幅が割かれている。第三段階に関しては、それほど大きな変化はないとはいえ、ヘンリク・オルセンの作品についてアビ・ヴァールブルクの「ムネモシュネ・アトラス」との類似性が新たに指摘され、ティルマンスの《真実研究所》についても細かな増補がなされている。
次のセクションではアテンション・エコノミーとソーシャルメディアとの関係、フォレンジック・アーキテクチャーについては《トリプル・チェイサー》という映像に関する議論が新たに加わっている。『Artforum』誌版では最後に、アンナ・ボギギアンを称賛して論考を終えていたが、『Disordered Attention』版では、その前にワリッド・ラードによる「ウォークスルー」にボギギアンと同じくらい高い評価を与えており、ここが『Disordered Attention』版における最も大きな増補の一つだと言えるだろう。あと最後に、第二章とのつなぎで、孤立した鑑賞者ではなく、共同での鑑賞(shared spectatorship)をビショップが提唱しているのは『Artforum』誌版にはなかった論点であり、最も注目に値するかもしれない。
冒頭にも述べたように、『Disordered Attention』版は『Artforum』誌版よりも倍近く量が増え議論も精緻なものになっており、今後ビショップの「情報オーバーロード」を適切に理解しそれに言及するさいには『Disordered Attention』版を参照することが求められることになるだろう。