銭ゲバ国家ニッポン#4 市原尚士評

拙稿「銭ゲバ国家ニッポン#3」では、約80年前、著名な書家が政府に対して、美術展等の入場税減免を求めた請願をご紹介し、「単なる経済に拘泥」する政府の姿勢は昔と何も変わっていないことを批判しました。本稿では、積極的、かつ実効性のある提言をしたいと思います。

常設展の恒久無料化、これが筆者の提言です。新聞社やテレビ局が主催する特別展は、博物館法の規定する「原則無料」から逸脱してしまってもOKとしましょう。しかし、その代わりに、常設展は無料化せよ!と私は主張したいのです。1年間通して、同じ展示内容でも全然結構です。展示替えをするのであれば、有料の特別展や企画展の出品作に関連した作品のコーナーを常設展の一角に設ける程度で結構です。

なぜ、常設展の無料化が望ましいのか? 美術ファン(考古学ファン)なら分かっているはずです。特別展は混雑しすぎていて、まともに鑑賞できるような環境ではないからです。特に東京・上野に立地する各美術館の混雑ぶりはひどいものがあります。一方、同じ美術館でも常設展はガラガラです。でも、はっきり言わせていただければ、逸品、優品ぞろいだと大げさに宣伝している特別展の内容は大したものではありません。

パリ、ローマ、ロンドン、ニューヨーク、ミラノ、フィレンツェ、ベルリン、バルセロナの8大都市に実際に足を運び、現地の一流美術館を訪ねれば、我が国では鑑賞できないような超A級の逸品がざくざくとあります。しかも混雑度も日本と比べれば、それほど混んではいません。また、普通の声量でおしゃべりしようが、ペンでメモを取ろうが何も言われません。自由に、楽しい雰囲気で日本の特別展よりも質・量ともにはるかに上回る内容の展示を楽しめるわけです。

ということもあり、私は数十年前から、とにかく海外のミュージアムに足を運ぶように努力しているのです。収入のほとんどは美術旅行への支出で消えます。私のエンゲル係数ならぬ“美術館係数”は収入のほぼ100%と言ってもいいくらいです。ほかの支出はすべて抑えて、海外の美術館を訪問するためのお金をいつも貯蓄するようにしているのです。

海外で実際に本場の美術館を訪れない限り、モネでもゴッホでもムンクでもカラヴァッジョでもボッティチェリでも、要するにどんな有名作家の作品も満喫することは不可能です。であれば、がらがらに空いている常設展に目が向くわけです。超美術マニアの私が断言しますが、派手な宣伝をしている特別展よりも、地味な印象の常設展の方が面白い内容であることは往々にして、いえ、しばしばあります。

常設展の作品は、その館が所蔵する必然性のあるものが多いので、その分、担当学芸員の方の作品への愛着は深いです。愛着が深いと正比例して研究も深まる。研究が深まれば、それに比例して、展示のキャプションが面白くなったり、見せ方も上手になったりします。じっくり見れば見るほど、常設展はそれに応えてくれる中身の濃さがあるのです。真の美術ファンであれば、喧騒に満ちた特別展ではなく、あえて常設展をゆっくり楽しむものなのです。

常設展を無料化することによって、多くの方が美術館(博物館)に足を運ぶ。そして、充実した常設展をじっくり鑑賞すれば、「美術って面白い」「考古学って面白い」と思ってもらえる。もしかしたら、無料の常設展に足を運んだ観客の10%は特別展を見てくれるかもしれません。

また、常設展→特別展という動線を意識的に作るのも面白いです。まず先に常設展を無料で見る。その際、常設展の鑑賞を証明する紙片をお客さんに手渡す。その紙片を持って特別展のチケット売り場に行くと料金が10%オフになるようにするといった施策はいかがでしょうか?

常設展も特別展もバランスの良い混雑ぶりになるのではないでしょうか?
常設展をじっくり見れば、その面白さは誰でも気が付くと私は確信していますので、その常設展をあえて恒久無料化することによって、入館者増が達成でき、同時に特別展に足が向く効果も期待できると思った次第です。

地元企業の有料でのミュージアム鑑賞義務化。これが、私の提言第二弾です。まともな社会人たる者、1年間に1回もミュージアムに足を運んでいないというのは非常に恥ずかしいです。美術館でも博物館でもいいので、従業員●人以上の企業は、年に1回は本社の立地する市町村にある、あるいは近隣の市町村にあるミュージアムを有料で訪問する機会を設けたいものです。

自分たちが住み、働いている場所が大昔どんな場所だったのか。その歴史や変遷や特徴を知ることは仕事にも生かせるはずです。また、地元で活躍した画家たちの仕事に触れることによって、その地域に誇りを持つことができます。

さらに、これはいささか功利主義的な物言いになってしまいますが、良い仕事をしようと思うなら、仕事ばかりしていてはダメだと思うのです。仕事以外の活動に目を向けることで結果、仕事も良くなるものだと思います。美術作品を鑑賞すれば、普段の業務では使わない脳の部分が刺激されます。大げさに言うと「芸術脳」を駆使して業務に当たれば、普段とは次元の違う提案書が作成できるかもしれません。

また、商談で海外の方と会話する際に、「日本文化であなたのお勧めは?」などと尋ねられたら「私の会社の本社にある●美術館(●博物館)にある漆の逸品が自分は大好きだ。漆というのは日本の誇る伝統工芸の主要な塗料の一つで~」などなどいくらでもしゃべれますよ。海外のビジネスマンは、皆さん、文化的な素養を重んじます。仕事の話しか話題がない人なんて軽蔑されます。自分のお気に入りの美術品、能の演目、クラシックの指揮者、葦編三絶させてしまった古典文学(ビジネス書はNG)がないような方は相手にされません。

ビジネスマンとしての基礎的な教養を身に着ける研修の一環だと捉えて、地元にあるミュージアムに最低でも年に1回は鑑賞に行くのです。各企業が入場料金をきちんと払えば、ミュージアム側も経済的に潤います。企業側も社員のレベルアップにつながるので、良いことずくめです。

美術教育へにおけるミュージアム鑑賞の義務化。これが提言第三弾です。現行の美術教育では、鑑賞教育だけでなく、実際の制作が結構な時間、費やされています。この「制作」が美術嫌いを生み出す諸悪の根源ではないかと感じることがあります。「みんな好きなように、自由に絵は描いていいんだよ」などと笑顔で言いながら、その成果物である作品に対して良し悪しの判定が下される。あるいは、はっきりと点数が付けられたり、五段階評価の成績が付けられたりする。これが、どれだけ子どもの心を傷つけることか。美術に成績をつけるのは明らかにおかしいと思います。

学校の教諭が測定するところの「作品の完成度」ってなんなんでしょうか? そんなの全く信用できません。学校側が好む型にぴったり当てはまる作品が高評価を受け、そうでないと低評価になるだけです。算数や理科の成績は、まぁどんな子でも受け入れられると思うのです。単なる知識の領域ですから、算数や理科は。しかし、絵というのは、もろ、感性の領域です。その感性の産物に対して、五段階なら成績「5」は上位約7~10%、成績「4」は●%、成績「1」は●%と無理やり振り分けることが、どれだけ子どもたちの自尊心を傷つけることか、文科省の皆さんは分かっているのでしょうか。

心が傷つけられた子どもは絵を描くことが大嫌いになってしまいます。そして人前で絵を描くことを極度に恐れるようになってしまうのです。百害あって一利なしだと思うので、学校教育における作品制作および5段階評価は全面的に廃止するべきだと考えます。

それでは、美術教育で何をするのかと言うと、「鑑賞」の充実です。地元にあるミュージアム、時には隣県にあるミュージアム等を積極的に訪問し、そこにある作品を徹底的に鑑賞するのです。そして、絵や土器などについて自由に意見を言い合うのです。

この鑑賞には絶対に点数や評価をつけてはなりません。点数や評価がなければ、子どもは安心して自分の意見を言えるでしょう。このような機会を年に数回持つだけで、美術や考古学への興味はぐんと高まるはずです。

上記の三つの取り組みをきちんと実施すれば、「銭ゲバ国家ニッポン」の臣民にならないで済むと確信しています。経済効率ばかりを優先する生き方、社会構造は、もはや時代遅れです。我が国の政府が、そして政治家がいまだに「銭ゲバ」を良しとしている現状はお寒い限りです。銭ゲバにならないための処方箋として、ミュージアムは大いに有効ですし、どんどん活用すべきです。

展示を開いても開いても黒字にはならない。それは、恥ずべきことではありません。いえ、むしろ誇りにすべきことです。世界には銭ゲバという狭い特殊な世界観では測定不能な豊かな「赤字の世界」があり、その赤字の世界こそが実は「真の黒字の世界」そのものであるんだと教えてくれる場所、それがミュージアムなのですから。

人間の心の豊かさに赤字や黒字なんてありますか? 人間は人間であるだけでみんな豊かな心を持っています。人間の感性に赤字も黒字もありません。ミュージアムが赤字を垂れ流しているとしたら、その赤字と同じ分だけ、人々の心の豊かさにつながる“黒字”を世に提供してくれているということなのです。赤字ミュージアムの皆さん、文化庁の役人どもの戯言は鼻で笑って、堂々と今まで通りの良いお仕事にまい進してください。憲法や博物館法が皆さんの赤字は、「許される赤字」であると保証してくれているわけですから自信を持ってください。全国各地のミュージアムの素敵な展示を私は心底、楽しみにしています。あなたの館にまた訪問するための旅程を立てている私が、今、ここに確かに存在していますよ。(2026年3月15日14時41分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。