彩字記#26(採取者・市原尚士)

ダラット記2

ベトナムのダラットの続編です。鉄道好きの筆者にとって、旅というのは常に鉄道に乗ることを意味しています。今回の旅行でも、市の中心部から徒歩で半時間ほどのダラット駅から約7キロの小旅行を満喫しました。

ダラット駅舎の外観

まずはダラット駅舎や鉄道のご紹介を。アールデコ様式の駅舎は、1938年に開業しました。路線はベトナム戦争後期に一度廃止されましたが、1990年代初頭に観光用列車として復活しました。約7キロ離れたチャイマット村までの単線をディーゼル機関車が往復しているのです。

車内はクラシカルな感じが漂う

片道はせいぜい20数分程度なので、普通の陸上選手が走っているのとほぼ同じ速度です。つまり、乗り物としてはゆっくり、ゆったりと車窓風景を楽しめるので、最高です。

車内には、サックス一つを携えた男性がいて、運行中に様々な音楽を演奏しています。エルヴィス・プレスリー(1935~1977年)の名曲「好きにならずにいられない」(1961年)やコンスエロ・ベラスケス(1916~2005年)が作曲した世界的な大ヒット作品「ベサメ・ムーチョ」(1941年)などなどの恋愛を想起させる作品が演奏されています。

チャイマット村の駅舎近くで、車両の連結作業を催行する駅員さんの得意そうな表情に注目

特に恋愛中でない筆者でも、なんだか胸がきゅーっとなるのは、狭心症の発作ではなく、やはり、一応は恋心のかけらが残っているからなのでしょうね。

チャイマット村の小さな駅舎

花々に包まれ、三角屋根がかわいい駅舎を出発する機関車に乗っているだけで、涙があふれてきました。チャイマット村に到着して、グラフィティを探したのですが、あまり見つかりません。ということで本稿は、チャイマット村の観光スポットと非観光スポットをご紹介しましょう。

リンフォック寺の奇妙な外観

リンフォック寺の内部

小さなチャイマットの駅に到着後、歩いて6~7分程度の場所に位置するのが、ド派手な装飾で有名なリンフォック寺です。瓶や陶器片のモザイクで満載の寺院はキッチュな感覚いっぱい。

菊の巨大観音

菊のドライフラワーで荘厳された高さ17メートルの観音も面白いのですが、地下の立体地獄もものすごい迫力です。国内の秘宝館を巡るのが好きな筆者には、まさにどんぴしゃりの施設(?)でした。

リンフォック寺の地下に広がる広大な地獄

このリンフォック寺は大盛況なのですが、観光客の姿が、いやいや一般の村民のすがたすらほとんど見かけない不思議な施設が、ベトナムの新宗教カオダイ教の寺院でした。リンフォック寺の裏手から白い道がまっすぐに伸びていますから、参道(?)は誰の目にも明らかなのに、誰も足を運びません。

カオダイ教の寺院(上)へと至る階段

参道は、いったん下ると、今度は結構、傾斜のきつい登りになります。ずっと登っていくと、そのままカオダイ教寺院の巨大施設の中に入ることになります。

カオダイ教は1926年に始まりましたから、今年でちょうど満100年になります。仏教、キリスト教、イスラム教、儒教、道教の5つの思想を土台にした宗教です。それぞれの思想の良いところを融合させることによって人類救済を目指しているのです。

天眼の迫力は、特筆すべきものがある

本堂の中央には、宇宙の至上神を意味する「天眼」があり、こちらを見ています。この天眼というのは、本当にすごい力をたたえています。自分の犯してきた罪が、全部、見透かされているようで怖くなってしまうほどです。巨大な寺院なのですが、人っ子一人いないのです。時間が時間であれば、信者が多く出現するのでしょうか? 筆者にはよく分かりませんでした。

色の異なる場所に、グラフィティを施すとかっこいい

ダラット駅に列車で戻った後、市の中心部まで再び半時間、歩くことにしました。天眼の法力に触れたせいでしょうか、今度はあちこちでグラフィティを見つけることができたのです。異なる色味の上をまたぐようにして描かれた作品は、文字の縁が赤い線で縁取られており、なかなかオシャレです。

これも「天眼」の一種なのか?

通り沿いの美容院の広告でしょうか。女性の瞳の画像を組み合わせたものがありました。瞳をあまりにもアップして、しかも集めると、かなり気持ち悪いものです。まぁ、ただこの広告も現代的な「天眼」の一種なのかもしれないと思い、じっくりと鑑賞してしまいました。

電気関係の施設の外壁に描かれた文字

電気関係の施設の外壁には「LOOSE」「LOST」の2文字が描かれていました。しばらく歩いていると、塀の上に全く同一人物のものと思われる「LOOSE」「LOST」を見つけました。

外壁に描かれた「ルース」と「ロスト」

LOOSE(ゆるい)、LOST(失った)という言葉の対比がやけに意味深な感じです。あまりにもゆるく生きすぎると、すべてを失ってしまうことになるぞという戒めなのでしょうか?

さて、次回は、ダラットの中心部にある、壁画やグラフィティが密集した一角をご紹介いたしましょう。この地区は、「光と影」「公式と非公式」のせめぎあいがとても興味深いです。どんな美術館よりも興味深く思える一角だったので、ご期待ください。(2026年3月4日18時47分脱稿)

*「彩字記」は、街で出合う文字や色彩を市原尚士が採取し、描かれた形象、書かれた文字を記述しようとする試みです。不定期で掲載いたします。

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。