序論:抽象画の「普遍性」という神話
抽象画はしばしば、具象表現を乗り越えた絵画の進化した形式として語られてきた。この見方によれば、具象から抽象への移行は美術史の必然的な発展であり、抽象画は文化や言語を超えた普遍的な視覚言語として機能するとされる。しかしこの「普遍性」の神話は、根本的な問い直しを必要としている。
筆者は、人間の視覚経験は母語・身体・気候・宗教観という四つの要素によって深く規定されていると考えている[1]。母語は視覚的形態の認知回路を形成し、身体は絵画行為と鑑賞経験の様式を規定し、気候と風土は色彩・物質・空間への感受性を育み、宗教観は「見えないもの」をどのように視覚化するかという根本的な構えを決定する。これらの要素が異なれば、同一の絵画作品を前にしても、観者が経験するものはかなりの程度において異なる。
抽象画も例外ではない。いや、具象画よりもむしろ抽象画においてこそ、この差異は決定的に現れる。具象画には描かれた対象という共通の参照点があるが、抽象画にはそれがない。形態・色彩・物質性だけが存在する画面において、観者は自らの認知的・身体的・文化的構えをそのまま持ち込む。だからこそ抽象画は「普遍的」どころか、文化的差異が最も鋭く露出する表現形式なのである。
この視点から見ると、抽象画を絵画の進化した形式として捉える見方は二重の意味で誤っていると考えられる。第一に、それはヨーロッパの美術史が自ら生み出した内在的論理、すなわちヘーゲル的な弁証法的発展の図式を普遍的な歴史法則として誤認している。具象から抽象への「乗り越え」は西洋美術史の内部論理であり、異なる視覚文化の伝統を持つ文化圏にそのまま適用できるものではない。第二に、それは戦後アメリカにおける特殊な政治的・文化的条件の合流によって成立した様式的権威であり、中立的な美学的価値として誤認している。抽象画の「普遍性」は発見されたのではなく、構築されたのである。
では現代日本において抽象画はいかなる条件の下に成立し、いかなる固有の困難を抱え、それでもなおいかなる価値を持ちうるのか。本論考は日本における抽象画の構造的困難を明らかにするとともに、その困難の中にこそ日本の抽象画が持ちうる固有の価値の輪郭を見出そうとするものである。その価値を言語化することは、批評の課題であると同時に、抽象画という表現形式が日本文化の中で固有の意味を持ちうるかどうかという、より根本的な問いへの応答でもある。
理論的前提:日本における具象の概念——写生・気韻生動・「うつす」という行為
美術生態系には、大きく二つの型がある。一つは版画・雑誌・映画・テレビ・インターネットといったメディアを通じて流通する「メディア依存型」であり、作家・メディア・受容層の三要素で成立する。もう一つは美術館・ギャラリー・邸宅といった特定の物理空間と結びついた「空間依存型」であり、こちらは作家・制度・受容層・空間という四要素を必要とする。この二分法は本論考全体を貫く基本的な枠組みである[2]。
具象と抽象の関係を論じる前に、日本において「具象」がいかなる概念的基盤の上に成立してきたかを確認しておく必要がある。この確認なしには、日本における抽象画の固有の問題を正確に論じることができないからである。
日本語において現実のものを絵で描くことは、「写生」あるいは「写実」と呼ばれる。この二語に共通する「写」という字は「うつす」と読まれるが、この「うつす」には「写す」と「移す」という二つの意味が重なっている。西洋的な「写実(realism)」が対象の外形・光・陰影を正確に「写す」、すなわち再現することを目指すのに対し、日本の「写生」における「生」は単なる外形の記述対象ではない。「生」とは生物・生命・自然という意味であると同時に、「気が生となって動く」という存在論的な運動の表れである。写生とは対象の外形を「写す」のではなく、対象が放つ「生」、すなわち気の動きを「移す」行為として理解されてきた。
この「写生」の概念的基盤をなすのが、中国六朝時代の画家・謝赫が定めた絵画の六法における第一原則、「気韻生動」である。気韻生動とは、気が韻をなして生となり動くことであり、絵画がまず捉えるべきものは対象の外形ではなく、この気の生動である。気とは世界全体を行き来するエーテルのようなものであり、それが「生」となって「動」として現れる。この論理において、絵画とは外形の記録ではなく、気の運動の痕跡として成立する。画法とはこの気韻生動を捉える方法の総体であり、ものの輪郭を正確に描くことはその一部に過ぎない。
この「気韻生動」の論理は、筆者がかねて提唱してきた「もの・け・もののけ・ものがたり」の段階論と深く共鳴する[3]。「気(き)」が「もの」に凝結して「気(け)」となり気配として場に滲み出るという段階論は、気が生となって動くという気韻生動の論理の日本的展開として読み直すことができる。「もの」とは気韻生動における「生」の宿り場であり、そこから「け」が滲み出ることは気が動くことに他ならない。写生とはこの意味において、「もの」から「け」が出る瞬間を「移す」行為として理解できる。
こうした気の運動としての絵画という理解は、空間依存型とメディア依存型という二分法と直接に接続する。気韻生動の論理において気の運動は空間において感受されるものであり、絵画のマチエール——絵具の厚み、筆触の痕跡、支持体との関係——は観者が作品の前に立つ身体的経験においてのみ完全に現れる。複製や画像では原理的に伝達が難しい次元を持つのが空間依存型の本質であり、これに対してメディア依存型においては、「もののけ」以降の段階、すなわちキャラクターとストーリーは物質性を離れても伝達が可能である。
戦後日本においてこの二つの方向は決定的に分岐した。漫画・アニメというメディア依存型の表現が爆発的に発展する一方で、空間依存型の表現を支える制度・受容層・空間という三要素は、富裕層の解体による応接空間の解体とLDKの普及によって著しく解体された。アメリカで抽象表現主義の普及を支えた空間的条件、すなわち私的・公的空間に広がる広い白壁が、日本では成立しなかったのである。漫画・アニメが「うつす」という行為をメディアを通じた記号の複製として極限まで洗練させたとすれば、抽象画は「うつす」という行為を空間における気の顕現として引き受けようとする表現である。この対比は、日本における抽象画の困難の物質的条件を示すと同時に、その困難の中に固有の価値が潜む理由をも示している。
この概念的基盤の上に立つとき、西洋的な一点透視図法の導入は単なる技法的変化ではなく、より根本的な問題を孕んでいたことが見えてくる。一点透視図法は光を単一の固定された視点から捉え、空間を幾何学的に再現する方法である。この方法は対象の外形を精確に描くことを可能にするが、同時に気の流動性(気韻生動)を原理的に捉えにくくする。気は世界全体を行き来する動的なものであり、単一の視点への固定はその動きを凍結させる可能性がある。遠近法の導入によって「生」の外形はより精確に描けるようになったが、「気」の動きが失われることがある。これは日本の絵画における西洋的技法の受容が抱えた根本的な緊張である。
この緊張は、日本における具象表現と抽象表現の関係を考えるうえで重要な示唆を与える。日本の絵画の伝統において「具象」とは、外形の忠実な再現ではなく気韻生動の捕捉を本旨としてきた。とすれば、具象と抽象の対立は、日本の絵画論においては西洋ほど截然とした対立ではない。気韻生動を捉えようとするとき、外形の正確な描写は必要条件ではなく、むしろ外形を捨象することで気の動きをより直接的に表現できる場合がある。この論理の延長線上に、日本における抽象表現の固有の可能性が位置している。具象から抽象への移行は「乗り越え」でも「退行」でもなく、気韻生動という共通の目的に向かう表現手段の選択として理解できるのである。
第一章:二重の外来性——歴史的経緯の非対称
1-1 抽象の内在的必然——ヨーロッパにおける成立論理
抽象絵画がヨーロッパで成立したとき、それは様式の選択ではなく、西洋絵画史の内在的な論理的帰結として現れた。ワシリー・カンディンスキーが「芸術における精神的なものについて」(1911年)で展開した議論は、具象表現が「物質的世界の外皮」に過ぎず、精神的実在への接近には相応の表現が必要だという確信に基づいていた。これはカンディンスキーよりも抽象画への移行が早かったといわれるヒルマ・アフ・クリントも同様である。マレーヴィチの「シュプレマティスム」もまた、感覚的知覚を超えた純粋な感受性の領域への参入として抽象を位置づけた。いずれも、具象から抽象への移行は「乗り越え」の論理、すなわちヘーゲル的な弁証法的発展の図式によって正当化されており、それぞれの様式変容の内部に批評的な自己意識が内在していた。
この段階における抽象画は、西洋美術史が自ら生み出した問いへの応答であり、歴史的必然性の感覚を伴っていた。つまりヨーロッパにおける抽象の成立には、それを支える思想的・批評的な言語があらかじめ存在していた。
1-2 三つの要因の合流——アメリカにおける抽象の制度化
しかし第二次世界大戦後にアメリカで展開した抽象表現主義は、こうしたヨーロッパ的な内在的必然性とはやや異なる歴史的条件の下で成立した。そこでは性格の異なる複数の力学が重なり合い、抽象絵画が文化的・政治的な意味を帯びることになった。ここではその代表的な三つの要因を整理しておきたい。
宗教文化的背景としての偶像問題
抽象表現主義を推進した画家や批評家のなかに、ヨーロッパから移住したユダヤ系の芸術家や知識人が多く含まれていたことは、しばしば指摘されてきた歴史的事実である。ユダヤ教には、出エジプト記に由来する偶像崇拝の禁止という宗教的伝統があり、神の姿を像として表現することに対して慎重な文化的態度が存在してきた。
もちろん、抽象表現主義をこの宗教的伝統から直接導くことはできない。しかし一部の研究者が指摘するように、具象的なイメージを回避し、形式そのものの自律性を強調する態度が、こうした宗教文化的背景とどこかで響き合っていた可能性は考えられる。ドイツ語圏の移民家庭で育ったクレメント・グリーンバーグが、カント哲学を援用し、モダニズム絵画の「純粋性」を強く擁護したとき、その議論は主として形式主義的な批評理論として展開されたが、その思想環境の背後には、近代ユダヤ系知識人の文化的背景が広く存在していたこともまた歴史的文脈として指摘されている。
亡命芸術家と反ファシズムの文脈
第二の要因は、ヨーロッパからアメリカへ移住した芸術家や知識人の存在である。ナチズムは前衛芸術を「退廃芸術(Entartete Kunst)」として排斥し、多くの芸術家や知識人を亡命へと追い込んだ。こうした亡命者の経験は、戦後の芸術環境において重要な意味を持った。
抽象芸術は、この文脈の中でしばしば全体主義的リアリズムへの対抗として理解された。社会主義リアリズムが国家による表象の統制と結びついていたのに対し、抽象絵画は個人の自由な表現の象徴として語られるようになる。亡命という経験は、この対立を倫理的・政治的な問題として強く意識させる契機となった。
アメリカ文化制度と冷戦期の文化外交
第三の要因は、戦後アメリカにおける文化制度の形成である。戦前までアメリカは絵画の伝統においてヨーロッパの影響下にあると見なされており、「アメリカ独自のモダニズム」を確立することが文化的課題となっていた。ニューヨーク近代美術館(MoMA)をはじめとする美術制度、批評媒体、財団などが、この新しい芸術の形成と国際的普及を支える役割を担った。
さらに冷戦期の文化外交の中で、抽象表現主義は政治的意味を帯びることになった。セルジュ・ギローが詳細に論じたように、アメリカ政府や関連機関は抽象芸術を「自由世界の文化」の象徴として海外に紹介する文化政策を展開した。この政策は芸術家や批評家自身の意図とは必ずしも一致していたわけではないが、結果として抽象表現主義は国際的な文化的権威を獲得することになった。
グリーンバーグ自身の批評はこうした文化政策とは独立して形成されたものであり、彼が冷戦文化戦略に積極的に関与していたわけではない。しかし彼が提示した形式主義的モダニズムの理論は、制度的な文化政策と結びつくことで、戦後世界における抽象芸術の評価を大きく方向づける役割を果たした。
このように見ていくと、戦後アメリカの抽象表現主義は単一の思想から生まれたものではなく、宗教文化的背景、亡命者の歴史経験、そして文化制度と冷戦政治という複数の要因が重なり合うことで形成された運動であったと言える。
1-3 根拠の抜け落ちた継承——しかし基層にあったもの
アメリカの抽象表現主義が日本に到達したとき、様式の「形式」は伝わったが、それを支えていた三層の力学は伝わらなかった。偶像崇拝禁止の神学的禁忌は、神道・仏教・無宗教が混在する日本の宗教文化にはそもそも存在しない。ナチズムへの抵抗としての亡命経験もない。そしてアメリカの冷戦文化戦略は、日本においては受信側として機能したのであり、様式を主体的に生み出した側の切迫感はない。グリーンバーグ的なモダニズムの「純粋性」という概念的言語と抽象表現主義の視覚的形式だけが継承され、それを支えていた神学的根拠・倫理的必然性・政治的文脈はすべて剥落した。この意味において、日本の抽象画は「根拠の抜け落ちた継承」として現れた。
しかしここで立ち止まる必要がある。偶像禁止の論理が伝わらなかったことは確かだとしても、抽象的感性そのものが日本文化に不在だったかといえば、まったく逆である。
神道(原始的な信仰を含む)における信仰の対象は、神の「似姿」ではない。磐座(神が降臨する岩)や木、鏡、注連縄といった依り代は、神の形象を表現したものではなく、神の気配が宿る「場所」あるいは「媒介」である。ここには「神を像として描く」という発想がそもそも成立していない。ユダヤ教が偶像を禁止することで具象的表現を否定的に退けるのとは異なり、神道においては像の必要性が存在論的に生じない。禁忌による否定的抽象ではなく、像を必要としない構造そのものとしての抽象である。
この神道的な抽象性に対して、仏教の輸入は具象的形式をもたらした。仏像・仏画という高度に具象的な表現形式が大陸から流入し、それに伴って神の姿もまた像として描かれるようになった。神仏習合の展開がその過程である。つまり日本の宗教文化の基層には、「抽象的な神道」と「具象的な仏教」という二層構造がすでに形成されており、具象的表現はむしろ外来の層に属している。仏教の具象化も、ヘレニズム文化を経由したギリシア・ローマ文化の影響であることを補足しておく。
この視点から見ると、論点は逆転する。西洋的な意味での具象絵画、すなわち人体・歴史画・神の似姿こそが日本にとって外来の形式であり、抽象的な感性の方が文化の古層に根ざしている。問題は日本に抽象的感性が不在であることではなく、その感性と西洋から輸入された抽象の批評言語との間に、架橋が成立していないことである。
具体美術協会(以後、具体)が「行為」と「物質」に向かったことは、この架橋の困難を別の回路で迂回しようとした試みとして読み直せる。しかし「絵画としての抽象」においては、神道的な「像を必要としない感性」と、グリーンバーグ的な「純粋性」の言語とを接続する批評的作業は、いまだ本格的には着手されていない。日本における抽象画の批評言語の不在は、感性の不在に由来するのではなく、この接続の不在に由来する。それが第一章の結論として提示すべき命題である。
1-4 異質な共闘
この外来性の問題をさらに複雑にするのが、アンフォルメルとの関係である。1950年代にフランスで批評家ミシェル・タピエが命名したアンフォルメルは、アメリカの抽象表現主義とは独立した文脈で展開した抽象絵画の動向であり、既存の形式(フォルム)を否定し、制御されない物質性・偶然性・身体的痕跡を前景化するものだった。タピエが1957年に来日し、吉原治良をはじめとする具体のメンバーと接触したとき、そこには単なる様式的類似以上の何かが生じた。
タピエにとってアンフォルメルは、西洋の形式主義への批判的応答として成立していた。具体にとっての実践は、「もの」の物質性を直接的に解放するという、日本固有の感性の表れとして成立していた。一方は西洋形式主義への批判であり、他方は物質と気の感性的論理である。しかし向かう方向が一致していた。これは「共闘」と呼ぶにふさわしい関係である。前衛書とスーラージュが「形態は似ているが認知的経験は根本的に異なる」という非対称的な関係だったのに対し、アンフォルメルと具体は「文化的根拠は異なるが方向が一致する」という対称的な共鳴関係にあった。
しかしこの共闘には深刻な逆説が伴った。タピエによる具体の国際的紹介は、具体をアンフォルメルの文脈に回収するという副作用をもたらした。共闘が同時に、具体の独自性を消去する回路になったのである。日本の抽象画が「根拠の抜け落ちた継承」として現れたとするなら、具体の場合はさらに深刻で、固有の根拠を持ちながらもそれを論じる批評言語がなかったために、外来の枠組みに吸収されてしまった。
この「接続の不在」がもたらす帰結は、批評言語の次元にとどまらず、市場的評価の次元においても現れた。具体はアメリカの抽象表現主義が国際的に高騰するなかで、類似した視覚的形式を持つより安価な代替物として位置づけられる時期があった。様式的な近接性が独自性の証拠としてではなく、亜流性の根拠として機能したのである。しかしこの評価は固定したものではなかった。美術史家の富井玲子やミン・ティアンポらによる実証的研究は、具体がアメリカの抽象表現主義とは独立した固有の論理と歴史的文脈を持つことを明らかにし、今日では「亜流」という位置づけは大きく修正されている。批評言語の形成が歴史的評価を根本から書き換えうることを、この再評価の過程は示している。
第二章:「メディア依存型」アートの支配的記号系の形成
2-1 日本における視覚的リテラシーの特殊性
日本は世界的に見て、漫画・アニメという「メディア依存型アート」の記号的視覚言語が日常に深く浸透した稀有な文化圏である。この記号系は「うまさ」の評価基準を独自に形成した、①キャラクター造形力、②同一性の維持、③ストーリーとの統合という三軸が支配的規範となっている。
2-2 写実絵画における漫画的写実という固有の問題
日本における写実的描画能力の高さは、しばしば美術教育の成果として語られるが、その実態はより複雑である。日本人の写実的表現の巧みさは、石膏デッサンに代表される西洋的な写実、すなわち陰影・遠近法・立体感を積み重ねることで対象を再現する「加算の論理」によって形成されたものではなく、漫画から得た独自の技法的論理によって培われたものである。漫画的写実の発展は、戦後の空間依存型からメディア依存型への文化的転換と軌を一にしている。
漫画における写実は「減算の論理」によって成立する。キャラクターを最小限の線で描き分け、同一性を保ちながら多様な表情・動作・感情を表現しなければならない。石膏デッサンのように何本もの線を重ねて立体を構築することは許されない。一本の線の選択が決定的な意味を持ち、その線が別のキャラクターと混同されることなく、かつ無数の状況において同一人物として認識される必要がある。この制約のなかで洗練された描線の論理は、西洋的な写実とは根本的に異なる高度な技法的知性を要求する。
この漫画的写実の訓練は、日本では特定の専門家だけでなく、国民の相当数が幼少期から自発的に行っている。義務教育の美術教育に加え、漫画・アニメの模写という文化的習慣が広く浸透しているために、写実的表現における国民的な平均水準は国際的に見て著しく高い。しかもその鑑識眼もまた、同様に形成されている。日本の一般的な観者は、漫画的写実の論理、すなわち線の選択の精度、キャラクターの同一性の維持、表情の豊かさについて、訓練された批評的感受性を持っている。
この状況が写実絵画を選択する者に課す困難は、単なる技術的競争の激しさにとどまらない。写実表現を選択することは、この漫画的写実によって形成された分厚い鑑識眼を持つ観客を納得させることを意味する。その観客は、線の一本一本の必然性を無意識的に判断し、余剰な線を敏感に感知する。圧倒的な卓越性なしには差異化できない市場が形成されているのである。
2-3 抽象画の差異化機能とその持続の困難
抽象画は漫画・アニメの記号系とも、写実絵画の評価軸とも、明確に異なる。この「明らかな異質性」が、逆説的に抽象画を選択する動機として機能している可能性がある。つまり抽象画は積極的な様式選択としてではなく、支配的記号系からの消極的な「離脱の証明」として機能しているという仮説を提示できる。すなわち漫画・アニメではなく、現代アートであるという記号になるのだ。
しかしこの差異化を持続的な文化的実践として成立させるには、複数の構造的課題が立ちはだかる。第一の課題は空間的インフラの問題である。美術史家の加治屋健司が指摘するように、アメリカにおける抽象表現主義の普及は、美術史的・政治的戦略だけでなく、戦後アメリカの大型オフィスビルや住宅の広い白壁という物質的空間のニーズと合致していたという条件に支えられていた。抽象画は空間依存型の表現として、それを受け入れる空間的インフラとともに初めて成立する。
戦後日本では、富裕層の解体とLDKの導入などにより、大型の抽象絵画を掛ける白壁を持つ空間は著しく限定された。アメリカで抽象画の普及を支えた空間的条件が、日本では存在しないのである。これは抽象画のニーズが日本で根付かなかった理由を、文化的・批評的次元だけでなく、空間的・物質的次元から説明する。
第二の課題は承認の構造的困難である。差異化として機能するためには、その差異が何らかの形で承認されなければならない。しかし第三章で詳述するように、日本における抽象画の承認回路は国際市場・国内大衆・専門批評のいずれの次元においても脆弱である。差異化の瞬間的な達成と、それを文化的実践として持続させることは別の問題であり、制度、受容層、空間が整わなければ、抽象画という選択は個々の作家の孤立した実践にとどまり、文化的な蓄積にならない。
この持続の困難に対して考えられる出口は二つある。一つは国内における建築・都市計画・企業文化との接続という実践的課題として、抽象画を受け入れる空間的インフラを積極的に形成することである。もう一つは空間的ニーズのある海外市場への、批評言語とともにした価値の提示である。後者については、日本固有の批評言語である筆者の「もの・け」の論理、気韻生動との接続なしには、再び外来の枠組みに吸収されるという歴史的失敗を繰り返すことになりかねない。いずれの方向においても、批評言語の形成は実践的な前提条件として不可欠である。
なおこの離脱が真に達成されているかどうかは、次節で論じるように、表意文字的認知という別の次元からさらに問い直される必要がある。
2-4 表意文字的認知と記号読解の深層回路
日本における抽象画の受容を困難にしている要因として、これまで十分に論じられてこなかった問題がある。それは文字体系と視覚認知の関係である。
日本語は漢字・ひらがな・カタカナという複数の文字体系が併用される、世界的に見ても稀有な表記環境を持つ。このうち漢字は表意文字であり、文字の形態そのものが意味と不可分に結びついている。アルファベットのような表音文字が「音の記号の連鎖」として処理されるのに対し、漢字の読解は視覚的形態の全体から意味を抽出するという認知的操作を要求する。この差異は習慣的な訓練の差ではなく、日常的な文字読解において動員される脳の回路の構造的な差異として現れる。
ここから一つの仮説が導かれる。表意文字の文化圏で育ち、視覚的形態から意味を抽出する回路を日常的に鍛えてきた人間は、抽象的な視覚形態に対しても、同じ認知的構えで向き合う可能性が高い。すなわち「この形態は何を意味しているか」を読み取ろうとする回路が、抽象絵画を前にしても自動的に起動するのではないか。これは実証的な検証を要する仮説であり、神経科学と美術受容論の交差点に位置する問いとして、今後の研究が待たれる領域である。しかしこの仮説は、日本における抽象絵画の受容をめぐるいくつかの現象に対して、説得力ある説明を与える。
その一例がジャクソン・ポロックのオール・オーバー・ペインティングに対する日本人の反応である。滴り落ちる絵具の軌跡が画面全体を覆うポロックの作品は、西洋の批評的文脈においては身体的行為の痕跡・場の全体性・偶然性の制御といった概念で論じられてきた。しかし日本人の観者がこれを前にするとき、しばしば書との類比が直感的に生じる。この直感は単なる表面的な類似への反応ではない。書において筆の軌跡は、筆者の身体的運動と精神的状態が意味と一体化した痕跡として現れる。その形態は抽象的でありながら、同時に意味を宿した記号として読まれることを要求する。表意文字的な認知回路を持つ観者は、ポロックの線にも同じ読解の構えで向き合い、そこに意味の痕跡を探そうとする。
この認知的分岐を最も鮮明に示す事例が、戦後日本に勃興した前衛書と、ピエール・スーラージュをはじめとする西洋抽象画家との交流である。前衛書の作家たちは積極的に海外の抽象画家と接触し、相互の視覚的類似を確認し合った。確かに形態の次元においては、墨の黒と余白の白が画面を構成する前衛書の造形と、スーラージュが黒を主調として展開した絵画との間には、看過しがたい近接性がある。
しかしここで問わなければならないのは、その類似が何を意味するかである。西洋人の観者が前衛書を前にするとき、彼らはそれを「絵画」として経験する。表音文字の文化圏に育った観者には、そこに文字の痕跡を読み取る回路が存在しない。筆の軌跡は意味の気配を宿した記号としてではなく、色彩・形態・マチエールの自律的な視覚経験として処理される。逆に日本人の観者がスーラージュの作品を見るとき、表意文字的な認知回路が自動的に起動し、そこに筆者の身体的・精神的痕跡としての意味性などの書の論理を読み込もうとする。同一の視覚形態が、まったく異なる認知的対象として経験されているのである。
これは文化的解釈の差異ではない。解釈は意識的な操作であり、努力によって修正できる。しかし認知回路の起動は無意識的・自動的であり、「書のように見える」という直感は、観者がそれを望むかどうかにかかわらず、視覚的把握の最初の瞬間にすでに生じている。前衛書とスーラージュが「似ている」という事実は、形態の類似が認知の同一性を意味しないという逆説を示している。両者は形態において近接しながら、経験においては根本的に分岐している。
この逆説はさらに一つの問いを生む。前衛書の作家たちが西洋の観者から高い評価を受けたとき、その評価は「絵画」としての評価であった。日本の前衛書家たちはこの認知的誤読を知っていたのか、あるいは知りながらそれを肯定したのか。もし前者であれば、認知回路の差異を戦略的に活用したことになる。村上隆が「日本性のマーカー」を意識的に操作して国際市場へ参入したこととは逆方向の操作、つまり日本的なものが西洋的なものとして誤読される回路の意図的な利用がそこにあったことになる。いずれにせよ、前衛書と西洋抽象の交流が示しているのは、視覚的形態の共有が認知的経験の共有を意味しないという、抽象表現の受容における根本的な非対称性である。
この認知的傾向は、抽象絵画の受容において決定的な帰結をもたらす。2-3で論じたように、抽象画は漫画・アニメの記号系との明確な差異化として機能しうる。しかしその差異化は、より深層における別の記号読解回路によって部分的に無効化される可能性がある。漫画的記号系からは離脱できても、表意文字的な認知構えからは離脱できない。形態から意味を抽出しようとする回路は、文化的習慣の問題ではなく、文字読解の長年の訓練によって形成された認知の基盤であり、意識的に停止させることが難しい。
とすれば、日本人の観者にとって意味への回収を拒む視覚経験、すなわち「純粋に抽象的に感じられる絵画」は、さらに限定されることになる。書的な線の運動も、漢字的な形態の集積も、認知回路によって記号として処理されてしまうとすれば、その回路が作動しない領域はどこか。おそらくそれは、色彩の純粋な感受、あるいは物質そのものの質感・マチエールの領域であり、形態の意味性から最も遠い次元である。日本における抽象画が真に抽象的な視覚経験を成立させうるとすれば、その可能性はこの限定された領域においてこそ探られるべきかもしれない。この問いは、第四章で論じる「可能な価値の探索」へと直接接続する。
第三章:承認の三重の困難
3-1 国際市場における「日本性」の要請
現代の国際美術市場において、日本人アーティストが評価を獲得する際に機能してきた回路の一つは、「日本人とわかるマーカー」の戦略的な可視化である。村上隆のスーパーフラットは、漫画・アニメの記号系を美術史の文脈に接続することで「日本性」を明示的に提示し、奈良美智の人物像もまた、日本のサブカルチャーと戦後的感性を視覚的に刻印した作品として国際的に受容された。それはまさにメディア依存型の記号系を空間依存型の作品に組み込むことで批評言語への翻訳を可能にした実践である。この回路において重要なのは、「日本性」が偶然に現れるのではなく、美術史的文脈との接続を通じて批評言語に翻訳可能な形で提示されているという点である。
抽象画にはこの回路が原理的に存在しない。あるいはより正確には、意図的に放棄されている。形態・色彩・物質性が前景化する抽象絵画において、「この作品が日本人によって制作されたこと」を視覚的に示すマーカーを埋め込むことは、抽象の論理そのものと矛盾する。第二章で論じた表意文字的認知回路の問題と合わせて考えるならば、日本人の抽象画家はある意味で二重の不利を負っている。国内の観者には意味を読もうとする認知回路が自動的に起動し、国際市場では日本性のマーカーが不在のまま、西洋の抽象の文脈で評価されることを強いられる。
3-2 国内承認の困難——大衆的評価と専門批評
国内における受容においても、抽象画は構造的な困難を抱えている。日本において視覚芸術の大衆的評価基準は、「物語の読解可能性」と「技術の可視性」という二軸に強く偏っている。前者は漫画・アニメ的な記号系の文化的優位に由来し、後者は写実的描画能力を「うまさ」と同一視する評価習慣に由来する。抽象画はこの二軸のいずれにおいても評価されない。「何を描いているかわからない」という一般的な反応は、単純な無理解ではなく、意味を読み取ろうとする認知的構えが空振りしたときに生じる構造的な疎外感の表れである。形態から意味を抽出しようとする回路が起動するにもかかわらず、抽象画はその回路に対して何も返さない。この空振りの経験が「わからない」という感想として言語化される。
専門批評においても同様の困難がある。国内の批評言語は西洋の抽象表現主義・ミニマリズム・コンセプチュアリズムの文脈をほぼそのまま参照することで形成されてきた。日本の宗教文化の基層には神道的な「像を必要としない抽象」の感性があるが、この感性と西洋的抽象の批評言語を接続する理論的作業は成熟していない。もの派が「もの」の物質性と場の関係を前景化することで独自の批評言語を獲得したのとは対照的に、「絵画としての抽象」はこの固有の言語形成に成功していない。結果として日本の抽象画は、一般の観者には「わからない」と言われ、専門批評からは西洋の文脈での二番煎じとして位置づけられるか無視されるかのいずれかになりやすい。大衆的評価と専門的評価の両方において、抽象画を支える言語が存在しないのである。
第四章:それでも抽象画である理由——可能な価値の探索
4-1 「もの」と「け」——気配の表現としての抽象画
日本の抽象画が持ちうる固有の価値を論じるにあたって、筆者がかねて提唱してきた「もの・け・もののけ・ものがたり」の段階論を参照することが不可欠である。この理論的枠組みは、日本の表現文化における創造の原理を、西洋的な概念装置によらず記述しようとする試みである。
その骨格は以下のように要約される。「もの」とは物質的な存在であると同時に、日本語において霊的な力の宿り場を意味してきた。「もの」に「気(き)」を見出すことが日本的な精神性の基底であり、「もの」に気が凝結すると「気(け)」が横溢し、「気配」として場に滲み出る。その気配に人格が生まれると「もののけ」となり、その人格が語りだすと「ものがたり」になる。これは「もの」から出発して「け」・「もののけ」・「ものがたり」へと段階的に展開する、気の凝結と人格化の過程である。
この段階論において、各段階は固有の表現領域に対応する。「もののけ」の段階ではキャラクターが生じ、「ものがたり」の段階ではストーリーが生まれる。漫画・アニメは「もののけ」以降の領域であるキャラクターと物語の生成において日本文化が到達した最も高度な表現形式である。しかしここで重要なのは、「ものがたり」が西洋近代的な意味での虚構、すなわち現実から切り離された作り話ではないという点である。「もの」から発する「ものがたり」は、物質的現実と地続きの語りであり、「もの」の霊的次元が言語化されたものとして現実に根ざしている。
抽象画はこの段階論においてどこに位置するか。それは「もの」から「け」が出る段階、すなわち「気配」の表現の領域である。抽象画が表現しうるのは、崇高(sublime)といった超越的・垂直的な精神性ではなく、「もの」から滲み出る気配、すなわち水平的・内在的な霊的感受である。この区別は決定的である。カントやバークが論じた崇高は、人間の認識能力を圧倒する無限性・威力への畏怖という経験であり、ロスコやニューマンの作品が「崇高」として語られるのもこの文脈においてである。しかし「気配」の経験は圧倒ではなく浸透であり、超越ではなく内在であり、垂直的な上昇ではなく水平的な感受である。日本の抽象画が西洋の抽象と異なる固有の可能性を持つとすれば、それはこの「崇高」から「気配」への転換において成立する。
この理論的枠組みは、第一章で論じた神道的感性との接続を具体化する。磐座・鏡・注連縄といった依り代は「もの」であり、神の「け」、すなわち気配が宿る場所として機能する。神道における信仰の対象が神の「似姿」ではなく「気配の場所」であるという第一章の議論は、「もの」から「け」が出るという段階論によって理論的に肉付けされる。抽象絵画の画面もまた、物質としての絵具・支持体・色彩という「もの」から「け」が滲み出る場として構想されうる。これは西洋的な抽象の「純粋性」の論理、すなわち形式から余剰をすべて除去するという否定神学的操作とは根本的に異なる論理である。「もの」の物質性を消去するのではなく、「もの」の物質性を通じて「け」を顕現させること。これが日本の抽象画に固有の可能性として定式化できる方向性である。
この理論的枠組みは、アンフォルメルとの歴史的共闘を遡及的に基礎づける。タピエがアンフォルメルにおいて「フォルムの否定」と「物質性の前景化」を推進したとき、その西洋的な論理、すなわち形式主義批判・実存主義的身体性は、「もの」から「け」が滲み出るという段階論と構造的に近接していた。両者が出会ったのは偶然ではなく、異なる文化的根拠から出発しながら同じ方向に向かっていたからである。しかしこの近接性が批評言語として明示されなかったために、共闘はアンフォルメルによる具体の吸収として帰結した。「もの・け」の論理によってこそ、この共闘の真の構造、すなわち根拠の差異と方向の一致を遡及的に記述することができる。そしてその記述は同時に、なぜ具体がアンフォルメルの亜流ではないかを理論的に示すことでもある。
この理論的枠組みは、具体の展開が歴史的に示した方向性と一致する。白髪一雄が、足で絵具を塗り広げるという身体的行為は、単なる「フォルムの否定」ではなく、二重の「け」の顕現として理解すべきである。一方では、絵具・支持体という「もの」から「け」が滲み出る。これは描かれる対象の気配の表現である。他方では、身体という「もの」としての白髪自身の気配が画面に刻まれる。足跡・身体の軌跡は、制作者の「け」が痕跡として残されたものである。この二重の「け」の顕現において、白髪の行為は理論的前提で論じた「写生=うつす」の論理を身体的実践へと拡張したものとして読める。写生が「もの」の気を「移す」行為であるとすれば、白髪の絵画行為は「もの」の気と自身の気を同時に「移す」行為である。
白髪が惹かれた密教における身体と宇宙の同一性、密教的な論理において、身体という「もの」が宇宙的な「け」の通路となることは、この二重性の宗教的根拠として機能している。タピエはこれを「フォルムの否定」として読んだが、白髪の実践の根拠は密教的な身体論と気韻生動の論理にあった。
いっぽう、吉原治良は晩年、円相のシリーズに向かった。白い画面に描かれた円は、円のようでいて、空洞であり、白髪とは異なり、できるだけ気配を消した作品である。しかし、逆説ではあるが、究極的に自我、痕跡、気配を消したところに立ち上がる「空」が現われている。ものから気が横溢せず、痕跡はないがものに気が充実するからである。
吉原のステレオタイプに回収されない禅的な精神性と白髪の密教的精神性は、方向こそ異なれど、いずれも西洋的「崇高」とは異なる理論的根拠を抽象表現に求めた試みとして共通している。「崇高」が人間の認識能力を圧倒する超越的・垂直的な体験であるとすれば、白髪や吉原の、描くものは超越ではなく内在であり、圧倒ではなく浸透である。両者はそれぞれの仕方で、「もの」から「け」が滲み出るという段階論が記述する方向性を、批評言語なしに実践的に体現していた。批評言語が未形成だったために、この実践の固有の根拠はタピエのアンフォルメル的枠組みに吸収されてしまった。しかし今日、「もの・け」の理論的枠組みによってこそ、吉原と白髪が何を求めていたかを遡及的に記述することができる。
さらにこの段階論は、第二章で論じた「消極的差異化」という問題を積極的に転換する。抽象画が漫画・アニメとは異なるのは、単に記号的差異化の結果としてではなく、表現の段階が根本的に異なるからである。漫画・アニメが「もののけ」以降の領域に属するとすれば、抽象画は「け」の段階にとどまることを積極的に選択した表現として位置づけられる。「とどまる」ことは後退ではなく、固有の段階における深化である。気配の表現は、キャラクターとストーリーへと展開する以前の、「もの」と「け」の間に広がる領域を探求することである。
ここで改めて問い直す必要がある。吉原の円相と白髪の身体的行為は、厳密な意味で「純粋な抽象画」と呼べるだろうか。書画同源という言葉が示すように、東アジアの視覚表現において書と画はもともと未分化であった。吉原の円相に書を見、白髪の足跡に筆跡を感じるとき、日本の観者はそれを誤読しているのではない。むしろその未分化性を正確に感受しているのである。両者の実践は、気と意味(記号)がまだ分離していない生成の閾値、すなわち「もの」から「け」が滲み出る瞬間であると同時に、書と画が分岐する以前の状態において成立している。日本の観者にとって吉原・白髪の作品を前にするとき、それは純粋な抽象の知覚体験ではなく、気と意味の生成過程そのものへの参与である。
これに対して西洋の画家において事情は根本的に異なる。ロスコの色面もポロックの軌跡も、そこから気が生まれるわけでも意味が生成されるわけでもなく、抽象はそのまま抽象として置かれる。知覚の純粋性を目指す方向においては、究極的にはジェームズ・タレルの光の作品にまで還元されうる。そこでは日本的な「気配」も「意味の生成」も介在しない。日本の抽象画の固有性は、この純粋知覚の極限とは別の次元にある。「もの」から「け」が滲み出る、気と意味が分化する以前の生成過程を鑑賞体験として成立させること、これが日本の抽象画に固有の価値として改めて定式化できる。
この気配の論理は、西洋の抽象画批評が設定してきた二分法を根本から問い直すことを可能にする。アクション・ペインティング対カラーフィールド・ペインティング、あるいは「熱い抽象」対「冷たい抽象」という分類図式は、表現の様式的差異を対立する類型として整理するものである。しかしこの二分法は、気配という観点からすれば本質的な対立ではない。白髪一雄が足で絵具を塗り広げる激しい身体的行為も、あるいは非アクション的な行為も、いずれも「け」の顕現であることに変わりはない。両者の差異は様式の対立ではなく、気配の強度と様式という一つの次元における差異として理解すべきである。
この一次元化は、白髪の行為についての先の考察と直接つながる。白髪の足跡が「ものの気配を表現すると同時に、自身の気配を残す」二重の「け」の顕現であるとすれば、その気配の強度は身体的行為の激しさだけによって決まるのではない。静かな行為であっても深い気配を宿すことができるし、激しい行為であっても気配が浅いことはありうる。気配の強さは行為の様式に従属するのではなく、「もの」と「け」の関係の深度によって決まる。これは「熱い抽象」を本質的なものとして、「冷たい抽象」をその希薄化として評価する序列的な見方を根本から覆す。
さらにこの視点は、理論的前提で論じた気韻生動の論理とも接続する。気韻生動における「動」は激しい運動だけを意味しない。静かな気の流れもまた「動」であり、深い気配の充満もまた生動である。謝赫が気韻生動を画法の第一原則として掲げたとき、それは激しい筆致を推奨したのではなく、気の運動を捉えることの根本的な重要性を示したのである。アクション対カラーフィールドという二分法はアメリカ批評が設定した外来の図式であり、これもまた「根拠の抜け落ちた継承」として日本に輸入されてきたものに過ぎない。気配の強さという一次元の軸は、この外来の分類図式を日本固有の概念によって置き換える試みとして機能する。日本における抽象画の批評言語が構築されるとすれば、それはこのような外来の二分法を解体し、気韻生動と「もの・け」の論理に基づく固有の評価軸を形成することによってこそ可能になる。
4-2 「空間依存型」アートとしての抽象画の固有性
インターネットが普及し、ますますメディア依存型のアートが支配的になりつつある現代において、絵画の物質性と空間性はむしろ固有の価値を持ち始めている。抽象画はこの空間依存型のアートの極致として位置づけられる。
絵画のマチエール(絵具の厚み、筆触の痕跡、支持体との関係)は、複製によって決定的に失われる情報である。抽象画においてはこのマチエールが、形態の意味性に代わって前景化する。観者が作品の前に立つという身体的経験は、デジタル画面を通じた鑑賞では原理的に代替できない。漫画・アニメがメディア依存によって広域的な流通を獲得するのと対照的に、抽象絵画はその「空間依存性」ゆえに流通において不利を負いながら、同時にその不利の中にこそ固有の価値の根拠を持っている。
記号過剰・メディア過剰の文化環境において、複製不可能な物質的経験として存在する抽象絵画は、その希少性において批評的意味を帯びる。ただしこの価値は、抽象絵画が「空間依存性」を積極的に引き受けることによってのみ成立する。メディアへの流通を前提とした制作、すなわちデジタル写真による鑑賞を想定した大画面の構成やSNS映えを意識した色彩設計は、この固有性を自ら手放すことになる。
そのような体験を可能にする空間インフラをいかに整備するか。これは制度の整備と、受容層の開拓と同時に行われなければならず、積極的に固有の魅力をアピールすべきである。
結論:批評言語の形成という課題
現代日本における抽象画の困難は、空間依存型のアートを成立させる制度・受容層・空間という三要素が戦後に解体されたことと、それを支える批評言語が形成されなかったことの両面に由来する。この論考が示してきたのは、以下の構造である。
ヨーロッパにおける抽象は内在的必然性を持ち、アメリカにおける抽象は宗教文化的背景としての偶像問題、亡命芸術家と反ファシズムの文脈、アメリカ文化制度と冷戦期の文化外交という三層の合流によって正当化された。日本にはこれらの根拠のいずれも伝わらなかった。しかし日本の文化的基層には、神道的な「像を必要としない感性」という、異なる論理による抽象への傾向がすでに存在していた。問題はこの感性と西洋的抽象の批評言語の接続が成立していないことである。
さらに漫画・アニメという支配的記号系、そして表意文字的認知回路という二つの要因が重なることで、日本人の観者にとって「純粋に抽象的に感じられる絵画」の領域は著しく限定される。しかしこの限定は、日本の抽象画が固有の価値を持ちうる領域の輪郭を同時に描き出してもいる。
その領域を理論的に記述する枠組みとして、「もの・け・もののけ・ものがたり」の段階論は決定的な役割を果たす。日本の抽象画が向かうべき表現は、西洋的な「崇高」、すなわち超越的・垂直的な精神性の表現ではなく、「もの」から「け」が滲み出る「気配」の表現である。物質としての絵具・支持体・色彩という「もの」を通じて「け」を顕現させること。これは圧倒ではなく浸透であり、超越ではなく内在であり、形式の純化ではなく物質の霊的深化である。この方向性において初めて、日本の抽象画は西洋の文脈の二番煎じとしてではなく、固有の文化的論理に基づく表現として成立する。
この価値は、それを論じる批評言語なしには社会的に成立しない。美術批評の営みは、この言語形成への参与として意味を持つ。その可能性は理念としてだけでなく、歴史的先例によっても裏付けられる。富井玲子やミン・ティアンポらの研究が示したように、批評言語の形成は既成の評価構造を根本から変えうる。「亜流の廉価版」として市場に吸収されかけた具体が、固有の歴史的文脈と論理を持つ独自の運動として再定位されたのは、作品そのものが変わったからではなく、それを論じる言語が形成されたからである。現代日本の抽象画をめぐる状況は、再評価以前の具体が置かれていた状況と構造的に類似している。
この問い直しは、現代の状況においてさらに切実な意味を持つ。インターネットの普及による情報過剰の中で、意味の文脈から切断された記号が画面に張り付けられたような抽象的絵画もまた、新たな日本の抽象の一形態として現れている。それは「もの・け」の生成論理とも、西洋的な純粋知覚の抽象とも異なる第三の様態であり、現代日本の視覚文化が生み出した固有の応答として読み解く批評言語もまた必要とされている。日本の抽象画が持ちうる価値は一つではない。気と意味の生成過程としての抽象、純粋知覚への接近としての抽象、そして記号の過剰の中から現れる新たな抽象、これらを識別し記述する言語の構築こそが、今日の批評的課題である。
「もの」から「け」が滲み出る気配の表現論、書と画が未分化な記号生成過程、「空間依存型」表現としての複製不可能な物質性、これらを統合する批評言語を構築することが、今日の課題として定式化されるべきである。抽象画家が作品において気配の視覚経験を構築しようとするとき、批評家はその経験を言語化することで、気配に社会的な文脈を与える。それは翻訳の作業であり、架橋の作業であり、評価の構造そのものを書き換える作業である。
[1] 「もの・け・ものづくり――日本美術の創造原理をめぐる試論」『美術評論+』2026年3月2日。
[2] 「日本のアートの再文脈化 メディア依存型と空間依存型のアートの対立を超えて」『美術評論+』2026年3月7日。
[3] 「もの・け・ものづくり――日本美術の創造原理をめぐる試論」『美術評論+』2026年3月2日。
本稿は草稿であり、引用文献・参考文献および注釈については稿を改めて補足する。

