図書館と戦争 市原尚士評

金儲けはできない代わりに、きっちり国民を洗脳します!

銭ゲバ国家ニッポン#2」で、図書館さえも政府から金儲けを迫られるのではないか、という危惧の念を表明しました。ただ、国家権力から金儲けを要請されても、なかなかそれに応えるのが難しい以上、何か、お金以外で「お国のために役立っている」ことを示さなければならなくなるものです。結果として図書館の方々は、権力にしばしば迎合してしまうものなのです。

京都市の京都府立図書館といえば、京都国立近代美術館のお隣、京都市京セラ美術館の真向かいにあることから、私は京都に行くたびに必ず足を運んでいます。お世辞抜きで風格漂う素晴らしい図書館なのですが、この図書館が戦前、「京都府中央図書館」という名称だった頃の館報を適宜、抜粋してみましょう。

「時局と図書館員の責務」

1937年(昭和12年)10月号(第30号)の巻頭文は「時局と図書館員の責務」と題されています。原文は旧字、旧仮名遣いで大変、読みにくいので、私が新字新かなに直していますので、その点、ご了承ください。

恐らくですが、あの盧溝橋事件が起きた直後にこの館報は執筆されたものと推定されます。まさに軍靴の足音が強く響き始めたころの雰囲気を図書館という一見、戦争とはあまり関係なさそうな機関を通して触れるのも有意義なことと思いまして、結構な分量になりますがお伝えすることにいたします。

第一段落では、旧日本軍の大活躍をオーバーに讃えた上で、こう述べます。

銃後の国民たるもの、この皇国の聖世に生を享けたることを心の底から感謝せずにはいられないではないか。

第二段落では、陸海空の旧日本軍が「破竹の進撃」を続けていると、第一段落に負けないくらいの勢いでヨイショして、それは「空前の事実の連鎖」だと規定します。

第三段落では、旧日本軍の「何がかくのごとき光輝ある成果を生んだのであろうか」と自問した上で、こう自答します。

そのもっとも根本的なるものは国民教育の発達と国民精神の発揚ということである。

第四段落(最終段落)が最も重要な段落になります。国民精神を奮い立たせるためには「正しい国民教育の充実」がその根本になると言い切った後、とんでもなく勇ましいことを館報の書き手は記してしまうのです。

図書館の使命は実にこの国民教育の核心に立ち適切なる図書を選択し来って国民精神指導の大本を確立するところにある。(中略)自己の使命を通じて皇国に貢献するところあり、銃後の責務を完了するこそ極めて喫緊のことであると思う。

この最重要ポイントを超訳するとこうなります。

  • 図書館は、国民を戦場に駆り立てるため、全面的にお役に立つことを誓います。
  • 図書館は、国民の洗脳のために最適な書籍を選択し、それらの書籍を国民に確実に読ませることを誓います。
  • 図書館は、皇国に貢献し、銃後の責務を完了することを誓います。

まさに、痛恨の極みですよね。図書館という学術と密接なかかわりを持ち、何よりも自由・平等・博愛を尊重しなければならないはずの機関が圧倒的な勢いで戦争協力の一翼を担ってしまったわけですから…。

図書館は、今日、「図書館の自由に関する宣言」(1954年採択、1979年改訂)を掲げ、国民の知る自由を保障することを約束しています。しかし、戦時下においては、上述のごとく、ファナティックな資料の提供を通じて積極的に「思想善導」に当たる機関だったのです。

「図書館の自由に関する宣言」

タレント・タモリ(1945年生まれ)の「新しい戦前」という言葉に世間がざわついてから、結構な時間がたちました。私は、「戦前」どころか、まさに現在は「戦中」そのものだと考えています。今にも大政翼賛会が結成されそうな政治情勢です。アメリカ様から命令があれば「御意」と答え、戦場へと国民を駆り立てかねない政権です。異論を吐く人間は、「非国民」として牢屋にぶち込まれてしまう世の中は、すぐそこにまで迫っています。

「銭ゲバ国家ニッポン#2」で私が指摘した推論は覚えていらっしゃいますか?
「儲かる美術館」を迫る政府の真意は、「まともな研究をしている学芸員に圧力をかける」こと、すなわち思想弾圧にあるのではないか、と私は指摘したわけです。

同じことが図書館にも当てはまるような気がしてならないのです。仮に、政府権力が図書館に対して「儲けろ」と要求してきた場合、儲けることなんか到底不可能な図書館ができるのは、「国民の洗脳の部分でお役に立ちますから、(金儲けは)勘弁してください」と言うことくらいです。

今から約90年前の京都府中央図書館報の巻頭文に書かれた内容は決して過去の古びたものではありません。むしろ、図書館員一人びとりにとって極めてアクチュアルなテキストとして再読を迫られるものだと確信しています。そもそも、お金儲けなんかしなくていいはずの美術館、博物館、図書館に対して国家権力が「金儲けしろ」と命令してくるとき、その裏には必ず生臭い“本当の狙い”が潜んでいるのです。

お金儲けすることも拒否し、お金儲けがうまくできないことを(政府に対して)「申し訳ない」とも考えないように心がけるしかありません。学芸員として、司書として、本来の業務を日々、きちんとこなすことに誇りを持つべきです。そして、政治権力に対しては毅然とした態度で臨むべきです。そのような態度を堅守しない限り、美術館員も図書館員も「思想善導」の先兵になることから免れられないでしょう。

私が、今、非常に心配していることがあります。「図書館の自由に関する宣言」は、そもそもどの図書館も目立つ場所に掲げるものだったと理解しています。もちろん、掲示する、しないに関して何か法的な義務があるといったものではありませんが……。

図書館としての心意気を示すために、利用者からも一番目立つ場所に高らかと掲示するのが当たり前だと思っていたのですが、最近のおしゃれな図書館には、どこに掲げているのかさっぱり分からない施設が多い気がするのです。一階の目立つ場所に、著名な喫茶店、おしゃれなカフェが入っているような図書館にはこの宣言がなかなか発見できないような気がするのです。

私は様々な図書館を訪れては、宣言がどこに飾られているのか探すのですが、おしゃれな図書館ほどなかなか見つかりません。まさか、館内のどこにも置いていないことはないと信じたいのですが……。

「図書館人の誇り」とか言うと、あまりにも時代がかった印象が漂うかもしれません。しかし、私は、まともな図書館であれば「必ず宣言を館内で一番目立つ場所に掲示してほしい」と心の底から願う者の一人です。権力におもねらないために、図書館は権力と距離を置かなければなりません。そのためにも崇高な理想をうたった宣言を大切にしてほしいのです

それを崩そうと、権力側は「儲かる図書館」を要求してくる恐れがあります。そのような要請があったら、断固として、はねつけるべきです。政治権力の真の狙いは「儲け」ではなく、「思想善導の役に立つ、お国に貢献できる図書館」を日本の津々浦々に配置することです。「儲けろ」は、真の狙いを交換条件のようにして引き出させるための罠です。

戦争協力してしまった図書館の歴史を真に反省するのであれば、国家権力のいかなる口出しに対しても全力で抵抗しなければいけません。「赤字上等だよ、何か文句あんのか」と文化庁と喧嘩する勇気を持たなければいけません。

銭ゲバ思想に頭を侵された役人どもに唯々諾々と従っていれば、待つのは地獄だけです。「儲けろ」と言われて、馬鹿正直に儲けようと努力するのは愚かです。しかし、それ以上に愚かなのは、儲けることはできませんが、「思想善導はできます」と卑屈な上目遣いで権力に告げることです。どっちみち、ろくな末路は待っていないわけですから、「儲けろ」と言われたら「絶対に嫌です」とだけ答えましょう。言い訳めいたことをごちゃごちゃ言う必要性はまったくありません。ただ一言、「絶対に嫌です」とだけ、相手の目を見てはっきりと答えましょう。

図書館だけでなく美術館の皆さんも同じです。「儲けろ」と言われたら、断固、拒否するべきです。選択肢はそれしかありません。一度、譲歩したら、譲歩に次ぐ譲歩が進行し、いつの間にか、戦争をしたくてしたくて仕方ない政治権力の先兵になってしまいますよ。

本稿は、一見、関係なさそうに見える戦争と図書館、戦争とミュージアムが実は深い関係があるというお話でした。(2026年3月16日20時56分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。