常々、お役人というのは頭が悪いと思っていましたが、その極み付きのようなニュースが飛び込んできました。国立の博物館や美術館の運営について、文化庁が2026年度(2026年4月)から2030年度(2031年3月末)までの5年間の次期中期目標を発表したのです。
いやいや、とんでもなくバカげた内容で嗤いました。思いっきり、軽蔑し、怒り、呆れてしまいました。文化庁の役人の勉強不足が腹立たしくなりました。これから何回かにわたって銭ゲバ国家ニッポンの文化芸術をとことん軽視する姿勢を厳しく批判していきたいと思います。
簡単にポイントをまとめましょう。
まず、文化庁が中期目標の対象としている博物館、美術館は次の通りです。3独立行政法人が運営しているので、それぞれの系統ごとに紹介します。
- 東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館、九州国立博物館、皇居三の丸尚蔵館、以上5館は国立文化財機構が運営
- 東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立映画アーカイブ、国立西洋美術館、国立国際美術館、国立新美術館、以上6館は国立美術館が運営
- 国立科学博物館、以上1館は国立科学博物館が運営
つまり、3独立行政法人12館を対象に、文化庁がバカげた目標を示しているのです。目標のあらましは次の通りです。
- 各施設に収入目標の達成を義務付け、達成できなければ「再編の対象とする」。
- 展示事業費に対する自己収入比率を2030年度までに各法人全体で「65%以上」にする。2031年度から2025年度までの次期期間には「100%」にするという尋常でなく高い目標を各館に押し付けています。
- 館ごとの評価も導入し、国立科学博物館以外の館が、2029年度の時点で自己収入が40%を下回るなどした場合も「社会的に求められている役割を果たせていない」として再編対象にすると脅かしています。
賢明な読者の皆さん、文化庁の主張のポイントは私が説明しなくてもすぐに分かりましたよね。そうです、「銭、銭、銭やーっ」という銭ゲバの思想が、そこには流れているのです。「1円でも多く稼げ」「儲けて、儲けて、儲けまくれ」「たくさんの来場者を動員せよ」と鼻息も荒く各館に迫っている、いや脅しているのです。
いつから、博物館や美術館は“ビジネス”になってしまったのでしょう?
いつから、ミュージアムはテーマパークのような“エンタメ施設”になってしまったのでしょう?
いつから、歴史や文化を学ぶ場所は金儲けのための場所になってしまったのでしょう?
もう、文化庁の皆さん、いいかげんにしてください。政治の根本となる法律を真面目に勉強し直してください。
一番、重要な日本国憲法から。あほで勉強不足な役人の皆さん、どうぞ目をかっぽじってご覧ください。
第25条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
この日本国憲法の理念は、もちろん博物館法にも受け継がれています。あほすぎる役人の皆さん、きちんと読んでください。
第26条
公立博物館は、入館料その他博物館資料の利用に対する対価を徴収してはならない。ただし、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる。
博物館法が規定するところの「博物館」とは、歴史・芸術・科学・自然などに関する資料(コレクション)を収集・保管・調査研究し、展示を通じて一般公開する「非営利」の教育・文化施設です。(非営利、という三文字がきらりと光っていますね。)
ですから、いわゆる博物館だけでなく、美術館、動物園なども博物館です。博物館法は「原則無料」と定義しているのです。現状は多くの博物館施設が有料です。しかし、それは「やむを得ない事情のある」という留保が付けられているのです。
文化庁のあほ役人の皆さんは、日本国憲法と博物館法で明記されている条文を無視して、あるいは見ないふりをして、なりふり構わず、各博物館施設に「どんどん金儲けせよ」と脅しているのです。恥ずかしくないんですかね、文化・芸術を所管する政府の機関として。教養のかけらも感じられない要請を堂々と行っている姿には驚きあきれるばかりです。
なんで、こんな恥ずかしくて下品な内容の恫喝をするのでしょうか?
私なりに分析したところ、「文化芸術を観光の起爆剤にしたい」という狙いが政府の中で渦巻いている気がしました。
文化庁の次期目標の中には、訪日外国人観光客(インバウンド)が割高になる入館料の「二重価格」の導入も盛り込まれていました。つまり、円安傾向が定着している中、取れるところから銭をどんどん取ってやろうという“戦略”なのでしょうね。
また、アニメやゲームといったサブカルチャーがインバウンドの方に人気があるので、そういった分野を前面に押し出して、金を儲けてやろうと息巻く、あほな官僚の姿も透けて見えます。「観光の起爆剤」という言葉は上品すぎます。要するに「銭や、銭や、この世はすべて銭やーっ」という銭ゲバ思想に基づいた政策であることは火を見るよりも明らかです。
文化を観光(=金儲け)に利用しようとする姿勢が広がると、どんな事態が生まれるでしょうか?
いえ、すでに観光(=金儲け)につなげようという姿勢は全国に蔓延しています。上記の「アニメやゲーム」を始め、人気漫画、人気絵本、人気キャラクターを主題に据えた展示が日本の津々浦々で横行しています。人気テレビ番組の主人公に便乗した企画もよく目にします。別に私は、アニメや絵本がダメだと主張しているわけではありません。ただ、あまりにもその手の企画が多すぎることに苦言を呈したいのです。
例えば、東北地方の某館で人気キャラクターの展示をする必然性がいったいどこにあるのでしょうか?
そのキャラクターが某館の所在する県と何も関係がない。いわゆる縁もゆかりもないのに、展示を行う理由は?
ずばり、観客動員が一定程度は見込めそうだから、館も催行するのです。そして、普段の展示よりも多くの方が来るのは間違いないのです。さらに、館側にとって重要なのは、物販収入もある程度は見込める点です。チケット収入だけではなかなか“黒字”に持っていくのは難しいなか、物販が好調だと「黒字化も夢じゃない」状態になるのです。
今まで各種展示の真似事のような仕事に携わったことが私にも複数回ありますが、収入と支出が等しく、利益も損失も出ない、いわゆる“トントン”の状態で終われば、まずまずの成功という感じでした。お金を儲けるのは、本当に難しいことだなーと何回、催事をやっても痛感させられたものです。
そして、展示催行者の立場からすると、物販収入というのは、まさに金儲けのカンフル剤でした。オタクの方は、自分の好きなキャラへはいくらでも金をつぎ込みます。つまり、たくさん購入してくれるのです。そして、物販が好調だと、展示全体の収支も黒字化へと向いていくのです。
このように、金儲け優先主義で企画を考えると、どうしてもサブカルチャー案件を前面に出していきがちになるわけです。その結果、日本の津々浦々で、まるで金太郎あめのように同じ切り口のサブカル展が催行されることになってしまうのです。
これは、あくまでも私の個人的な見解ですが、地方のミュージアムにとって最も大切なのは、そのミュージアムが建っている地元の文化芸術の歴史を丁寧に掘り起こし、顕彰し、人々にその魅力を分かりやすく伝えることだと思います。
地方には立派な芸術家がたくさん存在します。外遊せず、地方に根を下ろして活動した芸術家として、ぱっと頭に浮かぶ方々が山のように存在します。新潟県の佐藤哲三(1910~1954年)、滋賀県の野口謙蔵(1903~1944年)、北海道の木田金次郎(1893~1962年)、青森県の常田健(1910~2000年)、愛知の岸本清子(1939~1986年)などなど。まだまだ、たくさんの偉大な芸術家が存在しています。私たちは、それらの人々の優れた仕事を知ることによって、郷土への愛が押しつけではない自然な形で芽生えてくるのです。
金儲け優先主義の展示では、常田も野口も岸本も「地味すぎて、儲からない」という理由で切り捨てられてしまう。そんな寒々しいミュージアムになってしまっても文化庁は構わないのでしょう。とにかく「金が儲かって、多くの入場者を動員できればいい」という銭ゲバ展を全国各地で催行してほしいのでしょう。まったく恥ずかしい限りです。
地方ミュージアムを回っていると、面白い発見がたくさんあります。実力派の美術家、伊庭靖子(1967年生まれ)の祖父が、昭和時代の洋画家、伊庭傳次郎(1901~1967年)であると分かった時の驚きと喜び。「お祖父さまが亡くなられた年に孫の靖子さんが生まれたんだ。もしかしたら、靖子さんはお祖父さまの生まれ変わりなのかもしれない」などと考えながら、傳次郎&靖子の共通点や異なる点を懸命に見出そうとした一日も、私の過去には確かにありました。そういった豊かな時間は、銭ゲバ展には存在しません。
金儲けを優先すると、展示に“余白”がなくなります。余白というのは、傅次郎&靖子のつながりに思いを馳せるような余裕を意味しています。余白がない展示はつまらないです。
今、全国各地で横行している儲け優先主義の金太郎あめ展というのは、つまるところ、展示が“おまけ”で、物販の方が“本体”に見えてしまう時さえあります。つまり、物販の売り上げを伸ばすための、プロモーション(販売促進活動)としての展示が横行しているようにしか見えないのです。
本末転倒とはこのことです。そんなものは、展示の名に値しません。テレビ番組も何かの宣伝をするための“番組”が横行しています。民放だけでなく天下のNHK様でも堂々と自社コンテンツの魅力を宣伝するために番組を利用しています。ミュージアムの展示も、テレビ界と同様のプロモーション優先主義になってしまっていると思います。まだ、テレビ局ほどは下品ではありませんが…。
バンクシーが監督した映画「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」でも、アート界の商業主義化が徹底的に批判されていましたが、我が国の展示もあの映画内のあほくさい事象にまったく負けていないです。
金儲け優先主義の展示を懸命になって推し進めていながら、地方の美術館の悲惨な経済状況は、それなりに有名な美術館館長や学芸員の愚痴でしばしば耳にすることがあります。そのままお名前を書いたら、その方、すぐに首になってしまうでしょうから匿名で、生の声をいくつか記載しましょう。
- 「年間で100万円以下しか、展示にかけるお金がない。これでどうやって、良質な展示を1年に複数回、企画できるのか? いや、絶対に不可能でしょう」
- 「(学芸員である)私の給料が雀の涙。いくら何でも安すぎる。結構な激務にもかかわらず、こんな安月給では、そのうちミュージアムの学芸員になりたがる人がゼロになってしまうのでは?」
- 「芸術に何の興味もない、素養もない県庁や市役所の人が館長に就任して、偉そうに館のあれこれに口を出してくるのには閉口します」
いかがでしょうか。地方都市の美術館、本当にやばいです。文化庁の次期中期目標に書かれている愚かな内容が、不幸にも現実化すれば、国立のミュージアムも地方都市の美術館と同様の「貧すれば鈍する」展示内容になってしまうでしょう。
そして、国立のミュージアムでさえも儲け優先主義、動員優先主義になれば、地方の美術館も右に倣えで、国立と同等、いやそれ以上の銭ゲバ主義へと転換してしまうでしょう。すでに、つまらない展示ばかりを催行している地方のミュージアムが、今よりももっとつまらない展示を企画するのは明々白々です。地方も国立もくだらない展示ばかりになる、負のスパイラルが今、まさに実現してしまう恐れがあるということです。
文化庁のダメダメな役人がくだらない目標を掲げている今こそ、日本国憲法や博物館法の理念に基づいた「原則無料」で楽しめるミュージアムの実現を求めたいです。本稿の続きは次回、また。(2026年3月14日18時11分脱稿)

