
海老塚耕一展「境界の標識-石ころ・7月8日」
会期:2026年4月6日(月) – 18日(土)
時間:11:00 -19:00 (土曜日、最終日 17:00)
休廊:日曜日
場所:Gallery Q(東京都中央区銀座1-14-12 楠本第17ビル3階)
海老塚耕一は、ポストもの派の旗手である。
もの派の基本原理は、関根伸夫(1942-2019)の《位相-大地》(1968年)がもたらした、表現における視覚的観念性から触覚的実在性への重心移行である。それにより、素材自体による表現に道が開かれる。また、そうした素材同士の関係の提示も表現と見なすことで、絵画でも彫刻でもない作品領域が切り拓かれる。そのことが、現代日本美術における、作品を空間的に展開させる表現形式としてのインスタレーションを導くことになる。
もし、もの派を「存在の様態と関係の把握」(峯村敏明)とし、「もの派の作品がなかったなら、あり得なかったであろう作品群」(東野芳明)をポストもの派とするならば、その本流は、観念による造形を排した素材による即物的な表現を継承しつつ、その存在の様態と関係に技巧を加える点で新たな展開を見せ、その後のインスタレーションの隆盛の契機となった作家達のはずである。その技巧においても、彩色については無彩色の方がもの派の問題意識の継承の度合いが高いだろう。
そうしたポストもの派の本流といえる美術家としては、戸谷成雄(1947-)、田窪恭治(1949-)、遠藤利克(1950-)、海老塚耕一(1951-)、川俣正(1953-)を挙げられる。
この内、その後のインスタレーションの隆盛への影響は、実際に作品の中に空間的に立ち入れる構成であるかどうかがポイントになる。そうした建築的な空間構成への志向が顕著なのは、上記の五人の内では海老塚と川俣である。
ここで重要なのは、海老塚と川俣は、もの派が切り拓いた絵画でも彫刻でもないという作品領域に加えて、建築でもないという作品領域を新たに開拓したことである。つまり、彼等の「機能を排した疑似的な建築」(建畠晢)こそが、インスタレーションが純粋鑑賞芸術である美術として確立されるための最後のステップだったのである。特に海老塚の場合は、一つの立体作品における非実用的な二重尺度の導入が特筆される。
なお、その後、川俣が作品の展示される場の歴史性への関心を強めていったとすれば、作品が展示される場の自然性への関心を深めていった海老塚は、より天然性を重視するもの派の直接的な後継者といえる。
実際に、海老塚は1981年から多摩美術大学芸術学科の初代助手として、当時助教授だった李禹煥(1936-)や非常勤講師だった菅木志雄(1944-)というもの派の巨匠達との日常的な対話の中で持続的に制作活動を展開している。その点で、もの派の問題意識を直接継承しつつ、それを批判的に発展させたポストもの派の筆頭に挙げられるべきは、客観的に見て海老塚である。
これらが、筆者が海老塚を「ポストもの派の旗手」と呼ぶ所以である。
◇ ◇ ◇
海老塚耕一は、極めて分かりにくい美術家である。その作品の難解さに、誰もが困惑する。それは、海老塚がデュシャンピアンとして、常に作品を通して美術と非美術の境界を突き詰めようとしているからである。
海老塚の立体作品は、建築として見れば用途がないが、美術として見ても主題がない。だから、それはまるで目的のない積木遊びのように見える。また、その造形は一貫してどこにも中心がなく、素材も一貫してどれにも優劣がない。そのため、作品全体は地と図が分かれずフラットで単調に思える。さらに、その造形はどこまでも延長して増殖できそうであり、素材も朽ちたり錆びたり変化しそうである。それにより、作品としての完成の度合いも覚束ない。
これらにより、海老塚のインスタレーションは、一般的な美術作品のつもりで鑑賞しようとすると曖昧で掴みどころがなく当惑する。それらは、まるで筋書きも見せ場もない「ドラマなき舞台」(建畠晢)のように感じられる。
しかし、それこそが海老塚耕一の芸術である。実際に、そうした素材同士の関係性や作品構造の論理的一貫性への配慮は、海老塚の意図的な創意である。重要なことは、海老塚がそれらを通じて、現代美術家として――ポストもの派の美術家として――近代西洋型の美術の行き詰まりを克服しようとしていることである。それは、同時に「日本人にとっての美術とは何か」を問う作業でもある。
本展では、新作《境界の標識-石ころ・7月8日》(2026年)が展示される。このインスタレーションでは、共に厚板と木玉を載せた類似する七つの正方形の鉄板が市松状に二列で並んでいる。その形体・色彩の幾何学的共通性や、構成物の画一的相似性や、間隔の規則的連続性が示す理性的な人為性が、まずこれらを一つの美術作品と感じさせる。
しかし、このインスタレーションは、自らの形体を外部に押し付けようとするのではなく、展示空間に寄り添う形で配列されている。また、中心性が弱いので、一つ一つが作品なのか、全部で一つの作品なのかよく分からない。さらに、敷かれている鉄板は、台座なのか作品本体なのかよく分からない。そして、それに載る厚板や木玉も下の鉄板の中心を外れて分散し、厚板の上に置かれた平鋼も天面の中心を外れて散在しているので、自由な恣意性を感じさせる。何よりもまず、それらの木玉や平鋼は仮設的に設置され偶然性を醸し出している。
これらは、主体的理性が客体的自然を支配することを重視する西洋の造形文化とは異なる、感性を通じて自然と融和的に協働することを目指す日本の造形文化に通じている。この作品が、自然に対抗して垂直に屹立する西洋的記念碑ではなく、自然を楽しむための俯瞰的な日本庭園の庭石に通じ合うように感じられるのもそのためである(筆者は、重森三玲による東福寺本坊庭園の北庭「小市松の庭園」を連想する)。
その上で、注目すべきは、入念に表し出された素材の質感の美しさであり、所々巧みに施された軽妙な装飾である。特に欅の厚板は、ベンガラを塗って鱗状に彫った半面と、短冊状の壮版紙を乱張りした半面の対比が心地良い。これらは、中村元が『日本人の思惟方法』(1949年)で日本的思惟の特徴として説いた、体系的論理性よりも具体的・感覚的・情緒的把握が優位になりやすい傾向と照応している。
古来、日本では床の間に、野原で摘んだ鮮やかな花を生けたり、道端で拾った面白い石を磨いて飾ったりしてきた。そこには、作家の個性的自己主張を絶対視する近代西洋型の美術表現とは別の形の日常的な美的所作があったことは確かである。
言わば、ここで日本の現代美術家である海老塚は、ギャラリーを床の間に見立てて、日本の伝統的感受性を反映する一種の透明な感覚的詩情を有する美術作品を設えているのである。
初出:『海老塚耕一展「境界の標識-石ころ・7月8日」』パンフレットより転載。


【関連論考】

