
海老塚耕一《連関作用 S-85IN》1985年 第6回インドトリエンナーレ(撮影:山本糾)
見えざる葛藤
建畠 晢
海老塚耕一の近作は、“舞台”のような造作を特徴としながらも、一切のドラマから遠く隔てられている。それは不在のドラマの予兆をすら感じさせることはない。なぜならここではすべての意味が中立的であり、したがって欲望(物語への)を触発するものが何もないからだ。しかしこの中立性は空間が不活発であることを意味しない。むしろ彼の仕事はさまざまな側面において潜在的な両義性をはらんでおり、その見えざる相克(あるいは相殺)の上に、一見おだやかな散文的空間が維持されているのである。たとえば一種の解体感をともなったゆるやかな構築。要素の組み合わせによって逆説的に進行する相互的な断片化。ダイナミックな造作によってかえって純化されてしまう素材感――。われわれは、意味の中立のなかに溶解されているこうした対立を、注意深く読み取っていかなければならないだろう。そしてその作業は、「展開された場における彫刻」(ロザリンド・クラウス)という問題と、すなわち一般にインスタレーションと言い習わされている問題と深く関わることになるだろう。いかにも彼の作品が彫刻論としての彫刻であるからには。
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インスタレーションとは誤解を生みやすい言葉である。本来は作品のプレゼンテーションの形式にすぎないはずのこの言葉が、わが国では時として一つのジャンルであるかのように見なされている。もっともこの誤解は単なる誤解ではないだろう。絵が描けないからインスタレーション、踊れないからパフォーマンスと称しているにすぎない陽気な人々のことはともかくとして(そういえば絵が描けないからアンフォルメル、踊れないからハプニングの時代もあった)、このカタカナがわれわれになじみやすいのは、もともと日本の美術に絵画-彫刻二分法という厳格な概念が稀薄であったせいとも言えよう。モダニズムにおけるこの二分法の支配は決定的であって、身近な事実としては、ミニマリズムの攻勢をやり過ごした後の、絵画-彫刻のおぞましいまでの復元力を見せつけられたばかりである。今日のわれわれの美術も一応はモダニズムに属するが、幸か不幸か、それは辺境のモダニズムであって、二分法の支配もかなりあいまいなものだ。だから絵画-彫刻の最終的な克服などとは関わることなく、誤解であれ何であれインスタレーションという便利な言葉を享受しているというわけである。
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しかし立場をかえれば、辺境とは“制度”を相対化しうる場でもある。泥縄式に出自への回帰を目論む衰弱した作家はともかく、正しく同時代に向き合おうとするならば、われわれは“制度”に対しても批評的であらねばならない。なぜなら好むと好まざるとに関わらず“制作”とは政治的な行為であるからである。“彫刻”に関するならば、今、わが国の比較的若い世代に、鋭い批評性をもった二つの注目すべき動向があるように思う。一つはもの派からいわゆるポストもの派へと批判的に引き継がれた彫刻の相対化の道であり、もう一つはさらに若い作家たちを中心としたバイオモルフィックなイメージ(Neo Bio(ネオ・ビオ)とでも言おうか)の台頭である。そして海老塚耕一は、言うまでもなく前者の流れに位置する、もっとも生産的な作家の一人なのである。彼の作品もまたインスタレーションという誤解の多い言葉に取り込まれはするが、われわれはそれを日本的な空間の美名のもとにあいまい化するのではなく、あくまでも彫刻という制度の相対化としてとらえ、その批評性の所在を明らかにしなければなるまい。
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海老塚の作品が舞台を思わせるのは、それが床から持ち上がった水平の低い面を有し、柱のような垂直的な要素はあっても視線は遮られず、つねに一つの光景として見る者の前に開かれているからである。だが同時にそれはいかにも散文的な空間であって、身体的な体験空間としての、あるいは感情移入の場としてのドラマチックな質を持ち合わせていない。つまりそれは疑似建築的でありながら建築の富(体験空間のドラマツルギー)とは無縁であり、風景のようでありながら風景の富(心象投影のドラマツルギー)からも隔てられている。彼にとって彫刻の相対化とは、このような非-建築と非-風景の加算としてもたらされるものである。この中立的な空間をクラウスの言う「展開された場における彫刻」と照らし合わすことは、彼の批評性を考える上で示唆的である。クラウスは60年代末のミニマリズム的な排除の論理の結合(非-建築と非-風景の加算)による純粋な否定性を彫刻のポストモダンの出発点においているのだが、ミニマル以降に出発した海老塚は自らの位置のモダニズムにおける周縁性によって、排除の論理に拠ることなくリテラルな中立性を獲得しているのである。20年に近い時代の差はここでさほど問題にすべきではない。なぜならこの排除の論理に拠ることのない中立性こそ、彼がまさしく70年前後のもの派から継承した思想であるに相違ないからである。
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しかしなお彼の造作が舞台を思わせること、負性であれ建築と風景に関わっていることは重要である。それは彼のもの派との別れをも意味しているからだ。もの派の基本的な立場は、美術作品における素材の両義性(物質であり媒体であること)を徹底して拒絶することにあった。ミニマリズムにおける即物性はその両義性をメタフォリカルな偏差として極端化することに向けられたが、もの派の即物性とはあるがままの世界の許容であった。周知のようにもの派は、関根伸夫の「位相‐大地」(1968)の多分にトリッキーな造作を、あえて「あるがままの世界」の顕在化として評価した李禹煥によってその出発点を用意されたのである。そこでは制作=物質に対する作為とは、あるがままの世界と「出会う」ための「感得の形式」として選ばれる「仕草」にすぎない。さらに菅木志雄は、この「世界」を「状態」としてとらえなおした上で、「物が一般的にある状態から極限として『在る状態』を認識」するには、ものとその状況を「放置」し「もの自体の持つイマジネーションを抜きさしならぬ状況でぶち壊さなければならない」と述べている。「世界」を無前提に肯定するかぎり、そして制作をそのための手段と見なすかぎり、そこにもはや意味論的な葛藤はありえない。「場」はものの無名性の「状態」にとってかわり、われわれはそれを「認識」しうるにすぎないのである。
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海老塚は逆に物質から距離を置こうとする。あるいは「世界」に対して他者であろうとする。それは受容する者ではなく、冷ややかに視る者であろうとすることであり、その時、「世界」の両義性はひそかに仕掛けられたのである。ドラマなき“舞台”とはこのような他者性の空間の謂でもあり、それを自らは装置と呼ぶが、いずれにしてもわれわれはそのおだやかな散文的空間の背後の、離反する要素をきわどく繋ぎとめる均衡の力学を察知しなければなるまい。彼は言う。
物質は視るひとの鏡でもなければ、その代弁者でもない。視るひとの道具としてその全姿を維持しようとはしない。それでもあくまでこの状況のなかで物質の形象を視ようとするならば、そこに描写されたすべてはどんなときでも視るひとの〈もの〉であり、〈かたち〉であり、〈こと〉である。物質のそれとして接することは、この次元においては決してない。次元の変換を起こすこと。物質を視続けること。衝動に意識を奪われないこと。
いいだろう。われわれもまた冷ややかに視ることにしよう。たとえば構成主義的であるとさえ言えるにもかかわらず、諸部分のいかにも断片化された印象について。精緻に組み合わされていながらもなお、一種の散在感を払拭しえないこの構成は、なにも空間が弛緩していることを意味しない。それは彼が(具体的な作業としてはともかく)、組むことではなく、置くことを、すなわち部分が全体に吸収されてしまわないことを、要素が構造のなかに解消されないことを、政治的に意識しているからにほかならない。メディウムが文字通りメディウムであるならば、音は消えメロディーだけが耳に残るだろう。そうではなく物質はそれ自体、視られるものであり続けなければならない。そして、なおかつそれはミニマリズムのような疎外された「特殊な物体」、単なる物質の属性へと還元された造形的要素とは異なった、“企てられた装置”なのである。
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また何らフェティシズムを喚起しない無垢なる素材について、海老塚の近作で主に用いられるのは、木、コンクリート、石炭、フェルトといったものであり、それらは素材感を大胆に対比させながらも、相互に異化しあうことなく、また意外にも無垢なる存在として触覚的な欲望の対象たることからもまぬがれている。彼の均衡の力学は、ここでもドラマを退けているのである。
物質が素材へ生成するための手掛かりは、物質からの絶えることのない誘惑から免れ、視ること、あるいは読むことにより探し続けてきたすべての事象を整理し、具体的な資料として、素材という同一の認識のもとに並置することにより始まる。
このような素材の位置もまた政治的なものである。それは生成の運動の中に身を置くことによって、「あるがまま」であることからも、また自己目的的であることからも、さらに言えば歴史からも、自由でありうる。フェティシュとしてのフェルトなら、あるいはトートロジカルなフェルトならわれわれは即座に実例を挙げうるが、彼の素材はそれらの「誘惑を免れ」て、「物質の境域と装置作品の境域に挟まれながら、構築に向けて胎動を始める」のである。
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また解体と構築の相互性について。これは先に“置くこと”と述べたこととも重なるのだが、彼の空間には多分に仮設的な感触がつきまとっている。部分の配置はデッサンの段階の試行錯誤で決定され、現実のインスタレーションの作業に仮設性はないのだが、しかしその決定された配置がなお可能性の状態にあるといった、空間の生成にまつわる恣意性の印象は否みがたい。作家の言葉によるならば、それは「類型化された偽りの本質に向かう過程への突き上げ。また物質の経験の拘束より一次的に離れ、その可変性を視ること。」である。構築には本来いかなる方向性も期待されていないのであり、ともすれば定着に向かいそうになる造形の力、自己完結性を、抵抗する解体の力学が相殺し、一切が過程であることを、見えざる運動のうちにあることを、保証する。
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そして見えざる葛藤について。「物質から素材の生成へ」という発言は、おそらく激しい逆説なのである。「媒質として素材が在る」と彼は言う。ならば「素材はそれぞれが具体的な形態を持ち、独自な役割を指向し、独白を始める」などということがありえようか。そのような「素材」はもはや、あるいは依然として「媒質」ではなく、在るのはその手前(物質)もしくは先(装置)なのであって、「媒質」は“在らざる”もののはずである。この不可解な論理のもとで、何も招かれることのない舞台は、不可視の葛藤によって充たされる。だが不思議なことに、この逆説は何のアイロニーもはらまない。葛藤はドラマの欠落とただ静かに見合うものである。物質、素材、装置の両義性を同時にとらえることは許されず、われわれがそのどちらを「視る」にせよ、表面はおだやかなものだ。そのような視覚の緩和によって、造形主義、観念主義は相対化され、場としての彫刻のありようが、根源的に模索される。しかもなお、それはもの派的な世界の受容ではなく「具体的な形態を持ち、独自な役割を指向し、独白を始める」彫刻のありようなのである。見えざる葛藤によって、彼はまたあいまいな風土への回帰、埋没をまぬがれている。モダニズムへの批評を、彼は正当にも、彫刻論としての彫刻として提示しているのである。それが彼の政治的な立場であり、外見はおだやかな散文ではあっても、その立場の選択において鋭く自覚的であり、批評性を欠いたままに弛緩したインスタレーションの群れとは無縁のものたりえているのである。
*『Koichi EBIZUKA: RELATED EFFECT / INSTALLATION・SCULPTURE・DRAWINGS』ギャルリー・ところ、1988年より転載。

