ジャンル喪失時代 市原尚士評

表現はボーダーレスに

美術大学、芸術系大学の学科というものに、ほとんど何の意味もない時代が到来してきました。日々、ギャラリーや美術館を回っていると、そう痛感させられるのです。

吉田真納タルーラ「sapiens」(2025年)

UNPEL GALLERYの「矜持」展で拝見した吉田真納タルーラさんの作品「sapiens」は何とも定義づけの難しい快作でした。縦2メートル、横1メートルと結構、大きな画面。ショッキングピンクのような鮮やかな赤色系のサテン地にアクリル絵の具と雲母を使って描いてるのが宇宙人のような形象2体です。半透明の肉体なので、骨が透けて見えます。白く、軽やかな印象の螺旋が2体を包みこみ、その螺旋パワーで上方へと浮遊するような感覚があります。

作者は2024年に武蔵野美術大学造形学部日本画学科を卒業後、2026年には同大学院造形研究科修士課程日本画コースを修了した、いわば、日本画バリバリの経歴です。ところが、作品からは、固定化しきった花鳥風月の印象はまったく漂ってきません。油画、日本画、デザイン、ファッションなどなど芸術に関係する様々なジャンルが彼女の中で融合されています。

これは、あくまでも筆者の主観ですが、吉田さんの描く世界観は、宇宙人との遭遇、地球人の誘拐といったややオカルトめいたものだと思います。サテンに、このような画題を描くわけですから、インパクト十分です。大学院でも日本画を学んでいるので、筆遣いに日本画のそれを感じさせる部分もありますが、それ以上にポップな世界観があまりにも魅力的で、日本画とか油画とか、そういったジャンル分けが無効化されてしまうほどのパワーが感じられるのです。

そもそも、現代のアート界はジャンルの垣根を軽々と越えて、様々な表現手段を駆使して、作品を制作することが多いわけですから、美大・芸大でもあまり細分化された学科に分ける必要性がなくなってきているのかもしれません。また、写真、動画の編集・製作、デザインのセンスは、どんな学部に所属していたとしても必須の能力のはずです。今を生きる芸術家志望者は、かなり広範な教養やテクニックが求められています。

大学当局者の皆さん、カリキュラムはあまり細分化せず、様々なことを自由に学べるキャンパスに変革していきませんか?

当たり前の情景を当たり前に描く

吉田さんと全く同じ進路をたどっているのが澤井昌平さん(1988年生まれ)です。武蔵野美術大学の学部と大学院で日本画を学びましたが、油絵をメインで描いています。

たましん地域文化財団のインタビューの中で、その理由をこう述べているのを読んで、すごく納得しました。

日本画は画材のコントロールでエネルギーを消費してしまうというか…。混色することや発色をコントロールするのがとても難しく、「こういう絵を描きたい」という以前のことが難しくて、もどかしいと思ったんです。

まったく澤井さんの指摘する通り。日本画って、描くまでの準備が面倒くさすぎると思います。その面倒くささが、絵のクオリティーを上げるのに役立っているかと言えば、そんなことはないような気がします。もっと手軽で簡単な画材を使うことが標準になれば、もっと多くの方が日本画を描きたいと思うでしょうに、なんだかもったいないですね。

ステッカーが大量に貼ってある街角の情景を描いた澤井昌平作品(下)

さて、その澤井さんの個展を鑑賞したところ、街中のステッカーを描いた作品があり、ステッカー好きの筆者はうれしくなりました。絵を描く方は、描く対象に愛を持っているから描くのです。愛が大げさすぎるというなら、興味や好奇心と言い換えてもいいでしょう。澤井さんがステッカーの貼られた都市の風景に興味を持ったということ。そのことに筆者は興味を持ったというわけです。

飲料品が陳列棚に並ぶ様子を描いた澤井昌平作品

様々な飲料品が陳列棚に並べられている様子を描いた作品も面白いです。普段、陳列棚に納まっている飲料品を見ても「はいはい、飲料品ね」で終わってしまい、なんの感興も覚えません。ところが、絵描きが絵にしたとたん、人は、その画面を注視しだす。そして、飲料品の並ぶ空間という“設定”そのものに強い興味関心を持てるようになるのです。画家の対象への愛が、描かれた飲料品を聖なるものに変容させるといったらやや大げさでしょうか?

ちなみに、ステッカー作品の絵画は、本稿で紹介したものの右隣りにもありました。特徴のある場所です。筆者は「あっ、これは新宿駅近くのあそこでは?」とすぐに気が付きました。澤井さんは、「いえいえ、私は新宿駅の近くのステッカーなんてかいていません」と否定されるかもしれません。それでも、問題はないのです。重要なのは、絵を見た筆者が、「これは新宿のあそこ?」と考え、少し愉快な気持ちになれた、ということだからです。

澤井さんの作品は結構、昔から拝見していますが、身の回りの何でもないような風景・光景を愛情あふれる筆致で描く姿勢には共感を覚えてきました。どんどん、描き続けてほしいです。

親しみを持てる花々

ビールケースや日本酒のケースを使ったいけばなを最近、拝見しました。見せ方が面白いです。作者は若狭理佳さん。

若狭理佳さんの力作は、ビールケースを巧みに活用している

ケースからはみ出すようにして花が生けられている点が良いです。成長しよう、大きくなってやろうという植物の生命力があふれていたからです。

使われている花材を示したプレートがあったので拝見しました。ソテツ、キングプロテア、リューカデンドロンなどのドライフラワー、カラー、ヒペリカム、ドラセナなどの生花が巧みに配置されているようです。数え上げるとドライフラワーと生花を足して20種に近い花々が使われていたので驚かされました。自転車の車輪のようなオブジェも上部にあしらわれており、ビールケースとの取り合わせが実に楽しいです。

花そのものにも彫刻性というか、物質性があります。天と地も自然と備わっているわけです。華道が面白いのは、そもそも空間性のある花を様々な手法で組み合わせて、新たな空間を構築する点にあると言っていいでしょう。足し算、引き算、掛け算、割り算…すべてのテクニックが華道の中にはあります。作家さん一人びとりによって、様々な手法を駆使しており、見る者を飽きさせません。

若狭さんの作品を展示した「川崎支部 創立95周年記念 古流松藤会いけばな展」では、小学4年生や中学1年生など未成年の方の作品も成人の作品と同様の丁寧な扱いで展示しており、筆者は感動しました。公募展というのは、なかなか次世代の若手の作品への顕彰にまで手が回らず、ともすれば、年長者同士の仲良しごっこで終わってしまうことが多いものです。しかし、この古流松藤会では、子供たちの作品にもリスペクトを持って並べていたのです。自分が、この子供だったら、どう思うでしょうか?

「古流松藤会に所属してよかった」「多くの人に自分の作品を(まだ10歳なのに)見てもらえて幸せだ」ーーそう思うのではないでしょうか。そして、華道というわが国にとって重要な芸術を守り育てる貴重な人材に成長してくれるはずです。古流松藤会の取り組み、素晴らしいです。

おまけ

深夜の横浜の繁華街を歩いていたら、非常に美しい店舗照明と遭遇しました。思わず写真を撮ってしまいました。ネオンがフレーム状に、店のファサードを飾っているのです。四辺をぐるりと囲んでいるため、ネオンが建物を分割していたのです。その絶妙な比率に酔いました。

横浜の繁華街の小粋なスナック。ファサードがアートのようだ

店の前に駐輪された自転車2台も、よく見ると手前が「大」、奥が「小」となっており、そのバランスが美しい!

恐らくですが、店内に入ると、こざっぱりとして整っているのでしょう。筆者はほとんど酒類を飲まないので、スナックらしいこのお店に入ることはないと思いますが、照明で歩く人を楽しませてくれる店主さんのサービス精神がうれしかったです。

それにしても、このファサードそのものが芸術作品のように思えませんか?

前述の澤井昌平さんあたりに、この店舗を描いてもらいないなーと思った筆者でした。(2026年3月12日20時19分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。