茶室と教会は“親戚”なの? 市原尚士評

石川県金沢市の寺町寺院群にほど近い場所で2007年に開館した「谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館」は建築好きなら絶対に見逃せない素晴らしい施設です。金沢市出身で昭和期の名建築家・谷口吉郎(1904~1979年)が設計した迎賓館赤坂離宮 和風別館「游心亭」の広間と茶室を忠実に再現した空間が常設展示で見られます。

谷口吉郎の茶室全景

 

吉郎の息子で、やはり建築家の谷口吉生(1937~2024年)が設計した建築が「父の広間&茶室」を包み込んでいるという取り合わせの妙が楽しめます。つまり、いずれも名建築家である親子の作品を同時に堪能できるという点が非常にユニークな施設なのです。

筆者は、金沢を訪れるたびに、この金沢建築館と室生犀星記念館をセットのようにして鑑賞することにしています。室生犀星記念館は規模的にはそれほど大きくないものの、いつも大変、興味深い展示をしており、全部を見終わるのに結構な時間がかかってしまいます。

谷口吉郎の茶室。畳席周辺

 

話を谷口親子に戻します。建築館の常設展で見られる茶室が筆者は好きです。展示会場に設置されていた解説パネルをそのままご紹介します。

中央にある小間四畳半の畳席と、その2辺に配された椅子席からなる谷口(吉郎)氏創案の茶室です。能舞台のように設えられた小間での点前を、周りの椅子席から鑑賞しながら、茶を楽しむことができます。天井には、平天井と傾斜天井を組み合わせた掛込み天井や、木板を編んだ網代天井などを組み合わせて配し、茶室の空間に変化を加えています。

茶室と言えば、密室のような、あの狭い小間をどうしても思い浮かべてしまいますが、谷口吉郎の茶室は、非常に開放的な印象が漂っています。建築に関して、ド素人の筆者の推量なので、多分、全く当たっていないと思いますが、一つの仮説を披露します。

谷口吉郎の茶室。畳席から距離を隔てた椅子席

 

谷口はこの茶室を設計するにあたって、海外からの要人を意識していたのではないかと思うのです。海外、とりわけ欧米列強諸国のVIPたちです。日本人よりもはるかに大柄な彼らをまさか小間に招じ入れるわけにはいかないでしょう。そもそも、彼らはあの小さな小さな「にじり口」を通過できるかどうかもあやしいです。ですから、よくある、にじり口を通過し、小間に入るという形式は採用できなかったのでしょう。

お茶会の準備が整うまでお客さんが待つ場所「待合」から茶室の中は通常見えませんが、谷口は椅子席として並べた部分をある種の待合と規定した上で、茶室の壁をすべて取っ払って、畳席が丸見えになるように配置したというわけです。

茶室の中では正座したり、堅苦しい感じのお作法を守らなければなりませんが、茶室内の主人と客を分離したことによって、客の側は椅子でくつろぎながら、主人の点前を鑑賞できるわけです。この形式なら、茶道に詳しくない海外の方でもリラックスしながらお抹茶を楽しめます。これは、コロンブスの卵的な発想の転換がなされており、谷口の日本文化、西欧文化への深い理解と咀嚼力を感じさせる工夫です。

またまた、怪しげな暴論(推論)を披露します。谷口の頭の中には、もしかしたら、カトリック教会で行われる祈りの儀式「ミサ」が念頭にあったのではないかとも思うのです。司祭が説教をした後、信者がパンとブドウ酒を拝領する聖体拝領が行われますよね。これって、お茶会とどこか似ていませんか? 司祭はいわば茶の主人です。信者は、茶席に招かれたお客です。司祭(主人)は茶をふるまい、信者(お客)はそれを飲み干すわけです。

建築的な類似も谷口版茶室と教会にはありそうです。内陣(主祭壇)が茶室の畳席です。身廊(会衆席)が椅子席です。ぴったりと教会建築と対応している気がするのです。海外要人が生まれた時から親しんでいる、信仰しているキリスト教的な考え方を日本の茶室と融合させたのが、谷口の創案の根本にあったものだったのではないかと推理しました。

建築の専門家の方が本稿を読んだら、「ド素人が何を訳の分からぬことを言っている」と呆れるかもしれませんね。ただ、谷口の茶室を前にしてじっと立っていると、ヨーロッパの教会内の雰囲気と酷似しているので、このような推理を披露した次第です。

ちなみにですが、金沢では、老若男女問わずお茶を習っている方が非常に多いです。会社勤めの若いOLさんでも、またそこら辺にたむろしているおっちゃん、おばちゃん(失礼!)でもお茶をたしなんでいる方がたくさんいます。筆者は20歳代前半、金沢に5年以上住んでいたので、金沢人のお茶愛好熱をよーく知っているのです。まぁ、あれから30年以上が経過しているので、今も金沢人が熱心にお茶を学んでいるかどうかは確信できませんが…。この建築館に茶室があるのは、お茶好きの金沢人にとっては、とても親しみやすい印象になっていると思いました。

まぁ、いずれにせよ、谷口吉郎という男、建築界の巨人ですよね。私が鑑賞に訪れた際、ヨーロッパから来たと思われる男性2人連れが熱心に展示物や建築を観察していました。どう見ても、建築の専門家っぽい感じでした。このような光景を見ると、まさに「世界の谷口」なのだなと実感しました。彼らに「この茶室、教会と似ていると思いませんか?」と質問すれば良かったなと室生犀星記念館に到着したころ、思いつきましたが、後の祭りでした。

室生犀星記念館をたっぷり鑑賞した後、25分ほど歩いて向かったのが、谷口親子の息子さん、つまり谷口吉生設計の「鈴木大拙館」でした。豊田市美術館、猪熊源一郎現代美術館、土門拳記念館などなど数多くの美術館設計で知られる吉生が手掛けた作品の中でもこの大拙館はとりわけ“小柄”でミニマルです。それほど広い敷地の中に建っているわけでもないのに、借景を巧みに取り入れることによって、「地・水・火・風・空」を自ずと感じさせる素晴らしい建築に仕上がっています。筆者は金沢を訪れたら、この鈴木大拙館も必ず訪れることにしています。

鈴木大拙館の思索空間棟。奥には「水鏡の庭」が広がる

「水鏡の庭」に面した思索空間棟には、畳のベンチが設置されています。上を見上げれば、丸い穴が天井にうがたれているようです。水鏡の庭を向こうに臨む棟への出入り口を人が通過すると、一瞬、室内がかすかに暗くなりますが、またすぐに元に戻ります。

池には面白い仕掛けも施されています。間歇的に、バシャッという水音をあげて波紋が広がるようになっているのです。とても暇人の筆者は以前、ストップウオッチを携え、バシャからバシャまでの時間を計測したことがあります。合計3回、バシャ音の間隔を計測してみましたが、いずれも等間隔(同じ時間)でした。具体的な分数(秒数)は内緒です。気になる方は、一度、この水鏡の庭にずっと立ち続けてみてくださいね。

ヒントじゃないですが、水鏡の庭の前をただ通過するだけの方には、この「バシャ」現象は出会えないと思います。庭の前でじっくり水面を見続ける方のみが目撃できる、ある種の演出、サプライズだと思ってください。波紋が庭のかなり遠いところまで続いていく様子を見ると感動しますよ。

それにしても、谷口親子は偉大ですね。また、ド素人が暴論を披露しますが、親子共に共通している点は、線と面の使い方の巧みさだと思います。直線、曲線、斜線、球体、正方形、長方形、三角形、ハッチングといった線や面に関係するあれこれの使い方が非常に洗練されています。

また、建築の周辺に広がる自然環境を入れ子状にして建築の内部に取り込む点も巧みだと思います。建物を構成する各パーツを全部、まとめてくっ付けてしまうのではなく、パーツとパーツをあえて外し、距離を空けて、その外す工程、距離を空ける工程の中に、周辺環境の持つ構造をうまく取り込んでいるのです。何度訪れても飽きない建築群だと確信しています。

おまけ

金沢は冬になると雪が多く、結構積もることもあります。そのせいでしょうか、電気の検針で使われる電気メーターはかなり堅牢な作りの構造物の内部に入っていることが多いです。

金沢市内で遭遇した電気メーター群。堅牢な金属製ケースの中に収納されている

そのメーターが歳月に侵食されることによって、大変、良い味を出しているケースが多いのです。ぱっと見た時に、アート作品に見えてしまいます。思わず、メーターを撮影し、ニヤニヤしていた筆者でした。

少し後ろに下がって撮影した際の電気メーター群

あっ、それから今、重要なことを思い出しました。「美術評論+」の過去の原稿で五十嵐太郎先生による谷口吉生の追悼文が載っています。簡にして要を得た、素晴らしい文章なので、谷口親子にご興味がある方はぜひ読んでみてください。(2025年11月24日16時49分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。