ミュージアム建築の名手、谷口吉生・追悼文

 ミュージアム建築の名手として知られる谷口吉生が、87歳で亡くなった。

 ニューヨーク近代美術館(MoMA)は、20世紀のアート界を牽引したもっとも権威ある館だが、増改築のコンペで彼が選ばれたことは、その証左となるだろう。MoMAの仕事(2004年)では、それまでの同館の歴史を尊重しつつ、自らの手がけた新築部分は抑制された表現だった。展示室をめぐる際、完全に閉じず、あちこちに開口を設け、マンハッタンの都市風景や館内の吹き抜けなどが視界に入る場面を設けたことが特徴である。MoMAの学芸員が、彼の丸亀市猪熊弦一郎美術館(1991)を訪れたことがきっかけで、コンペに招待されたらしいが、豊田市美術館(1995)も含めて、いずれも美術館を散策する空間の楽しみが共通する。

 アーティストからの信頼も厚く、丸亀の美術館は猪熊が谷口を推薦しており、東山魁夷とのつきあいから、長野県の東山魁夷館(1990年)や香川県の東山魁夷せとうち館(2004年)を手がけることになった。また秋田県の土門拳記念館(1983)、国立博物館法隆寺宝物館(1999)、京都国立博物館平成知新館(2013)など、水面に建築の姿を映しだし、人工池と対話するデザインも魅力的である。そして東京都葛西臨海水族園(1989年)では、ガラスのドームを包む水面が東京湾の海とつながって見える効果をもたらした。

 谷口は1937年に生まれ、アメリカのハーバード大学では最新のモダニズム、東京大学の丹下健三研究室からは建築を単体としてみない、都市環境を意識するデザインを学んだ。広島市環境局中工場(2004年)は、市街地からの直線道路、すなわち都市軸がガラスのトンネルになって建物を貫通しており、スケール感の大きいデザインは丹下ゆずりだろう。また彼の父は、国立博物館東洋館や東宮御所を設計し、モダニズムと和風を融合させた谷口吉郎である。ベタな日本風の表現は一切ないが、どことなく日本らしさを感じさせる洗練されたモダニズムに到達したのは、父の方向性を継承したからだろう。なお、オークラ東京(2019年)では、父が設計した旧本館ロビーを一部復元し、親子の競作となった。また二人の名前を冠した谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館(2019年)は、父の生家の敷地を市に寄贈してつくられた日本初の公立の建築ミュージアムであり、建築文化に大きな貢献をしている。

 建築家には多くの本を出版するタイプもいるが、谷口は饒舌に語らない人物だった。作品集の解説もシンプルである。しかし、妥協を許さない細部の精巧なデザインなど、その作品は専門家をうならせる。建築そのものに語らせているのだ。ご冥福を祈りつつ、今後も彼の建築に耳を澄ませたい。

(2024年12月末、共同通信社に寄稿したテキストを転載)