開幕初日と二日目の大阪・関西万博を訪れたが、全部のパビリオンをまわるのは、不可能な規模だった。また2005年の愛・地球博が会場変更に伴い、すべての外国館が単位空間を使うモデュール式を採用し、外部に対しては平面的なファサードしか意匠がなかったのに対し(今回のタイプXがこれにあたる)、ユニークな造形の独立した建築として多くのパビリオンが登場したことで、会場に彩りを添えている。これらを包むのが、会場デザインプロデューサーの藤本壮介が構想した木造の大屋根リングであり、圧倒的な存在感を示していた。視線の遠くに高所で人が歩いている風景は忘れがたいだろう。また上に登って、全体を見渡すと、円の中に多様な世界が共存することが直感的に理解できる。会場構成として興味深いのが、ランドスケープデザインのディレクターをE-DESIGNが担当し、その中心に池を囲む「静けさの森」をつくり、大阪府内の間伐予定の木々などを移植したことだ。大屋根リングの直径のサイズと近い環状の通路をめぐらせ、中心に巨大なドーム空間を配したドバイ万博ほか、パリ万博のエッフェル塔、1970年の大阪万博の太陽の塔などの定石パターンとは違い、主要な部分にモニュメンタルな構築物がない。すなわち、会場の中心が自然の風景なのである。
シグネチャーパビリオンはどれも個性的だが、廃校となった木造校舎を移築・再構成した河瀬直美のダイアローグ・シアターがとりわけ印象深い。SUOの設計により、ずらしたり、切断したり、抜いたり、接木するなど、大胆な操作を行い、さらに来場者が見ないバックヤードまで徹底的にデザインを追求していたからだ。そもそも万博のパビリオンは、一般的に外観と内部の空間が遊離しがちである。そうした中で、2030年に次の万博を開催するサウジアラビア館は、ノーマン・フォスターが手がけ、分棟形式によって中庭や路地的な場を介しながら、展示室を歩く楽しみを与えた。またアラブ首長国連邦は、ナツメヤシに着想を得た巨大な柱がランダムに並び、室内でも建築的な強度を感じさせる。一方、外部において建築的な実験にとりくんだのは、永山祐子と平田晃久である。前者はウーマンズ・パビリオンで彼女が設計したドバイ万博の日本館の部材を再利用しつつ、大阪万博のお祭り広場の大屋根へのオマージュとし、パナソニックグループ館でも幾何学的なユニットを組み合わせた。また後者のEXPOナショナルデーホールは、敷地に閉じず、歴史、海、風の通り道といった外的な要素を踏まえて、ジグザグに展開するスロープ状の空中デッキをもつ。なお、隈研吾は3つの外国館を含む、4つのパビリオンを担当し、大阪万博における黒川紀章の担当物件数を超えた。
規模は小さいが、それゆえに建築的なテーマが明快だったのは、今後の活躍が期待される20組の若手建築家によるプロジェクト群である。これらはすべてまわったが、現地で設計者に取材した10作品を紹介しよう。工藤浩平の休憩所は、石をネックレスのように吊るす。小室舞の展示施設は、蛇籠の丸い壁で構成された。ポップアップステージでは、桐圭介はミストによって頭上に雲を発生させること、三井嶺は一本の丸太がもつ場の力、萬代基介は球体の空間を幾何学的な構法で解くことにとりくむ。ナノメートルアーキテクチャーのサテライトスタジオは、使い道がなくなった木を集め、それらを組み合わせて柱をつくる。トイレでは、GROUPはかつての生態系を集積した庭、小俣裕亮は伸縮する空気膜構造の屋根、米澤隆は多様な形態と色彩、鈴木淳平+村部 塁+溝端友輔は3Dプリンタによる樹脂パネルの透過壁が特徴だった。全体として木や石などの自然素材が多く、新しい使い方を提案している。愛・地球博でもリユースは謳われていたが、ほぼ全員がこの課題を意識し、さらに進化させていた。つまり、半年で解体される仮設建築に対し、もっと長い時間のスパンで考え、その意味をとらえなおそうとする態度が、新世代に共通している。
(『毎日新聞』4月17日夕刊に寄稿)