
会場風景
「原口典之 Black Surface」
会期:2025年10月25日(土)-12月27日(土)
開廊時間:12:00-19:00
閉廊日:日・月
会場:YOD Gallery (東京・天王洲)
(東京都品川区東品川1-32-8 TERRADA ART COMPLEX Ⅱ 3F)

図1 原口典之《黒の構成 B》2016年
現在、YOD Gallery(東京・天王洲)で、原口典之(1946-2020)の個展「Black Surface」が開かれている。2001年から没年に至るまでの平面作品や半立体作品に焦点を当て、原口の芸術の本質をトータルに逆照射する意欲的な展覧会である。
原口は、美術史上の位置付けが複雑な作家である。
一般に、原口は日本では「もの派」の主要作家として知られている。まず、峯村敏明が1986年に鎌倉画廊で開かれた『モノ派』展図録で、もの派の初期のオリジナルな形態の担い手である三グループの内の一つ「日大系」の中心作家として原口を取り上げている[1]。これに対し、千葉成夫は同年の『現代美術逸脱史』で、原口を「真正もの派」の亜流としての「類もの派」に位置付けている[2]。なお、峯村は1987年に西武美術館で開かれた『もの派とポストもの派の展開』展図録では、原口を「広義のもの派」に含めつつ「狭義のもの派」からは除外している[3]。
一方、原口自身は自分はもの派ではないと一貫して主張している。元々、「もの派」というグループ名は作家達自身が名乗ったものではなく、当初は外部からの批判的な文脈で用いられ次第に定着した経緯がある。また、原口は、もの派は関根伸夫(1942-2019)を中心とするグループを指し自分は違うと思っていたらしい。さらに、原口には常に自分はグループではなく一人の個人作家として活動しているという自負もあっただろう。
その一方で、原口は他人が自作をどう評価するかは自由という立場でもの派の大回顧展には出品している。実際に、『モノ派』展(鎌倉画廊・1986年)、『1970年――物質と知覚』展(岐阜県美術館他・1995年)[4]、『もの派—―再考』展(国立国際美術館・2005年)[5]には、もの派の作家として作品が展示されている。ただし、『もの派とポストもの派の展開』展(西武美術館・1987年)では、図録で「広義のもの派」あるいは「原(プロト)もの派」の作家として名前は挙げられつつ作品は展示されていない。
他方、海外では原口がもの派の真正か亜流かという議論は長らく低調であり、1977年のドクメンタ6に日本人で初めて選出された個人作家としての評価が先行していた。しかし、近年では、もの派の海外の大回顧展である『太陽への鎮魂歌』展(ブラム・アンド・ポー・ギャラリー・2012年)[4]や 『もの派』展(ムディマ財団・2015年)[5]等で主要作家として取り上げられるようになっている。
こうした事情で、原口の美術史上の位置付けは、「もの派」として定着しつつやや曖昧である。やはり、原口のどこがもの派であり、個人作家としてはどのような特徴があるのかを明らかにすべきだろう。

図2 原口典之《Black G》2016年
まず、もの派とは何かを整理しよう。
もの派の原点は、1968年10月に発表された関根伸夫の《位相‐大地》である。この作品がもの派と呼ばれる動向を生み出したのは、表現における重点移行を示したからである。
当時の現代日本美術の主流は、直前の1968年4月から5月にかけて東京画廊と村松画廊で開かれた「トリックス・アンド・ヴィジョン」展に代表される視覚的観念性の強い作品であった。関根の《位相‐大地》も、本来は位相幾何学の流体的な空間概念の表象を意図しており、そうした視覚的観念性の強い作品として構想されていた。しかし、完成した巨大な円筒状の土柱と大穴の組み合わせは、意図せずして強烈な身体的感動をもたらす。これにより、表現における視覚的観念性から触覚的実在性への重心移行が示唆される。その重心移行の追求が、もの派の基本原理である。
もちろん、純粋に視覚的観念性だけの作品も、純粋に触覚的実在性だけの作品もありえない。一つの作品において両者は常に併存する。しかし、《位相‐大地》は、視覚的観念性よりも触覚的実在性により重点のある表現の方向性を啓示した。そこでは、素材の物質性が注目されることになる。

図3 原口典之《Z》2016年
次に、原口の芸術の展開を辿ろう。
原口は、終戦翌年の1946年8月15日に神奈川県の横須賀で生まれている。横須賀は、軍事上の重要拠点として終戦直後にアメリカ軍に接収され、アジア最大規模の横須賀海軍基地が整備された港町である。そのため、横須賀は造船業や重工業が発達して戦後日本の復興に寄与すると共に、進駐軍向けの商業が発展して最新のアメリカ文化の主要な流入口となっている。
1952年の占領終了後も、日米安全保障条約に基づき横須賀の米軍基地は存続し、冷戦期には朝鮮戦争やベトナム戦争の艦船・空母の寄港地として機能している。こうした軍事や工業の旺盛な環境で生まれ育ったことが、生涯「原風景」として原口の芸術に影響を及ぼすことになる。

図4 原口典之《黒》2019年
原口は10代の頃に、「Ship」シリーズと「Submarine」シリーズを制作している。これらは、市販のプラモデルを真似て、米軍の軍艦や潜水艦の小型模型を紙や合板で作る連作であった。いずれも、港湾に停泊しているように胴体上部しかないので観察と記憶に基づいて再現したものと思われる。ただ精緻な作りではあるが、所々細部が省略されているので、ある種の記号的操作がされている。
また、原口は1966年の日本大学芸術学部の1年生の時に、東京都美術館で行われた「第7回現代日本美術展」に《Tsumu 147》を出品して初入選及び受賞している。この作品は、国鉄の貨物列車の扉を現物と同じ縮尺で正面から描いた絵画であり、ドアハンドル部分に鉄等の混合素材を用いる点で半立体作品でもあった。ただ緻密な造形ではあるが、描き込まれた数字の色彩が現物と異なるので、ある種の記号的操作もされている。
さらに、原口は1968年から翌年にかけて「Air Pipe」シリーズを制作している。これは、真っ白いキャンバスに工場や倉庫の通気管に似た瓶口状の立体を取り付けた半立体作品である。ただ突起部は一目で通気管を想起させるが、全体的に異常に短かったり変則的な形状だったりするので、やはりある種の記号的操作もされている。
そして、原口は1969年に《Skyhawk》を発表している。これは、米軍戦闘機「A-4E スカイホーク」の尾翼部分を現物と同じ縮尺でベニヤ板で作る大型立体作品である。尾翼部分だけなのは、原口が1968年8月の深夜に横浜駅付近の国道16号で目撃した搬送中の同戦闘機の尾翼部分を記憶に基づいて再現したからだとされる。ただ精巧な造作ではあるが、内部は空洞の張りぼてなので、やはりある種の記号的操作もされている。
これらに共通することは、いずれもアメリカの庇護下で発展する戦後日本の社会的現実を暗示していることである。つまり、造形上、現実にある工業的・軍事的事物を断片的に参照することで、その背後に広がる目に見えない日本社会のシステム全体を象徴的に感受させる。そこでは、模造性と共に即物性が強まっている。ただし、この段階ではまだ素材の物質性に対する意識は低かったといえる。

参考 関根伸夫《空相‐水》1969年
1967年10月に、横浜で「Bゼミ(現代美術ベーシック・ゼミナール)」が開設され、斎藤義重(1904-2001)を中心とする「Aゼミ(現代美術専門ゼミナール)」も発足する。このAゼミは、斎藤の多摩美術大学の門下生である、関根伸夫、吉田克朗(1943-1999)、小清水漸(1944-)、菅木志雄(1944-)、成田克彦(1944-1992)等が受講していた。1968年8月に、このAゼミとBゼミの共同で「Nipponかまいたち」展が開かれ、原口も参加している。1971年から75年にかけて、原口はBゼミで、斎藤、関根、小清水、吉田、菅、李禹煥(1936-)等と共に講師として教えている。これらの過程で、後にもの派と呼ばれる関根、小清水、吉田、菅、成田、李と、原口の人的交流が生まれている。
1969年に、関根は《空相‐水》を制作している。これは、大型の円筒体と立方体の鉄製容器に水を張った立体作品である。この作品は、位相幾何学的な空間概念に基づき、形状の異なる二つの鉄製容器に入れた水が同体積であることを示す点では視覚的観念性を表しているが、それ以上に巨大な二つの鉄製容器に満々と湛えられた水が触覚的実在性を強く感じさせる点でもの派の典型的な作品といえる。
関根によれば、この《空相‐水》は、水という素材の物質性を濃縮的に感じさせることで、その背後に広がる目に見えない大自然を象徴的に感受させる作品である。言わば、ここで提示される水の量塊は、千利休が一輪の鮮やかな朝顔で無数の満開の朝顔を暗示したことに通じている。

参考 原口典之《Matter and Mind》1977年
この関根の《空相‐水》に影響を受けたと思われる原口の作品が、1977年にドクメンタ6に出品した《Matter and Mind》である。これは、1971年から取り組んでいた巨大な立方体の鉄製容器に廃油を張る立体作品(通称「オイル・プール」)の連作の一つである。この作品は、部屋の大部分を占める鉄製容器の巨大さと廃油の強烈な臭いで素材の物質性を強く感じさせ、油の触覚的実在性を強調する点でもの派の典型的な作品といえる。
ここで注目すべきは、この作品では台座により鉄製容器全体が少し床から平行に宙に浮くことで、一面に張られた油の表面がその分だけ現実感を薄め記号化することである。それにより、廃油の背後に広がる目に見えない工業化社会という社会的現実も暗示されやすくなる。言わば、《Matter and Mind》の黒い表面は、現実の工業化社会の「写し鏡」なのである。
これに加えて、おそらく当時の人々は1973年に起こった世界的な石油危機という社会的現実も連想しただろう。なお、会期終了後、この作品は石油産出国であるイランのテヘラン現代美術館に収蔵されている。
ちなみに、関根は自作の《空相‐水》と、原口の《Matter and Mind》の関係について次のように評している。
やっぱり意識としては、近いものがあると思いますね。彼が水を廃油に変えた意味というのは、何かあるんだろうと思いますけど。そこが彼の重要なコンセプトだと思いますけど[6]。

図5 原口典之《Untitled か》2016年

図6 原口典之《⽩の構成 3》2016年
こうした即物性の強い工業的な記号表象により背景の工業化社会全体を暗示する作風は、《黒の構成 B》(2016年)(図1)、《Black G》(2016年)(図2)、《Z》(2016年)(図3)、《黒》(2019年)(図4)等に如実に窺える。
さらに、そうした原口芸術の本質を顕著に示すのが、これらと同時期に制作された《Untitled か》(2016年)(図5)と《⽩の構成 3》(2016年)(図6)である。この二つは、廃屋で収拾した木材に白いキャンバスを結合した作品である。いずれの木材も古色を帯びており、素材の物質性と触覚的実在性を生々しく感じさせる。また、どちらの木材にも建築時に書き込まれた文字が残されており、実際に特定の建築部材として使用されていたことが実感される。
その上で、無用途な白いキャンバスが並置されることで、木材や文字はその分だけ実用感を薄めて記号化する。それにより、背後に広がる目に見えない一般的な人々の日常生活という社会的現実も想像されやすくなっている。

左1 図7 原口典之《Black B》2020年
左2 図8 原口典之《Black C》2020年

左 図9 原口典之《ya》2001年
中 図10 原口典之《DMY》2001年
右 図11 原口典之《DMY》2001年
原口の作品に黒系の色彩が多く使われているのは、工業化社会を暗示する金属やタールを記号的に連想させやすいからだろう。また、自身の代名詞的作品である《Matter and Mind》の廃油の黒い表面も遠く反映しているかもしれない。いずれにしても、原口の触覚的実在性を持つ現実の模造的断片を通じて背後に広がる世界全体を喚起する手法は制作時期や表現形式を超えて一貫している。
実際に、最晩年に制作されたレリーフ状の《Black B》(2020年)(図7)や《Black C》(2020年)(図8)では、厚みを持って組み合わされた合板と鉄とポリウレタンがややムラのある塗装をされることで素材の物質性と触覚的実在性を顕わに示している。その上で、黒一色で記号化された表面は、私達の周囲の工業化された都市空間を想起させずにはおかない。
それは、いわゆる絵画作品でも同様であり、《ya》(2001年)(図9)、《DMY》(2001年)(図10)、《DMY》(2001年)(図11)でも、アーチ紙はグアッシュが滲んだり翳んだりすることで素材の物質性と触覚的実在性を十分に表している。その上で、モノクロームで抽象化された画面は、私達の身の回りの機械化された都市景観を連想させずにはおかない。
言わば、原口の作品は、私達を取り巻く現代的な都市環境の一つの象徴であり、一種の「現代の風景画」なのである。本展「Black Surface」は、もの派としても個人作家としても、生涯を通じてそうした方向性を追求した原口の芸術を実作品を通じて鑑賞できる絶好の機会と言えるだろう。
註
[1] 峯村敏明「『モノ派』とは何であったか」『モノ派』展図録、鎌倉画廊、1986年、頁表記なし。
[2] 千葉成夫『現代美術逸脱史』晶文社、131頁。
[3] 峯村敏明「もの派はどこまで越えられたか」『もの派とポストもの派の展開――1969年以降の日本の美術』展図録、西武美術館、1987年、15頁。
[4] 『1970年――物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち』展図録、岐阜県美術館他、1995年。
[5]『もの派—―再考』展図録、国立国際美術館、2005年。
[6] 関根伸夫 オーラル・ヒストリー 第2回 2014年5月3日(https://oralarthistory.org/archives/interviews/sekine_nobuo_02/)
[7] Exh. cat., MONO-HA, curated by Achille Bonito Oliva and Masahiro Aoki, Fondazione Mudima, Milano, 2015.
[8] Exh. cat., Requiem for the Sun: The Art of Mono-ha, organized by Mika Yoshitake, Blum&Poe, Los Angeles, 2012.
参考文献
Helmut Friedel (ed.), Noriyuki Haraguchi: catalogue raisonné, 1963-2001, Ostfildern-Ruit: Hatje Cantz Pub, 2001.
BankART1929編『NORIYUKI HARAGUCHI: Society and Matter』横浜、 BankART1929、2009年。
横須賀美術館編『原口典之 = Noriyuki Haraguchi(横須賀・三浦半島の作家たち1)』横須賀、横須賀美術館、2011年。
Ryan Holmberg, David Raskin, Reiko Tomii, Noriyuki Haraguchi, New York: Fergus McCaffrey, 2014.
阮文軍『原口典之の芸術――国内外での評価と作家イメージをめぐって』日本大学大学院芸術学研究科博士学位論文、2024年。
(参考作品以外の写真は全てYOD Gallery提供)
※本稿は、YOD Galleryの依頼により「原口典之 Black Surface」展の公式解説のために執筆された。いくつかの質問に答えていただいた原口典之WORKアーカイブ合同会社に、心より感謝申し上げたい。
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