YOD Gallery 東京店 開廊記念展
「関根伸夫展 空相‐皮膚」
会期:2024年9月7日(土) – 11月16日(土) 12月28日(土)
開廊時間:12:00-19:00
閉廊日:日・月
会場:YOD Gallery 東京店
(東京都品川区東品川1-32-8 TERRADA ART COMPLEX Ⅱ 3F)
東京・天王洲にある「TERRADA ART COMPLEX II」の3階で、「関根伸夫展 空相‐皮膚」が開催されている。戦後日本の代表的な芸術動向「もの派」の中心作家である関根伸夫(1942‐2019)の最晩年の連作に焦点を当てる個展であり、本年9月にオープンしたYOD Gallery東京店の開廊記念展である。
YOD Galleryは、2008年に大阪市内で設立されたプライマリー・ギャラリーである。代表の石上良太郎氏は1973年生まれで、早くから今後の美術市場が海外中心で動くと見通し、20代後半に英ロンドンのサザビーズで修業し、約6年間渡英した経歴を持つ。以後今日まで16年間、卓越した語学力と行動力を武器に、大阪を拠点としつつ一早く海外のアートフェアに積極的に出展し、重鎮から若手まで様々な日本の現代美術を世界に紹介してきた。日頃から世界中を飛び回り、よく電話相手に「今地球のどこにいますか?」と尋ねられるその精力的な国際的活躍は、近年国内の多くの若手ギャラリスト達に一つの目標として大きな影響を与えている。
石上氏は、2020年には大阪市内にエディション作品や若手アーティストを取り扱うギャラリーのセカンドスペースであるYOD Editions、2022年には東京・原宿にストリートカルチャーを取り込むYOD TOKYOもオープンしている。今回、さらに国際的な発信力を持つ有力作家を東京で紹介する場としてYOD Gallery東京店を設立した。2年間隔で新店舗を増設し、首都圏外に本店のあるギャラリーでありながら今を時めく都内最大級の複合ギャラリー展示施設の一角を占めたことは、周囲に先駆けて海外を主戦場として実績を積み上げてきた石上氏のギャラリストとしての力量と先見の明を証立てるものといえるだろう。
図1 関根伸夫《位相‐大地》1968年
周知の通り、関根伸夫は、「もの派」の原点であり、戦後日本美術の記念碑的作品と呼ばれる《位相‐大地》(1968年)(図1)の作者である。1970年には、ヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表作家に選出されている。以後、関根は国内外で旺盛な個展活動を展開すると共に、日本の現代彫刻によるパブリックアートの草分けとなった。また、海外における戦後日本美術の重要展覧会である、1986年の「前衛の日本 1910–1970」展(ポンピドゥー・センター)や、1994年の「戦後日本の前衛美術」展(横浜美術館・グッゲンハイム美術館・サンフランシスコ近代美術館)等では、常にその名が《位相‐大地》と共に取り上げられている。
2012年に、関根は、米ロサンゼルスのブラム・アンド・ポー・ギャラリーで行われたアメリカ最初の本格的なもの派の回顧展である「太陽へのレクイエム:もの派の美術」展で大きな存在感を示した。また、同年にニューヨーク近代美術館で催された「東京 1955-1970」展でも大きく注目されている。2014年には、再びブラム・アンド・ポー・ギャラリーで開催されたアメリカ初個展が世界的な好評を博している。
そうしたアメリカでの評価の高まりを受けて、2014年から関根はロサンゼルスに拠点を移した。このとき、「ロスまで会いに来ると言ってくれた日本のギャラリスト達は多かったけれども、実際に会いに来てくれたのはYOD Galleryの石上君だけだった」と、筆者は関根から直接聞いたことがある。関根はロサンゼルスで新作の「空相‐皮膚」シリーズに精力的に取り組み、そうした縁でこの連作は主に石上氏が担当し、今回のYOD Gallery東京店の記念すべきオープニングを飾ることになった。本展では、「空相‐皮膚」シリーズとそのドローイング等が約30点展示されている。
◇ ◇ ◇
現在、もの派が戦後日本美術における観念性から実在性への転換を特徴とする運動であったことは広く知られている。関根の《位相‐大地》こそが、そのメルクマールであり起爆剤であった。しかし、注意すべきことは、もの派が実在性を徹底的に追求したのは確かであるけれども、それはいわば一つの理念型としてであり、たとえもの派といえども観念性は常に残り続けたことである(このことが、もの派理解を難解にしている理由の一つである)。実際に、関根の場合は、常に即物的な実在性と共に、位相幾何学という観念性も一貫して制作の起点であり続けている。
図2 関根伸夫《位相‐スポンジ》1969年
図3 関根伸夫《空相‐油土》1969年
図4 関根伸夫《空相‐水》1969年
例えば、元々《位相‐大地》は地球を位相幾何学的に捉え、相の変移の一場面を示すものであった。また、《位相‐スポンジ》(1968年)(図2)はスポンジで、《空相‐油土》(1969年)(図3)は油土で、《空相‐水》(1969年)(図4)は水で、それぞれ位相幾何学的な相の変容を表そうとした。さらに、《空相》(1969年)(図5)では鏡面と大岩が相の転換を含意し、《空相‐布と石》(1970年)(図6)ではキャンバスの布地が被膜的な相と見なされている。そして、関根の代表的な平面作品シリーズである「位相絵画」も、表面の金属地を被膜的な相と見立てるものであった(図7)。
図5 関根伸夫《空相》1969年
図6 関根伸夫《空相‐布と石》1970年
図7 関根伸夫《空の穴のような》1982年
ここで重要なことは、関根が西洋の現代数学である位相幾何学を取り上げるのは、その柔軟な空間観が人間の生き方の理想を融通無碍な水に見る老子の「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」に繋がるからである。実際に、関根は筆者に、自らがリアリティを感じる東洋思想から出発して西洋にも通じる世界的な普遍性を追求したいと語ったことがある。
中国の道教思想の元祖である老子は、まさに昔のトポロジストともいうべき人である。現象としてあらわれている事物の奥にひそむ構造を「相」としてとらえ、その柔軟な考え方で、世俗に生きる人たちに警鐘を鳴らしつづけた人だといえるかもしれない。彼の理想とする境地は無であり、その本質は柔軟かつ無形である。そしてその無の状態をたとえるのに、「水」に多くを代弁させた。水は高きから低きところへ流れ、無味無臭にして無形である。しかし巌をもうがつように、柔は剛を制すこともできる、ということを説いて、人間の処世や生き方を示すのである。このように現代数学の「位相幾何学」と、古典的中国哲学が奇妙なところで合致する[1]。
なお、関根は、宮本武蔵の《枯木鳴鵙図》もまたそうした世界を弾力的な流動体として捉える空間観の日本における先例と見なしていたことを付言しておこう。
図8 関根伸夫《空相‐皮膚25》2016年
図9 関根伸夫《空相‐皮膚3》2014年
図10 関根伸夫《空相‐皮膚34》2016年
そして、本展で展示されている「空相‐皮膚」シリーズ(図8・図9・図10)は、《空相‐布と石》を直接的な先行作品としている。この連作では、キャンバスの布地に板片をくるんで縛ることで自ずから生じる皺は「大自然」を象徴している。つまり、ここでは、主体としての人間が客体としての材料を完全にコントロールするのではなく、人間が人為を尽くした上で人知を超える自然と協働した結果が提示されている。いわば、この皺は、陶器の焼成において陶土や釉薬の組成や火力の強弱により自ずから生じる窯変を愛でる、日本の伝統的な自然観に基づく美意識の現代的表象なのである。
関根は、「空相‐皮膚」シリーズについて、制作中に意図を超えて現れるそうした皺の妙味を心から楽しみ、その制作時の心境を太公望の釣り三昧の境地に喩えていた。ここでは、《位相‐大地》により触発された、自然的素材の即物的実在性を通じて大自然を濃縮的に受容する日本の伝統的感受性が現代的に追求されていることが特に重要である。
YOD Galleryは、設立趣旨として日本の文化的アイデンティティを再評価し世界に情報発信することを謳っている。その意味で、YOD Gallery東京店が、関根の「空相‐皮膚」シリーズから幕を開けるのは誠にふさわしい門出だと言えるだろう。
YOD Galleryは、作家と共に新しい価値観、表現を国内外へ積極的に発信していくことを使命とし2008年に設立しました。芸術表現がグローバル化の傾向にある今、日本にあるプライマリー・ギャラリーとして改めて日本人のアイデンティティを見直し、世界に提示することのできる独自の芸術観を持った作家・作品を見いだし、紹介しています。芸術を通じて様々な価値観を提示・検証することにより、大阪から世界に向けて次世代の文化の発信地として機能していけるよう、様々な活動を行います[2]。
[1] 関根伸夫『風景の指輪』図書新聞、2006年、70‐71頁。
[2] YOD Gallery公式ウェブサイトから引用。
※本記事は、YOD Galleryの依頼により「関根伸夫展 空相‐皮膚」の公式解説のために制作された。