Pedro Costa photo at Tokyo Photographic Art Museum

漆黒の闇と空間を編むこと:闇と展示 ペドロ・コスタ「インナーヴィジョンズ」展

 展覧会場入り口で、目前のものが見えないほど暗いので気をつけるようにと注意を受けた。 映画上映開始に遅れて迷い込んだ時のように、眼前には闇が広がっている。映画鑑賞者には受け入れるべきさだめだが、美術館でこのように闇が完全に支配しているのは常ならぬことだ。より一層の黒さは美術館の壁面が黒色に覆われていることに鋭い観客は気づくだろう。

私たちの影は、ほとんどの映画よりもずっと黒い
“Our shadows are much blacker than in most films.” [1]

 

 映画を美術館に持ち込むことの意義は、闇に浮かび上がる人物と、そこにある音響を体験しながら、考察することであり、さらにペドロ・コスタの展示の場合は、この闇にこそ彼の表現の本質への鍵がある。

 展覧会全体が回廊になっている。最初に目にするのは狭い通路の両側に並べられた写真だ。
 19世紀から20世紀へ変わり、光学式写真技術が完成する時期に、社会に題材を求めたフォトジャーナリストの先駆けジェイコブ・リース(1849-1914)のものである。そして、彼はコスタが「英雄」として尊敬する人物でもある。写真は、東京都写真美術館のコレクションになっているもので、リースがニューヨークの移民たちのスラム街の暗い部屋に深く潜り込んで撮影したものだ。時代を超えて、コスタがリスボンのスラム街フォンタイーニャスで旧ポルトガル領植民地カーボ・ヴェルデからの移民たちと共に過ごしたあり方にも重なる。リースの写真と、コスタの映画からのカットが向かい合わせに並んでいる。

Pedro Costa "Innervisions" at Tokyo Photographic Art Museum

 ジェイコブ・リースによって撮影された写真は、当時のニューヨークの貧しい移民集住地区で撮影されたものだ。これらの写真は、コスタの2014年制作の「ホース・マネー」の冒頭で使われている。そしてその映画では、硬質な足音の残響が少しずつ意識され始めると、画家テオドール・ジェリコー(1791-1824)による肖像画作品「黒人の肖像」”Portrait d’un Noir”が現れ、そこからカメラがひくとその絵画は壁にかかっていて、さらにひきながら右にパンすると、闇に覆われた暗い階段を降っていく褐色肌の男——ヴェントゥーラこの映画の中心人物——の裸の背中が見え隠れしている。次のカットでは、その男が画面を覆う闇の中から正面を向いて現れてくる。
 この「ホース・マネー」についてのインタビューで、「私にとって映画の主要な機能は、何かがおかしいと感じさせることだ。」と言い、「不正や脆さを見失った映画は無意味だ」[2]とコスタは述べている。

 32歳の若さで夭折したジェリコーによる”Portrait d’un Noir”は、リスボンのアジュダ宮殿に収蔵されている。この宮殿は、1910年に消滅したポルトガル王国のものだが、王国は、ポルトガルによる植民地支配そのものである。
 映画ではこの一枚の絵画が登場するが、2018年にポルトガルのポルトにあるセラルヴェス美術館でコスタ自身が企画した展覧会「 Companhia」でもこの絵画が選ばれている。その展覧会は他には、映画からは、ロベール・ブレッソン、ジョン・フォード、フリッツ・ラング、アントニオ・レイス、マルガリーダ・コルデイロ、チャーリー・チャップリン、ジャック・ターナー、詩人ロベール・デスノス、美術ではパブロ・ピカソ、ドイツ表現主義のマックス・ベックマン、現代アーティストのジェフ・ウォールとともに、ジェリコーを選んでいる。後の2022年にポンピドーセンターでLe reste est ombre展をコスタと共に担う彫刻家ルイ・シャフェスや写真家パウロ・ノゾリーノとの共作や、シャンタル・アケルマン、ダニエル・ユイレ、ジャン=マリー・ストローブの映像作品も展示されている。展覧会名のCompanhiaは、ポルトガル語で「仲間」などを意味するものである(英訳ではCompany)。

 テオドール・ジェリコーの絵画の作品についてコスタの言及は、とくには見当たらないのだが、ポルトガルのアフリカ植民地支配を象徴していると同時に、憶測だが、ジェリコーの作品の中でも、暗い画面で海難を描いた代表作の「メデューズ号の筏」や、黒い背景に人物が描かれる精神障害者の肖像画連作は、闇を示す画面の黒みが強調されるコスタの映像感覚につながるように思う。
 コスタの映像は、レンブラント絵画を思い起こさせるとも言われた、1997年の「骨」Ossos以降に見られるコスタの闇=黒の扱いは、西洋絵画に見られるキアロスクーロ(Chiaroscuro、明暗法)あるいはさらに高められたテネブリズム(Tenebrism)の様である。これは光と闇の強烈なコントラストを用いた絵画のスタイルで、語源はイタリア語のテネブローソ tenebroso (闇) で暗闇から人物が浮かび上がったような画面を、多くの人に想起させる。
 だがコスタは「しかし、私はそれを”キアロスクーロ”とは決して呼ばない。複雑さを避けるための手法に過ぎない…撮影対象の素材の造形感を損なわずに効果を追求する試みとして、常に始めているものだ。」[3]と言う。恐らく、彼は撮影を絵画技法の文脈で語られるのを拒んでいるのではないだろうか。

 このような様々な方向から語られうる映画「ホース・マネー」のオープニングシーンは、東京都写真美術館で開催されている「インナーヴィジョンズ」展の展示場の開口部に援用されている。
 コスタの表現の「間テクスト性」は映画のシリーズ全体に出てくる宛先のない「手紙」の存在にも象徴的によく現れている。リスボン大学で歴史を学んだ彼には、様々な文化的背景を結びつけることは自然なことのように思われる。

 コスタの主な展覧会には、彼の映画に使われたシーンや編集に使われなかった素材映像と音が織り込まれている。時間表現として連続している映画を鑑賞するのとは異なり、展覧会では、観客たちは、断片となった、それらの素材をつなげながら展示空間内を進まなければならない。また、単に映画が断片的に展示されているのではなく、展示作品として一つずつ完成されている。「インナーヴィジョンズ」展は、9作品が展示され、映像、サウンド、そしてスクラップブックとなった、写真、メモ、文字、切り抜きで構成されている。例えばサウンドという点からすると、「火の娘たち」(2022年制作)は、「三連祭壇画」のように三つの映像画面に別れていて、それぞれ別々に歌うが、時には調和し、時には対話するように制作されている。(ちなみに同じタイトルで二つのスクリーンを使ったインスタレーション作品は、2013年にリスボンのサン・ロッケ教会で展示している。)

 これらの展示は、通常の美術館展には見られない空間で構成されている。

Pedro Costa "Innervisions" at Tokyo Photographic Art Museum

 観客は、まずこの空間的モンタージュを意識して受け入れることになる。

 ・・・観客が監督であり、編集者であると思います。展覧会で展示されているものを見て、どのようにモンタージュしていくかは観客に委ねられているのです。[4]

言うまでもなく、モンタージュ(montage)とはフランス語で「組み立て」「編集」を意味し、映画のモンタージュ理論とは、「クレショフ効果」のレフ・クレショフや、理論的にセルゲイ・エイゼンシュテインによって大成された。

 人は、同一刺激を受けて知覚・感情が変化し文脈を見出すものであり、心理的に作用することが、映画を成立させる原理だ。異なるイメージを編集で連続させることによって、喜怒哀楽など様々な心理を醸成していく。
 展覧会では、この連続は観客の移動の配分に委ねられる。

Pedro Costa "Innervisions" at Tokyo Photographic Art Museum

 

展覧会の観客は、映画館の観客ほど集中していないと今でも私は考えています。良い映画は観客に集中力を求めます。観客は映画と向き合い、ある程度の労力を払う必要があります。私は展覧会の観客にも同じことを求めたいと思います。[4]

 ペドロ・コスタの美術館での最初の展示はロッテルダムのウィッテ・デ・ヴィット現代美術センター(当時)で、2003年に館長のキャサリン・ダヴィッドが企画した”[based upon] TRUE STORIES”展に始まる。この展覧会は、豊かな映像芸術形態の一つであるドキュメンタリー映画に焦点を当てるという趣旨で催されたものだ。ロッテルダム国際映画祭(IFFR)の特別プログラムの一環であり、長編映画、短編映画、インスタレーション、写真、デジタルメディアなど、映画作家と視覚芸術家による作品を包括するイベントだった。そしてコスタが参加を促されるのも理解できる。

 『近代的「メタナラティブ」の虚構が暴かれた後、万人の代弁は不可能となり、今や私たちにできるのは個人的な証言を提示することだけだ。これは映画作家やアーティストにも当てはまる:あらゆるドキュメンタリーは個人的な証言である。しかし重要なのは、その立場——制作者がどのような思想を持ち、それをいかに可視化・表現するか——である。この点において、ドキュメンタリーは政治的声明と見なすことができる』[5]というものだ。
 ダヴィッドは、ポンピドーセンターの学芸員を経て、初の非ドイツ語話者として1997年のドクメンタXを担ったアーティスティック・ディレクターである。

 コスタは、彼女から出品招待を受けた時には当惑し、はじめはそれほど乗り気でなかったが、尊敬するキュレーターからの要請であったので受け入れたという。 その際に、撮影した映画の素材を展示すればいいと言われたことから美術館での展示が始まった。2000年にNo Quarto da Vanda(「ヴァンダの部屋」)が公開されたところである。

 「ヴァンダの部屋」は、コスタにとって映画制作の上で転換点であったのはよく知られている。
 移民が集まるフォンタイーニャス地区に数年間、暮らすように通い、その時に携えたパナソニック社製のMiniDVビデオカメラでほとんど一人、まれに数人のクルーで撮影している。これは地域で暮らす人々との密接な関係をもたらし、長回しの撮影におさめられた彼らが語る言葉がストーリーを進行させていった。
 その前作となるOssos(「骨」)も、フォンタイーニャス地区で撮影された。大量の大型機材とスタッフを、狭い路地と小さな家屋が密集したこの地域に持ち込み、大半の撮影が夜間だったことでも住民との軋轢を生じさせた。「ヴァンダの部屋」では、技術的にも、それまでの大所帯にまで膨らんでいた35ミリフィルムカメラのプロダクション形式が一掃されて制作費が大幅に削減されただけでなく、撮影方法、撮影画像の質的な変化をもたらした。またOssosでは、数人の職業俳優以外は、地区に住む人々からなる非職業俳優であった。後者にはフォンタイーニャス地区の住人で「ヴァンダの部屋」の中心人物となるヴァンダ・ドワーティもいる。Ossosは、フォンタイーニャス地区だけに限られ、非職業俳優だけからなる「ヴァンダの部屋」への過渡的なものである。

 暗い部屋のベッドの上に座り込んだ二人の女性が麻薬を吸引し、一人の女性の激しい咳き込みが部屋中に響いている。この異様なシーンから始まる映画は、前作と同じフォンタイーニャス地区の家屋の室内で撮影されているが、前作がフィクションであったものが、ここではドキュエンタリーの様に眼前で起こっていることを撮影している。しかし、だからといってドキュメンタリーでもない。
 「画質からしてドキュメンタリーになると思っていた。映像と音質の基準が非常に低いため、おそらくテレビ向けの作品だろうと。残念だが、それでも続けるのは興味深いとも思っていた。すると突然、これはそれ以上のものだと気づいた。ドキュメンタリーの真実と虚構やフィクションという概念、あるいはそれらの差異といった考え方はすべて消滅した。」[6]と言っている。
 「ドキュメンタリー」でも「フィクション」でもなく、現実と共に作る映画である。コスタは、数多あるインタビューのなかで繰り返し述べているのは、そこに住む人たちとの対話から脚本が生まれる、現実とフィクションを区別しないということである。

 技術で考えれば、「ヴァンダの部屋」は20世紀最後の時期のもので、高画質ビデオ映像がごく当たり前に撮影できる現在と比較すると、その家庭用ビデオカメラの画質はかなり劣るもので、さらにその撮影は、ほとんどが自然光とわずかな照明が用いられただけで、デジタルカメラ画像の解像度の低さがつきまとった。しかし「少し馬鹿げた言い方になるが、あのカメラ(パナソニック DVX-100)と寝室にいる娘で、可能な限り最高の映画を作りたかった。それが私の望みだった。頭にあったのはそれだけだ。すべてはヴァンダから始まった。そして長い撮影の過程で、私は徐々にヴァンダの寝室を中心に何かを構築しなければならないと気づいた。想像し、虚構化し、構築し始めたのだ。誰もがそうするように」[6]とコスタは語っている。

 これは、その後の作品にも連綿と繋がっている。但しカメラの性能は上がり、デジタルシネマカメラArri Alexaを使用した「Vitalina Varela」の画面の闇=黒の質は向上している。

 一方で、以前のデジタルカメラが黒の階調を捉えられなかったことは2013年のインタビューでは、「私を苛立たせるもの:デジタルの偽りの静止さ。DCPにおける物事の奥行きと距離感は、非常に偽物だ」[8]と言い、徐々に標準化しつつあり、2020年代後半には映画館上映の世界標準となり、35ミリフィルムの代替となるDCP(Digital Cinema Package)にも不満をもらしていた。

 この文脈で興味深い映画「Vitalina Varela」(2019年)発表後の2020年のインタビューでは、撮影技術や演出についての話が盛り上がっているのだが、ここではこの様に語っている。
 「ミニDVテープに記録していたから、十分手頃な価格だった。ところがどうだろう。わずか数年で彼らは我々の生活をはるかに困難にし、この可能性をほぼ奪い去った。4Kや8Kなどにおける『情報量』の膨大さゆえ、いわゆる記憶媒体を全て購入し保管するには億万長者でなければならない。デジタルの民主化なんて話はとっくに忘れ去られたよ。」[1]
 しかし、この同じインタビューでは、「ヴァンダの部屋」を完成させてから1年ほど経った時に、ウォーホルの「ビューティー・ナンバー2」(1965年)を見た時の気づきを語っている。それはエディ・セジウィックと男がベッドにいる1時間の短編映画だが、ウォーホルは1時間で、自分が1年かけて成し遂げたことを達成していたことに気づいたと言っている。つまりウォーホルにとって、撮影の準備と撮影の間に区別はなく、一連の流れだったと。そして自分たちの撮影の見直しにつながる。

 ペドロ・コスタの映画の縁辺に見られる黒い部分はいつも空間に溶け出している。コスタにとって、これだけの闇が必要なのは、彼が撮影した場所と闇と光との関係を見極める必要があるからだ。
 それは移民たちが暮らす電気供給もないスラムでも、それらからかけ離れた美術館のような場所でも同様に闇が覆っている。

 映画「コロッサル・ユース」には、映画の中心人物であるヴェントゥーラが登場するグルベンキアン美術館での撮影シーンがある。この世界有数の収蔵品を誇る美術館でのシーンは、その前のスラムの部屋のシーンから、かけ離れて唐突に挿入されている。
 暗い空間の中央にピーテル・パウル・ルーベンスの「エジプトへの逃避」(Flight into Egypt)がある。右上方向から一灯の照明がスポット的に斜めにあてられたように絵の四隅は闇の中にあり、カットは長めに続いている。そして次のカットでは、暗い部屋にはヴァン・ダイクの「男の肖像」(Portrait of a Man)、ルーベンス の「エレーヌ・フールマンの肖像画」(Helena Fourment)があり、このルーベンスの二番目の夫人の肖像画の前にヴェントゥーラが立っている。やがてそこに黒人の守衛がやってくる。

 フランスの哲学者ジャック・ランシエールは、2009年にロンドンのテート・モダンで開催されたペドロ・コスタ回顧展のための小冊子で、「ペドロ・コスタの政治学」‘Politique de Pedro Costa’[10]を著し、コスタの政治への対し方について述べている。そこでランシェールは、この美術館でのシーンに、「このエピソードの政治的意図は、芸術の愉悦がプロレタリアートのためのものではないこと、さらに言えば、美術館がそれを建設する労働者たちには閉ざされていることを我々に思い起こさせることにある」[10]と述べている。

 それは審美主義やポピュリズムのような単純なジレンマではなく、「ペドロ・コスタの手法は、まさにこの対立の体系とトポグラフィを打破する。代わりに、交換と照応と移動という、より複雑な詩学を優先する」[10]のだという。

 美術館から守衛に導かれて外にでるシーンの後に、ヴェントゥーラがポルトガルに1972年にやってきて、彼はこの美術館の建設工事で働いていたことがあると話し、相手の男はここの守衛の仕事は、貧困に溢れた故郷の市場の守衛とは異なっていると話す。

 ランシェールの饒舌な解釈は、それだけを読み進めると深読みすぎるように思えるかもしれない。
 だが、今回の展覧会のためのインタビューでもコスタが以下のように語っているのを知ると、コスタの映画制作の思想に根付くものが見て取れる。

Pedro Costa photo at Tokyo Photographic Art Museum

「火の娘たち」(2019年)5チャンネル・ヴィデオ

それは、貧しい人々、社会の片隅に追いやられた人々へのオマージュのようなものです。・・・彼らは美術界の領域には属さない周縁に置かれた人々です。ただ映画や舞台や写真の世界には彼らは存在しています。私は、そうした人間性というものを非常に大切にする芸術家たちー写真家、画家、映画作家が昔からずっと好きなのです。[4]

 ヴェントゥーラが美術館の闇に入る前のシーンでは、彼は、宛もない手紙に書かれていた文言を繰り返している。これは、ランシェールが言う、ペドロ・コスタの「交換と照応と移動という、より複雑な詩学」[10]による言語表現とも言える。この手紙は、1994年制作の「溶岩の家」で事故で意識不明になっていた移民労働者が故郷の妻のために綴った手紙の言葉で、2006年の「コロッサル・ユース」ではヴェントゥーラが読み上げている。
 この手紙の言葉は、映画のために作られたものであるが、その内容は、コスタが実際の移民たちの手紙から収集したものと、シュルレアリスト詩人ロベール・デスノスの手紙を改変し、あわせて編纂したものだ。

 デスノスは、レジスタンスに加わり、ゲシュタポに逮捕され、収容所に送られ、解放直後に収容所で世を去ったのだが、彼は届くあてもないにも関わらず妻のユキに手紙を書き続けていた。(よく知られたことだが、ユキは藤田嗣治の妻であったフランス人女性で、再婚したデスノスと共にレジスタンスに参加した。)

Pedro Costa "Innervisions" at Tokyo Photographic Art Museum

ペドロ・コスタについて語るべきことは尽きないが、今回の展覧会タイトルである「インナーヴィジョンズ」(Innervisions)は、彼の映画制作の歴史を知るもの、あるいは熱狂的な彼の映画支持者にとっては意外なものかもしれない。なぜなら彼が過去の様々なインタビューでこのタイトルの映画を構想していると語っているからだ。

 10代の若者だったコスタは、アントニオ・サラザールの独裁体制体制を倒した1974年の「カーネーション革命」に参加し、その後の反動や混乱の時期にも自由を感じて過ごした。他方で、彼の映画に何度も登場しているヴェントゥーラは対象的に、この革命の時期を異なる位相で通過している。コスタにとっては、影響を与えた社会変動であったが、移民であるヴェントゥーラにとっては、革命の夜に軍に襲われてトラウマになる体験をした。自由が拡大する時期にも、アフリカから来た黒人の移民たちは恐怖を体験していた。このことは映画「ホースマネー」に特徴的に現れているが、ずっとこの差異は、その他の映画の背景にも流れている

 タイトルそのものは、「革命」の動乱の前年にリリースされ、多感な彼を含む多くの人々にインスピレーションを与えたスティービー・ワンダーの名作アルバムのタイトルに由来している。
 コスタは、英国のガーディアン紙の2015年のインタビューで次のように語っている。「かつて友人たちと賭けをしたんだ。小説を映画化するよりレコードを映画化すべきだとね。『インナーヴィジョンズ』の夢は今も消えていない。」

 しかし映画化される前に、美術館での展覧会のタイトルになった理由は、あらためてペドロ・コスタに尋ねるしかない。
 ただ指摘しておきたいのは、今回の東京都写真美術館でのペドロ・コスタ個展空間は、彼がこれまでに関わってきた展示と比べても、おそらくもっとも深く暗い闇に覆われていることだ。

 

総合開館30周年記念 ペドロ・コスタ インナーヴィジョンズ
開催期間:2025年8月28日(木)~12月7日(日)東京都写真美術館

  1. Cinema Must Be a Ritual: Pedro Costa Discusses “Vitalina Varela”
    https://mubi.com/en/notebook/posts/cinema-must-be-a-ritual-pedro-costa-discusses-vitalina-varela
  2. Horse Money: An Interview with Pedro Costa by Aaron Cutler
    https://www.cineaste.com/summer2015/horse-money-pedro-costa-aaron-cutler
  3. In the shadows of catacombs Conversation with Pedro Costa, 2015
    https://derives.tv/in-the-shadows-of-catacombs/
  4. ”ペドロ・コスタ インナーヴィジョンズ” カタログ 東京都写真美術館 2025
  5. based upon TRUE STORIES Thursday 23 January – Sunday 30 March 2003
    https://www.fkawdw.nl/en/our_program/exhibitions/based_upon_true_stories
  6. Interview with Pedro Costa Ruben Desiere, 2014
    https://sabzian.be/text/interview-with-pedro-costa
  7. Some Violence Is Required: A Conversation With Pedro Costa, David Jenkins 11 Mar 2013
    https://mubi.com/en/notebook/posts/some-violence-is-required-a-conversation-with-pedro-costa
  8. The Politics of Pedro Costa By Jacques Rancière
    https://www.diagonalthoughts.com/?p=1546

 

著者: (OKI Keisuke)

アーティスト/クリエイティブ・コーダー/ライター、多摩美術大学卒業(1978)李禹煥ゼミ。カーネギーメロン大学SfCI研究員(97-99)。ポスト・ミニマル作品を発表する一方、ビデオギャラリーSCANの活動に関わり公募審査などを担当。今日の作家展、第一回横浜トリエンナーレ、Transmedialeなどに出展。第16回「美術手帖」芸術評論佳作入選、Leonardo Vol. 28, No. 4 (MIT Press)、インターコミュニケーション(NTT出版)などに執筆、訳書に「ジェネラティブ・アート Processingによる実践ガイド」