心の距離を自在に操る森のような建築・形の発明から社会のデザインへ「藤本壮介の建築:原初・未来・森」森美術館 三木学評

1章「思考の森」 展示風景 建築模型群

「藤本壮介の建築:原初・未来・森」
会期:2025年7月2日から11月9日
会場:森美術館 

建築家・藤本壮介の展覧会「藤本壮介の建築:原初・未来・森」が、2025年7月2日から11月9日まで森美術館で開催されている。藤本のこれまでの活動を網羅的に紹介する内容で、現在開催されている大阪・関西万博の会期に合わせたものだ。

藤本壮介が、大阪・関西万博の会場デザインのプロデューサーに就任したというニュースを聞いたとき、意外な人選だなと驚いたことを覚えている。藤本は、東京大学工学部の建築学科出身であるが、大学院にも進まず、卒業してすぐに個人事務所を開いている。つまり、誰の派閥でもない。それは1970年の大阪万博の会場基本計画や基幹施設のプロデューサーを担当した丹下健三とは対照的だからである。大阪万博の基幹施設は、丹下健三の設計事務所や磯崎新をはじめとする東大の丹下研究室の出身者で埋められていたからである。ただし、会場基本計画は、京都大学の西山夘三と共同で行った経緯もあり、西山研究室出身の上田篤のような建築家も含まれている。

建築学科は多くの場合、理系の工学部の中にあり、研究室単位で課題を行う。必然的に先生と学生には濃密な師弟関係が生まれる。また、アトリエ系といわれる建築家の事務所に入所すると、より徒弟的な関係が生まれるし、そのような徒弟の中から独立し、新たな建築家が生まれる。だからある程度、作風の系譜が辿れるし、学閥・派閥的な協力関係もあるだろう。その点、藤本は独立独歩であるため、万博のような巨大なプロジェクトをチームでつくり上げることができるのか気になったのだ。

藤本は、なるべく関心のある建築家の影響受けないように、早々に自身の建築事務所を立ち上げ、建築を一から考えてきた。藤本が使用する形は、きわめてシンプルでありながら、それらを組みあわせることで、発明的な空間が出来上がる。壁・床・天井・柱といった建築にとって当たり前の要素を再発見・再定義し、誰もが見たことのない間(あわい)の空間を生み出してきた。同時に、その間(あわい)の空間が、人間にとって心地よさを生み出す点が藤本の建築の魅力だろう。形態学的な操作は、あくまで身体を基準に、心理的・生理的な心地よさを生み出すために行われているのである。

これは関係の設計ともいえるものだ。建築空間は個人で使うのではない限り、プライベートな空間と複数で使用するコミュニケーションの空間の重なり合いでできている。藤本はインタビューにおいて内と外という言い方をしていたが、藤本の場合、内側と外側を複雑に交錯させる建築を設計している。外の中の内、内の中の外が入り混じることで、人間関係の距離を、それぞれが適度に保てる建築をつくっているのだ。

藤本の発明的要素は、この心理的距離を理解していることが大きいのではないかと考えている。藤本の父は精神科医で、その作業療法棟や病棟などをつくるころからキャリアをスタートしていることも無関係ではないかもしれない。初期の代表作《児童心理治療施設》(2005)では、四角形の病棟が平行ではなく、様々な角度で配置され、その角度によって見える部分と見えない部分が生まれることで、人との距離を適度に測れる。つまり、形の再発見と心理距離の再発見は同時に行われているのだ。

もう一つのユニークな視点は、自然と都市と関係の独自の考察である。大学時代に東京に出てきたとき、生まれ育った北海道の雑木林や森に生える植生の複雑なパターンと、東京の建築の自然発生的な建築のパターンが似ていると直観したという。本来、自然は有機的な形状、建築は人工的で幾何学的な形状といったステレオタイプの分類がされる。それを藤本は、東京の入り組んだ街にも自然の植生に似たよう生成がされていると見たわけである。

景観として見れば、たしかに直線的に道路があり、歩道が整備され、看板もなく、電線もないような状態が美しいといえるが、曲がりくねった道、看板、電線、整っていない建築の形や高さに、ある種の森の中にいるような、自然の摂理を感じとったのだ。人間も生物なのだから、都市も大きな巣と考えれば、都市の規制ではなく、集合的な知恵の中で、ある種の居心地のよさを生み出してもおかしくはない。

戦後は特にラドバーン方式と言われる、歩車分離方式がとられ、安全で美しい新しい都市計画が行われたりしてきたが、なぜかあまり心地よい空間とは感じない。それが人間の生理的な心地よさとは異なるからだろう。そような、トップダウン的な都市計画ではく、市民が自然発生的につくりあげた快適な空間を発見したのが、「パターン・ランゲージ」を提唱したクリストファー・アレグザンダーであろう。藤本は、そのような自身の体験をベースに、身体感覚を基準としながら、形と居心地の良い空間を設計してきた。そこで生まれた建築は、実にユニークな形をしている。そして、形の操作は、内と外を交錯させるだけではなく、人工と自然にも及ぶ。建築の中に自然を、自然の中に建築を複雑に入り込ませている。

会場デザイン構想スケッチ

大阪・関西万博の会場デザインプロデューサーの依頼が来たとき、非常に悩んだという。コロナ禍であったため、世界中の人々が一つの場所に集まることの意味、21世紀の万博をする意味を再度見つめなおす必要があったからだ。万博を誘致するときの案は、ボロノイ図を利用した幾何学的で、分散的な配置であったが、藤本は幾つものスタディを実施し、分散的な要素を包み込む大きな円にいきついた。会場の展示されている無数のスケッチを見ると、藤本の思考プロセスがよくわかる。《大屋根リング》の円形に対して、中央の「静けさの森」を置き、パビリオンは幾何学的に配置せずに、有機的な配置を行っている。これも居心地のよさによる設計といえるだろう。

《大屋根リング》の形は、1970年の大阪万博で丹下健三が設計した高さ30メートルの巨大な《大屋根》と、岡本太郎のテーマ館展示のために後で設計に加えられたという、巨大な円形の穴からとったという。「生命」をテーマにした「生命の樹」を内包する《太陽の塔》を継承し、円を拡張する形で全面展開し、それを縁取るようなリング型の大屋根を設計したわけである。今回は、《太陽の塔》のようなシンボリックなモニュメントやアート作品はないが、それぞれが輝けるようにしているという思想である。

従来、藤本はフラジャイルな(弱い)形の集まりで建築をつくることが多いが、円形という形の中でもかなり強い要素を選択した理由は、コロナ禍で来場できない人々や世界でメディアを通して見る人達のことを含めて、断が進む世界を抱擁する形を視覚的にも示したかったということもあるという。

《2025年大阪・関西万博 大屋根リング》 1/5模型

もう一つは世界中で進む木造建築の回帰へのアピールである。近代以降、鉄筋コンクリート造の建築が世界中で増えたが、それら建築したり解体したりする中で相当な産業廃棄物を出してしまう。それは特に日本では、関東大震災や第二次世界大戦下での空襲を受けた耐震対策や不燃化対策にとって重要であったが、今日では技術革新によって耐震性・耐火性の強い木造建築も誕生している。そのような世界的なトレンドの中で、日本は木造建築の伝統を持ちながら、出遅れているというのが藤本の認識であった。《大屋根リング》は、日本の建築業界にそのフラッグシップとしての役割も果たそうというわけである。

強い形と言ったが、建築物としては、伝統的な工法を活かして、積み上げられた木材によって結果的に強くなるという構造になっている。1本1本が決して強いわけではなく、むしろ弱いといってもよいと思うが、つなげ方によって強くなる。それもまた藤本の意図するところだろう。そして全長2キロという巨大な木造建築にも関わらず、柱の間が近いためにヒューマンスケールで非常に親和性の高い印象受ける。高速道路の下にいる感覚と比べれば一目瞭然であろう。

そして、「大屋根リング」は、その象徴性だけではなく、多機能性において極めて優れている。例えば以下のようなことである。

・万博会場の領域を視覚的に示すこと

・万博会場を回るための通路・動線

・万博会場の内側を見るための展望台であり、外の風景を見るための展望台(内においてはジオラマであり外においてはパノラマ)

・雨除けと日除け

・休憩所

・植栽を施した屋上庭園

などである。

単体でここまでの多機能性を有している建築はほとんどないだろう。藤本の洞察がいかに優れているかわかる。今回の万博においてもっとも懸念されたのは、異常な暑さだった。地球温暖化が加速しており、昨年よりも暑くなることは予想されたが、梅雨が短く平均2度も超える暑さの中で、《大屋根リング》の下に行けば、とりあえず涼めるという、避難所の役割を果たしていた。何よりこれほど多くの来場者がまさに個人個人、思い思いに感情移入した建築は、近代においてほとんどない。それこそあえて比較するとしたら、《太陽の塔》や東京駅といったものになるのではないか。

もちろんもっと言えば、冷房の効く空間をもっと明示的に会場の中に置いておくべきだったと思うし、会場内部にも日除け・雨除けの空間や動線をもっと用意しておくべきだったと思うが、《大屋根リング》があまりに多くの問題を解決していることで救われた部分は多きい。逆に《大屋根リング》がなかったら、フラットな会場の領域は曖昧になったし、会場全体を眺めることも難しく、かなりの日除け・雨除けの空間が必要となっていただろう。

しかし、このようなことが言えるのは、あくまで結果論である。約350億円かかったと言われる《大屋根リング》は、開幕前からメディアやSNSを通じて、多くの批判があったし、万博自体が多くの逆風の中で進められていた。コロナ禍で世界中から人が集まることの懸念、ロシアのウクライナ侵攻以降の資材の高騰、オリンピックの談合事件を受けた、組織体制の問題、夢洲のアクセスの脆弱さ、万博後の夢洲の使用方法などなど、これほど事前の課題が取り上げられたイベントも少ないだろう。そして、その問題のすべてが解決したわけではない。

藤本ら建築家やデザイナー、アーティストが負える責任は限られたものでしかない、そいかし、今日においては、名前が出ており、SNSで誰もが対話できる状態になっているため、SNSでの個人批判もすさまじいものであったが、そのやりとりを引き受けてきた。

東京オリンピックの競技場やロゴの際に浮き彫りになったように、建築家やデザイナーは、クライアントが行政や企業、あるいは特定個人が多いため、使用者や消費者、市民と行った人々と直接対話する機会は少ない。今日では「コミュニティ・デザイン」のような形で、市民との対話を重視して、「まちづくり」を進めたり、公共建築を建てたりするプロセスもあるが、それでも多くはない。

大阪・関西万博デザインシステムを担当した引地耕太氏が、今回は初めての「SNS万博」であったと指摘しているように、これほど公開の場で建築家やデザイナーが市民と対話したのは初めてのことかもしれない。攻撃的な言葉も飛び交うSNSで、それを甘んじて受けて、好転させてきただけではなく、手作りの地図やアプリといった多くの市民クリエイターの創造性を喚起したことも大きなレガシーになるのではないか。

いずれにせよ、藤本がそれらの多くのリスクをすべて引き受ける覚悟で、会場プロデューサーに就任したことで、藤本自身のステージも大きく変わったように思える。それを判断できたのも、藤本が学閥・派閥に所属せず、個人として責任をとってきたからともいえる。

私が展覧会を観覧していたとき、藤本自身のガイドツアーに遭遇し、多くの来場者が藤本を取り囲んで熱心に話を聞いていた。その風格は20年前に話した時の様子とはまったく違ったもので、多くの責任を負ってそれを実行した「国民的建築家」の風格をまとっていた。

8章「未来の森 原初の森ー共鳴都市 2025」展示風景 解説をする藤本壮介

そして、最後の章「未来の森 原初の森-共鳴都市2025」として、大阪・関西万博で初めて出会ったという、データサイエンティストの宮田裕章とコラボレーションし、新しい都市の在り方を提案している。これはかつて、東京湾を横断するような都市軸をつくり、はしご状の建造物を提案した、丹下健三の「東京計画1960」のオマージュでもある。それは、穴の開いた球体状の構造物が組み合わさり、多くのユニットをつなぎながら、多機能的な空間や動線を兼ねた有機的な「未来都市」のイメージである。これは道と建築、自然が分離された状態を再発明して、都市を形成するものであるといえる。たしかに、ドローンやパーソナルモビリティが進化したらこれに近い形もありうるかもしれない。

それはまた有機物や「新陳代謝」をテーマにしたメタボリズムの今日的な展開といえるだろう。実際、菊竹清訓の設計した《エキスポタワー》は、3本の柱に54面の多面的キャビンを取り付けたもので、同じ形でありながら、展望室・展示室・貴賓室・機械室・指令室といった複数の機能を持っていた。余談ではあるが2001年頃、解体直前の《エキスポタワー》に調査で昇ったときには、キャビンの一部の床は自然に覆われていて、高さ100メートルのところまで種が届いていることに驚いたことがある。また、非常に浮遊感のある建築で、藤本らが構想しているように、もし現在、《エキスポタワー》がまだあったとしたら、パーソナル・ドローンのようなもので、展望台まで上がることはできただろう。

いずれにせよ、藤本が大阪・関西万博を経て、国民的建築家になり、一つの建築だけではなく、都市のスケールで様々な提案をするようになったことは、日本にとってもよい影響があるだろう。東日本大震災後の多くのプロジェクトに、藤本を含む建築家も多数参加しているが、丹下健三の時代と違って、都市計画家と建築家の役割ははっきり分かれているため、建築家が壮大な規模の提案をすることは少なくなっていた。この展覧会が、そのステージに踏み出す機会になったということもあるだろうが、多くの識者とのコラボレーションによる新たな展開を期待したい。

会場に掲げられている「ばらばらであり ひとつであり」といった言葉は、藤本の設計思想でもあり、これからの個人や社会の提言にもなっている。人間は社会的動物ではあるが、会社や地域、家族という共同体に属していても、最終的には一人に還元される。しかし、個人の多様性を容認するあまり、社会全体の秩序が崩壊することもあってはならない。逆に社会の秩序を維持するために個人を完全に従属させてはならない。このジレンマを共存させるために何ができるのか。それは結局のところ適度な心理距離をいかにつくるか、ということになるだろう。藤本の形もそのためにある。

人が個人であるために、そして、社会の一員として秩序を保つために、いかに最適な距離を保つことができるか。現在の世界の対立や混乱も還元すればここに課題がある。藤本の視野は、大阪・関西万博を経て、自然と人間の持続可能性を含む、社会全体のデザインまで見据えるようになったといえだろう。

著者: (MIKI Manabu)

文筆家、編集者、色彩研究、美術評論、ソフトウェアプランナー他。
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行っている。
共編著に『大大阪モダン建築』(2007)『フランスの色景』(2014)、『新・大阪モダン建築』(2019、すべて青幻舎)、『キュラトリアル・ターン』(昭和堂、2020)など。展示・キュレーションに「アーティストの虹-色景」『あいちトリエンナーレ2016』(愛知県美術館、2016)、「ニュー・ファンタスマゴリア」(京都芸術センター、2017)など。ソフトウェア企画に、『Feelimage Analyzer』(ビバコンピュータ株式会社、マイクロソフト・イノベーションアワード2008、IPAソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー2009受賞)、『PhotoMusic』(クラウド・テン株式会社)、『mupic』(株式会社ディーバ)など。

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https://docs.google.com/spreadsheets/d/1FaByUa6V7uskVGH5-0hZTdOiuLWxVr4f/edit?gid=291136154#gid=291136154

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