群馬県前橋市内の歴史を体現したような建造物や空き店舗など6会場で開催された「River to River 川のほとりのアートフェス」(通称:リバリバ)を鑑賞してきました。2021年に初開催され、今年で4回目。広瀬川と馬場川という水量も豊かな2つの流れも会場に据えたかのような展示を満喫してきました。

尾花賢一は光と影の使い方が巧みだ
1913年に建築された生糸担保倉庫である旧安田銀行担保倉庫2階を会場に、圧巻の作品群を展開したのが美術作家・尾花賢一(1981年生まれ)です。尾花はとにかく作品の見せ方が上手です。薄暗い倉庫内に紙に描いた川の流れを効果的に配置し、暴れ川の記憶を絵に語らせます。

会場内を「紙の川」が流れる
さらに、北関東名物ともいえる、暴走族の面々への取材を通じて浮き彫りにされる、彼らの真情や友情や日頃の時間の過ごし方までが絵によって語られます。「暴れる川」と「暴れる若者」とのダブルイメージが展開していくわけですが、川は治水工事等によって制圧され、若者は年齢を重ねるにつれて、「大事なもの」「守らなければならない存在」が増えてくることによって、徐々に大人しくなっていくわけです。

北関東の暴走族にまつわる風景が展示される
ヤンチャすぎるほど暴れまわっていた川と若者は本当に落ち着いてしまったのか? 尾花はその答えを特に分かりやすい形では示していません。ただ、何かきっかけさえあれば、川は今でも氾濫し、元・若者と現・若者だって蜂起を起こす可能性はあります。潜在的な暴力への可能性は決して眠ってはいないように思えました。

会場の中と外が、過去と現在とがつながっている感覚を覚えさせられる尾花作品
尾花の展示がいつも巧みなのは、会場内の作品が会場の外の街並みと巧みに接続しているように思わせる点です。今展でも作品で流れる川が、前橋の広瀬川、馬場川、さらに視野を広げて利根川、渡良瀬川といった県内の大きな川と結びついているような感覚を覚えました。会場内の作品が会場内だけにとどまらず、会場外の大きな自然・歴史と結びついているということを示唆させる手際が非常に鮮やかなのです。
アーツ前橋「ゴースト 見えないものが見えるとき」展でも尾花作品が出品されていましたが、やはり、想像力を介した会場外とのつながりの濃さは健在でした。まぁ、簡単に一口でまとめると「スケールの大きい」作品ですよね。ただ、このスケールの大きさは、繊細な感性によって組み立てられた細部の集積によって構築されていると指摘しておきましょう。光と影の使い方、漫画のような構成の絵の見せ方などなど尾花作品の見どころは細部にも存在します。極大へと向かう大きなスケールと極小へと向かう細部へのこだわり、その両方を兼ね備えている点が尾花の美点でしょう。
尾花が圧巻の出来栄えを示したリバリバですが、ほかにも素晴らしい展示はありました。中央通りにあるMaebashi Worksを会場にした「加藤アキラ追悼」展(キュレーター:吉田成志)です。加藤アキラ(1937~2024年)は群馬県高崎市生まれ。1960年代、前橋を拠点に活動を続けた前衛美術家集団「群馬NOMOグループ」の作家として活躍しました。加藤は一貫して、身の回りの廃品や自然素材を寄せ集めて、わずかな細工を施す表現方法で、視覚的に鮮やかな作品を作り続けました。

加藤アキラ「Natural space extention」(1966-68年)
筆者は、大体、年に4~5回は「高崎→前橋→桐生→足利→宇都宮」(太田市、栃木市、佐野市なども含む)というルートの美術鑑賞旅行をするのですが、加藤さんの作品をその美術旅行の合間に何回か拝見したことがあります。どの作品も、シンプルな作りながら、見る者の感性を揺り動かしてくる力が強く、いつも感心していました。本来は、“全国区”の偉大な作家だと確信しておりますが、現状は、北関東限定の地方作家という位置づけにとどまっている点にやきもきしています。
まぁ、「全国区」「メジャー」と呼ばれれば成功で、「地方作家にとどまった」と評価されるのが失敗、というわけでもありません。作品と向き合えば、誰だって加藤の凄さは感じ取れるわけですから、全国区と見なされていないことをそこまで残念がることもないのかもしれません。加藤に限らず、素晴らしい活動をしていたのに、全国的な知名度はそこまでない作家さんはどこの県にもたくさん存在します。地方の美術館の最大の存在意義は、そのような作家さんの顕彰及び作品の収集だと思います。
実際は、観客動員を優先させた、アニメや漫画や絵本の原画展のような全国どこも同じ金太郎あめ的な展示ばかりでうんざりします。確かに人気キャラクターを前面に押し出した展示は、一定程度の観客動員と物販の収益が見込めます。とはいえ、地方各県の歴史や風土や伝統と何の関係もないキャラクターの展示ばかりを催行している現状を見ると、あまりの志の低さにがっかりします。
地方美術館の運営管理者の皆さん、そして文化行政に携わる方々、目先の観客動員と収益以上に大切なものは、地元で立派な活躍を続けていた作家さんの顕彰だと筆者は確信しています。キャラクターが悪いとは言いませんが、もう少し、地味でも意義のある展示を一つでも多く催行してほしいと思います。
リバリバを鑑賞するために歩いていると、元タバコ屋さんに遭遇しました。このファサードのゴテゴテ感、何かに似ているなと思い、しばし熟考タイムに入りました。30秒ほどで思いつきました。これって、過剰な装飾を施したトラック「デコトラ」のフロント部分に少し似ている気がしたのです。運転席にドライバーが座り、タバコ屋も窓の向こうに人が座っています。構造的には近いものがあるのです。もちろん、デコトラの方が過剰なのですが。

前橋市内で出合った、元タバコ屋さんのファサード
デコトラも立派な文化だと確信している筆者の立場からすると、この前橋の元タバコ屋のファサードも非常に意義深く思えました。このファサード内に見える自動販売機の中を見ると、セブンスターが220円と表示されていました。現在600円のタバコです。220円といえば1986~97年の約10年の間の価格です。ということは、自動販売機が使われていたのは30~40年前もの昔だったことになります。通常の流れでいいますと、実店舗を閉じた後、しばらくは自動販売機だけの販売を続けるケースが多いはずです。もし、そうであれば、店舗が閉じられたのはかなりの大昔ということになります。にもかかわらず、なぜ、この元タバコ屋は破壊されずに、そのまま残っているのでしょうか?
何らかの節税対策なのか。タバコ屋さん店主の遺族が見つからないのか。それともほかの理由なのか。社会常識に欠ける筆者には想像もつきませんが、適度に風化しながらもきれいに残っているタバコ屋さんに「頑張れ!」とエールを送りたくなりました。東京や大阪ならすぐに撤去されてしまうようなものでも、地方都市は、この元タバコ屋のように、延々と残っているケースがあります。昭和レトロな感覚は、2025年の現在では大きな武器になりえますね。(2025年11月9日15時49分脱稿)

