根性なしの展示・上篇 市原尚士評

いわゆる「Museumnerds」(ミュージアム愛好家)の筆者にとって、大いなる期待を持って展示を鑑賞しに行って、裏切られた時のショックは大きいものがあります。

直近ですと横浜都市発展記念館で催行中の特別展「戦争の記憶―横浜と軍隊の120年―」が、行ってガッカリのトホホな展示でした。断っておきますが、筆者はこの記念館が大好きです。企画展は毎回、鑑賞しに行っているくらいの大ファンです。

展示のチラシ

本稿(上)では、かなり厳しく特別展の内容を批判しますが、「愛ゆえの苦言」だと思ってください。続いて発表する原稿(下)では、展示されていた一つのコーナーについて疑義を呈します。

上篇では、展示の個別具体のことはあえて申し上げません。
展示全体を漂う、「ダメダメな空気」について触れようと思います。ずばり、本展の内容は、「腑抜け、腰砕けの根性なしが企画した展示」にしか思えなかったです。

戦争をテーマにしていながら、まるで、戦争が自然に起きた天災か何かであるかのような“客観的”な記述に満たされていた点が最大の不満でした。戦争を引き起こしたのは、間違いなく人間であって、当時生きていた一人びとりの人間に責任があったわけです。中でも、国民を戦争に駆り立てた当時の大元帥、政府、政治家、官僚たちの責任は非常に重く、2026年の現在であってもその戦争責任が免責されるわけはありません。

ところが、どうでしょう。本展では、まるで文部科学省に「地理歴史」の教科書の検定でも出すときのように、政府の嫌がりそうな記述をすべて削除してしまったキャプションで満ち満ちていたのです。

展示を担当していた方は、こんな独り言でも呟いていたのでしょうか?
「戦争は悲惨だな」「二度と繰り返していけないのが戦争なんだな」「でも、誰が、何が、戦争を引き起こしたのか、それは何だか(自分には)よく分からないな」「つまり戦争は天災みたいなものなのかもしれないな」

まぁ、こんな独り言をまさか呟いていたとは想像しにくいのですが、展示全体を漂う「他人事」的な感覚はすさまじいものがありました。

丸木位里・俊夫妻が発表した絵本「ピカドン」にある有名な一節は、展示を担当した学芸員だってご存じのはず。

ピカは山崩れたーあちがう、人が落さにや落ちてこん

ピカ(=原子爆弾)を戦争全般に置き換えても、まったく意味は通じます。戦争は人が起こさなければ、起きない。それなのに、戦争をあたかも山崩れ(=天災)のように、傍観者のように、記述する姿勢には不信感を抱きました。

一体全体、学芸員は何に忖度したのでしょうか? 何を恐れたのでしょうか?
淡々と無味乾燥に“事実のみ”を記述する戦争展って、なんの意味があるのでしょうか?

展示を担当していた方は、こんな独り言でも呟いていたのでしょうか?
「展示のキャプションをあまりにも正確に書きすぎると、誰かを刺激するかもしれない」「展示が継続できないくらいの、嫌なアクシデントが起きるかもしれない」「(あほな)政治家が議会で展示内容を問題視するかもしれない」

まぁ、こういう独り言なら呟いていたかもしれませんね。要するに、日本国憲法で保障された言論の自由や学問の独立を信じて、まともなキャプションを書くのではなく、まだ起きてもいないトラブルを事前に想定して、闘いを避けたということでしょう。言い方を変えるならば、「闘う場からあらかじめ逃げの姿勢を取った」「権力に忖度した」ということでしょう。どれだけ、勇気がないのでしょうか?

また、戦争を巡るすべての展示を覆うのは、「日本国民の悲惨な被害ばかりを言い募り、日本国民の加害に関しては沈黙を貫く」という卑怯な姿勢です。仮に沈黙を貫かなかったとしても、加害への言及はほとんどないか、あるいは、取り上げたテーマから(学芸員の)「平和への思い」を読み取ってください(=展示の行間を読み取ってください)的な姑息な言及の仕方しかありません。

日本人は訳も分からず戦争に駆り立てられ、遠い異国の地で、とんでもなくひどい目に遭いました。つらい体験をしました。あぁ、戦争は二度と繰り返してはいけないのですねーーこんな受け身の姿勢、天災の被害にでも遭ったような姿勢を崩そうとしないのが我が国のミュージアムにおける戦争展なのです。

いえいえ、そんな訳はありません。日本人は、当時ノリノリで他国を侵略していました。他国の人々を殺りくしていました。被害に遭った国の人々は千年たっても、日本が犯した蛮行を忘れることはないでしょう。ところが、政府は戦後、この加害を認めるどころか、まるで「なかったこと」のように扱ってきました。

戦争について言及するというのは必然的に、私たちに痛みを覚えさせるのが自然なのです。ところが、横浜都市発展記念館の特別展のキャプションには、日本人の加害どころか、戦争は人間が引き起こしたものであるという当事者性も感じられない。だから、展示を見ていても、「戦争は自分とは関係のない他人事」という浅い感想しか持てないのです。

戦争だけではありません。関東大震災後の混乱を記述した個所には驚きました。多くの無辜の民が殺りくされた、まさに忌まわしい混乱の季節を、さらっと上辺だけなでて「はい、終了」でした。筆者は目を疑いましたよ。「関東大震災で罪のない朝鮮人、中国人、さらには大杉栄や伊藤野枝らが殺されてしまった史実をきちんと触れないで、学芸員として恥ずかしくないのだろうか」とさえ思いました。

学芸員の方たちよ、あなたは何のために学芸員になったのでしょうか?
学問や研究は国家権力から独立して、自由に追求していいものです。そして、その成果を国民一般に伝える崇高な使命をあなたたちは持っているのではないのでしょうか?
毅然とした態度で、一つ一つの展示を丁寧に作りましょうよ。私たち一般の来場者は、あなた方の根性なしの姿勢、保身ばかりを重視する姿勢に心底、がっかりしています。

国民の血税を使って催行する展示です。真に国民のためになる展示内容にしてください。政府や県庁や市や政治家に忖度する展示はまっぴらごめんです。(124年前、ロシアに宣戦布告をしてしまった日、あぁ、あのころから本格的に日本は間違った方向に行ってしまったのだなと猛省するしかない2026年2月10日12時11分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。