縄文の眼と手と響き 市原尚士評

東京・銀座で2週連続で、縄文時代と縁の深い展示が催行されました。筆者は縄文時代が大好きなので、当然、「縄文的な美術」も必ず鑑賞するようにしております。まぁ、今、縄文的と申し上げましたが、どのようなものを縄文的なものかと説明しようとすると意外と難しいのですが……。

2026年2月2日から7日までが会期だった「土偶のように」展@ギャラリー暁には、大串孝二(1949年生まれ)、間島秀徳(1960年生まれ)、山中宣明(1952年生まれ)の3氏が出品しました。どの方も、精力的に展示を開催する実力派の方ばかり。

全身を使って、ラスコー洞窟壁画の解読を試みるのが大串。線やら文様やらが墨で描かれた画仙紙が鑑賞者を覆い尽くす洞窟のような形状でぶら下がる「Buffer(緩衝)」は参加型作品。実際に来場者は、この洞窟内を歩くことになるのだが、作品に包まれた瞬間、意識が変容する感覚が確かにある。作品の外側に、縄文らしきモチーフをちりばめるのではなく、作品の内部に没入する体験が、そのまま縄文感覚を“味読”することにつながっており、実に興味深い。

間島秀徳「Kinesis №808 requiem(water forest)」(部分)

間島の大作「Kinesis №808 requiem(water forest)」は圧巻の出来栄え。天地無常(=キネシス)をテーマに、固定化された日本画の枠を軽く飛び越え、宇宙的な感性に基づいた全く新しい山水画を創造し続ける。流れる水が蒸発し、雲になる。その後、雲から落ちた水(=雨)が海へと流れ込む。そのように壮大な循環の過程が、巨大な高知麻紙の上に定着されている。作品を鑑賞していると、呼吸が整ってくる感覚が突然、訪れてくるのは、身体性の強い画面のパワー故か?

本展との相性に疑問符を持ったのは山中の「Reverberation」でした。幅5メートルを超す大作を前にした時、感じるのは、視覚と聴覚を混交させようと試み続けてきた作家の営みが、常に一定程度においては成功してきたという事実です。ただ、「一定程度」という部分的な保留をつけてしまったのは、山中作品があまりにも“オシャレすぎる”し、器用すぎるし、カチッとまとまりすぎている感じのせいです。己の中のリミッターを外し、もっと暴れまわってほしい。

2026年2月9日から14日までが会期の松山賢展「怪人と文様」@Gallery SIACCAは、「土偶のように」とは反対に、ばりばり縄文っぽい形象が暴れまわっており、痛快な展示でした。1969年生まれの筆者が最も引かれたのは、戦隊ものに登場してくる怪人たちが縄文的なるものをその身に融合させている一連の作品でした。1968年生まれの松山と多分、ほぼ同じような怪獣、怪人、ヒーローたちを共有しているだけに一層、鑑賞に熱がこもった次第です。

松山賢「土器怪人模型箱絵」(スイエンモン)

「土器怪人模型箱絵」(スイエンモン)は、水煙文土器の上部、とくに大型把手を最上部に据えたロケットとして怪人を描写しており楽しいです。水煙文を飛翔に結び付けた松山の発想力は秀逸そのもの。飛行する前は別の形状をしていたのでは?と想像したくなる面白さがある。

「土器怪人模型箱絵」(イシノツボン)は、韮崎市民俗資料館に住んでいる「あの子」がもしかしてモデルでしょうか? いかにもうれし気な表情でポーズを取っている姿を見て、ほっこりしました。また、油絵具を厚く塗り重ね、粘土に文様を刻むように彫っていく「浮彫沈線文様画」も興味深い仕事です。描く、彫るという意識よりも、画面の奥にうっすらと見えているイメージを松山が発掘しているように思えたからです。

松山賢「土器怪人模型箱絵」(イシノツボン)

松山の仕事を昔から興味深く鑑賞してきた筆者は、こう思うのです。
彼は、縄文をテーマにしているのではなく、現代を生きる縄文人が絵を描いたり、野焼きの陶彫を作ったりしているのではないかと。現代人がある種のネタとして、他の作家との差別化を図るために「縄文」を選ぶ。そのような、あざとい狙いは松山の中にまったく感じられないのです。彼の場合は、彼自身がどうしようもないほど「縄文人的なるもの」を体内に持っているため、表現が自然と縄文的なるものになってしまうのだと推測しています。だからこそ、筆者のようなへそ曲がりな人間を長く引き付けているのだと思います。

さて、2週連続、縄文的な展示が続いたのですが、賢明な読者の皆さんは、この2つの展示をつなぐ大きな特徴に気が付きましたか?
ヒントは、昔、横浜で行われた、ある展示です。1分考えても分からなかった方は、正解に到達しないでしょうから、以下の文章を読んでください。正解が分かった方は、もうこれ以上、当方の拙文に付き合う必要性はございません。

さぁ、正解を発表いたします。
横浜市歴史博物館で2022年1月22日から3月6日まで開催された企画展「美術の眼、考古の眼」に間島秀徳、松山賢が出品していたのです。この展示のチラシに記載された、言葉があまりにも興味深いので部分引用します。

本展は、横浜出土の考古資料をとおしてみる現代美術という「考古の眼」。そして、現代美術をとおしてみる考古資料という「美術の眼」。この二つをキーワードに、みる人の自由な発想を刺激し、分野を超えて、確かに何か感じる“共感”や“違和感”を感じ取ってもらい、分野にとらわれず展示をみることの自由を探る、そのような期待を込めた展覧会です。

コロナ禍の大変な時期に、このように意欲的な展覧会を開催された横浜市歴史博物館に筆者は大きな拍手を送りたいです。素晴らしい展示でした。大昔の人々が制作した考古資料は、現代美術に刺激を受け、2022年のたった今、誕生したかのような生々しさを帯びて、展示会場で得意そうな表情で並んでいましたし、反対に現代美術作家による作品は、大昔の大地に作品を並べて、縄文人たちを驚かせているようでした。

つまり、時空を混交させた上で、考古資料と現代美術がジャムセッションをしたような祝祭感が会場にあふれていたのです。筆者は長時間をかけて鑑賞しました。

「美術の眼、考古の眼」のような好企画は、全国各地でどんどん真似してほしいのです。安易に「縄文×アート」を前面に押し出すというよりは、考古資料とコラボする必然性のありそうな現代美術作家を起用しながら、考古学と美術の垣根をなくしてほしいのです。

土器や土偶を見て感動するのは、どんなものを作る際にも、祈りの気持ちに根ざした、造形的に面白かったり、美しかったりするモノを作ってやろうと試みる太古の人々のクリエイティビティーです。生成AIに依存しすぎるあまり、自身の創造性がひからびてしまっている現代人にとって、考古資料の中に見えてくる、限界がないような遊び心や真剣に祈る気持ちはまぶしすぎて直視できないほどです。

「温故知新」ではありませんが、新しい作品を創るためには、昔の美術作品(含む考古資料)の徹底的な研究が必須です。創造者こそ、昔の文物のすごさを知る必要性があると思います。

本稿の冒頭で申し上げた通り、「縄文的なるもの」というのは、真剣に考えだすと、意外に定義が難しいものです。渦巻いていれば縄文ーーそんな単純なものではないと筆者は直観するのです。「様式」は後の人間が勝手に考えたものです。大昔の、例えば縄文人たちは「これが縄文スタイルだから」と言って、様々な文物を作っていたわけではありません。あくまでも後知恵で作った「縄文様式」にとらわれずに、自由に考古資料を見る姿勢が求められます。

少し、意識すれば、「縄文」や「考古」にフォーカスした展示は、東京都内、あるいは地方都市でもちょいちょい催行されています。読者の皆様におかれましては、縄文のすごさをいったん知った上で、現代美術を鑑賞していただければ、と願っております。

美術館は行くけど、博物館や考古学の史料館などには足を運んだことがないという方、もったいないですよ。
反対に、考古学にしか興味がなく、現代美術なんて見たことがないという方も、一度、美術館に足を運んでほしいです。

美しいものに、楽しいものに、時空の隔てなんて一切、ありません。あらゆる偏見を取り去って、もっと自由に人間の様々な営みを楽しみましょう。(2026年2月10日9時29分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。