腐ったパイ 市原尚士評

“政治”から逃げない女性芸術家

東京五美術大学 連合卒業・修了制作展には毎年、足を運んでいますが、考えることはいつだって同じです。

「会場が大きすぎて、作品を一点一点、きちんと見られないし、とにかく疲れてしまう」

まぁ、この言葉がすべてでしょう。

1日で見ようとするからいけないのでしょう。何しろ日本大学芸術学部・武蔵野美術大学・多摩美術大学・女子美術大学・東京造形大学の作品が一堂に会するわけですから、その規模の大きさたるや、想像を絶するものがあります。

言い方は悪いですが、どの作品も同じに見えてしまう。回っていると、足も腰も痛くなり、疲労困憊してしまうのです。このような“過酷”な鑑賞条件で、せっかくの学生さんの力作を見せるのは、少しもったいない気もします。

五大学をまとめて展示するのではなく、一つ一つの大学ごとに会期を分割して、ゆったりと見せるのが理想ですが、五つの大学を一堂に見せるというのも趣向としては面白いと思うのです。つまり、各大学がライバル意識を持ちながら、競えるという利点もあるからです。「今年は●大学が好調だね」とか「●大学は毎年、少し低調じゃない?」とか見る者が自由に比較検討できるのは、得難い機会だと思います。

とはいえ、やはり体力的にはきつい。新人発掘のため、熱心なギャラリーの方々は、この五美大展には足を運んでいらっしゃる方が多いようですが、いったい、どうやって作品を鑑賞し、その良し悪しを判定しているのか、コツを教えてもらいたいくらいです。

そのようにハードすぎる鑑賞空間の中、見事、「市原尚士賞」に輝いたのが、女子美術大学洋画専攻 絵画の穴吹さくらさんの作品2点です。「Rotten Apple Pie」(パネル、油彩、162×194センチ)と「PINK ARMOR」(パネル、油彩、162×194センチ)と、どちらも気合の入った力作です。

「Rotten Apple Pie」(上)と「PINK ARMOR」

まずは、腐れアップルパイ。アップルパイの上部にある網目(格子)状の生地は、英語で「ラティス・トップ(Lattice top)」などと呼びます。単なる飾りではなく、主に2つの利点があります。「格子」の隙間から中のフィリング(煮りんご)が顔をのぞかせているため、華やかに、そして、おいしそうに見えるのです。また、パイを焼く際にフィリングから出る蒸気を逃がし、中身が煮詰まってキャラメル化するのを防ぐ意味合いもあります。

さて、本作をよく見てみましょう。ラティスの中に納まるべき存在は、本来、煮りんごのはずなのですが、ここでは、悪意に煮詰められて、窒息寸前の人々の頭部がぎっしり詰まっています。口をかすかに開けて、いかにも息苦しそう。恐らくは女性の頭部ばかりだと思いますが、男性の頭部も交じっているのかもしれません。

展示キャプションは皮肉に満ちています。

りんごは知恵の実とされるが、知恵を授かった人間は地球上で繰り返し戦争や虐殺、差別を行ってきた。

この腐ったアップルパイは、未だに平和が訪れない世界の姿である。

 

そうか。筆者は「窒息寸前」と思ったのですが、もっとひどい「腐った」状態だったのですね。人間の頭部が腐った状態で、パイに詰め込まれているとは、ひどい光景です。このパイとは正反対の短歌を思い出します。俵万智(1962年生まれ)の歌集「とれたての短歌です。」から。

何層もあなたの愛に包まれてアップルパイのリンゴになろう

俵の短歌のようには、なかなか行かないのが、人間の現実なのかもしれません。それにしても、腐ったアップルパイというビジョンはなかなか強烈です。

続いて、「PINK ARMOR」です。西洋甲冑がずらりと並んでいます。ただ、よく見ると、その表面はピンク色を帯びています。妊娠している方もいれば、まだ赤ちゃんの甲冑もいます。大人も子供もいますが、全員、女性が甲冑の中に入っています。

甲冑たちは、「END FEMICIDE NOW」「SAY NO TO FEMICIDE」「STOP KILLING US」「YOU Don’t Own Me」といったメッセージを高らかと掲げています。しかし、甲冑を着けなければ、男どもに殺されるかもしれないという緊張感で空気はピリピリしています。

甲冑を着ることも大きなストレスを与えるものですが、それよりも男が与えてくるストレスの方が大きいから、やむを得ず甲冑姿をしているのです。ただ、絵の手前には、中の女性が甲冑を捨て去った残骸がころりと転がっています。完全なる自由を求めて、男からの攻撃というリスクをあえて引き受けてまで、甲冑を脱いだ女性の心情に思いを馳せてしまう筆者でした。

作者・穴吹さんによるキャプションには、こう書かれていました。

女性であることが理由の殺人「フェミサイド」が世界で多発している。この世界で生きていくため私達に強いられた警戒や防御は、鎧のように重く息苦しい。

国連は2025年11月の「女性に対する暴力撤廃の国際デー」に合わせて公表した報告書には驚愕の数字が報告されていました。2024年に世界全体で少女を含む約8万3000人の女性が殺害されていた、というのです。しかも、このうち約5万人はパートナーや親族によるものだったのだそうです。

穴吹さんが描いている作品の世界は決して大げさなものではありません。いえ、「大げさ」どころか、事実そのものなのかもしれません。鎧を着けないと女性が生きられないような社会にしてしまっている男の責任は非常に重いと思いました。

大きな、大きな会場の中で、「男中心社会への怒り」を画面に叩きつけているかのような穴吹作品は、迫力があふれていました。「脚が痛い、腰が痛い」などと腑抜けたことを呟いて、会場内をよろめくように歩いていた筆者の目を一発で覚まし、きちんとした姿勢で鑑賞させた作品のパワーに感謝したいと思います。

そもそも穴吹さんは、高校時代に、第16回西会津国際芸術村公募展2021で、「衝撃」と題する作品で、西会津商工会長賞を受賞しています。国内で農作業をしているのがぱっと見、外国の方ばかり、という光景を作品にしています。社会的な問題への驚きや憤りを表現する作風なのです。

わが国では、大学の教官らが政治的な絵を嫌う傾向が強く、学生の作品も必然的に政治や社会問題とは関係ない作品を制作しがちです。穴吹さんは、そのような風潮に背を向けて、社会的なテーマに果敢に挑戦しており、頼もしい限りです。今後のさらなるご健闘を祈念しております。

直接的な暴力だけでなく、女性は男どものいわゆる「MALE GAZE」(男性の眼差し)にもさらされ、暮らしの様々な場面で脅威を覚えています。重たい鎧を着用せずとも「FEMALE GAZE」と言論の力で、暴力的な男どもを撃退できる社会が一日も早く実現するといいですね。

マラドーナの男根

伝説的なアルゼンチン人サッカー選手、ディエゴ。マラドーナ(1960~2020年)にちなんで名付けられた「Champagne Maradona」。これは、ヘルシンキの現代美術館「キアズマ」で開催中だったサラ・ルーカス(1962年生まれ)の大規模な回顧展で出合った作品です。イギリス出身のアーティストであるルーカスと言えば、「MALE GAZE」に基づいた、男性の女性に対する下品極まりない言動、差別的行為をそっくりそのまま女性である自身が演じて、観客に嫌悪感を抱かせる数々の作品で知られています。

サラ・ルーカス「シャンパーニュ・マラドーナ」

最初は、彼女の作品に「胸糞が悪い」とつぶやいていた男性の観客も、これは、男社会が女性たちに仕掛けている野蛮な行為をそっくりそのままお返しされているのだと気が付くと、恥ずかしくなって黙り込むことしかできなくなるわけです。本作は、いかにもマッチョの権化のようなスポーツ選手が地面に横たわりながら巨大な男根を空へ突き上げています。

しかし、ルーカスの作品が面白いのは、女性が単なる被害者であるという立場に押し込めることがない点です。むしろ、彼女は男のバカさを笑い飛ばしているようにも見えるのです。本作の場合はどうでしょう?

男根を突き上げているとしたら、下方にだらりと垂れ下がった2つの楕円形の物体は、「睾丸」なのでしょう。しかし、見方を変えると、この2つの睾丸状の物体は、女性の乳房にも見えるのです。

そもそも頭部らしき個所が、まるで乳房のような形状をしています。もしかすると、あの上方に突き上げられているものは、男根ではなく、勢いよく誕生した新生児のメタファーなのかもしれません。男でもあり、女でもあるーーそんな両義性もルーカスの作品からは感じられるのです。

穴吹さんやルーカスの作品を見ていると、「強者として居直って、バカさを保持し続ける男性」こそ、実は弱者であって、「差別され、虐殺されることに勇敢に立ち向かう女性」こそ、強者であるようにも思えてくるのです。強者は弱者、弱者は強者というパラドックスというか、両義性というか。ヘーゲル(1770~1831年)の「主人と奴隷の弁証法」をちょっと思い出してしまいました。

いずれにせよルーカスの採用する戦略は、“自爆”のように見えて、実はそうではない、知的に洗練された闘い方を選んでいます。しかも、そこはかとなくユーモアの感覚も漂っている点も強みでしょう。

男どものバカさを一方的に糾弾するのではなく、多くの人を味方につけながら男自身に反省を促しているような気もするのです。実は、優しい人なのだと思います。

展示会場で流れていたインタビュー映像を見れば、そこには穏やかで冷静な印象のルーカスが映っていました。一筋縄ではいかぬ芸術家――それがルーカスの真骨頂なのかもしれません。(2026年2月24日21時25分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。