彩字記#23(採取者・市原尚士)

吐くストッキング

約40年近く、パンティストッキングを主な材料とした造形作品を創り続けてきたストッキングアーティスト・光冨さよ(愛知県豊田市在住)は、常に新たな挑戦を続けてきました。当初は、平面的な造形に対して染色することで生まれる妙を追求していましたが、その後タペストリー、絵画や工芸、インスタレーションなどを経て、2017年からは彫刻的な手法に取り組み始めています。

ガラス、木、石、陶、鉄などの硬質素材からの連想を元に、自ら「新感覚彫刻」と名付けた作品群は、鑑賞者の心をわしづかみにする力に溢れています。「あのストッキングがどういう加工を経たら、こんな形になるんだろう」と不思議になるくらい、多様な形状と色彩が魅力です。

筆者は、根来塗の赤と黒を想起させる「光冨の赤と黒」が非常に好きです。そして、茶席の掛け軸の下の花入に、光冨の作品を無造作に投げ込んだりしたら、かっこいいなと思っています。ご本人にその自覚はないかもしれませんが、“和”を感じさせるところが、彼女の真骨頂ではないかと考えています。

2026年2月14日から22日まで、東京・六本木のストライプハウスギャラリーで開催された個展にうかがったところ、今回も魅力的な作品が多かったのでご紹介します。展示のステートメントを全文紹介します。

この世に存在する全てのものは
鬱積した諸々を仕舞い込んでいる
溜まった感情を解放するため
溜まった心情を浄化するため
今、
毒を吐く

この「吐く」という言葉は、その対象が人間だけではありません。本展で光冨は、「植物」「食物」「鉱物」「燃焼」なども何かを吐いていると捉えたのです。展示会場内で光冨が語った言葉が印象に残ります。

私には、万物の心の叫びが聞こえてきます。万物が何かを吐いているビジョンが見えます。それらの嘔吐や叫びに形を与えたのが私の作品なのです。

創作の核には、「素材との対話」があると光冨は語ります。独特の光沢、透明感、伸縮性を備えたストッキングという素材が呟く声を聞き逃さず、見たこともないようなイメージを生み出すために、どのような工夫を重ねているのか、作家は詳らかにはしてくれませんでした。ただ、これだけ興味深い造形を可能にしているのは、加熱や圧力のかけ方にかなりの工夫を凝らしていることは容易に想像がつきます。

作品を配置する際のスケッチ内にはたくさんの漢字が入っていた

また、偶成をそのまま生かした形状の作品があれば、徹底して自分の狙いに形を与えた作品もあります。工場や道端で拾ったモノの形状や輪郭を生かして作品化することもあるのだとか。その自由な感じは、陶芸の手びねりのようでもあります。

デザイナー・石岡瑛子(1938~2012年)に憧れ、選んだ進路がスタイリスト。その後、1988年からストッキングを素材にした現代アート作家へと転身し、現在まで約40年間、活動を続けてきました。上から下まで、イッセイミヤケの服をびしっと着こなし、その存在自体がアート作品のような不思議な方、それが光冨さよ、です。

自作を前にした光冨さよ

今展の出品作から吐かれていた毒は、まるで銀河系の星々のような形状で配置されており、離れて銀河系全体を見ても、近づいて個々の“星”を見ても、そのどちらでも楽しめる仕立てになっていました。ただ、筆者の個人的感想ですが、もう少し作品数を絞り、選りすぐりのものだけを間を開けて展示したらもっと効果的だったような気もしています。

どの展示でも、新しいことに挑戦してくれる光冨ワールドが、今後、どう展開していくのか、楽しみです。

吐く壁

光冨展を見た後、路上で変な壁を発見しました。建物の外壁部にシミのような形状が刻印されているのです。路上に近い場所だったので、最初は「立小便」の痕跡かと思ったのですが、よく見るとこれは立小便ではありません。

嘔吐の跡。確かに汚いが、偶然生まれた造形美にほれぼれする

上方から下方にかけて、白い粒粒が見えますか?
これは、食品の残滓ですね。ということは、これってもしかして、「吐いた」結果、体内から出てきた吐しゃ物そのものだったのではないでしょうか?
筆者はさらに観察を続けた結果、これは間違いなく、「ゲロ」と確信をしました。胃液と一緒に出てきた強酸性だったことが作用して、雨水などがかかっても落ちにくい「酸コーティング」のような状態になってしまい、いつまでも痕跡が残っているのですね。

それにしても、偶然の産物とは言え、美しい形状をしていますね。ゲロの跡とは思えないほどの完成度です。垂れ落ちる感じが自在で、ほれぼれと見つめてしまいました。

光冨→吐く→本物の嘔吐跡と出合い、ちょっとびっくりしました。

しかし、そのびっくりはまだまだ続くのですから都市というのは実に面白いですね。

吐く穴

ゲロの跡から200メートルほど離れた路上で、今度は小さな穴から得体のしれない粘度の高い液体が流れているのを目撃しました。

飲食店の厨房裏に当たる外壁下部なので、多分、調理中に出てくる、油分を含む不要な液状物質を外部にそのまま垂れ流しているようです。恒常的に垂れ流しているようで、もう排水溝やアスファルトが油で真っ黒に光っています。

油分を大量に含んだ廃液が垂れ流しにされている飲食店外壁下部の穴

本来は、何らかの厳重な回収法を採用したうえで、専門業者に依頼して廃棄するか、油を無害化した上で、さらさらの廃水として店外に排出するか、どちらかの処置が当然求められると思うのですが、このお店は、油100%の原液をそのまま垂れ流しています。完全に違法行為だと思います。タバコの吸い殻がすぐ近くに落ちていますが、下手をすれば引火して、大惨事になる恐れもあるので、油垂れ流しは勘弁してほしいです。

しかし、そのようなリスクを差し引いて純粋に、この風景を見ると、キャンバスにまず、黒い絵の具で地塗りした上で、粘土の高い白と黄土色の絵の具を巧みに混ぜた絵画作品のようにも見えてしまい、「きったねーな」と怒った後、しげしげと見入ってしまいました。

「社会派」の筆者が、この嘔吐する穴を見たとき、最初に想起したのは、水俣病でした。化学工場から排出されたメチル水銀化合物が原因の公害病です。水俣湾を始めとする八代海は、本当に美しい景観を誇る海辺が連続しており、最初に水俣を訪問した際は、「こんな、地上の楽園のような場所で、あの凄惨な水俣病の被害が長年、続いてしまったのか」と言葉を失ってしまいました。景観があまりにも美しすぎて、公害が発生した場所であることがにわかには信じられなかったのです。

でも、勉強をすればするほど、「水俣で起きたのは公害ではなく、大企業による“犯罪”だな」と思うようになりました。あのような惨事は二度とあってはならないし、今も水俣病で苦しんでいる人々が多くいることを決して忘れてはならないと思う、筆者なのでした。

光冨のストッキングアートが吐く毒は、あくまでも芸術作品の毒ですから、見たくない人がいたとしても、その方が見なければ済む話です。しかし、工場の吐き出す毒は、多くの人間に健康被害を与え、人生をめちゃくちゃに狂わせます。工場とは、言い換えれば利潤追求を目指す資本主義の権化のことです。つまり、資本主義の吐き出す毒には要注意ということなのでしょうね。

本稿と直接、関係ないかもしれませんが、「吐く」の外国語がとても面白いです。英語は「vomit(ヴォーミット)」、フランス語は「vomir(ヴォミール)」、スペイン語・ポルトガル語は「vomitar(ヴォミタール)」、イタリア語は「vomitare(ヴォミターレ)」などなど、皆、ほとんど同じです。

ということは、どう考えてもラテン語が語源だろうと思い、調べるとラテン語の吐く、は「vomere(ウォメレ)」でした。この「vomere」を始めとする「吐く」の単語は、完全に擬音語なのではないでしょうか?

試しに、皆さんも吐いたときのことを思い出して、声を出しながら演技してみてください。「ヴォェー」→「うぉめえーっ」→「ウォメレ」→「ヴォーミット」と徐々に変化しませんか?

言葉の根源は、擬態語にあったのではないか? そんなことを考えながら、独りで「ヴォェー」と嘔吐ごっこをしてしまいました。

そんな遊びをしているうちに、「吐き気と言えば、あの歌しかないよね」とすぐに思い浮かんだのが、ザ・スターリンの「ロマンチスト」でした。

吐き気がするほど ロマンチックだぜ

 

 

遠藤ミチロウ先生(1950~2019年)の、あの声が脳内でリフレインします。光冨の強烈なアート作品に図らずも誘導されてしまったのか、なぜか「嘔吐三連発の一日」となってしまいました。

光冨作品は美しかったわけなので「吐く」がテーマでも何の問題もありませんが、残りの2つが、ゲロとか廃液とか、汚くて、本当にどうもすみませんでした。ゲロや廃液にも「美」を見出してしまう筆者は何かの病気なのかもしれませんね。(2026年2月23日18時50分脱稿)

*「彩字記」は、街で出合う文字や色彩を市原尚士が採取し、描かれた形象、書かれた文字を記述しようとする試みです。不定期で掲載いたします。

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。