広場を求めて ― 広場とは何か? 塚原悠也とコンタクトゴンゾ

岡部あおみ

「ライブパフォーマンスは、市場とメディアという支配的な文化に対抗してなお抵抗し 続けるための最後の砦となった。」 (エリカ・フィッシャー=リヒテ1)

ダンスというよりは、ラグビーのような肉体的せめぎ合い。取っ組み合いの喧嘩をしているようなコンタクトゴンゾのパフォーマンスに、わけもなく引き込まれるのは何故なのだろう。 劇場などの制度化した会場より、路上、競技場、シェルター、施設の搬入口や廊下といった、どこか半端な場所に出現することが多い。芸術や美といった枠組みから、できるだけ遠のこうとしているのは、それ以外の何かを求め、それを超えた何かに達するためなのか。 観客の居場所も自由なことが多いが、かなり危険度が高いため、もとより観客参加は意図されているわけではない。特別な装置や音楽などのない、シンプルな空間で、Tシャツにダブダブのズボンを履いた若者たちが繰り広げる身体動作は、日常の延長線上にある環境に、突然穴を開け、非日常の時空間を暴力的に開く。たまに髪をモヒカンにしたメンバーがいたりするが、スピーディな組んず解れつの連鎖では、各人の行動を見定めること自体が難しい。

けんかや乱闘との差異はまず、マゾ的に叩き、殴られることは受け入れても、相手に骨髄損傷などの致命的な打撃は決して与えず、全員が活動し続けられる基本条件が、暗黙裡に約束されていることである。とはいえ、背中や胸に飛び乗る即興で、時として発せられるうめき声は、観客に痛覚を伝染させる。初期の頃は、体中に青痣ができ、肋骨を折るなど、頻繁に大怪我をしたという。現場での驚くべき集中力の鍛錬が、怪我の少ない身体を形成させた面は、格闘技やスポーツの訓練と近接している。身体のコントロールが崩れて破局が訪れるのをハラハラして見守る感覚は、サーカスやスポーツ観戦にもある。だが、コンタクトゴンゾのパフォーマンスは、美的成果や演技の完璧さが目指されているわけではなく、目標は不確定で、なんとなく始まり、なんとなく終わる。パフォーマンスの長さも内容も、多くは空間と観客と演技者のその時のコンディションや空気感で決まる。そのアクチュアルな波乱は、制御不能な崩壊を内包する身体の遊戯なのだ。

「コンタクト」は接触、「ゴンゾ」は本来、常軌を逸するといった意味があり、主観性を重んじる1970年代に展開した「ゴンゾ・ジャーナリズム」の非正統性を含めて、実践的グループ名となった。したがってコンタクトゴンゾの方法論としての「接触」は、通常の性的、儀礼的、社会的な身体接触を越境して生起する。リアリティだが、言語化されていない「芸術」という前提での出来事なので、行為者も観客も身体的共振のもとで、自らの感覚、感情、知覚を頼りに、意味生成のプロセスに身を委ねざるを得ない。世界を相対化する境界領域で他者と共存する凝縮した時空間が、既存の認識のタブラ・ラサの隙間を開き、時にはカタルシスをもたらす。

グループの始まりは2006年、ロシアの合気道ともいわれるシステマやダンスのコンタクト・インプロヴィゼーションを公園などで試しつつ、ダンサーの垣尾優と、NPO劇場の制作スタッフの塚原悠也が、人と人との肉体的接触や衝突といった物理的現象や瞬間的な事象を通して、「世界の仕組み」を紐解こうとする実験から生まれた。友人を誘ってじきにメンバーは4人、そして6人になり、垣尾優が抜けて、現在は塚原、三ヶ尻敬悟、松見拓也、NAZEの4名で活動している2。当初から男性のみの肉体行為だから極めてマッチョに見えるが、ジェンダーという意味の構築からも逸脱している。

このグループの活動が急速に国際的に認知された要因の一つは、結成の時期にある。パフォーマンスの映像を動画サイトYouTubeですぐに即時配信できたためだ。2005年に開始したYouTubeは、翌年には1日1億回の再生回数を誇るメディアに急成長を遂げた。一度限りのパフォーマンスにとって、再演と追体験を可能にする映像は不可欠であり、現場で産出されたエネルギーは、スマートフォンなどの手の平の親密圏で、いつどこでも、あらゆる場所の異なる階層の人に伝達される。だが、五感を介して現場での空気感をともにする身体的な共振なしでは、エネルギーの交換や循環までは生じがたい。彼らの挑戦は舞台芸術と現代美術の両領域で注目され、「南京トリエンナーレ2008」や「あいちトリエンナーレ2010」などの国際展にも参加、2013年にはニューヨーク近代美術館[MoMA]でも発表した。

パフォーマンスの記録のためのヴィデオカメラは通常、オペレーターなしで全体が見える位置に設置されている。同時にアナログで安価なインスタントカメラも必需品で、コンタクトゴンゾのメンバーは時おり、互いの顔や行為の近接写真を撮る。そうした現場のショットを「the first man narrative(歴史上初の説明的な野郎)」と呼び、手法化している。フラッシュの光とフィルムを回す時のギーギーいう音がミニマルな効果となり、使い捨てカメラとはいえ、投げたり、踏んだり、映像機器を乱暴に扱うシーンが、一種のタブーを破るイメージに繋がり、小気味いい。水のペットボトルも必需品で、喉を潤すだけではなく、床に複数置かれると足元の障害物となり、危険度を増長させる。ペットボトルはまた、水分に満ちた人体のメタファーでもあり、床や壁に投げつけられた時に出す鈍い音は、有機物のようでぞっとさせられる。

2017年にコンタクトゴンゾは、東京のワタリウム美術館で、パフォーマンスの記録映像やインスタレーションを含めた「コンタクトゴンゾ フィジカトピア」展を手がけ、同時に東日本大震災の津波で最大級の被害を被った宮城県石巻市の復興を目的に開催された「リボーンアート・フェスティバル2017」に参加した。簡易な山小屋を作り、海辺に下りて体を洗い、熊におびえつつ鹿の写真を撮り、祠のような場や道を作った。このフェスティバルにはフランスのアーティスト、ファブリス・イベールも参加しており、コンタクトゴンゾたちの活動を目撃した3。メンバーはこれまでも山中の斜面を滑り降りる「山サーフィン」をしたり、ゴム紐を使い 果物を高速で身体に打ち付ける装置を手作りして実演したことがある。

2019年10月から2020年1月まで、コンタクトゴンゾは山口情報芸術センター[YCAM]のバイオ・リサーチのメンバーと共同で、エピジェネティクスをめぐる展覧会に参加した。足を怪我した鹿に角のアンバランスが生じるケースがあり、ゴンゾのように肉体的な損傷を負うパフォーマーたちの特質は、どのように継承されるのかなど、遺伝子や細胞変化を研究する学問である。メンバーは鹿の古くからの伝承を探り、鹿の昔話を追いつつ、比叡山からYCAMのある山口市まで、カブに乗り、テントで自炊の野宿をしながら、大雨の中4日間旅をした。展示ではその経験を紹介し、また会場には各所で観客が参加できる装置が用意されていた。例えば、ラッキーな遺伝子の持ち主に、幸運な出来事を絵馬に書いてもらい、DNA採取のための唾液を提供してもらったり、また危険を伴う遊びとしては、剛球を体で受けたり、縄跳びのような金属のチェーンに乗ったり、寝た姿勢でお腹に重い石を乗せるなどの場が準備された。

塚原悠也のインスタレーション

コンタクトゴンゾには、絵、デザイン、写真などを得意として、個人的に活動するメンバーがいる。塚原悠也は神戸にあるダンス劇場の制作スタッフの仕事を続けているが、個人のパフォーマーとして別のダンサーと共演する他、演出や振付、舞台美術を手がける。2018 年8月には、演劇ユニットのチェルフィッチュを主宰する岡田利規が、タイ人作家のウティッ ト・ヘーマムーンの小説『プラータナー:憑依のポートレート』を原作として演劇作品にした際に舞台美術を担当した。その公演はバンコク、パリ、東京を巡回し、パリではポンピ ドゥー・センターで2018年12月に行われた。塚原は、運動靴、サンダル、本、筆記用具、 デッサン帳、川辺を表す青く細長い照明器具などを床に置き、2台の大型脚立の間に、手動のベルトコンベアーを設置して、物が移動し、落下する映像を背景のスクリーンに映写した。

I.

塚原の活動でベルトコンベアーが最初に登場したのは、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館が2015年に開始したパフォーミングアーツプロジェクト〈PLAY〉がきっかけだった。丸亀市に1週間滞在して創造するこのシリーズに、塚原は初年から3年間連続して参加、2016年 第2回目の上演のコンセプトは、「丸亀市の交通事故を調査し、その特徴を分析して、この 場所にふさわしい日常的身体所作を考察する」だった。ここでベルトコンベアーが出現した。つまりコンベアーに乗せられた物がうまく流れるなか、突如落下したりする出来事は、 道路や平凡な日常性に突然起きる事故でもある。

2018年1月に神戸のダンスボックスで、ダンサーの寺田みさこが3人3様の振付師によるダンスを披露する『三部作』が実演され、この公演を見た筆者の経験が、塚原悠也による新たなインスタレーション空間と、コンタクトゴンゾの歴史をたどる映像アーカイヴを見せる、2部構成の展覧会を企画するというパリ日本文化会館での本展の発想の背景になっている。振付師の一人として参加した塚原は、木材、映像、ベルトコンベアーを設置し、演技中もスタッフが木材の配置を変えた。動くベルトコンベアーに塚原がオレンジやオブジェを乗せると、次のコンベアーにはうまくのらずに、落下したりするのが、見ていて面白い。頭部に照明を装着したダンサーの寺田みさこが細い木材の上を危なっかしく渡り歩く姿以上に、観客はコンベアーと物のパフォーマンスに気がとられたりした。ライブ映像と記録映像が錯綜し、多層化した時空間が交差する、見たことのない素晴らしい成果であった。

コンタクトゴンゾの活動は、4人でアイデアを出し、話し合いで内容を決める。塚原の意見が反映されることもよくあるらしく、個人としての実践と、コンタクトゴンゾの活動のコンセプトには相違だけではなく、親和性もある。それは都市生活者である若者たちが、管理され、制度化された現代生活の網の目を、自然と動物の尊厳に憧れて身体の野性を蘇らすことで共に逃走を図ること。一方、塚原は、生の認識と統合性を失いがちな現代人の身体を断片化し、オブジェ化し、経済という物の流通に示される抑圧的な都市構造をベルトコンベアーに託すのである。 こうした実践は、都市において自由な表現を象徴する「広場を求める」意思に繋がり、現代アートとパフォーマンスの分野で、今、その「広場とは何か」を問う意志であるように思える。

本展のタイトル« Watching you surf on beautiful accidents »について、塚原はこう説明している。「理性や都市計画は、ある種の幻想でしかなく、身体は実際に日々大小のアクシデントにまみれながら、それに翻弄され、ときにサーファーのようにそれを乗りこなしつつ、力学として応用してゆく。」本展では、動き続けるパリという都市の延長として、最初に塚原悠也の海外では初めてのモーターで動くベルトコンベアーのスペースを設置し、マネキンの手や足などが奇妙にその上を流れてゆく。そしてその裏側のスペースで、被災地 石巻の森で生活したコンタクトゴンゾの鹿との出合いやこれまでのパフォーマンスを紹介 するとともに、観客が自ら参加して小枝で楽しめる場所も設けた。もちろんオープニングには、コンタクト ゴンゾのスリリングなパフォーマンスも披露される。 危うい統制と制御のもとにAIが稼働する現代社会において、人間と世界を知る上で、 これまでにない重要なインパクトを示す身体感覚とその風景について考察し、かつ体感し て頂く機会となれば幸いである。

1 エリカ・フィッシャー=リヒテ『パフォーマンスの美学』、2009年、中島裕昭、平田栄一朗、寺尾格、三輪 玲子、四ツ谷亮子訳、論創社、p. 100。

2 初期の頃、メンバーとして活動していた加藤至は、2009年に「ヒスロム」という3人で活動するグループを結成し、都市と田舎の境界領域でパフォーマンスやインスタレーションを手がけている。

3.ファブリス・イベール氏は本展図録で、「リボーンアート・フェスティバル2017」で実見したコンタクトゴンゾたちの活動について執筆している。

4.丸亀市猪熊弦一郎現代美術館が2015年に開始したパフォーミングアーツプロジェクト〈PLAY〉という稀有な企画を担当した国枝かつら氏は、本展図録で塚原悠也とのインタヴュー行っている。

5. 本稿は著者がパリ日本文化会館展示部門〈トランスフィア〉アーティスティック・ディレクターであった2020年に開催した« Watching you surf on beautiful accidents »展のキュレーターとして、2020年2月に当会館から出版された仏英語図録に執筆した原文である。さらに2021年3月に国際交流基金が日英語で出版した『現代アーティスト・シリーズ記録集 トランスフィア2016−2020』に収録されている。本展のタイトルについて、塚原悠也は「理性や都市計画は、ある種の幻想でしかなく、身体は実際に日々大小のアクシデントにまみれながら、それに翻弄され、ときにサーファーのようにそれを乗りこなしつつ、力学として応用してゆく。」と説明している。パリで開催された本展では、動き続けるパリという都市の延長として、最初に塚原悠也の海外では初めてのモーターで動くベルトコンベアーのスペースを設置し、マネキンの手や足などが奇妙にその上を流れてゆく。そしてその裏側のスペースで、被災地石巻の森で生活したコンタクトゴンゾの鹿との出合いやこれまでのパフォーマンスを紹介するとともに、観客が自ら参加して小枝で楽しめる場所も設けた。危うい統制と制御のもとにAIが稼働する現代社会において、人間と世界を知る上で、これまでにない重要なインパクトを示す身体感覚とその風景について考察し、かつ体感する機会となればと願い、オープニングには、コンタクトゴンゾのスリリングなパフォーマンスが披露された。好評だったため、3月の閉幕時にもパフォーマンスを予定したが、会期の最終日を待たずに、コロナによるパリのロックダウンで閉幕した。

写真:上から、会場写真、これまでのパフォーマンスの写真をカットしてコラージュして作った4つの新作のうちの2点:Image from hell 01-04, 2019, photos, collage, 141.4x100cm each、オープニング・パフォーマンス

撮影:岡部あおみ

著者: (OKABE Aomi)

国際基督教大学、パリ、ソルボンヌ大学修士、ルーブル学院第三課程卒業。5年間メルシャン軽井沢美術館のチーフキュレーター、12年間の武蔵野美術大学芸術文化学科教授、また2年間のパリ高等美術学校の講師と客員教授、1年間のニューヨーク大学客員研究員を経て、2014年-2020年、国際交流基金・パリ日本文化会館アーティスティック・ディレクター(展示部門)、2018年より上野の杜新構想実行委員会国際部門ディレクター。「前衛芸術の日本1910‐1970」(1986年パリ・ポンピドゥーセンター/コ・コミッショナー),「国際美術映像ビエンナーレ」(1990,92年同センター審査員),「ジョルジュ・ルース阪神アートプロジェクト」(1995年),「ジョルジュ・ルース in 宮城」(2013年), 2016年以降、パリ日本文化会館で「真鍋大度+石橋素」展、「内藤礼」展、「米田知子」展などのキュレーターを務める。監督作品に『田中敦子、もう一つの具体』、著書に『アートと女性と映像 グローカル・ウーマン』、『アートが知りたい 本音のミュゼオロジー』(編著)他。

http://apm.musabi.ac.jp/imsc/cp/ (Culture Powerのサイト)