【提言】美術展DMを絶滅の危機から救うために 市原尚士評

美術展のDMはもはや絶滅危惧種なのか?」の続編として、DMを絶滅をさせないためにどうすればいいのか、その処方箋を示したいと思います。

DMは足で稼いで、自ら取りに行け

前編で紹介した「Postkartenkilometer」展で紹介されていたDaniel Rodeの作品であるポストカード2点と展示のリーフレット(右端)

美術展のDMやチラシの文化的意義は分かるけど、コストがかかりすぎるとお悩みの作家さんやギャラリーにお勧めしたい方法があります。現在開催中の展示DMと今後開催予定の展示DMを自身のギャラリー内に配置するのです。と同時に、他のギャラリーにもDMを置いてもらう、というのがその方法になります。つまり、DMなどの紙資料はきちんと制作するが、郵送は(ほとんど)しないというものです。

「なんだ、そんなの今でもよく見かける光景じゃないか」とつぶやいた方、多分いらっしゃるでしょうね。あなたのおっしゃる通りです。今でもよく見られる風景です。顧客リストに基づいて300~400人にもDMを郵送するのは確かに手間がかかるし、お金もかかる。「そんなにDMが欲しいのなら、ご自分でギャラリーに足を運んで、懸命に集めてください」というのが、私の推奨する案になります。大したことのない処方箋でがっかりした方もいるでしょう? でも私は結構、大真面目です。

DMを郵送でもらっただけでは展示に行かない

そもそも、郵送で展示DMが送られてきたからといって、あなたはわざわざ遠方の会場にまで足を運びますか? 実際に足を運ぶ方は、30%もいないのではないでしょうか? 人間は娑婆の様々な用件に追いまくられていて、なかなか美術鑑賞をする暇がないのです。

足を運ばない理由は百でも千でも、いくらでも出てきます。一方、足を運ぶ理由は一つしかありません。「私は●●さんの作品を見たい」というのが、唯一の理由であり、人を動かす原動力になります。すでに作家の作品を鑑賞したことがあって、自分のお気に入りの場合もあるでしょう。美術雑誌やテレビ番組やネットの記事でたまたま知って、強い興味を持ったから見に行きたいと思うこともあるでしょう。いずれにせよ、単にDMを受け取っただけで「(機械的に、自動的に)見に行こう」となる、という選択肢はない気がするのです。

ギャラリー回りは犬の散歩と一緒

毎日、多くのギャラリー、美術館を回っている私の体験からすると、ギャラリーをよく回っている人は、散歩中の犬の姿にそっくりです。

犬の場合、大好きな飼い主さんと一緒に外出して、自分のお気に入りのコースを歩けるのがただただ楽しいんです。そして、自分の縄張り(?)の場所に、他の犬のおしっこの匂いが漂っていれば、よーくその臭いを確認してから、自分のおしっこを上から引っ掛けて一安心するんです。

ギャラリーをよく回る人も犬とまったく同じです。まずはコースから説明しましょう。たとえば私の場合、東京都内は言うに及ばず日本の全国各地に旅をする際の「美術的お散歩コース」がはっきりと存在します。

神戸に行ったら、最低限、「あの美術館と、あのギャラリーは訪れ、あと残りの時間はフリーにしよう」と考えます。なるべく、自分の好きな場所を多く回れるような道順を考えますし、疲れたら「あの雰囲気の良い喫茶店に入ろう」「品ぞろえのすてきな古書店も行こう」などといったことまで考えています。福岡でも青森でも名古屋でも金沢でも松本でも広島でも、要するにどんな街にも私なりのお気に入りのルートが存在するのです。

東京都内及び東京近郊の場合は、よりルートは細分化され、同時に密度も濃くなってきます。私の場合、毎週土曜日が一番、多くのギャラリーを回れる日になるのですが、例えば、こんなルートで回ります。

  1. 「天王洲アイル→六本木→西麻布→表参道→外苑前→原宿」
  2. 「上野→根津→日比谷→銀座→京橋→日本橋」
  3. 「市ヶ谷→神楽坂→茅場町→日本橋」
  4. 「清澄白河→両国→新宿→恵比寿」
  5. 「目白→大塚→巣鴨→駒込→白金高輪」
  6. 「神田→新日本橋→人形町→小伝馬町→馬喰横山→浅草橋」
  7. 「西船橋→初台→新宿三丁目→銀座」
  8. 「武蔵小金井→三鷹→吉祥寺→新宿→大崎」
  9. 「千葉みなと→葭川公園→西千葉→稲毛→船橋→西船橋」
  10. 「平塚→茅ヶ崎→辻堂→鎌倉」

まだまだたくさんのルートが存在します。どうしても行きたい展示が催行されている美術館、ギャラリーがあったら、その施設を一番で訪れ、鑑賞が終わったら、自然に足を伸ばせるエリアを自分なりに考えていくと、おのずとルートが浮かび上がってくるのです。施設の位置、交通機関のルート、その日の体調などなども勘案して、ルートが決まります。

最初に行った展示があまりにも素晴らしい場合は、4時間以上、滞在することもあります。それが美術館だとして併設の図書室があれば、展示と関係のある書籍を読みふけったり、コピーしたりする場合もあります。こうなると半日はかかってしまいますが。

美術好きの方が、私のあげたルートを見れば、「あの美術館に行って、あのギャラリーに行くんだな」とピンと来るはずです。

私という「一匹の犬」は、私の飼い主である「美術作品」と一緒に、街から街へ移動するのが楽しくて仕方ない。ギャラリーに芳名帳があれば、おしっこでもひっかけるように、ちょいちょいと下手くそな署名を残していくわけです。(そういえば、紙の芳名帳も絶滅危惧種になりつつありますね、DMと同様)。

芸術鑑賞は歩きが一番

私の美術散歩は、大概が歩きです。前述した「ルート1」で言いますと、天王洲アイルから六本木までは当然、東京モノレールと都営大江戸線を乗り継ぎますが、「六本木→西麻布→表参道→外苑前→原宿」の部分はすべて歩きます。歩くのが一番、楽しいからです。前はなかったカフェが新しくできていれば、ちょっと入ってみる…とにかく街中をウロチョロしているのが至福の時なのです。

私の土曜日は、そんなこんなで一日に30か所ほどのギャラリーや美術館を回ることになります。その小さな美術旅行の合間に私は自分の気になるDMやチラシを集めます。この紙資料が、後日に予定されている美術旅行のルートを決める際の一番の参考材料になるのです。私はSNSの画面を見ると、目が疲れてしまうので、X(旧ツイッター)やインスタグラムやフェイスブックをほとんど見ません。自分の足で稼いだDMやチラシを見て、すべての鑑賞ルートを決めているのです。

自然発生する鑑賞ルート

定期的にギャラリー等を回っていれば、自分の好みの場所がはっきりとわかってきます。画廊オーナーの方と趣味が合っていれば、自然と足も運びやすくなる。自分と同じ(似た)匂いがするオーナーの運営するギャラリーは、初めて訪れても、すぐに「ここは自分の居場所だ」と分かるのです。

自分の感性とよく合致するギャラリーを見つけたら、その店内の片隅に置かれている他ギャラリーのDMをもらっていきましょう。大概は、同じ匂いのギャラリーのものばかりです、置いてあるのは。そして、もう一軒のギャラリーに行ったら、また、そこでも同じようにDMをもらいましょう。このDMでも初めて目にしたギャラリーがあったら、また足を運びましょう。こうやって、どんどん芋づる式に自分のお気に入りの散歩コースができあがっていくわけです。

だから、私は心底から皆さんにお勧めするのです。「月に一回程度でも結構なので、美術的小旅行を楽しんでみてはいかがでしょうか?」と。一、二年も続けていれば、自分なりの散歩コースが誕生しているはずです。

郵送されてくるのを座して待っているのではなく、自らが能動的にDMを取りに行く、小さな旅を私は推奨しました。これをギャラリーや作家の側から捉えれば、郵送はしなくとも、心を込めたDMは制作し、ギャラリー内に配置しておけばいい、ということになるでしょう。

もちろん、それでOKなんです。OKなんですが、やはり私は一定程度、郵送によるDM送付は残したいと思います。その理由を以下に述べます。

エイジングこそがDMの魅力

独ライプツィヒの美術館で配られていたカードは、創造的な鑑賞を行うためのお供だった

DMを郵送し、相手に到着するまでは結構な時間がかかります。電子メールなら世界の裏側でも瞬間的にメッセージは送れるのに、郵便は送付にとても時間がかかる遅いメディアです。私はこの「遅さ」に注目します。

遅いということは、DMの出し手と受け手との間に心理的、物理的なズレを生じさせます。このズレがあるからこそ、DMはエイジングを果たします。出した人の思いが小さく熟成して(変容して)、受け手の元に届く。受け手は受け手で、素敵なDMであれば、何度も何度も読み返して、自身の心の中で熟成させることが可能なのです。

電子メールは即物的すぎて、リッチな感じがまったくしないのが、一番の欠点です。郵送によるDM送付であれば、色々な細工が施せます。例えば、あなたの自慢のDMを封筒に入れて郵送する場合、次のような遊び方が可能です。

物質だからこそ、ぜいたくな遊びも可能

使う封筒と便箋とDMの紙質をすべてそろえる。超高級なクレイン社やスマイソン社の封筒と便箋をあえて選択してみる。展示作品のモチーフに合った切手を探しておいて、あえて40年前の切手でもいいから、それを貼ってみる。モンブラン社の万年筆に限定カラーのインクをいれて、手紙もしたためる。便箋は全部、書いた後、相手の好きそうな香りをつける。例えば、バラの香りの好きな方に送るのであれば、ゲラン「ローザ ロッサ フォルテ」を空中に一噴きして、便箋をくぐらせるとか。

ややスノッブな方向性に傾いた遊び方ばかりになってしまいましたが、郵送によるDM送付は、それそのものが芸術行為といっていいくらいの自由さがあるということを私は言いたかったのです。

電子メールは単なる文字情報が機械的に送られるだけ。郵便は、工作を楽しむのと同様、あれこれ創意工夫を凝らして、おもてなしの心そのものを送ることができるわけです。どちらが、芸術との相性が良いかは言うまでもないでしょう。

私は、ぜいたくでスノッブなDMを送りましょうと提案しているわけではありません。「自分なりに創意工夫を凝らしたDMを送ろう」と言いたいだけです。展示される作品と同様に、DMやチラシも作家さんにとっては立派な作品だと思うので、そこで手を抜いたらまずいと言いたいだけなのです。

メール・アートの詩情と強度に注目!

他民族への寛容を訴えるメッセージが表記されたカード

また、郵送によるアートとして、すぐに頭に浮かぶのが河原温や嶋本昭三らによるメール・アートです。あくまでも郵便物として、あるメッセージを記したカード等を封入し、郵送する行為そのもの、その全体が芸術であるという主張となります。

私が一番、好きなメール・アートは、松澤宥の「ハガキ絵画」です。1967年から1年間、毎月1回200枚ほど刷って、うち50枚を知人に郵送したという伝説の芸術行為です。ある作品には、こう書いてあります。

「絶対確実なことはあなたも宇宙もやがて消滅することです その前にとくと人類の到達した一番高雅な営みを行ないましょう」(部分引用)

 

もちろん、電子メールを用いたアートも存在しますが、郵送によるメール・アートの放つポエジーの強度にはとても太刀打ちできない気がします。

松澤の継続した行為はかなりコンセプチュアルなものだったので、簡単に郵送による一般のDM送付とは比べられないかもしれません。ただ、仮に松澤の域にまでは達しなかったとしても、美術作家として、創意工夫を凝らし抜こうと決意した方には、やはり郵送によるDMをお勧めしたいのです。

封筒やインクに高級なものを使い、あえて古い切手を探して貼らなくともいいんです。あなたの考えた、創造的なDM送付を自身の日々の鍛錬として加えてみませんか? 10枚でもいいから誰か特定の相手に郵送することを継続してみる。

あなたも松澤と同様、50年後、100年後には、「伝説の芸術家」と呼ばれているかもしれませんよ?

まとめ

美術ファンは、自分の足を使ってDMを集めましょう。

作家やギャラリーは、自分たちの日々の営みが文化芸術の発展に大いに寄与していると信じ、作品を展示するだけでなく、DMを送付するところまで細かく心を配りましょう。

美術ファンとギャラリー、そして作家の熱い思いがケミストリーを起こせば、もっとアートを巡る状況は活性化するはず。

諦めるな! 郵便料金の値上げくらいでDM送付をやめてしまうな!

美術にかかわる人間にとって、まだまだ、やれることはたくさん残ってるのだから。(2024年9月23日14時42分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。