美術展のDMはもはや絶滅危惧種なのか? 市原尚士評

美術界が2024年の秋、大きな変動を迎えようとしています。日本郵便による郵便料金の値上げが、展示の案内状(DM)送付を直撃しそうなのです。あまりにも手紙やはがきの料金がアップするため、DM送付を全廃、もしくは縮小しようとする動きが今、出てきています。

「ホームページで告知すればいいでしょ」「SNSの有効活用で乗り切ります」「そもそもDMなんて意味あるの?」と言った声もあちらこちらで聞かれます。そのような声を承知の上で、私はこう断言します。「DMは、それそのものが文化であり、決してなくしてはいけない」と。今や絶滅危惧種になりつつある「紙のDM」の深い文化的な意義を考えてみたいと思います。

私が日常的に回る画廊のオーナーの中からDMに対して異なる考え方、スタンスを持つお三方の意見を独白の形式で紹介しつつ、さらに私の個人的な考え、DMに強い思い入れを抱くギャラリストの意見も紹介していきます。

【まずは簡単な事実関係のおさらい】

都内の某ギャラリーが郵送してきた、10月以降のDM停止を 告知する文書。同様の動きが他のギャラリーでも頻発している

郵便料金の値上げは2024年10月1日から実施されます。定形郵便物の手紙は、重さ25グラム以下の料金が84円から110円に。50グラム以下の料金がいまの94円から110円にそれぞれ値上げされます。はがきは年賀はがきも含めて、63円から85円と約35%もの料金アップです。

電子メールが普及し、最近では自宅のポストに手紙やはがきを見かけることはまれになりました。年賀状だって、私の肌感覚では数十年前に受け取っていた枚数の半分以下になっています。人件費や物流コストの上昇を考えると日本郵便による今回の値上げはやむを得ないものだったとは思います。ただ、この値上げは「焼け石に水」に終わるでしょう。数年後、さらなる値上げをしないことには、郵便事業を維持することは厳しい、はずです。

【DMなんていらない? A画廊オーナーの独白】

今まで各展示、300人のお客様にDMを出してきました。でも10月1日以降は200人に絞ろうと考えています。人件費、光熱費も高騰している中、通信費にこれ以上のお金をかけるだけの体力がウチにはもうありません。

そもそもDMを欲しがるのは、ネットと縁遠い高齢の方々ばかり。そして、終活も視野に入れた高齢者にとって、ご自分がこれまで集めてきたコレクションをどう処分するかは頭にあっても、これから新しい美術品を購入しようというマインドは、ほぼありません。つまり、画廊に来てくれても買ってはくれない。

一方で、ツイッター、フェイスブック、公式ホームページを活用した展示の宣伝は非常に効果があります。お金もそんなにかからない上に、正しいタグ付けなどを施すことによって、その作家さんに興味のある多くの方にアピールできます。正直、ネットだけで宣伝は十分で、DMはもういらないかもしれません。

【DMは必要だと思うけど…B画廊オーナーの独白】

ウチも困っているんだよねー、DM問題は。DMを受け取って画廊を訪れるお客さんのほとんどは購入してくれない。購入するコレクターの方は、展示が始まる結構前から、直接、あるいは間接的に私に接触をスタートさせていて、実は展示が始まる前には「売約済み」または「売約の見通し」になっていることが多いんですよね。実際に購入する方は、DMを見ている訳じゃないということ。

もちろん、DMに文化的な意義があることは私だって十分承知していますよ。でもねー、これだけ通信費が上昇すると、今まで通りの人数に送付するのは厳しい気がする。絞る方向で検討中です。

例えば、自分の画廊のご近所さんにある他の画廊4店舗と合同のDMを制作し、その費用を分担する、みたいなことをしてみるとか? ただ、この方式で製作されたDMは、展示の会期や個展名などの文字情報を羅列した、味も素っ気もないものになっちゃうでしょうね。

【DMは絶対に必要な存在…C画廊オーナーの独白】

田中彰「NATIVE/AROUND」展のDMは、魚の干物を模している

作家と画廊が創意工夫を凝らして製作したDMは、それそのものが芸術作品のような存在です。展示が主、DMが従と思われがちですが、展示終了後、50年、100年たった時も残るのはDMですよ。展示そのものは見た人の心のどこかに定着されるかもしれないけど、基本は消えてしまう。でも、DMは作家や鑑賞者がこの世を去った後でも残るんですよ、物質としての確実な存在感を保持しながら。

そもそも、経済効率やら利潤追求やら、そんなお金のことばかり考えていたら、画廊オーナーなんて実に間尺に合わない存在ですよ。美術という役に立つか役に立たないかよくわからない「夏炉冬扇」的なものを扱う以上、最初から「コスト的には厳しくても、必要なものは歯を食いしばってでも継続する」という覚悟は決めておかないと。もうけが減るからDMはやめようと考える方は、そもそも、この仕事に向いていないと思います。私はDMの送付数は絶対に減らしません。

【DMが絶対に必要だと思う市原尚士の独白】

年間で4000~5000か所のギャラリー、美術館を回っています。どうやって、回る場所を決めるのか? その決め手となるのは、やはりDMやチラシになります。経験上、DMやチラシがイマイチな場合、実際に訪れると、やはり内容もパッとしないケースが多いです。もちろん、DMやチラシが良くても、中身がスカスカな場合もあるにはありますが。

作家もギャラリーも志が高ければ高いほど、展示そのものと同じようにDM、チラシ、カタログの製作でも絶対に手は抜きません。おのずと、DMが良いと、展示も良くなる確率は高くなるのです。

メールでも個展案内はたくさんいただきますが、メールの文章は、画面をスクロールすると、瞬間的に消え去ってしまう、忘却してしまうような感覚があります。だから、展示を訪れる際の参考にはしていません。メールの案内は記憶には残りにくいんですね。DMには物質として確固とした存在感があります。自分の手で持ち運べるものがやっぱり一番強いと思うわけです。

先日、ドイツのドレスデンで開催された「Postkartenkilometer」という展示を見てきました。これは、戦後ドイツを中心とするヨーロッパ美術界のDM約500枚を一堂に集めたもの。英国の作家ジェレミー・クーパーの膨大な個人コレクションの中から厳選された約200人のアーティストによるDMが、きれいに並べられており壮観でした。実際の美術作品は1点も飾ってなかったのですが、それでもヨーロッパの美術の流れが一目で展観できる興味深い内容でした。

一般に配布されるDMというよりは、枚数が極めて限定された、ほぼアートピースといっても過言ではない、凝ったものが多かったので、単純に現代日本のギャラリーが配布する廉価版(?)DMとは比較できないかもしれません。ただ、質の違いこそあれども、DMの持つ意義の大きさは改めて実感させられました。

私の場合、決して芸術的でもなんでもないDMであっても、展示会場に持参していくことが多いのですが、これも鑑賞にとってプラスに働きます。そもそも会場が分かりにくい場合はDMに載っている地図を見ながら足を運びます。会場に到着し、作品を鑑賞している際に、作家のステートメントを書き写したり、自分の感想を記したりした上で、そのDMを保管しておけば、自分なりの簡易版鑑賞記録集ができあがります。

色々な利点があるDMは、美術鑑賞の際の最も身近なお供になる存在です。だから、私は絶対にDMが必要だと考えます。

【DMの持つ重要性を改めて考える】

Ahmed Mannanの個展「私の好きな食べ物は」のDMはなんと食堂によくあるおしぼりだ

たとえばですが、皆さんはある美術作家の没後50年とか100年を記念した回顧展を行かれたことはもちろんありますよね?

その会場で、絵画などの作品と同等の重要性を持って、30年前、50年前、70年前の個展DMが資料として飾られているケースが多いのは皆さんもご承知でしょう。

そうなんです。フォルム画廊、タケミヤ画廊、みゆき画廊、南画廊などなど著名な画廊で開催された個展DMが展示会場内に置かれているケースは実に多いです。

DMの歴史的価値は、「●年●月●日から●月●日まで、●●画廊で個展が催行された」ことを裏打ちする一級の資料であるという点に尽きると思います。美術的に優れた内容のDMも存在しますが、一義的には、展示が確かに催行されたことの証明になる点が重要なのです。もちろん、DMだけ刷られて実際の展示は催行されなかったというケースもまれにありますが、それはほとんど例外でしょう。

また、DMに寄せられた文章を誰が書いたのか? DMに画像が使われている場合、どの作品が使われたのか? そのような周辺情報も非常に重要だと思います。

現代美術資料センターを主宰した故・笹木繁男が足でかき集めた膨大なDMは、貴重な文化遺産として認識され、同時に活用もされ続けていることが、DMの重要性を証明しています。

ギャラリー公式HPのアーカイブ欄に収められた展示に関する情報は、画面をスクロールした瞬間に消え去ってしまう感覚が濃厚だから、どうしても回顧展の会場では使えません。結局、DMが過去の展示の生き証人として、最も信頼性の高いメディアなのです。DMを丁寧に分析すると、作家の意外な交友関係が分かったり、同時代の美術傾向との交流が分かったりします。

DMは作家の身体や生理と直結した一次情報です。ネット空間のアーカイブは、作家の身体性がまったく感じられない。だから、「記憶の器」たりえないのです。

【ギャラリーカメリア・原田直子さんの独白】

さて、ここで、丁寧なDM作りに関しては右に出る者がいないのでは?と私がいつも感心させられているギャラリーカメリア(東京・銀座)のオーナー・原田直子さんによる独白をご紹介しましょう。

彼女は茶人でもあるので、毎回の個展がまるで茶会のような雰囲気を放っています。そんな彼女の個展やDMに込めた思いは、実に深切を尽くしたものです。

今回、たっぷりと展示やDMへの思いを語ってくれましたので、その一部をご紹介します。以下、原田さん談。

展覧会は1年以上前から計画をスタートさせて、作家アトリエに赴いて、さまざまな話を伺います。制作のことだけでなく、お暮らしぶり、ご家族のことなど、お互いの近況を話し、信頼関係を築くことで、作品と作家に少しでも近づけたら、多くの方にその魅力が伝えられたらいいなと考えて進めています。

展覧会の核が決まったら、デザイナーに伝えて、作家もデザイナーも一緒に案内状を考えます。作品を見続けてくださって、作家のことを理解してくれている関係の深い学芸員や評論家に寄稿いただく場合は、その方も一緒に、あらためてアトリエでご取材いただくなどしています。

そんな風にアトリエでの素材やテキストを集めた上で、今回は本のページをめくるような案内状にしたい、結婚式の招待状みたいにしたい、などとイメージを話し合い、いつも飾って、「捨てられなくて困っちゃうよ」とお客様から言われるような案内状を目指しています。

作家のアトリエに行くところからが、既に「作品」で、展覧会は1年前から始まっています。茶人の私が茶会を催す際、来てくれるお客様の顔を浮かべながら、しつらいを考えるように、案内状を作成します。

もちろん、フェイスブック、インスタグラムやX(旧ツイッター)も活用はしています。3つのアカウントでフォロワーは延べ4000人程度になるでしょうか。弱小ギャラリーながら、フェイスブックは闊達にコメントくださる方多く、あたたかく、インスタグラムは知らない若い方や海外の方もチェックしてくれているそうで、ギャラリーでそう話してもらえることがよくあり、どちらも嬉しいです。海外からのリピーターのお客様もいらっしゃるのですよ。

SNSも活用していますが、紙の案内状をお送りしている方も300~400人くらいはいます。SNSやメールニュースでのお知らせでも伝わるでしょうが、郵送料金があがっても変わらずお送りしたいと考えています。

発送先は展覧会によって変わります。変わらないのは学芸員や評論家、ライター、メディアなど、美術関係者100人くらい、仲良くしている作家100人くらい、お客様100人くらいがマストメンバーで、プラス、お客様のお好みを想像して変わるのが、あと50人程度かな。

展覧会ごとに変わるけれど、手間も経費もたいへんなので、トータルで400人は超えないようにしています。

案内状送付者のうち、60%はSNSをご覧になっていないと思われます。年齢はさまざまです。カメリアでは比較的高額の20〜50万円をお求めくださるコレクターは、SNSはほぼご覧になりませんので、お手紙はとても大切です。その金額の作品をいつもご購入いただくわけではないですし、毎回の展覧会にいらっしゃるわけではありませんが、案内状は来ていただくためだけにお送りしているわけではありません。

ギャラリーが良い展覧会をしているという活動報告でもあり、お客様がお元気でいらっしゃるか生存確認でもあり、買われた作品を問題なくお楽しみいただいているか、作家も元気だと伝えたいなど、折々のお手紙の気持ちも大きいです。

また、わたしにとってお客様は、大好きな作家の魅力を共鳴、共振できる同士でもあります。お知らせすると、御礼のお手紙やメールを返していただくこともあり、桃など季節のものやお菓子などをいただくこともあります。ギャラリーの仕事とは定義できるものではないと感じていて、それぞれのギャラリーで特色があっていいと思っています。

ただ、私に限定して言えば、今のお客様を大切に、丁寧にやりとりを重ねることが、一番大事です。その意味でも案内状の送付はこれからもやめないでしょうね。(以上、原田さん談

【DMの復権を目指して】

ギャラリーカメリアの原田さんは、衰退の一途をたどっているように見えるDMの魅力を復権すべく、ある興味深い展示を2025年6月下旬に開催する予定です。

2024年4月1日から2025年3月31日までの期間に催行された展覧会の展評を広く一般から募り、すべての応募作品を紹介しようという試みです。

展覧会のDM、フライヤー、ハンドアウトに直接展評を書き込むか、書いた紙をDMに貼る(添える)、書いた紙を台紙にしてDMを貼るなどして展示するそうです。書いた人の息遣いが感じられる手書き文字を極力推奨している点もユニークです。プロの批評家や学芸員のみならず、一般の美術ファンも対象にしています。老若男女や国籍・民族を一切問わず、自分の気に入った展示の感想や批評をDMと共に広く世に問える好機です。

このような試みがDMの復権につながり、「DMなんて意味ないから、もう送るのはやめよう」と考えているギャラリーの方に「いや待てよ、もう少し頑張ってみようか」と考えるきっかけになればいいな、と思います。(2024年9月16日16時13分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。