色を着る意味 市原尚士評

かつて、子供は泥んこになって遊ぶものでした。現在は、衛生面での問題を感じる親御さんが多いのか、泥まみれのお子さんの姿をあまりみかけません。公園などで小型の噴水を浴びて、ずぶ濡れになってはしゃぐ子供の姿は猛暑の時期に時々、見ますが、泥の方はどうにもこうにも不人気です。

それでは、アーティストは?
彼らは何にまみれているでしょうか?
非常にピュアな方たちが多いので、まさか「金銭」や「名誉」や「権力」ではないでしょう。
すばり、彼らは、「絵の具」にまみれているのです。

「あぁ、あれのことね」「もしかして、あの人のこと?」と思い当たる方も多いでしょう。
そうです、賢明なあなたが想像した通りです。

絵描きさんは、どういうわけか、衣服が絵の具まみれの方が多いのです。
マスメディアに登場する際の写真を考えてみてください。
ある方は、白いシャツのあちこちに絵の具が飛び散ったように付着しています。普通に制作していて、こんなに絵の具がつくのかな?と少し疑問を覚えるくらいの絵の具の跳ね方です。

彼らは大げさに飛んだり跳ねたりしながら制作するのです。しかし、飛んだり、跳ねたりしながら制作するというのは、いささか常軌を逸しています。

そこで、彼らはもっともらしい理由をひねり出します。「鎮魂の祈りの舞踊(ストローク)が、そのまま絵画になっているのだ」「神と戯れながら、啐啄同時でインスピレーションを得ている」などなど、かなり無理のある「もっともらしい理由」を私たち見るものに伝えてくれます。

神がかれば神がかるほど、話がどんどん嘘っぽくなっていきます。原因と結果とが顛倒しているようにも思えます。つまり、懸命に制作したから、衣服が絵の具まみれになるのではなく、衣服を絵の具まみれにしたいから制作(のふりを)しているのだ、と。

受験勉強が大嫌いだった筆者には、この絵の具まみれのシャツを見るたびに頭に浮かぶ情景があります。今、思い出しても恥ずかしいのですが、読者の皆さんに正直に告白しましょう。

筆者は、自分の使っている参考書や問題集を意味もなく触りまくり、乱暴にページをめくり、消しゴムを強く押し付けて、ページをひきつらせて、結果、真っ黒のぼろぼろにすることに血道をあげていたのです。

勉強をたくさんしたからぼろぼろになった訳ではなく、とにかく、ぼろぼろにすることを目的にひたすら問題集などに「汚し」を入れたわけです。このようにあほくさい行為をした狙いは大きく2つありました。

1つ目。他人から見られたときに、「(市原の)勉強の本、ぼろぼろじゃん。すげー頭良さそう」と思ってもらえるということ。いわば、自己顕示欲の一種でしょう。

2つ目。これだけ、勉強本をぼろぼろにしたんだから、成績上がらないかな、という意味不明の“祈り”のような意味合い。実は他者の目を意識した1つ目の理由よりも、この2つ目の理由の方が自分としては重視していました。勉強そのものをするのではなく、本がぼろぼろになったのだから、自分の頭も良くなるだろう。いや、必ず良くなってくれるだろう、というせこい祈りです。

絵の具まみれシャツにまた話を戻しますね。筆者の問題集と事情はたいして変わらない気がするのですよ。他人が見たときに「すげー、●●さんのシャツ、絵の具まみれじゃん」とビビッてもらえるし、シャツが絵の具まみれになったのだから、自分の作品も良い(に違いない)とも思えるわけです。

絵の具まみれシャツの起源がどこにあるかを冷静に考えると、あの方の姿が自然に思い浮かびます。そう、ジャクソン・ポロック(1912~1956年)です。彼の代名詞ともいえる「アクション・ペインティング」をすれば、そりゃ、自分の着ている服は間違いなく絵の具まみれになることは必至です。もう一人、ジャン=ミシェル・バスキア(1960~1988年)の姿も思い出されます。

絵の具まみれで、かなりのダメージ加工が施されたレ・シスの2026年春夏コレクションの一点(提供:レ・シス)

もはや、絵の具まみれの服がファッションの一つのジャンルになっているような気がします。様々なファッションブランドで、この「まみれシャツ」がちょいちょい登場します。2026年春夏コレクションのルックブックを見ると、やはりありましたね。

デザイナーの川西遼平をはじめとする日本人の創作家集団が手がけるファッションブランド「LES SIX(レ・シス)」の2026年春夏コレクションの中に、絵の具まみれでダメージを施したコートが提案されていました。著名なブランドで絵の具まみれというギャップが余計に「おしゃれ感」を醸している気がするのです。

またまた、恥ずかしい告白をしましょう。筆者も、コートではありませんが、絵の具まみれのシャツなら、某ブランドのものを愛用していたことがありました。あまり、ブランド名は言いたくありませんが、まぁ、誰でも知っている著名なブランドであるのは間違いありません。

白いシャツの上に絵の具の模様がプリントされているだけで、まさか本当に、本物の絵の具が服の上に飛び散っているわけではありませんでしたが…。あっ、そうそう、Tシャツにもこの絵の具まみれ柄はよく見かけます。この、「まみれTシャツ」も某ブランドのものを割とよく着ていましたね。

もはや、定番化したファッションの一ジャンルになっている気さえします。ファッション業界で、絵の具まみれが登場するのは、デザイン感覚の一種として理解できます。しかし、アート界で、2026年の今、絵の具まみれで人前に登場するのは、いささか恥ずかしい気もするわけです。アート業界には、結構、この絵の具まみれで自己プロデュースしている方がいらっしゃいます。

そういう方に私は言いたいのです。
「絵の具まみれになったからといって、あなたの作品のクオリティーが上がるということはありませんよ」と。あまり奇をてらうことなく、普通に制作するのが一番かと思います。

問題集をぼろぼろにしましたが、筆者の成績はまったくあがりませんでした。芸術家の皆さんも、「形」から入るのではなく、「中身」を充実させてほしいものです。

でも、レ・シスの絵の具まみれ服、かっこいいですね。筆者が、高級そうな画廊のオープニングパーティーか何かで、このレ・シスのコートを着て、胸元に赤いバラを一輪さして颯爽と現れたら、皆さん、笑ってやってください。「ただの物書きなのに、アーティストぶりたいのね」と。

ファッションとアートは相性が抜群です。どちらかと言うと、ファッション側がアートを利用しているような気もします。そして、アーティストも自身の経歴に嬉々としてこう書くのです。「私の作品と『●●高級ブランドの名前●●』とがコラボレーションした新アイテムがローンチされました」と。まるで、大手柄のようにアーティストは高級ブランドとの近しさを誇るわけです。

高級ブランドに目をつけられたのは、あなたの作品の“商品臭”“売り込み臭”を彼らが敏感に感じ取った結果です。恥じるなら分かりますが、大喜びするのは「?」と大きな疑問符がついてしまうと思います。

なーんて、偉そうなことを言いましたが、筆者だって、エルメス、プラダ、シャネル、ルイ・ヴィトン、グッチなどの運営するギャラリーから展示のテキストを書いてくださいなどと依頼されたら、尻尾をぶんぶん振って、笑顔で応じてしまいそうです。そして、自分の経歴を書く機会があれば、エルメス主催の●展ではカタログにテキストを寄せた、と太字ゴチックで書いてしまいそうです。

人は誰しもが、権威ありそうなもの、お金がありそうなものには弱いということですね。まぁ、私ごときにハイブランドから寄稿の依頼なんて間違ってもこないので、その点は最初から安心しています。でも、万が一、そんな依頼が来たら……やっぱり大喜びで即、引き受けそうですね。本当に情けない、わ・た・し。(2026年1月26日22時47分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。