CLEAR GALLERY TOKYO(東京・六本木)といえば、グラフィティに出自を持つアーティストをはじめ、ちょっとほかのギャラリーでは見られない、ヤンチャで生きの良い作家さんが集結する、実に素敵な空間で、筆者は大好きです。権威主義的な思考法・発想法からはあえて背を向けて、辺境の地、周縁部分を目指していく……そんな無頼な気持ちが横溢しており、楽しいことこの上ない。
1992年、千葉県出身の沼田侑香さんの個展「-GAME OVER-」が開催されていたので、いつものようにじっくりと鑑賞したのですが。

「花札 蝶」
これが理屈抜きに面白かったのです。素材は、知育玩具の一種、アイロンビーズです。小さくて短いマカロニのような形状をしたポリエチレン製のビーズです。沼田さんは、多くの色彩のあるこのビーズを用いて、「絵」を描いています。

「花札 猪」
今展は、ご本人がゲーム好きということもあり、様々な玩具、ゲームが登場しています。花札、麻雀、トランプ、UNOにまつわるプレイ中の風景や、絵札そのものがモチーフになっているのです。

「Game over」
会場の動線に従って、反時計回りに鑑賞していくと、最後から2枚目の作品はゲームの画面でした。「(ゲームを)続ける?やめる?」と問いかけてくるおなじみの画面ですね。最後の作品は、「Game over」と読めます。つまり、これでおしまい、ということです。
筆者は、このゲームがとても気に入ったため、何周も何周も、ゲームにまつわる絵画を鑑賞しました。沼田さんは、小さなビーズをまさに「ピクセル」として捉えています。デジタル画像を構成する色のついた最小単位を表すピクセルは、「画素」とも呼ばれています。ピクセルが大きいほど、画像としての解像度は高く、ピクセルが小さいほど、解像度は低くなります。

「JOKER」
ビーズを巧みに選択することによって、色彩の濃淡、変調だけでなく、画像の解像度までをコントロールしています。その絶妙な「目の良さ」を生かして、サイコロが空中を舞っている際の光景を一連なりに物質化してみせるのです。
石川県立美術館が誇る、画家・鴨居玲(1928~1985年)コレクションの中でも人気の一作「静止した刻(とき)」では、3個のダイスが放り投げられた瞬間で時間が止まっている光景が描かれています。沼田作品の場合は、鴨居とは逆に、空中のサイコロをねじれた1本の千歳飴のように加工して、いわば「静止した動画」のようにして見せている点がユニークです。
ゲーム画面でよくお目にかかる画像が、作品内に取り込まれているだけでなく、沼田は、ネット用語で不具合を表す「バグ」も積極的に表現してきました。沼田の制作した作品は、それそのものが「現実」として存在して、ギャラリーの壁面に設置さえされている。ところが、その作品の中で描写されているものは、「仮想」の世界であって、決して現実世界の中で人間が知覚できるものではなかったりするのです。
面白いのは、人間が知覚できなかったとしても、デジタル世代を生きる私たちにとって、間違いなく馴染み深く感じられるものこそが仮想現実であるという点でしょう。私たちは、すでにゲームの中のある設定やパソコン画面内のあるバグに郷愁を覚える世代になっているのです。つまり、仮想ですらが、現実の一コマである時代に突入しているというわけです。「現実⇔仮想」の二項対立ではなく、仮想をも含む巨大な現実だけの世界を想像してもらえばよいかもしれません。
多分、2025年を生きる私たちは、新しい仮想の世界を求めて、さまよっている最中なのでしょう。現実の中に仮想が取り込まれ、練り込まれ、飲み込まれ、蕩尽されてしまう世界。それは、常に新たな「仮想」を生み出そうとする世界でもあります。沼田の作品は、現実と仮想を巡る、深い思考に下支えされており、見ている者の思考を刺激してくれます。
現実の人間社会においては、「現実⇔仮想」を巡るゲームに終わりはありません。
Game over?
Not yet.

「キャベツ太郎」
ギャラリーの常設展示コーナーには、沼田さん渾身の作品「キャベツ太郎」も飾られていました。安価なスナック菓子のパッケージをやはりアイロンビーズで描いています。見ていたら、あの体に悪そうな、でも気取りが一切なくて、おいしい駄菓子が食べたくなってしまいました。(2026年12月14日15時25分脱稿)

