1.はじめに
本プロジェクトでは,環境における色彩の美や調和のイメージを広く社会で共有するために,日本色彩学会会員から「美しい色風景」というテーマで文章と写真を収集し,ウェブサイトで公開していく.その前提となる「美しい色風景」とはどのようなものなのか考察をしていきたい.

「日本の美しい色風景」日本色彩学会
https://color-science.jp/colorscape/
2.環境を音から見直す サウンドスケープ(音風景)
「色風景」という言葉は,感覚的には理解できると思うが,一般的に使用されている言葉ではない.ただ,風景に色はつきものである.景色という言葉もあるように,風景の中で色彩が占める割合は大きい.それをさらに強調して「色」と付けるには意味がある.
「音風景」という言葉がある.ある時間・空間における音の環境ということだが,1996 年には,環境省によって「残したい“ 日本の音風景100 選”」1) なども実施されており,こちらは直感的に理解でき,すでに馴染みがあるかもしれない.しかし,「音の風景」とも言われるこの言葉の歴史は意外に新しい.
もともとカナダの作曲家,マリー・シェーファーが1960 年代後半に提唱した「サウンドスケープ(Soundscape)」という概念を訳したものだ2).シェーファーは,前衛作曲家ジョン・ケージの影響を受けている.ケージは1952年に《4 分33 秒》という,4 分33 秒間,演奏者が何も音を発しない革命的な「曲」を発表した.しかし,会場の内外や観客の出す音も含めて,音が消えていたわけではない3).後にこの曲は,すべての環境の音に耳を開くものとして,積極的な評価を受けるようになる4).
シェーファーは,楽音と非楽音,人工音と自然音が織りなす音環境を,「サウンドスケープ」と名付け,体系化する作業を行っていく.その最初の集大成と言える本が『世界の調律』である.シェーファーは「世界をマクロコスモス的な音楽作品」と捉え,文献調査による過去のサウンドスケープ,自然や動物の音に加えて,カナダを中心に各国を実地調査して,様々な音環境の記譜法を掲載している.さらに,調和のとれたサウンドスケープを作り出すサウンドスケープ・デザインの可能性が示唆されている5).ある共同体の環境音を,「基調音」,「信号音」,「標識音」に分け,今までにない広域かつ非楽音の記譜法は,ケヴィン・リンチが『都市のイメージ』で示した都市の分析法も参照されているだろう6).
特に有名な調査は,教会の鐘の音が,時代ごとにどのような範囲まで聞こえていたか調べたものだ.シェーファーによると,キリスト教の共同体において最も聖なる信号音は教会の音であり,教区とは鐘の届く範囲内に定められた音響空間だったという.人と神を結び付け,悪霊を追い払うのに役立つとされていた7).しかし,産業革命後の環境騒音の影響もあって,聞こえる範囲が小さくなっていく.そこでは,近代文明によって,信仰心が薄れていくという意識の問題も明らかにされている.実は,鐘の方が「騒音」として取り外されていることが数多く報告されているのだ8).このように,サウンドスケープは,単なる物理的な聞こえの範囲ではなく,心理的な風景でもある.
物理的な環境だけではなく,心理的な風景であるため,文化によってサウンドスケープの在り方は異なる.例えば,音楽学者の中川真は,京都のサウンドスケープの歴史的変遷を調査した『平安京 音の宇宙』において,シェーファーと同様に鐘の音を調査した9).その際,東西南北の寺の鐘の音の高さを調べ,それらが中国の陰陽五行説に由来していることを突き止めた.
つまり,キリスト教と違うが,鐘の音がコスモロジーの要素になっているのだ.あるいは,インドネシアにも出かけ,ガムランや路上販売の音を調査し,西洋とは異なるアジアのサウンドスケープの体系があることを示唆した.サウンドスケープ・デザインによって,バランスを欠いた環境音を修正するには,物理的な規制だけではなく,そのような共同体の社会的側面,心理的側面を重視しなければならないのだ.
3.カラースケープ(色風景)の先駆例と可能性
サウンドスケープのような考え方は,色彩にも応用可能であろう.それがカラースケープ(色風景)である.むしろ,今まで存在してなかった方が不思議なくらいである.ただし,色彩理論は,ニュートンによるスペクトルの7 色の分割を例にとるまでもなく,音楽理論を参考にしてきた.それを考えると,音楽から展開されたサウンドスケープを参考にして,カラースケープという概念が生まれることは自然なことだろう.
共同体の「基調色」,「信号色」,「標識色」とは何か?カラースケープのnotation(表記法)は,私たちがこれからとり組まなければならない.カラースケープとその表記法の先駆例として,フランスのカラリスト,ジャン・フィリップ・ランクロの「色彩の地理学」が挙げられるだろう.ランクロが,フランス全土の土の色を比較し,土地に固有の色があることを明らかにした.さらに,写真やスケッチ,測色,素材などを調査し,自然と人工の景観に色彩の連続性があることを示した10).ランクロは後に世界各地の色彩を調査し,日本でもカラープラニングセンターに招聘され,「東京の色彩」を分析している(図1).

図1 『東京の色彩』 ジャン・フリップ・ランクロ『東京の色彩』(カラープラニングセンター・美術出版社,1972)の表紙と中面.『カラースタイリング別冊/色彩の地理学』(三栄書房,1989)より.写真や街の要素を還元化したカラーチャート,デッサンなどで構成されている.
筆者も,カラースケープとその表記法を提示する一つの試みとして,写真家・著述家の港千尋と,港が撮影したフランス全土の40 枚の写真を色彩分析し,風景の中に潜む配色の法則を明らかにした『フランスの色景:写真と色彩を巡る旅』を刊行している11).それは自然と人工,都市,人物が一体となった瞬間瞬間の風景の写真画像を,デジタル化したマンセル表色系の色空間にプロットし,その分布から色彩調和や色彩的傾向を見出すものだ.その中で,スナップショットによる写真家の恣意的なトリミング,プロのデザイナーでない人々が作り出した風景でありながら,色彩調和論に沿ったものが多いことを発見した(図2).

図2 『フランスの色景』 港千尋,三木学編著『フランスの色景』(青幻舎,2014)の中面. 風景写真の配色を分析している.漁村に並ぶ看板が建物の壁面とコントラストになっており,美しい色風景になっている.
しかし,それらの配色が,人の生理にとって普遍的な色彩調和かと言われたら疑問が残る.『色彩の同時対比の法則』を著した,ミッシェル・E・シュブルール以降の西洋の色彩調和論は,大きく類似と対比によるもので,中間的な配色は非調和,すなわち美しくないとされてきた12).それを科学的に実証したとされるムーン&スペンサーの色彩調和論については,納谷嘉信らによって日本人が被験者の場合,必ずしも調和していないという結果が得られている13).
カラースケープにおいても,調和や美しさは,それぞれの自然環境や気候,風土,文化的背景によるコスモロジーがあり,生理学的,生物学的にどこまで普遍的なもので,どこまで文化に依存するか切り分けるのは慎重になるべきだろう.
日本においては,サウンドスケープにも見られたように陰陽五行説や仏教的配色,かさねの色目などの配色体系が発展してきたが,一方で「わびさび」のように素材や質感を重視し,色を塗ることを嫌う文化もある.このような知覚・感性の違いを,気候による照明環境から説明する動きもある.例えば,本吉勇によると,地中海性気候のヨーロッパと,モンスーン気候の東アジアで,それぞれ立体的,平面的という具合に絵画様式が異なるのは,照明環境とそれに適応した視覚世界の構造の違いを表しているという14).
付言すると,筆者は日本の気候は湿度が多い大気によって光が散乱するので,日差しの強い照明にならず,素材を把握しにくいため,少ない質感情報をさらに消してしまう塗装を嫌うと考えている.西海岸などの鮮やかな色彩に比べて,日本が地味で素材の色を重視するには,風土的な問題もあるだろう.
青木孝夫は,ランドスケープの訳語である「風景」に対して,「景色」の概念は「体感的に把促される環境側面を重視」し,その美的体験は,「視覚的展望よりも,状況への没入を重んじ全身心による感受的把握を優先契機とする」としている.そもそも景色の語源は,気色であり,人物の感情や気配を表していたが,大気の表情や気配を表す言葉として景色となった.日本には気分や大気といった人間や環境をめぐる気の状態を,色として捉えてきた歴史がある15).つまり「色風景」とは,風景の中の色の特徴であると同時に,視覚的側面だけに留まらない「景色」という概念の再定義化と考えた方がよい部分もある.
4.「美しい色風景」とその創造に向けて
松原隆一郎が指摘しているように,戦後の日本の景観は酷いと言われる16).まず挙げられるのは,電線・電柱や看板,高速道路・護岸などの土木工事の乱造だろう.電線・電柱については,近年,阪神・淡路大震災や東日本大震災の影響もあり,特に都市部や観光地において地中化が進められているが,予算的な問題もあり普及しているとは言い難い.
特にロードサイドにおいて立ち並ぶ巨大な看板は,大手チェーンの原色のロゴや宣伝が,街の歴史的,文化的背景もなく競争原理によって並置されており,色彩調和がとれているとは言い難い.それぞれ平面デザインとして作られたマークやロゴということもあり,そのまま巨大化させると高彩度のため目立ち過ぎるのだ.
近年,京都や奈良などの観光地のコンビニチェーンの配色は,景観基準に合わせて彩度が低く抑えられているが,全体的にはまだまだだろう.戦前,すでに看板や電柱が都市美を犯しているということは画家,藤田嗣治に指摘されている.藤田は東京の街を美しくするために,「電柱の数を減少するとか,往来に突き出したものを引き込めるとか,不体裁の看板を取りはずさせるとか,自転車を歩道の中央に置かぬようにするとか,車道へ突き出しすぎる物を注意するとか」17) と,今日にも通じる極めて具体的な提案をしている.さらに「不調和不整理の見本・東京」を改善するために,「第一着手としては先ず洗練された色彩感で市中の調和を計ること」18) と色彩調和の重要性を示している.
電線・電柱は,明治以降の絵画や版画にも描かれるが,景観を醜くするものとしてより,電化の象徴として積極的な意味を見出していることもある.戦後においては,ヨーロッパの美しい街並みと比較して,電線が張り巡らされていることを批判する流れがあるのは間違いない.一方で,電線・電柱を郷愁のある日本的風景として,積極的に評価する動きもある.2021 年,練馬区立美術館において,明治時代以降の電柱・電線を描いた絵画を集めて,その名も「電線絵画」展が開催されている19).少なくとも電線・電柱は,導入初期においては文明開化,電化の象徴として歓迎されており,嫌われた対象とは言い難い.その後,電線で覆われた風景は,郷愁の対象にもなっていく.また近年では,工場地帯や高速道路のジャンクションのような風景を好む人々もいる20).
一方,明治時代,来日したイギリスの水彩画家,アルフレッド・イースト,アルフレッド・パーソンズ,ジョン・ヴァーレー・ジュニアらによって水彩画で日本の美しい風景が描かれている.写実的な描写,霧の深いイギリスという風土で磨かれた水彩の繊細な表現であり,近代以前の日本の風景がありありと伝わってくる21).1889 年にロンドンを発ち,来日したエラ・デュケイン,フロレンス・デュケイン姉妹は,『日本の花と庭園』を刊行し,「日本ほど人々が自然と調和し,花や木々のある背景と調和して交わりあう国があるだろうか.日本以外でどこでのこのように偉大な町の人々全員が心から自然を楽しむといった光景がみられるだろうか」と述べているという22).
それはまさに鉄道や電柱・電線,コンクリートによる土木工事がない自然と調和した素朴な風景である.花が咲き乱れまさに「美しい色風景」と言っても過言ではないだろう.それを範とするならば,西洋文明や産業革命を受け入れたのが根本的な間違いということになる.江戸時代の方が自然と人間が調和しており,美しい風景と人に囲まれていた面もあるかもしれない.しかし,そのような時代に戻るのはもはや不可能であろう.そもそも「安全性」という観点からは著しく問題がある.
電線や電柱,高速道路,看板,土木工事がすでにある世界で,どのようなものが美しいといえるのか?明治以降の西洋化,科学技術の輸入,戦後のアメリカ化,モータリゼーション,郊外化,デジタル色彩の氾濫といった混沌とした環境の中で,どのようなものが「美しい色風景」といえるのか.サイトによって,特に色彩を専門としている日本色彩学会の会員の美意識を集めて,共有することから始めたい.おそらく,その中には,「美しい」と感じるものもあるし,そうではないものもあるだろう.しかし,そのような差異があるということをそれぞれが知ることが重要なのだ.例えば,猥雑でも文化的なアイデンティティになっている風景もある23).
シェーファーは,「騒音公害は人間が音を注意深く聴かなくなった時に生じる.騒音とはわれわれがないがしろにするようになった音である.騒音公害は今日,騒音規制によって対処されているが,これは消極的なアプローチである.環境音響学を積極的な研究プログラムにする道を探らなければならない」24) と指摘している.それは色彩環境においても同じだろう.
芦原義信は,建築の外壁を「第一次輪郭線」,看板などの付加物を「第二次輪郭線」と規定し,西欧の街並みは「第一次」,日本やアジアの街並みは「第二次」で決定されていると指摘している25).しかし,それは街並みの個性でもあり,すべてを取り払うことが必ずしも良いとは限らない.
まず,人類にとって普遍的なものを目指すのではなく,私たちの社会にとって「美しい色風景」とはどのようなものか気付くことが,その先の美しい色風景を創ること,すなわちカラースケープ・デザインの可能性を拓くことになるのではないか.
5.おわりに
本プロジェクトによって「美しい色風景」のイメージが共有ができれば,様々なカラースケープのデザイン実践のための指針となるだろう.
地理学者のオギュスタン・ベルクは,「新しい風景は,西欧で近代の風景の危機から生まれたポスト二元論と,世界が知るようなったもうひとつの大きな風景の伝統つまり東アジアの伝統において前提とされる非二元論,この両者の総合から形をとることになるだろう」と述べ,それを「造景(Paysagement)」と名付けている26).
さらに,造景の時代への移行は,パンク的な風景やキッチュな風景が生まれる可能性もあるが,「環境をイメージとして生きることは,必然的に美的な配慮を,すなわち美を創りだそうとする真摯な欲求を伴う」とし,「長期的には造景の時代への移行が実質的な改良という形で現れ,こうして好循環が始まることが期待できる」27) と結んでいる.「美しい色風景」のイメージを共有する試みが,美しい「造景」に至ることを願っている.
参考文献
1) 環境選定.残したい“ 日本の音風景100 選” の概要.
https://www.env.go.jp/air/life/nihon_no_oto/01_oto100HP_gaiyo.pdf
2) 鳥越けい子.サウンドスケープ:その思想と実践.鹿島出版会,1997.
3) 小川博司他.波の記譜法:環境音楽とはなにか.時事通信社,1986,pp. 17-18.
4) マリー・シェーファー.世界の調律:サウンドスケープとは何か.鳥越けい子,小川博司,庄野泰子,田中直子,若尾裕訳,平凡社,1986,p. 24.
5) マリー・シェーファー.同前書.
6) ケヴィン・リンチ.都市のイメージ 新装版,丹下健三,富田玲子訳,2007.
7) シェーファー.前掲書,p.92.
8) シェーファー.同前書,p.255 - 256.
9) 中川真.平安京 音の宇宙,平凡社,1992.
10) ジャン・フィリップ・ランクロとドミニク・ランクロは,フランス全土の土や建物の素材を集めたり,測色やスケッチ,写真などを使って色彩分析を行い,1977 年にポンピドゥー・センターで「色彩の地理学(La Géographie de la Couleur)」展を開催したり,『フランスの色(Couleurs de laFrance)』(Moniteur,1982)を刊行している.1970年,大阪万博のフランス館のカラーデザイナーとして来日.それを見たカラープラニングセンターの永田泰弘は,ランクロに「東京の色彩」の調査を依頼.その成果は1972 年に美術出版社から出版された.その後,吉田愼悟がランクロの主宰する「アトリエ3D カラー」で指導を受け,その手法を参考にして日本各地の色彩基準が策定された.
11) 港千尋,三木学.フランスの色景:色彩と写真を巡る旅. 青幻舎,2014.
12) ミッシェル・E・シュブルール.シュブルール色彩の調和と配色のすべて.佐藤邦夫訳,青娥書房,2009.
13) 福田邦夫.色彩調和論.朝倉書店,1996,p.135.
14) 本吉勇.絵画様式の生態光学的起源.質感の科学:知覚・認知メカニズムと分析・表現の技術.朝倉書店,2016, pp. 191-193.
15) 青木孝夫.気象の美学 序論.青山学院女子短期大学総合文化研究所年報.2017.vol.26,p.103.
16) 松原隆一郎.失われた景観.PHP 新書,2002.
17) 藤田嗣治.随筆集:地を泳ぐ.平凡社,2014,p.281.
18) 同前書,p.285.
19) 電線絵画:小林清親から山口晃まで.求龍堂,2021.
20) 大山顕.立体交差.本の雑誌社,2019.
21) 発見された日本の風景:美しかりし明治への旅,毎日新聞社,2021.
22) 同前書,p.7.
23) 原宿のカラフルな街並みはその例に挙げられる.
24) マリー・シェーファー前掲書,p.22.
25) 芦原義信.街並みの美学.岩波書店,2000,p.121.
26) オギュスタン・ベルク.日本の風景・西欧の景観:そして造景の時代.篠田勝英訳,講談社現代新書,1990,p.171.
27) 同前書,p.189.
初出:三木学「「美しい色風景」とは何か?-カラースケープ・デザインに向けて」『色彩学』(第1 巻 第2 号)、日本色彩学会、2022年、pp.72-75.

