反抗最高 市原尚士評

東京・六本木の森美術館で開催中の「六本木クロッシング2025展」は、もう鑑賞されましたか?

筆者自身、「この作家は勢いがあるなー」と各種の展示で注目していた方が多く参加しており、非常に楽しめる内容でした。中でも、沖縄県出身のアーティスト・ひがれお(1995年生まれ)のコーナーに注目しました。

「琉球人形持ちゅる琉球人形」2025年、ミクストメディア

昔は多く流通していた琉球人形は、現在では絶滅危惧種になっております。その人形を作家は一般から集めて、沖縄文化の複雑な地平を見る者の前に広げてみせます。人形の光の部分は、明るく、楽し気で、能天気で、表層的にいかにも「うちなんちゅ(琉球)らしいうちなんちゅ」を表象して見せる点でしょう。

一方、影の部分は、やまとんちゅ(本土)の人間、あるいは駐留する米軍の人間らによるオリエンタリズム的な視線を強化してしまう恐れがある点でしょう。

ひがれおは、そのように光と影の両面を持つ人形をインスタレーションとして会場内に並べます。既製品を並べるだけでなく、作家自身が制作した新作人形も含まれているという点が重要です。つまり、過去の琉球人形にまつわる歴史の中に、作家が良い意味で介入することによって、批判的視点が生まれるからです。

「琉球マドンナ」制作年不詳、ミクストメディア

ここに並ぶ人形たちを鑑賞していると、どうしても思い出してしまう史実があります。

1903年、大阪で開催された第5回内国勧業博覧会の「学術人類館」で「琉球人」「アイヌ」「台湾高山族」ら様々な人々が民族衣装姿で実際に住んでいる姿を“展示”したという事件です。

当時、帝国主義が拡張する日本においては、エキゾチシズムを感じさせる“見世物”だったわけです。「未開で野蛮な地」の人間たちを興味本位で一方的に見つめる「先進的な列強国」という構図が見えてきます。いえ、1903年当時の日本が実質上、「列強国」とは言えなかった気がするので、筆者はこう思います。

欧米に伍する列強でありたいと心底から願いつつも、自分たちがまだまだ「列強」ではないことに薄々とは気づいている「自信のない国=日本」は、自分たちよりも一段も二段も劣ると(勝手に)認定した二流、三流の民族や国を妄想し、その学術的には根拠の全くない考えに権威を与えるために、そして、その二流国をあたかも既成事実のようにしてしまうために展示を行い、日本は一流の列強国であるという神話を創造しているのだ。

琉球やアイヌを見世物にしていいわけがありませんが、日本は、彼らを“野蛮”で劣る民族と決めつけることによって、相対的に「我が国は琉球よりも先進的な一流国である」という幻想を強化しようとしたというわけです。

「ハロウィーン琉球人形」2025年、ミクストメディア

さて、ここで、ひがれおの琉球人形に戻ります。実は、この琉球人形の中には、「人類館的なるもの」がたっぷりと詰まっているのです。戦後、沖縄のあちこちに駐留した米軍(=侵略者)の軍人さん。彼ら一人ひとりは良い人もいれば悪い人もいます。琉球の女性で米軍の方の子供を産んだ方も多くいらっしゃいます。人間的な交流は、確かに米軍さんと琉球の間にあったことは確かなのです。

琉球人形は、米軍さんが琉球の女性との間に生まれた子供を捨てて、本国に帰還する際のお土産品としては最適だったでしょう。エキゾチックな琉球、という琉球の光の部分だけをお土産にしてアメリカに持ち帰ったわけです。琉球で生まれた子とその母を琉球に捨てながら、です。

そのような人形をひがれおは会場に並べます。その行為に潜む批判的視点は明らかでしょう。

ここで読者の皆さんに問いかけたいです。「あなたは本当に琉球のことを知っていますか?」と。観光地だけ回っていても見えてこない現実を知っていますか?

物凄い暴力に満ち溢れています、琉球には。たとえば、沖縄本島の西海岸を南北に縦断する国道58号を車で走っているとどんな風景が見えるでしょうか。クジラのように大きなアメリカの軍用飛行機が道路のすぐ真上を横切っていきます。遠く見える嘉手納基地では、ハエのように小さく見える軍用機が、タッチ&ゴー(着陸即離陸)を繰り返しています。迷彩を施した恐竜のようにバカでかい軍用車の姿もしばしば見ます。

美術鑑賞でもしようかと、宜野湾市にある佐喜眞美術館に行けば、そこでは普天間飛行場が一つの大きな“展示物”になっています。筆者はこの美術館を訪れると、必ず屋上の階段を上ります。そこには、米軍(≒Predator)が我が物顔に琉球を蹂躙する姿を目の当たりにできます。この立派な美術館の貴重な展示品、それが、この飛行場だと確信しています。

ひがれおの作品を見ていると、琉球王国が味わわされた辛酸の歴史に思いを馳せます。1879年の琉球処分によって、約450年間続いた王国は滅亡しました。あの琉球処分からもうすぐ150年の節目を迎えようとしています。

圧倒的な米軍の暴力の背後で悲しく立ちすくむ琉球人形の姿が見える(展示会場風景)

筆者は、「沖縄県」などという腑抜けた名称で本土に従属する立場を捨てて、琉球王国として独立すべきだと考えています。そして、琉球の独立は、アメリカに従属し、“51番目の州”の立場に甘んじ続けている日本本土の独立も促すことでしょう。

つまり、沖縄を琉球に戻すことは、日本を“アメリカの属国”から独立・自立させることにつながると筆者は考えているのです。琉球だけでなく、本土だって米軍への屈辱的な忖度によって、市民生活が脅かされていることは賢明な読者の皆さんなら先刻ご承知でしょう。

いわゆる「横田空域」のせいで航空ルートに大きな制約が生じています。日本各地にある米軍基地周辺では有機フッ素化合物(PFAS)が高濃度で検出され、周辺の地域住民に大きな健康被害を与えていますが、テレビ等で大きく報じられることはほとんどなく、「なかったこと・見えないこと」にされてしまっています。また、米軍基地の人間による犯罪行為は日米地位協定により裁判権がアメリカ側にあるため、ほとんどお咎めなしで、本国に逃げ帰ってしまうケースが後を絶ちません。まさにアメリカ側のやりたい放題です。

「ジュリ馬(んま)」2025年、ミクストメディア

ひがれおの展示する琉球人形をじっと見ていると、琉球王国が味わわされた、そして日本が味わわされてきた屈辱的な仕打ちに思いを馳せるわけです。琉球王国の場合は、日本からもアメリカからも支配を受けてきた、つまり二重の苦痛を受けていることが問題を複雑化させています。

米軍が長年、駐留してきた影響か、琉球のアメリカナイズされた生活様式は、今更、元には戻せないでしょう。本土に住むやまとんちゅの目から見れば、あの甘い甘い「ルートビア」をがぶ飲みし、塩分が異常に高いスパム(ポークランチョンミート)をしばしば食べる彼らは、不健康なアメリカ的な食生活を生きています。ゴーヤ、海藻、豆腐、脂身を除いた豚肉などを常食し、長寿で知られた琉球はすでに過去のものです。すっかりアメリカ化してしまい、高脂質、高塩分の食事を取っているせいで、今では長寿県とは呼べなくなっています。

沖縄県が琉球王国として日本から独立すること。それは絵空事でしょうか。

日本がアメリカから真に独立すること。それは不可能なのでしょうか?

筆者は、オノ・ヨーコ大先生(1933年生まれ)の名言を支えの杖として、うちなんちゅもやまとんちゅも共に闘う必要性があると確信しています。

I am extremely rebellious.
I have this strong,defiant spirit.

rebellious(反抗的な)って、なんて良い響きなんでしょうか。

オノ・ヨーコからナイジェリアの作家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(1977年生まれ)に連想は飛びました。アディーチェの好著のタイトルをもじって、筆者は新たな名言を勝手に作ってみた次第です。

We Should All Be Rebellious.
うちなんちゅもやまとんちゅもみんな反抗的でなきゃ

この精神を持って、ペンの力で今後も闘っていこうと思います。ひがれおさんの展示は素晴らしすぎて、私の能力では表現しきれません。ぜひ、皆さん会場に足をお運びになって、琉球人形の光と影の両方をじっくりと見つめてみてください。

本稿ではひがれおさんに焦点を絞りましたが、六本木クロッシング、ほかにも多くの素敵な作家さんが参加しています。見どころたっぷりなので、鑑賞をお勧めしたいと思います。

ちなみにですが、筆者は半分うちなんちゅ、半分やまとんちゅの「ハーフ(?)」です。そのため、幼時から現在まで琉球のことを常に意識して生きてきました。本稿が過剰にうちなんちゅに思い入れをしていると見えたなら、それは当方の出自によるものなので、ご容赦ください。

またやーさい(それでは、また)。(2026年1月24日13時41分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。