離人画の謎 市原尚士評

人の世界を離れて

20歳代前半のころでしょうか?
自分の身体の輪郭の中に、心が入っていないような感覚に襲われていた時間がしばしば訪れました。苦しかったです。
自分がこの世界に存在しているとは到底、信じられなくて、すべてが夢の中のことのようでした。

大学を卒業して、就職して、猛烈なストレスに襲われていたころです。
会社の上司から話しかけられても、「聞く」ことを無意識的に拒んでいたようで、相手の話を全く聞けていない状況がしばらく続いたこともありました。自覚はないのですが、相手からすると「市原は聞こえていない・聞いていない」状況だったようです。まぁ、病名をつけるなら突発性難聴だったのでしょう。

自分とこの世界との間に猛烈なズレが生じており、そのギャップがなかなか埋められない苦しみを後に「離人感」というのだと知りました。何というぴったりした言葉なのかと感心しましたね。そう、人から離れているんです。「他人」からも「本人」からも、どっちの「人」からも離れているという意味合いですが。

この世の中、娑婆にいつしか適応して、あのころのような離人感は、あまり味わわなくなりましたが、ある種の絵画作品を鑑賞していると、あの感覚がよみがえってくることがあります。

荒井颯子「鉄塔」(2026年)

東京・銀座のギャラリー「FOAM CONTEMPORARY」で開催されていた、日本画の技法を用いるアーティスト・荒井颯子(1999年生まれ)の個展「Further Explorations」を鑑賞して、人を離れる感覚を久しぶりに味わいました。描かれている対象と作家本人の距離感が問題意識の一つとしてご本人の中に浮上しているようで、とにかく見ていて昔の自分を思い出してしまいました。

「鉄塔」と題された作品を見てください。女性と思われる人物の顔面はすべて鳩らしき鳥で覆われており、その顔立ちの詳細が見えません。顔面が覆い隠されたイメージというのは、アメリカの白人至上主義団体「クー・クラックス・クラン」の白い頭巾を想起させ、やや不吉というか、怖さを感じさせるものです。つまり、「鳩」の形をした頭巾を暴力的な誰かからかぶせられたような気がしてしまうからです。

ビルがあり、鉄塔があり、樹木の輪郭があり、鳩らしき鳥がいて、長い髪の女性らしき人間がいる。この描かれているもの同士が、皆、そっぽを向いているようでどことなく居心地が悪いのです。さらに空の描写を見てください。夜があり、薄明があり、太陽を感じさせる黄色みがかった空まで、様々な時間帯の空が同居しています。本来は一緒になるはずもない色味が、世界が同居しているせいで、心がざわつきます。

また、女性の胸部にも注目してください。服が透けて乳首が見えるのです。ちょうど、裸体に絵の具で色を薄塗りして衣服の形にした時のように、服らしきイメージはほとんど厚みを持たないで、両の乳首がはっきりと見えるのです。こうなると、下に履いているスカート(?)、パンツ(?)も実在しているのかどうか怪しいです。裸体に絵の具を塗っただけなのかもしれないのです。

いえ、そもそも絵画というのがキャンバスという“裸体”に絵の具を塗っただけのものです。つまり、リアルなイメージではありません。その意味では、絵画は常に現実の人間や社会から「離人」しているのかもしれません。

悪夢が領する現実

本稿、ここから先は、とても恐ろしい内容です。読んだ方に、恐怖が伝染するかもしれません。ということで、気の弱い方、怖い話が苦手な方は決して読まないでください。もう一度、警告します。この原稿を読んだら、今夜、あなたの夢の中に恐ろしいモンスターが現れ、あなたをどこかに連れ去ってしまい、あなたは二度と起きれなくなるかもしれません。筆者は責任を持てませんので、怖い話が苦手な方は読まないでください。

荒井颯子「Room 301」(2026年)

荒井颯子の作品「Room 301」を見たとき、4~5年前、新潟県の佐渡島で出合った恐ろしい光景が一瞬でよみがえりました。これは、まだ誰にも話していない恐ろしい体験談なのですが、「美術評論+」の愛読者の皆さんにだけ特別にお伝えすることにしましょう。

佐渡の中心地として港もある両津は、非常にさびれた感じで歩いていてもどこか寂しい気持ちになります。とりわけ廃業したホテルがあちこちに散在しており、どことなく不気味な感じが漂っています。港からもそんなに遠くない10階建てくらいのホテルの前に立っていて、何の気なしにホテルの窓、そうですね確か6階か7階の窓を見たときのことです。

その階の一か所だけ部屋の窓ガラスが割れていたんです。その割れた窓ガラスを見ると、部屋の内側にあったカーテンが急にバタバタと風にあおられるようにしてはためき始めたのです。地上レベルでは風など全く吹いていませんし、そもそもその時は、ほぼ無風状態でした。ちなみにホテルの出入り口や職員通用口などすべての出入り口は人が中に入れないように完全に封鎖されていたので、風の通り道などどこにもないように見えたのですが…。なぜか、急にカーテンが何かのサインのように、筆者の目を引き付けるためのように、強くはためき始めたのです。

カーテンを見ていると、その奥の暗闇から、窓際に向けて何か影のようなものが近づいてきます。じりじり、じりじり近づいてきます。「それ」は到頭、窓際に立ちました。

真っ赤なワンピース(?)、ドレス(?)を着た髪の長い女性でした。黒髪が長く、乱れているので、顔面がまったく見えません。でも確かに真っ赤なドレスを着た女性が、筆者を見ながら、立ち尽くしているのです。人が絶対に入れないように出入り口が封鎖された廃ホテルの窓際に!

ちょうど真夏の佐渡旅行だったので、気温は30度を超す暑さだったのですが、筆者の血は瞬間で凍り付きました。窓際の女性が飛び降りて、筆者に抱きついてくるような気がしたからです。これ、作り話ではありません。本当の話です。晴れた佐渡・両津の午後2時とか3時の話です。薄暗がりの時間帯ではありませんよ。はっきりと顔の見えない赤い衣装の女性がいたんです。

怖くて怖くて、もう後ろを振り返らないようにして、立ち去ることにしました。走って逃げることだけはやめました。走ったら、逆に彼女を刺激して、振り向いたら「それの顔面」が筆者の目の前に迫ってくる気がしたのです。相手を刺激しないように、あえてゆっくりと歩を進め、スナックやバーなど大人向けの飲食店がある街中に移動したのです。ところが、そこでも奇妙なことが起こりました。

スイス出身の画家で米SF映画「エイリアン」のクリーチャーデザイナーとして知られるハンス・リューディ・ギーガー(1940~2014年)の作品に出てくるのは機械と肉体が融合したような生物の表現です。この「機械+肉体」から機械を取り去ったような奇怪なギーガー風の生き物が筆者の前に現れたのです。毛が一切なく、ただれた皮膚を持った、しかもギーガー的な形状の今まで生きてきて一度も見たことのない奇妙な生命体です。その生き物は、非常に疲れ、病んでいるようで、今にも死にそうな感じなのでした。

そして、筆者をどこかに案内するかのように、生き物がヨボヨボとした感じで歩いていくのです。時折、止まって、少しだけ振り返って筆者の姿を確認すると、またヨボヨボと前方に進んでいくのです。筆者はその生き物から逃れられなくなって、ついていきました。ところが、昼間なのに真っ暗な路地の奥の真っ黒な洞穴のような空間に誘おうとしていることに気が付き、また血が凍りそうになりました。

「もう、これ以上、この生き物の後についていったら魔界に引きずり込まれる」と直感した筆者は、すんでのところで引き返し、奇妙な生き物から逃げることに成功したのです。その生き物、一応写真は撮ったのですが、なぜかきれいに写りませんでした。

あくまでも筆者の想像ですが、多分、ハクビシンか何かの生き物が皮膚病で毛が抜けて、肌が荒れてしまい、異様な外見になってしまったのではないかと思いましたが、それにしてもなぜ、あの生き物は、筆者を嫌な雰囲気の漂う暗がりに誘おうとしていたのか? もう怖くて怖くて、思い出したくもありません。

佐渡島では、島民と会話していると、普通に恐ろしい話が飛び出してきます。

「島原の乱の時、キリシタンがたくさん打ち首にされてね。この川は、その時、キリシタンの血で真っ赤に染まったんだよ」

えーっ、勘弁してください、そんな恐ろしい話。島原の乱といえば、今から400年近く昔の話なのに、地元の方は、つい最近のように、しかも見てきたように話してみせるので筆者は、またまた血が凍り付きそうになりました。真っ赤な流れを頭の中で想像しだすと、この川の流れを見るのは耐え難いです。

荒井さんの作品「Room 301」に出てくる窓と室内の描写は、筆者が佐渡で見たものとそっくり同じだったのです。外は昼間なのに、室内は真っ暗な夜。風なんてどこにもないのに、窓辺ではためくカーテン。荒井さんの絵にないのは、赤いドレスの女性と毛の抜けたハクビシン(?)だけだったのです。荒井さんは悪夢の中で、この絵の情景を見たのでは? そして、荒井さんの見た悪夢は、筆者が実景として遭遇した佐渡の悪夢とどこかでつながっていたのかもしれません。

佐渡はレンタカーを借りて、あちこち回りましたが、どことなく恐ろしい場所が多かったです。唯一の例外は、佐和田海岸だけでした。この場所だけは、不吉な感じが全くなく、普通に楽しめましたが、全島、結構、陰鬱な逸話や光景があふれており、心霊スポット好きの方ならお勧めですが、筆者のような霊感体質で、しかもビビリの方にはあまりお勧めできない場所だと思いました。

荒井さんの作品は、どこか現実離れをした異界を描いているようで、そこも魅力の一つに思えました。

それにしても、もはや30年以上も前の「離人感」を思い出させたり、絶対に思い出したくないと封印していたはずの心霊体験を筆者の心から引きずり出したり、荒井さんの作品には人間の情動に強く働きかける神秘的なパワーが備わっていると確信させられました。

本稿で筆者が書いた内容、すべて大真面目に書いています。面白おかしく嘘をついたりはしていません。また、話を少し盛って、誇張したりもしていません。

信じるか信じないかはあなた次第、です。(2026年1月24日20時02分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。