静岡に導かれて 市原尚士評

横位置が好きな中村宏

静岡市に行ってきました。最大の目的は、静岡県立美術館で開催中の「中村宏展」をゆっくり鑑賞することです。ほかにも、街をぶらぶらするのが大好きなので、行くところはたくさんあります。

それでは、まず朝一番で入館した浜松市出身で日本の戦後美術を代表する画家、中村宏(1932~2026年)の展示から。今年の1月8日にお亡くなりになったばかりなので、まずは、展示空間に入る前に、追悼の祈りをささげました。結構、多くの来場者でにぎわっていたので、やはり、世間の中村宏への関心も高い感じがします。

中村の絵画の意味合いについてよりも、筆者が一番、驚いたのは、出品作のほとんどが横位置だったことです。しかも、縦横比でいいますと、かなり横長のものが多いです。空を飛ぶ蒸気機関車が、中村の代名詞的な画題になるわけで、となると、画面の多くが横位置になるのは、当たり前のことなのかもしれません。とはいえ、あまりにも横位置が多かったので、筆者の目をひいた次第です。

「機銃掃射 1945」2022年、東京都現代美術館

そんな状況の中、「機銃掃射1945」(2022年)と題されたアクリル画の作品は、。三分割されたカンヴァスが縦に並んでいます。戦闘機が地上へ向けて機銃掃射を行う光景が描かれています。ただ、この作品とて、厳密な意味での縦位置とは言えない気もします。左に90度回転をかけて、横位置の三連画として鑑賞しても、十分、絵として成立しているからです。

「門(4)」1989年、浜松市美術館

画家によって、縦位置を好む方と横位置を好む方がいらっしゃいます。もちろん、両方ともよく描く方もいらっしゃいますが、中村は横派だと、改めて考えた次第です。彼にとっては珍しい縦派の作品として「門(4)」をあげることもできます。四角形の枠の中が黒一色で塗りつぶれていることによって、この枠の内側には閉塞感が漂います。これに反して、枠の外側の空間は、画面下方が開かれているようです。閉じられる内奥と開かれる外側という対照が目を引きます。

中村の作品は、あまりにも描かれる画題が特異な世界観ゆえ、その物語性に焦点が当てられがちですが、本来は、きわめて横長の画面そのものにも考察を入れる必要性がある気がします。つまり、絵画の構造をしっかり見ようということです。画面の構造は画家の生理が全面的に反映されるものです。それだけに、どのような形の支持体を選択しているのか、意識をもう少し向ける必要性があろうかと思います。

美術館会場の一角には、東京・銀座のギャラリー58で2月中旬から開催される「中村宏 絵画者の軌跡 1953-2025」のDMが4種も置かれていました。異常に気合が入っています。筆者は毎週2~3回程度は銀座の画廊を回りますが、58さんの展示はいつも面白く感心しています。中村宏の展示も必ず拝見しようと思いました。

ギャラリー58(東京・銀座)で開催される中村宏展のチラシ

チラシの裏面

読者の皆様におかれましては、銀座のギャラリー58と静岡県立美術館の両方を鑑賞されてみてはいかがでしょうか?
戦後美術史の中でも重要な位置を占める「中村宏」のことを改めて俯瞰する、うってつけの機会だと思います。

名婦って誰のこと?

静岡平和資料センターで出合ったのが、「世界名婦かるた」です。「少女倶楽部」1937年正月付録です。天皇のために命をささげる母や親孝行な嫁が登場します。

世界名婦かるた

1937年といえば、盧溝橋事件によって日中戦争が勃発した年です。正月付録ということは、このかるたが製作されたのは、1936年冬のころでしょう。開戦前夜の日本国内がどのような「空気」に包まれていたのかが、側面からうかがい知れる貴重な資料だと思います。

世界名婦かるた

言い換えれば、「女性の戦争協力」の輪郭が、このかるたを通しても分かるということを意味します。絵札、読み札をよくよく見つめましょう。女性も男性並みに社会参加できますよ、と国家が甘い顔でささやいてきたら、女性は最大限、警戒しなければいけません。「銃後の守りは台所から」という言葉がありますが、これは決して女性の戦争責任を免責するものではありません。戦争に「銃の後ろ」なんてありません。戦争に協力した人間は、男であろうと女であろうと、みな、その責任から免れないのです。

「名婦」がどのような振る舞いを期待されていたのか?
「名婦」はどのように戦争に協力していったのか?
そういった、あまり直視したくない問題をきちんと考える上で、このかるたは役に立つはずです。

昔の生成AI?

静岡市の中心部に、高さ2メートルほどの四角柱が立っています。「教導石」と言います。さて、「教え導く石」とは、いったいどのようなものなのでしょう?
解説パネルがあります。筆者は静岡に来るたびにこの教導石を見ているのですが、素晴らしい機能の石なのです。

教導石の正面

右側面には、「尋ル方(たずねるかた)」と刻まれています。何か知りたいこと、困りごと、相談事、はたまた何か苦情がある方は、その内容を貼り付けておくと、左側面の「教ル方(おしえるかた)」に答えを寄せるということだそうです。解説パネルに崇高な建立の理念が記されていたので、部分引用します。

明治という新しい時代を迎え、「富や知識の有無、身分の垣根を越えて互いに助け合う社会を目指す」との趣旨に賛同した各界各層の人たちの善意をもって明治十九年(一八八六)七月に建立されました。

な、なるほど。相互扶助の精神で助け合おうという気持ちが、この石柱に込められていたのですね。類似の事例と言えるかどうかは微妙な気もしますが、筆者が大好きな足利学校の「かなふり松」という松も、どこか教導石と似た性格を持っているように思えます。

「知」を一部の特権階級だけのものとして閉じ込めるのではなく、四民平等に誰でもがアクセスできるものにしようという「知の民主化」は、日本の全国に教導石やかなふり松の様々なバリエーションを生み出していったのだと思います。

2026年の現在、人々はチャットGPTを始めとする各種の生成AIに悩み事を相談したり、恋人のような関係性を築いたりして、かなりの依存をしています。

教導石の場合は、尋ねる側、答える側は双方とも人間でしたが、チャットGPTの場合、尋ねるのは人間、答えるのは「機械」という点が異なります。筆者の場合、どうせ相談するなら教導石(=人間)に相談したいと思うのですが、それは年を取っているせいでしょうか?(2026年1月30日20時12分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。