最近、東京都内のギャラリーで聞き捨てならない話に遭遇しました。彫刻界のある重鎮がぼやいていたのです。「X市に設置していた俺の彫刻作品を市側が撤去したいって、唐突に言ってきたんだよ」。ギャラリーのオーナーさんが「それはひどいね」と言うと、その作家さんはさらにこう言うのです。「移転じゃないんだよ。(俺に)引き取ってほしいって言うんだから頭にくるよね」。作家さんの市側への愚痴は止まりません。
筆者は、この10年以内で、類似の話をちらほら耳にしています。駅や市庁舎の前などに、平和を祈念する女性の裸像などが昔から設置されてきましたが、そういった彫刻やモニュメントの類が行政側にとっては完全に“お荷物”になっているケースが多いように思えるのです。
例えば、1950~70年代前半くらいに制作・設置した作品あたりが、一番、問題化しているような気がします。設置してから50~70年が経過して、劣化も著しい。また、駅前などで地価が高騰し、都市計画の上でも重要な場所に彫刻が存在しているのが、お金になる新たな開発行為の邪魔になっているのです。
誰でも見られる場所に置かれる芸術作品、すなわち「パブリックアート」の概念が欧米から上陸してきた1980年代にも全国各地でモニュメントなどが盛んに制作されましたが、こちらも街の中に溶け込んでしまい、存在感を発揮できていないケースが多く、当時ちやほやされ、メディアでも取り上げられていたのが嘘のよう。現在はひっそりとした佇まいになっています。当然、一般市民の関心を集めることはほとんどないのが実態です。
また、そもそも論ですが、昔、それなりに知名度のあった作家さんでも、2026年の現在では誰も知らないケースが多く、美術的な価値の客観的測定が難しくなっている場合もあります。女性の裸体像の場合は、さらに紛糾します。「裸体をさらした女性像を作るのは男の作家。作品に込めた主張の前に、まずは女性差別的な印象を与える点が今日的にはまずいのではないか」といった批判の声が上がりやすいなのです。
酸性雨や大気汚染や紫外線、その他さまざまな要因から、公共空間の彫刻はぼろぼろになっていることが多いです。このメンテナンスにも結構なお金がかかるので、行政の本音としては、こうなります。「こんな誰が作ったのかもよく分からない、どんな意義があるかもよく分からない作品を維持・管理し続けるのは負担が重すぎる。捨ててしまうわけにもいかないから、何とか作者、あるいは作者の遺族・関係者に引き取ってもらえないだろうか」。
彫刻作品は素材そのものが高価であることも多く、当然ですが作品のお値段も結構高いケースが目立ちます。そのような作品を公金を使って購入したわけですから、理想を言えば、50年たとうが、70年たとうが、公共の貴重な財産として活用するのが筋でしょう。しかし、誰も名前を知らない、かつての“大物作家”の今日的意義もよく分からない作品なんて、市民からの関心だって持たれるわけはない。
だからでしょうか、街中の彫刻は、そこに存在しているはずなのに、誰の目からも見えていない感じになってしまっているのです。パブリックアート受難の時代、と言えるでしょう。そういった問題を打開するのに最も必要なのは、市民からの関心を取り戻し、多くの方が彫刻を始めとするパブリックアートを愛せるような回路を生み出すことです。
パブリックアートには様々な利点があります。
- いつでも無料で気軽に、何度でも見られる
- 自分の住む街の魅力に改めて気が付くきっかけになる
- アート鑑賞を目的にした他都市の住民との相互交流が生まれやすい
神奈川県藤沢市にある藤沢市アートスペースが、2020年、2025年と2回にわたって、実に素敵な冊子を作成しました。2020年は「あるいて。みつけて。ふじさわパブリックアート散歩」というタイトル。2025年は「もっともっと!あるいて。みつけて。ふじさわアートパブリックアート散歩」と言います。どちらもA5判56ページと持ち運びしやすいサイズです。2020年の方は、すでに配布終了していますが、2025年の方は現在も何と無料で絶賛配布中です。

藤沢市アートスペース提供
筆者は2025年の刊行直後に入手し、何度も本を読んでいたのですが、実際に街を歩きながらは鑑賞していなかったので、某日、パブリックアートの小旅行をすることにいたしました。コースはこんな感じです。JR藤沢駅で降りて、遊行寺宝物館へ向かう。この遊行寺周辺は、江戸の面影を今に残す神奈川県内でも屈指のスポットなので、筆者はちょいちょい訪れるのです。

遊行寺の近くにある、奇妙な自販機
道すがら、「願い事がかなう」と自称する謎の自販機を横目に、宝物館に到着。特別展「遊行寺の什宝」をまずはじっくり鑑賞します。優品ぞろいの素晴らしい展示でしたが、なかでも弘法大師筆とされる「色絵金字阿弥陀経(蝶鳥経)」は、見返しの紺紙に金彩で極楽浄土が描かれており、非常に美しかったです。遊行寺の境内をぐるりと回った後、藤沢駅の向こう側にある藤沢市民会館を目指すというのが、筆者の作戦です。

山本一樹の作品が、街のノイズに負けず、路上に立っている
遊行寺の鐘をモチーフに山本一樹(1957年生まれ)が1990年に竣工させた「QUIESCENT ELAN」(ステンレス製)は奇妙な形状が目を引きます。QUIESCENTは英語で沈着・静止、ELANは飛翔、情熱の意味。相反する単語が順列されて生み出される爆発力が目を引きますす。

遊行寺から奥田三角公園に向かう途中、半地下の通路の向こうから強烈な西日が差していた。映画館のスクリーンのようだった
いわゆるホワイトキューブと称される美術館では、作品鑑賞時の“ノイズ”は極力、除去されますが、屋外に設置された作品の場合は、周りにビルがあり、走り回る車やバイクがあり、通行人の姿もあります。当然、それなりの騒音もあります。
しかし、それらのマイナス点があったとしても、意外と作品を楽しめます。というか、美術館のあの空間が実は異常(?)なんです。あそこは、美術好きが自分に酔うためのコンフェッションルーム(告解室)に過ぎません。路上にはグラフィティを含めたアート作品が、本当にたくさん存在しているのですから、わざわざ、過度な静粛さや厳密なお作法やルールを求めてくる謎の施設、美術館を崇め奉って、彼らの権威を高めてやることなんかないんです。

ユーモアのセンスが光る関根信夫の作品
遊行寺からゆっくり歩いて15分の奥田三角公園で遭遇したのが、美術運動「もの派」を牽引した関根信夫(1942~2019年)の「待ちぼうけの石」(御影石)。竣工は1971年4月1日ですから、もうすぐ55歳になる作品です。
スマホが存在しなかった当時、待ち合わせをしてもうまく相手と会えず、何時間もやきもきする、なんてことがありましたよね。大切な誰かを待ち続けているうちに、身体がとうとう石化してしまったという物語を表現しています。唯一、残った人体部分が「尻」というのが、面白いです。関根先生の遊び心、ユーモアにはすっかり感心しました。

熊坂兌子の「核兵器廃絶平和祈念像(平和の母子像)」
奥田公園には、まだまだ、たくさんの作品があります。熊坂兌子(1933年生まれ)の「核兵器廃絶平和祈念像(平和の母子像)」(大理石)は、1995年に竣工された大型の作品です。イタリアのピエトラサンタで制作後、船で日本に運ばれました。

サール・シュワルツの手になるレリーフパネル。多様な宗教が共に手を取り合う世界を希求しているようだ
台座の合計16枚のレリーフパネルは夫のサール・シュワルツ(1912~2004年)の手になるもの。十字架(キリスト教)、仏教、鳥居(神道)の3種のシンボルや文字が描かれているパネルもありました。これは、世界中の異なる宗教の人同士、仲良く平和に暮らそうよというメッセージでしょう。

高田博厚の作品「空」
高田博厚(1900~1987年)の作品「空」(ブロンズ)は1979年の竣工。鎌倉・稲村ケ崎のアトリエで制作されました。藤沢市には、本作以外にも「地」「海」というブロンズの高田作品が存在します。仏教の重要な概念である「四大(しだい)」は「地・水・火・風」を指しています。もしかしたら、高田は、「火」をモチーフにした作品も構想していたのではと勝手に想像して楽しむ筆者でした。

親松英治の「翔」
新潟・佐渡島出身の実力派作家、親松英治(1934年生まれ)がバレエをモチーフにした「翔」(ブロンズ)を藤沢市民会館前に設置しています。親松が2000年の冊子でパブリックアートに必要なものを聞かれ、こう答えています。
作品の良し悪しより、むしろ場所との合致が気になりますよね。何でここに設置したのだろう? というものも世の中には多い。作家自身ももっと置き場所に干渉していくべき
確かに様々な芸術的な公演が催行される藤沢市民会館の前に、バレエをテーマにした作品を置いているわけですから、言行一致しています。

菅沼五郎の「名誉市民 片山哲先生」
この会館の前には、若き頃、池袋モンパルナスで制作した後、藤沢に移住した菅沼五郎(1905~1999年)の「名誉市民 片山哲先生」(ブロンズ)も設置されています。文人宰相と呼ばれた片山哲(1887~1978年)は1947年に内閣総理大臣を務めています。

ココアパウダーを振りかけたチョコの家にも見える「旧近藤邸」
市民会館をもう少し奥の方に進むと右手に「旧近藤邸」があります。フランク・ロイド・ライト(1867~1959年)の弟子・遠藤新(1889~1951年)による有機的な建築です。

陶山定人の「まごころ」
この素敵な建築の前に日展評議員も務めた陶山定人(1926~2009年)の「まごころ」(ブロンズ)が佇んでいました。理想化された、非常にスラリとした形象です。横顔も洗練された表情をしており、陶山の高い精神性がうかがえます。

小峰貴芳の「円舞」
旧近藤邸をさらに奥に進むと、突き当りに秩父宮記念体育館にぶつかります。その外壁には、小峰貴芳(1950年生まれ)の「円舞」(鍛鉄)が設置されています。高さ5メートル以上、横幅4メートル近くの巨大な作品です。壁を縦横に走る優雅なうねりは植物の蔓を想起させます。
たくさんの名作をたっぷり鑑賞して、再びJR藤沢駅に戻りました。遊行寺宝物館での作品鑑賞時間を引くと、彫刻ツアーは、トータル90分程度でした。こんなに短い時間でしたが、非常に充実した内容になりました。
このツアーを実施して分かったことが一つあります。人はいつも効率性に縛られ、最短のルートや、最も身体的に楽なルートを選んでいるため、いつも同じ道しか歩いていないということです。
筆者にしてから、遊行寺宝物館はしょっちゅう行きますが、いつもいつも同じコースを通っていることに今更ながら気が付きます。これは、スマホのルート検索で最初に調べた道のりを体が記憶してしまっているのでしょう。しかし、彫刻などのアートを探そうとすると、いつもの固定したルートではない、自分にとっては非常に新鮮な道を歩くことができるのです。
萩原朔太郎(1886~1942年)の小説「猫町」では、こんな印象に残る詞章があります。
このように一つの物が、視線の方角を換えることで、二つの別々の面を持ってること。同じ一つの現象が、その隠された「秘密の裏側」を持ってるということほど、メタフィジックの神秘を包んだ問題はない。
アートに導かれながら歩く小旅行は、あなたを街並みに隠された秘密の裏側に誘ってくれるのです。美術館や博物館に行かなくとも、お散歩気分で街を歩けば、アートは楽しめます。
ちなみにですが、冊子を作製した藤沢市アートスペースでは、「まちの彫刻ピカピカプロジェクト」を2019年から継続的に実施しています。メンテナンス方法を専門家に教わりながら、一般市民が作品をきれいに磨く活動です。パブリックアートへの興味関心、愛着を持つのに、こんなに良い活動はありません。パブリックアート受難の時代の中、藤沢市の取り組みは、全国の自治体の方にも参考になるだろうと思い、本稿ではたっぷり紹介いたしました。(2026年2月16日10時01分脱稿)

