米ニューヨークで活躍する美術史家・富井玲子先生からは、いつも「美術評論+」の拙稿全般に関して、温かい励ましの言葉をいただいております。「ミュージアムにおけるペン使用」についても、本稿を執筆する前に「アメリカの状況はどうでしょうか。今と昔の両方教えてください」と図々しくもお問い合わせしたところ、ご自身の経験談をたくさん教えてくれました。富井先生からご教示いただいた内容をご紹介しつつ、筆者が考えたペン使用NGの理由を披露します。
富井先生が渡米したのはテキサス大学オースティン校美術史学科博士課程を修了した1980年代後半のこと。その後、ニューヨークに在住しながら、世界美術史における日本の1960年代美術を中心に研究活動を続けてきた方になります。富井先生が渡米した初期の美術館巡りは大変でした。「オンライン情報などはない時代でしたから、とにかく自分で記録しないといけない。将来の授業のためにカラースライドを撮影する、メモるというのが必須でした」。
富井先生が愛用していたのが、ポケットに入るスパイラルの小さいノート。その理由は、「螺旋のところに細身のシャーペンを入れられるから」でした。そのシャーペン(大体が金属製のボディ)を使ってメモしていると、監視の人が、「あ、ちょっと、ペンはだめよ」と注意されたのだとか。富井先生は、シャーペンの先端部分を見せて、それが鉛筆の芯であることを証明して、筆記OKを取り付けたそうです。
ただ、時代が現代に近づくにつれて、アメリカでもあまりうるさいことを言われなくなってきたのです。富井先生のお言葉を部分引用します。
バックルームでの専門的な調査(アーカイブやライブラリーもふくめて)は別として、展示会場でのペンの使用は、確率的に言えば、全然大丈夫と思っています。
もちろん、故意に損傷行為を行うつもりであれば、別に鉛筆でもひっかき傷をつけることはできますし、もっと大々的にペンキをぶっかける、スープをぶっかけるとかいうのがテロ的に行われています。ペンでの損傷は、現在では作品の前に警報ラインが設定してあったり(近づきすぎると警鐘が鳴る)、ほとんどの作品がガラス張りの額装だったりするので、ペンが問題だとは思えないです。ちなみに、シャーペンでも鉛筆でも、これはナイフと同じくらいに美術作品・カンバスにとっては凶器だと思いませんか?
ひっかいた傷は、スープをぶっかけた汚れよりも、修復的には難しくないのでしょうか?
ガーンと打ち込めば、穴をあけることも可能ですよね。
筆者が主張してきたこととほぼ同じ内容だったので、安心しましたが、「専門的な調査は別」という留保が気になり、さらに富井先生に詳細を尋ねたところ、「アメリカでも、ドローイングなどの紙作品の調査や、アーカイブでの調査ではペンはご法度で、鉛筆を提供してくれます。(お尻によく消えない消しゴムの付いたタイプ!)」と返ってきました。
さらに①手を事前に洗う②必要に応じて手袋を着用ーーといった大原則のほか、羽織もの(防寒のカーディガンやスカーフ)の持ち込みがNGの場合もあるそうです。これだけ厳重管理なのも「調査する人が自分の手で(あるいは手袋の手で)触って、調べるから」だそう。
美術館という公共の場での鑑賞とは全く異なる、厳密なルールが存在するわけですが、富井先生曰く。「調査する側としては非常に安心なのです。一枚の紙きれであっても貴重な資料であり、それをアーカイブとして後世にそのまま伝えていこうという気持ちが根底にあるからです」。
富井先生の場合、テキサス大学オースティン校の博士課程を終わってから就職した仕事で、コンピューターを頻繁に利用するデータ系の作業があったため、手首を悪くしてしまったそうです。筆圧がないと書けない鉛筆を使えないことがあり、メモ取りには滑りの良いボールペンを使うようになったそうです。
さぁ、ここまでの記述のまとめです。アメリカにおいては、いかにも研究者としての振る舞いが求められる場所では、「ペン使用NG」ではあっても、一観客として美術館等でメモを取る際は、「ペンを使っても問題なし」という状況になっているということは結論づけられそうです。ハーバード大学美術館以外では、特に何も注意されなかったという筆者の思い出はやはり正しかったのです。
ただ、富井先生はこうも言葉を継ぎます。「最近は、展覧会場でメモるということが少なくなりましたね。解説パネルはスマホで撮影できますし、解説パネルの内容がオンラインで読めるということも珍しくない。メモる必要があれば、スマホのメモ機能を使うとか、、、最近、展覧会場で筆記具を使ったのは某画家の作品論を書くために、デジタルのプリントアウトをもって、絵具表現の細部をメモしましたが、これは実はボールペンでしたね。商業画廊でしたが。。。」
筆者がアメリカで明確に「ペンNG」と言われたのが、ハーバード大学に付属する美術館、つまり、「専門的な調査」ともかかわりの深い美術館だったからNGだったのではないでしょうか?
まあ、これはいくら愚かな筆者でも理解できます。富井先生を始めとする研究者、専門家というのは、一般のミュージアム来館者とは比べ物にならないくらい近距離で作品を取り扱います。その場合、ペンを使用すれば、場合によっては、インクで汚したり、ペン筆記の際に手が滑って、ペンの「物理的な力」によって作品を損傷する恐れがあるわけです。また、インクの中の化学物質を心配するのも、プロの現場であれば理解できます。とにかく近距離で超貴重な作品を取り扱うので、人によっては、白い手袋をつけ、口元にはマスクを着ける方もいるくらいです。それくらい神経質にならないと専門家はまずいでしょう。

「正倉院 THE SHOW」展で拝見した、宮内庁正倉院事務所の研究者たちの七つ道具。白衣を着用して、鉛筆を使っている
宮内庁正倉院事務所の研究者たちの仕事ぶりを紹介した「正倉院 THE SHOW」展を上野の森美術館で拝見した折、やはり、ここでも、専門家たちは鉛筆を使っていることが展示からはっきりと分かりました。つまり、プロは鉛筆を使って、細心の注意を払っているということです。
プロが鉛筆を使うのは、当たり前ともいえますが、要するに、その「当たり前」をもしかして一般の来場者にも求めてしまう堅苦しさが日本に残っているのではないでしょうか?
すでに述べた通り、一般の来場者は、ガラスケース越し、あるいは結界越しに距離を置いて鑑賞するわけであって、専門家が研究のため作品に接するときの距離と比べると10倍以上もの距離を空けているわけですから、仮にペンを使ったとしても、何の問題もないのは明らかです。
ところが、研究者でもあるミュージアムの学芸員たちが、プロのお作法を素人の一般来場者にも適用してしまっている、言い換えれば「プロの作法を押し付けてしまっている」というのが筆者の推論になります。
このような押し付けが一般の来館者にどのような悪影響を与えると思いますか?
筆者はこう思います。「美術品は堅苦しい雰囲気で、ありがたがって鑑賞しなければいけない」という卑屈な態度を醸成するのではないかと。
また、一部の美術関係者は、2026年の現在でも「目垢がつく」という嫌な言葉を使う方がいます。東京・表参道に店を構えるおしゃれな某有名ギャラリーのオーナーから「あんまり多くの方に見せると目垢がつくから、うちは本音を言えば、一般の方にあまりお見せしたくないんですよ。限られた方にだけお見せできれば、それに越したことはないんですけど」と言われたことがあり、鈍感な筆者もさすがにちょっとびっくりしたことがあります。
そのオーナーの方は、要するに富裕層とか名門出身者とかしか相手にしたくないと言っているわけです。(筆者は「名門」という人間に貴賤をつける言葉が大嫌いです)。その言葉を聞いてからは、一度もそのギャラリーには行かないようにしています。
「どこぞの馬の骨」代表として、筆者のような下賤なものがそのギャラリーで作品を鑑賞すると貴重な品々に目垢をつけてしまい、そのオーナーの方にご迷惑をかけてしまうと思いましたので、自発的に足を踏み入れないことにしたのです。
筆者はそのオーナーに言いたいです。「あなたのような美術関係者がいるから、一般の人にとっては『美術って何か敷居が高い』と思われがちなんだよ」「まぁ、あなたみたいな人は敷居を高くできるだけ高くして、貧乏な一般庶民なんかが足を踏み入れられない高級感を醸したいんでしょうね」と。大嫌いですね、こういう美術関係者って。
美術館やギャラリーの一部だとは思いますが、一般のド素人がいかにも気軽そうな態度でありがたいお宝に近づいてくれるなという「無声の声」が筆者には聞こえるのです。もういい加減、そういうこけおどしの事大主義、権威主義はやめにしましょうよ。いつまでたっても日本国民の鑑賞リテラシーが向上しませんよ。海外では何も言われないペン利用が国内では解禁にならないのがとにかくもどかしいです。
「ペンは酸よりも強し」シリーズ(計6回)で縷々、説明してきた通り、ペンNGに、科学的な根拠は何もありません。プロ研究者に求められるお作法をその必要性がまったくない素人の一般来館者に押し付けているだけです。美術館、博物館の皆さん、もう、明日からでもペン使用OKという表示を出しませんか?
入り口での簡易な荷物チェックもしないでおいて、「ペンは酸よりも強し」というオカルト的な主張を明日も明後日も繰り返すつもりですか?
意味のある行為(荷物チェック)を求められるのであれば、いくらでも協力はしたいです。しかし、意味のない行為(ペンNG)を求められ、半強制的に従わせられるのは精神的な苦痛を覚えさせられます。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言い回しの幽霊を「ペン使用」に置き換えてくださいな。危険がある、恐ろしいというイメージの幽霊がただの枯れ尾花だった、というのは、そっくりそのまま美術館にあてはまりませんか?
スマホのメモ機能でも確かにメモは取れます。しかし、ちょっとした思い付きを絵にして描いたり、自分の瞬間的な思い付きをメモるのに筆記具は非常に役立ちます。そして、その筆記具は、鉛筆だろうが、ペンだろうが、万年筆だろうが、どんなものであっても作品を棄損することはありませんよ。
逆に言えば、鉛筆だろうが、素手であろうが、傷つけようと最初から考えている人間であれば、かなりの損害を貴重な作品に負わせられます。つまり、ペン禁止はまったく無意味なので、即刻、廃止しましょう。いつまでもペン禁止を掲げているのであれば、そのミュージアムのことを筆者は「思考停止館」と呼ぼうと思います。

ピカソ「ゲルニカ」をバックに、素晴らしい言葉が書かれています
美術館側だけではありません。利用者である我々も唯々諾々と意味のない「お願い」に従って、「ペン禁止」の要請に沈黙を続けている場合ではありません。きちんと「ペン禁止はおかしくないですか?」と声を上げることによって、美術館・博物館の民主化が進むと思います。
美術館内で普通の声量でいつでもおしゃべりができて、ペンでメモを取ってもいい日が一日でも早く到来することを筆者は祈念しています。海を越えた異国では当たり前に享受できている、それらの“富”を日本人だけが享受できていないのは、明らかにおかしいです。「前例がない」とか「他館の状況も見守って…」とか言っている場合ではありません。今すぐ、意味のない禁止事項を撤廃してください。思考停止館の善良なる職員の皆さん、よろしくお願い申し上げます。(2026年2月17日15時29分脱稿)

