「美術評論のこれまでとこれから」三木学

質問1これまでの美術評論でもっとも印象的なものについてお答えください。

椹木野衣『日本・現代・美術』(新潮社、1998年)

椹木野衣さんは、インターメディウム研究所(IMI)時代の恩師である。現在は美術評論家連盟会員ではないが、美術評論家として長らく牽引してきた存在であり、大阪万博や岡本太郎の研究に関しては多くの議論や協力をしてきた経緯がある。本書は日本美術をテーマにした椹木さんの代表作であり、今日にまで大きな影響がある。以下の感想は、本書の内容とズレている部分もあると思うが、大きく「日本でアートが成立しないのはなぜか?」という問いと捉え、そのことについて少し振り返って考えたい。

冷戦が終結し、本格的にグローバリズムが始まる1990年代、第二次世界大戦後の「現代美術」は、徐々にグローバル・アート・ヒストリーに取り込まれ、「現代アート」となっていった。せっかく「美術」と翻訳されたのに「アート」に回帰するのは、翻訳不可能であったことを証明するようで皮肉なことである。しかし、この頃はまだ日本には現代アートの市場はなく、歴史としても積み上げられず閉じられた「悪い場所」という椹木さんが用いたタームは、現代アートの関係者へ多層的な解釈をされながら深く実感として刻み込まれたといえる。

明治以降、アートを美術に翻訳し、西洋文化の一つとして受容したのは、財閥のような新しい富裕層だった。しかしそれが根付かない間に、戦争に負けて、財閥は解体され、地主も農地解放によっていなくなった。明治期に遅れて取り入れたアカデミー・サロンのシステムも、早々に解体されることになる。ほとんど階級はなく、平らにならされた場所は、アヴァンギャルドもキッチュもごちゃごちゃになった湿地帯、「ぬかるみ」であったともいえる。

しかし、逆説的ではあるが、この「悪い場所」である日本では、漫画やアニメ、ゲームといった大衆文化の生態系、豊かなビオトープが育まれ、それは閉じられていたはずが、海外にも多数輸出されて大きな影響力を持っていった(ただし、それは開かれたというよりは、大きく世界に閉じられたといってもいいかもしれない)。

岡本太郎や横尾忠則、赤瀬川原平といったアーティストも、ハイ・アートが生息できる場所ではないので、湿地帯のどこに生息しているかの違いだったといえるし、大衆文化の一種だったといえる。それを「悪い場所」というか、「良い場所」というかは見方の違いに過ぎないかもしれない。

椹木さんは「日本ゼロ年」展で、岡本や横尾に加えて、成田亨のようなウルトラ怪獣などをデザインしたデザイナー(もともと彫刻家である)を混ぜ合わせ、「異種格闘技」と椹木さんが言うジャンルレスなキュレーションをしているが、そもそもハイ・ロウもアヴァンギャルドもキッチュもない土壌では、明確なジャンル自体が存在しえないという特徴もあるだろう(ただし、椹木さん自体は、アート以外のジャンルとの異種格闘技を視野に入れている)。

そのような戦後日本の階級的な問題と、明治以前からの平面的な表現に連続性を持たせ、スーパーフラットというタームを世界に広げたのが村上隆である。一応は現代アートとは線引きされていたサブカルチャーの表現は、ポップアートのような形で翻案され、村上隆や奈良美智、ヤノベケンジといったアーティストが海外での認知を高めていった。それはかつて藤田嗣治が浮世絵の認知を使って、洋画に日本画的な手法を取り入れたことを反復しているようでもある。今日においても、漫画大国、アニメ大国、ゲーム大国である日本では、幼少期にはそれらの洗礼を受けているため、現代アートのアーティストを最初から目指す人はいない。ストーリーではなく、コンセプトやリサーチ、知的な操作、社会関与的なアプローチはおおむね大学以降の教育による。美術大学・芸術大学が少子化によって経営が難しくなるなか、そのようなハイ・アートの教育自体が不要であるという考え方もある。ハイ・アート自体が、格差によって成立しているからだ。

しかし逆説的にグローバリズムによって、日本の閉じられた円環も徐々に崩れ、新たな格差社会が誕生することによって、皮肉なことに新興富裕層を中心とした現代アートブームが生まれている。国内の漫画やアニメの劣悪な労働環境が指摘されるなか、映像配信サービスが潤沢な予算を提供するという逆転現象も生まれている。あるいは、漫画やアニメのクリエイターが現代アートの場所で直接発表する例も増えてきている。それは確かに高価ではあるものの、大きく見れば大衆文化の変容形態といった方がいいのかもしれない。

いっぽうで、「悪い場所」は敷衍され、国内の議論に留まらず、日本の近代、帝国主義時代の国内外の植民地支配や在日韓国・朝鮮人、被差別部落に対する加害行為、男性中心社会の中で抑圧されてきた女性やマイノリティについても新たな視点が広がっている。もちろんそれらは多いに是正されるべきだし、パワハラ・セクハラ・アカハラが常態化していた就職氷河期世代の私たちも大きな被害者だといえる。いっぽうで、そのようなポストコロニアリズム的なアプローチも西洋的な思考ともいえ、西洋中心主義の呪縛から徐々に解かれていき、それぞれの地域の芸術表現に光が当たる中、豊かな芸術文化の歴史を持つ日本には、まだまだ見直すべき点もあるように思う。

そもそも物事を善悪に分けて判断するのは、一神教的な価値観であるし、現代アートや批評の中に潜む、審判したり、懺悔を求める欲望自体を疑わなければならないのではないかとも思える。私自身も常に気を付けているのは、「批評」の名のもとに、自分の価値観で一方的に裁こうとしていないかということである。西洋美術や西洋思想を勉強していると、そのような思想に自ら陥ってしまうケースが多いのではないかと思える。キュレーターも、ラテン語のcurare(クラーレ)「心配する、世話をする」、そこから転じた、care(ケア)「世話」やcure(キュア)「治癒する」を語源とするならば、judge(ジャッジ)「審判」になっていないか内省すべきだろう。

アジア的な価値観では、表現の中に懺悔よりも、「縁起」が求められる。それがよいかどうかは別であるが、価値判断には幾つもの尺度があることは留意しなければならない。良し悪し、善悪に捉われないことこそ、「悪い場所」のぬかるみから逃れる方法なのかもしれない。ちなみに、先日、椹木さんにお会いしたとき、美術史自体が硬い岩盤の上に乗る大陸的なものであり、大地自体が揺れ動く群島的、海洋的なものでないのではないかとおっしゃっていた。震災以降の椹木さんの思索も、「美術史」ではない、編み方を模索しているように見えるし、これからの私たちは湿地帯や水辺を漕ぐように、複数の航路があると考え、善悪ではない方法で、評論しなければならないように思う。

 

質問2これからの美術評論はどのようなものになりうるかをお答えください。

そもそも評論や批評という行為自体、サロン評からはじまり、サロン解体後の自由市場になって以降は、新聞や雑誌というプラットフォームの上になり立ってきた。しかし、インターネット、SNSの登場以降、メディア産業は壊滅的であり、美術媒体も例外ではない。少なくとも独立した職業としての批評家はほぼいないといってよいだろう。大学などのアカデミズムか、美術館などに職を持ち、教員かキュレーター、あるいは新聞記者などのジャーナリストとの兼業がほとんどであろう。それは美術評論家連盟のメンバーを見ても歴然である。もちろんアーティストと兼務している批評家も多い。

しかしいっぽうでポップカルチャーもまたデジタル化で疲弊しており、高額取引をされるアートの市場が相対的に大きくなっているということもある。その中で、見ただけではわからないアート作品の解説や解釈は今まで以上に必要になっており、新たな評論家・批評家が求められてはいるように思う。また、アーティストが高度に産業化する中で、さまざまにテキスト化する業務が増えており、これもまた評論家・批評家の仕事のひとつともいえる。いずれにせよ、メディアの消滅だけではなく、少子化と地方の財政が悪化する中、批評家を支えてきた大学や美術館、新聞社・出版社の存在も危うい。今までのようにバックヤードで支えていたものがなくなるので、産業としての批評行為の確立も今まで以上に必要になってくるのではないか。

著者: (MIKI Manabu)

文筆家、編集者、色彩研究、美術評論、ソフトウェアプランナー他。
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行っている。
共編著に『大大阪モダン建築』(2007)『フランスの色景』(2014)、『新・大阪モダン建築』(2019、すべて青幻舎)、『キュラトリアル・ターン』(昭和堂、2020)など。展示・キュレーションに「アーティストの虹-色景」『あいちトリエンナーレ2016』(愛知県美術館、2016)、「ニュー・ファンタスマゴリア」(京都芸術センター、2017)など。ソフトウェア企画に、『Feelimage Analyzer』(ビバコンピュータ株式会社、マイクロソフト・イノベーションアワード2008、IPAソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー2009受賞)、『PhotoMusic』(クラウド・テン株式会社)、『mupic』(株式会社ディーバ)など。

https://etoki.art/

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