【追悼】長谷川栄先生 鳥山玲

長谷川栄先生は私の前任であるO美術館の初代館長として、東京国立博物館在勤中から美術館創設にかかわられておられた。商業施設レストラン街の同一フロア奥に位置するという異例特異な立地や小体なスペースに関して、美術館としての存在意義や価値、そして宿命的ハンディに対して非常に腐心された。、独自の特性を育むことにより美術館の規範定義と社会地域性と対峙して、先進的でユニークな開かれた展示空間づくりを目指されて就任されたと以前よりお聞きしていた。
品川・大崎という先端産業発祥の地場や区民への周知啓蒙も視野に入れながら、全国的にも衆目を集めて来館頂ける存在感在る美術館を目論見、革新的切り口を持つ多様な企画展を様々開催し、デジタル等先端技術の反映や連動性のある当時革新的といわれた分野のアート紹介や、その対極に在るといえる書に纏わる関連企画の展開にも注力された。
巨視的な企画内容は未だ色褪せることなく、遺された企画展の「メビウスの卵展」(1990-2001年)や「書と絵画との熱き時代・1945-1969」(1992年)他等これらは今日に於いて、時の流れを経て再評価の機運を得、新しい価値観や創造表現へと繋ぐ美術館としての使命と役割を改めて教示してくれている。美術館としての在るべき果すべき責任を再確認させていただいたことは深謝に堪えない。
1968年、東博時代にフランス政府招聘によりパリのルーヴル美術館大学に留学されている。そこで学ばれた美術館学(ミュゼオロジー)をいち早く日本に紹介し、系統的な実踐教育の必然性の見地から、日本における美術館大学設立の重要性を説き、自らも泰斗としてその創設活動に奔走尽力されたと聞く。しかし諸般の事情や時節により設立構想は叶うことなく、未だ日の目を見ないこの構想の未達の行末が、最期まで先生の心残りであった事を夫人からお伺いした。
長谷川先生は東京藝大工芸科彫金出身で学生時代、実技・学科共に際立って輝く優秀な学生でよくノートを借りていたと他科同期生でいらした平山郁夫先生から聞き及んでいた。
金属造形作家としても国内外でご活躍され、パブリックアートの分野でも数多く制作貢献され、晩年迄定期的にパリでの新作個展を開催されるなど旺盛にミュゼオロジーとの両立実踐を体現されておられた。
当館の開館30周年記念に「長谷川栄 光のバラード・宇宙詩」(2016年)開催をおねがいして、ミュゼオロジーに関する貴重な資料と共に創作の軌跡の両分野をご紹介できたことは、館としても何より嬉しく有難いことで、当時先生は87歳。パリでの個展の直後ながら、とてもお元気で国際的な見識や感覚ご活躍が印象深く刻まれている。
日本では棚橋賞や二科展、行動展での各受賞、おかざき世界子ども美術博物館館長も兼任され、2000年フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章を受章された。
先生は近くまで来たからと、よく気さくに館にお立ち寄り下さっていたのでお元気でまた近い内にお訪ね頂けると思い込んでおりました。今も先生がにこやかな笑顔で事務所にお声掛けされてエントランスホールに佇まれている様な気配を覚えます。
心から御冥福をお祈り申しあげます。