喪失と再生の狭間で 市原尚士評

一ノ瀬真一郎(1966年生まれ)の写真展「記憶の境界:Boundary of Memories」を東京・新宿のニコンサロンで拝見しました。

すべての写真が無題です。東日本大震災で被災した、青森県・八戸から福島県・双葉に至る町々の沿岸に建設された巨大な防潮堤が作品の主題となっています。防潮堤は最大で高さ15メートル、総延長は370キロメートルにも及ぶので、あまりの巨大さに写真を見ているだけでも驚かされます。

巨大な防潮堤

確かに防潮堤は必要なのかもしれません。2011年3月11日と同規模の大震災が起きた際に命を守るためには……。実際、東北の被災地の沿岸、特にリアス式海岸の多い岩手県を車で走っていると、とんでもなく海抜の高い場所まで津波が来たとの表示を見ることがあり、当時の光景を想像しただけでぞっとします。

しかし、一方で、こうも思います。この防潮堤のせいで、海と町とのつながりが完全になくなってしまった、と。町の方から、海を望めば、かつては海辺の美しい景観が見えたものです。しかし、今、町から海を見ようとしても、目に入るのは巨大な防潮堤だけです。風景・景観は破壊されてしまったのです。

人は海があれば、その海の雰囲気を感じたいものです。例えば、神戸の阪神本線に乗っているとき、筆者は必ず海が見えるであろう側に立って、懸命に海を感じようとしますが、阪神高速3号神戸線が阪神本線の前に立ちふさがり続け、残念ながら海は感じられないのです。須磨海岸まで行かないと車窓から海が見えないので、筆者はとても残念に感じ続けているわけです。

繰り返しになりますが、これは、ものすごく残念なことです。神戸では、山のある方が北で、海のある方が南です。方角は、土地を見れば、体感できるわけです。神戸に限らず、人間というものは、土地の記憶を方角と結び付けながら生きているのです。

神戸において、阪神高速が良好な景観を邪魔しているのと同じように、東北地方沿岸の美しい景観を邪魔するのが、この防潮堤というわけです。かつて海辺で暮らしていた人々は高台へと住居を移し、海岸にかつては確かに存在した人の暮らしの気配は絶えてなくなりました。

一ノ瀬は、このような東北の現状を声高に批判しているわけではありません。冷静な視点で、「現状、東北はこうなっていますよ」と伝えているのです。その上で、一ノ瀬は、防潮堤のあるパーツに“ある種の救い”を見出し、それを写真のモチーフにしているのです。

陸閘(りっこう)を中心に挟んで、海と陸を撮った作品

そのパーツが防潮堤を貫く、陸閘(りっこう)です。聞きなれない用語だと思いますのでご説明しましょう。人や車が通行できるように、堤防につけたドアのようなものです。津波の危険がある場合にはこれを締めて、きちんと防潮堤の役目をを果たすようにします。

一ノ瀬は解説パネル内で、この陸閘の持つ意味を「隔てられた海と陸をつなぐ細い通路として、過去とのかすかな連続性を示している」とプラスの意味合いで説明しています。

陸閘(りっこう)がフレーム代わりになって写真に堅固さを与えている

その上で、一ノ瀬は新たに生まれた境界線(=防潮堤)とその周辺に広がる風景を記録しました。これが写真展全体の狙いといえるのです。再び展示の意義を定義づけたパネルの言葉を引用しましょう。

喪失と再生の狭間に立ち上がる景色を通して、震災後の時間と記憶を見つめ直す試みである。

なるほど、本当にいい言葉です。一ノ瀬は、写真撮影のため、首都圏からマイカーで東北に通い詰めたのだとか。すごい情熱です。怠け者の筆者なら、青森県の三沢空港からレンタカーを借りて、写真を撮影しながら、東北の太平洋沿岸を南下し、大き目な駅でレンタカーを返却し、JRで首都圏に戻るでしょうね。

一ノ瀬がマイカーで回ってきた撮影地の主要な場所

一ノ瀬の場合は、首都圏から東北に行き、東北から首都圏に戻るという一連の行為が、あたかもロードムービーのようになっているのでしょう。己の都合や効率性のみを追求しようとする筆者には、到底、考えつかないような取材・撮影方法ですね。

陸閘を対象にした写真は2枚組になっています。これは、実際に会場で鑑賞すれば、一ノ瀬の撮影システムが一目瞭然でした。彼は、まず、陸閘を真ん中にして、内陸部から海の方を撮影します。続いて、陸閘の向こう側に移動し、今度は海側から内陸部の方を撮影するのです。

陸閘と撮影する自身の位置関係(距離)は、「内陸→海」も「海→内陸」もまったく同じにしています。ですから、写真内における陸閘の面積も2枚ともほぼ同じにそろえられているわけです。

この視線(視点)の移動は、前出の「隔てられた海と陸をつなぐ」視点のみが成しうる行動でしょう。私たち鑑賞者は、一ノ瀬の視点移動に寄り添うことによって、東北沿岸の町と海とを巡る記憶・歴史を再び縫い直しているのです。

ただ、陸閘を過度に美化するのも警戒が必要かもしれません。2025年12月26日付の日刊建設工業新聞2面「水門・陸閘 現場での実践強化」という記事内にこんな恐ろしい記述がありました。部分引用しましょう。

東日本大震災では、水門・陸閘等の閉鎖作業に従事していた多くの現場操作員が犠牲になった。

この記事で書かれているのは、震災前から設置されていた陸閘で、多くの労働者が津波にさらわれてお亡くなりになったということを意味しています。ということは、震災後に多く建設された防潮堤に付随している陸閘というパーツは、いざ津波が来襲したときに、迅速に閉鎖しないとかえって大きなリスクになりうるということになります。

まぁ、これは少し考えれば当たり前のことです。大きな大きな「万里の長城」のような防壁のあちこちに、ぱかっと開いた小さなドアがあり、そこをきちんと閉められなかったら、津波の水流は、恐ろしい圧力で陸閘に押し寄せるわけです。

これでは、現場操作員が一瞬で水にさらわれるのは必定です。つまり、隔てられた海と陸をつなぐ、プラスの意味が一方であるものの、もう一方で、陸閘の存在が危機管理上のリスクにもなりうるということを意味しているわけです。

このようなマイナス面があるからこそ、2025年7月30日に発生した地震で、津波警報が発令されていたにもかかわらず、宮城県気仙沼市の魚市場前にある陸閘が閉まらなかったことが大問題になったのです。陸閘を遠隔操作する電気工事が未着手だったことが、このトラブルの原因だったそうです。

このように、陸閘は運用次第では、危険そのものな存在です。その危険な陸閘を陸地側、海側からそれぞれ撮影している一ノ瀬作品、一見、静謐な印象ですが、ちょっと想像力を働かせると、圧倒的な暴力性も感じさせるものなのです。臆病者の筆者は、一ノ瀬作品の陸閘に水が押し寄せている光景を想像して冷や汗をかいてしまいました。

ただ構造物をとらえただけの写真が時として、いかに雄弁か!
一ノ瀬の写真に潜む“激情”をしかと感じ取った、充実した鑑賞体験となりました。こつこつ、撮影行を続けてきた彼の今後ますますのご健闘をお祈りしています。(2026年1月28日20時46分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。