ペンは酸よりも強し#2 市原尚士評

日本の美術館における、ペンNGの現状について本稿ではご紹介しましょう。
全国津々浦々の美術館を回っていますが、残念ながら99%の美術館ではペンの使用はNGになっています。

ヤマザキマザック美術館(名古屋市)が明確にボールペンの使用を認めているほとんど唯一の館(筆者調べ)になります。公式HPの「よくある質問」の「作品のスケッチはできますか?」への回答が「可能です。使用できる筆記用具は鉛筆とボールペンです。」になっています。この館は、日本では極めて珍しい「ボールペンOK」の館です。筆者は高く評価しております。

大原美術館(岡山県倉敷市)は、ペンはNGですが、シャープペンシルはOKです。公式HP内「館内でのお願い」にもはっきりと記載しております。国内では、シャープペンだって、使用に関してはほぼNGなので、大原美術館のことも部分的に評価できます。ポーラ美術館(神奈川県箱根町)もシャープペンシルOKです。公式HP「よくあるご質問」にはこう書いてあります。

展示室内ではメモを取ることができます。ただし、筆記具は鉛筆かシャープペンシルに限ります。
これは、作品保護の観点から、万が一のアクシデントで作品にインクが付着した場合、修復が難しいことを考えてのことです。
もし鉛筆をお持ちでない場合には、当館にて準備がございますので監視員にお声かけください。

まぁ、シャープペンOKにしているので、ポーラさんも部分的に評価できます。

今、筆者が挙げました美術館に共通するのは、「私立」という点です。「公立」の美術館では、ほぼ100%、ペンや万年筆の使用はNGになっています。全県の主要美術館は回ってきた筆者なので、「公立美術館のペンNG」は、ほぼ間違いないです。

つまり、いったん整理すると、国内ではごく一部の私立美術館を除いては、ほぼすべての美術館が「筆記具は鉛筆のみOK」という姿勢を崩そうとしていないのです。断っておきますが、私立の美術館もほぼ100%NGです。全国各地を精力的に回ってきた筆者が、すべて実地で体験してきたので、ヤマザキマザック(ペンOK)、大原(シャーペンOK)、ポーラ(シャーペンOK)以外は、鉛筆以外の使用を認めていないと言ってもいいと思います。

さあ、それでは、「普通の美術館」でペンを使おうとするとどうなるか、ご紹介しましょう。
解説やキャプションを読んで、「これは面白い記述だ」と思って、メモを取ろうとあなたがペンを出した瞬間に、監視員が血相を変えて、すっ飛んできます。「ペンの使用は禁じられています。もしメモを取りたいのであれば鉛筆を使ってください」と言いながら、鉛筆、もしくはクリップが付いたプラスチック製の小型携帯用鉛筆「ペグシル」をぐいっと差し出してきます。この瞬間が本当に嫌ですよね。

今どき、解説で面白い記述があったら、スマホで写真を撮ればいいだろ、と反論する方もいるでしょう。スマホでの撮影はNGの場合もあるので、その場合は鉛筆などでメモを取るしかないわけです。そもそも、メモは単純にキャプション等を写すためだけの用途ではありません。作品から触発されて、自分が思ったこと、考えたことをその場で自由に筆記したいし、あるいは作品のごく一部の気に入った個所、気になる個所をさっさっと模写したい場合もあります。また、作品から触発されて、瞬間的に思いついた新しいビジョン・形象を簡単にデッサンしたい場合もあります。

鑑賞している現場で、思いついたこと、ひらめいたことは、その場ですぐにメモを取らないと忘れてしまうのです。「美術館の外で書けばいいや」「自宅に戻ってから書けばいいや」ではダメなんです。何か面白いことを考えついたらその場ですぐにメモを取るーーこれが創造的人間にとっては必須の行為なのです。スマホの撮影だけでは、まったく追いつかない創造的なメモ・模写の必要性が確かに存在するのです。

そのようなメモを取るのになぜ、ボールペンや万年筆がNGなのか?
筆者には全く理解できませんね。博物館法文化財保護法にまさか「ボールペンの使用禁止」とは一言も書かれていないので、民法の「施設管理権」、もしくは長年の慣習(なんだそりゃ?)あたりが、この「鉛筆使用」の根拠になっていると思われます。しかし、施設管理権、というのは非常に曖昧、かつ広範囲に適用できてしまう傾向があるので、筆者のようなへそ曲がりの人間を納得なせるには、やや根拠として弱い気もします。

そこで、学界の権威の方々が執筆している書籍を調べました。一番、懇切丁寧に「ペンNG」を解説してくれていた本がミュージアムABCシリーズ「ビジュアル博物館学 Curation」(人言洞)でした。博物館施設の学芸員を目指す方への入門書的存在です。全体的には非常に素晴らしい本だと思いましたが、同書10~11ページの記述には「はてな?」と首をかしげてしまいました。

「Q&A」形式で、様々なテーマについて詳説しています。質問は「館内でボールペンを使ったら注意されたけど、どうしてダメなの?」です。それに対する答えに目を疑いました。「学術的かつ実践的」な観点で出された答えを筆者が簡潔にまとめるとこうなります。

  1. インクが万が一にも飛散する危険性がある。貴重な展示物が汚染されると修復が困難になる。
  2. ボールペンの使用は物理的な力を伴う。書く際にペン先が紙やほかの資料に圧力をかけて、微細な傷や摩耗を引き起こす。展示物の保護には物理的な接触や圧力は避けなければならない。
  3. インクに含まれる化学物質が揮発し、展示物の保存環境に影響を与える可能性がある。

いやー、学界の権威の方たちを王様に例えるなら、まさにアンデルセン童話の名セリフ「王様は裸だ」と言いたくなりました。

草創期のぼろぼろのペンならいざ知らず、現在、普通に販売されているペン(含む万年筆)で、この偉い先生が書いたようなアクシデントが果たしておきますか?

上記回答への反論・疑問を筆者が今から記載しましょう。

  1. 普通にボールペンを使っていて、そのインクが1~2メートル先までびょーんと空中を飛び散ったことは、筆者が60年近く生きてきて、ただの一度もない。経験上、インクがびょびょーんと空中を飛ぶ可能性はほとんどないと言っていい。
  2. 自分の手元でメモ帳等に字や絵を書く際に圧力がかかるのは理解できるが、その手元で発生した圧力が1~2メートル先の作品をどうやって棄損できるのか、理屈がまったくわからない。
  3. インクに含まれる化学物質が仮に揮発すると仮定しましょう。メモする際に使うインクは微量でしょう。その微量のインクから揮発される化学物質は極小といってもいいでしょう。その極小の化学物質が1~2メートル先の展示物をどう棄損するのか?物理的なメカニズムがまったく頭に浮かんでこない。そもそも、来場者の香水や化粧品や消臭剤や柔軟剤や肌につけている薬品類から揮発される化学物質と比べたら、ペン先から飛び出す化学物質の量なんてたかが知れている。

はっきり言って、学界の権威が書いている、この回答文はオカルト的です。文具メーカーの方たちなら、きちんとしたエビデンスをお持ちでしょうから、美術館や博物館に対して「インクは1メートル以上先まで飛ばないし、インクの化学物質は絵画等を棄損しません」という反論をしてほしいくらいです。すべての回答は「展示品を棄損する恐れがあるかもしれない」という仮定に基づいたものであって、科学的な知見に裏打ちされたものではありません。

この本では、格調高く、こう結論づけています。

博物館の基本方針は、収蔵品や展示物を後世にわたって保護しつづけることにあります。そのため、来館者には可能なかぎりの協力をお願いしています。これは、文化遺産を守るための大切な取り組みであり、理解と協力を求められるものです。

文化遺産を後世に残すために協力するのはやぶさかではありません。しかし、「ペン禁止」を押し通そうとするには、いかにも根拠薄弱ですし、意味不明だと博物館施設の方たちは考えたことがないのでしょうか?

結局、典型的な「予防措置」なのでしょうね。将来、もしかしたら起こりうる館にとって望ましくない問題点は事前に取り除いて、トラブルの発生を未然に防ぎたい、という学芸のプロたちの本音が見えてきます。

しかし、来館者が創造的な鑑賞をするために、ペンでメモを取ってはいけないという制約を受ける根拠としては、同書の記述はあまりにも妥当ではないと思います。はっきり言って、博物館施設の学芸員さん、館長さん、思考停止に陥っていると思います。

予防措置的な視点で、来館者の自由な行動に制約を課すのは不適切極まりないです。ただ、親切で、紳士的な筆者が、次回の原稿では、ペンがびょびょーんと空中を飛行し、ペンで筆記している際の圧力や振動が1~2メートル先の作品にまで届いたと仮定した上で、さらなる反論をしましょう。お楽しみに。(2026年2月17日14時47分脱稿)

 

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。