ペンは酸よりも強し#1 市原尚士評

あなたは、美術館で何に一番、腹が立ちますか?

例えば、筆者が渾身の力を込めて執筆した、【前編】静けさを求める闘争、そして【後編】静けさを求める闘争で取り上げた、異常なまでに静けさを求める美術館側の姿勢でしょうか?

月に1回くらい、ガス抜きのように「おしゃべりを自由にしてもよい日」を設けて、全体的には静粛さを求める美術館が多いのは異常だと思います。そもそも、よほどの大声でない限りは、美術作品を鑑賞しながら、おしゃべりするのは鑑賞者の自由です。美術館側から「しゃべるな」と禁止されるいわれはまったくありません。

笑止千万なのは、どなたか展示の関係者やVIPらしき方がいらっしゃったとき、館の学芸員がそのお客さんを接遇しながら、作品の説明をしているのですが、結構、大きな声で説明しています。また、お客さんと一緒に笑ったりして、とても楽しそうに自然な雰囲気で振る舞っています。

しかし、一般のお客さんには鬼の形相で「しゃべるな」と言ってくる監視員の皆さんも、「学芸員、館長+お客様」の組み合わせのときは何も注意しません。すぐ横にいる一般のお客さんの立場からすると当惑しますよね。「えっ、美術館の関係者や偉い人は自由にしゃべっていいんだ」「じゃあ、なんで私たちは自由にしゃべれないの?」と。

しばしば美術館を訪問する筆者は、この「館の人がお客さんをもてなす」瞬間にちょいちょい立ち会います。明らかにテレビ局や新聞社などメディア関係の「取材」であれば分かるのですが、単なるVIPの接遇等であれだけ自由自在に、楽しそうに振る舞っている姿を見ると、「美術館の求める静粛さ、ってどういう根拠があるの?」と不信感がわいてきます。学芸員を始めとする館スタッフが付き添っていれば、おしゃべりOKで、付き添っていない場合はおしゃべりNGという不均衡性は明らかに是正すべきです。

つまり、一般のお客さんのおしゃべりも解禁すべきだと思うのです。本当に迷惑なくらいうるさい方がいたら、個別対応すればよいのであって、全面的におしゃべりNGとするのは常軌を逸していると思います。どなたか同伴者と鑑賞していて、作品を巡って自由で創造的な対話をしたくなるのは人間の当然の欲求です。

そもそも、海外の美術館を数限りなく訪れましたが、「おしゃべりNG」なんていう施設はお目にかかったことがありません。なぜ、日本の美術館が、ここまでおしゃべりにうるさいのか、さっぱり理由がわかりませんね……。

さあ、そろそろ本稿の本題に入りましょう。「おしゃべりNG」と本質はまったく同じと筆者が日頃、考えている問題、「ペンや万年筆でのメモはNG」問題について、これから、本稿を含めて6回にわたって、書いていきたいのです。もう、長年、腹が立っている問題です。本気で書いていこうと思います。執筆にあたっての方針は、ブレーズ・パスカル(1623~1662年)の「パンセ」〔260〕の中の筆者が大好きなくだりです。前田陽一(1911~1987年)が訳した中公文庫199~200ページより。

彼らは多数のなかに隠れ、自分らの助けとして数を求める。
喧噪。
権威。
あることを人から聞いたということが、君の信じる基準になってよいどころか、それをいまだかつて聞いたことがないかのような状態に自分を置いた上でなければ、何も信じてはいけない。
君自身への君の同意、そして他人のではなく、君の理性の変わらぬ声、それが君を信じさせなければいけないのだ。
信ずるということは、それほど重大なことなのだ。

「パンセ」は、筆者にとってまさに「葦編三絶」の書です。本当に読みすぎて本がぼろぼろになってしまったため、今、持っている「パンセ」は2冊目です。苦しいとき、困ったとき、常に「パンセ」を読んできました。そして、いつも同じことを考えてきました。「自分よりもパスカルは何千倍も何万倍もの苦痛を味わいながら、こんなに素晴らしい文章を生み出したのだ。自分ももっともっと精進しないといけない」と。

本稿では、パンセ主義を押し通すつもりです。すなわち、「私自身の私への同意」に基づいた、「私の理性の変わらぬ声が私を信じさせる」文章のみを書いていこうと思うのです。

どんなに偉そうな方に、その筋の権威の方に、「市原尚士という人間は馬鹿じゃなかろうか」とけなされても構いません。筆者は、自分の信じるところに従って、自分の思いを大胆に披歴するだけです。筆者の立場は明確です。「美術館は、ペン(含む万年筆)でのメモを全面的にOKとすべきである」というのが、筆者の意見です。なぜ筆者がそう思うのか? また、筆者への反論なども盛り込みながら、原稿を書いていきます。さて、本稿はイントロダクションなので、この辺で読者の皆さんとはお別れしましょう。(2026年2月17日14時32分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。