大昔からのアート好きなので、世界各国の美術館やギャラリーを長年、巡ってきました。気づけば大体30か国ほど訪れたことになります。そこで私が気づいてしまった日本と他国との重要な違いが、一つあります。
日本の美術館は「GLOOMY(陰鬱、沈鬱)」な印象が漂うのに対して、海外、特に欧米のそれは「VIBRANT(活気・活力に満ちあふれた)」な感じがするのです。「海外旅行に出かけている」という高揚感を差し引いたとしても、やっぱり日本の美術館と比較すると、はるかに明るくて楽しいのです。
美術館が美術を鑑賞するだけでなく、地元の人々が集い、憩い、語り合う場所になっています。もちろん、美術だってしっかり鑑賞しています。作品を前にして、あーでもない、こーでもないと結構な声量で批評を楽しんでいます。多数の幼児が集団で作品鑑賞していたり、模写をしていたりする姿もしばしば目にします。そもそも、監視員同士だって、業務と関係のない話題でおしゃべりしています。以上、欧米の美術館の典型的な「あるある」、ですね。
ところが、日本の美術館はどうでしょうか?針を一本落とした時に発生する音くらいでも、「しーっ、お静かに」と糾弾されてしまうような厳粛さ・重厚感(?)が館の全体にみなぎっています。来館者は、とにかくお行儀よく、静かに鑑賞しなければいけない、とされているわけです。海外の美術館の多くは、全体の雰囲気がもっと伸び伸びとしているので、VIBRANTとGLOOMYとの違いに反映しているのだと思います。
「静粛さ」を求める一部来場者の怒声や、美術館監視員に「あいつらがうるさいから黙らせろ」と要求している姿とたまに出くわすことがありますが、お笑いのコントでも見ている気がしてなりません。「うるさい!静かにしろ‼」と言っているアナタの声や態度の方がよっぽどうるさいし、気に障りますよ、はっきり言って。芸術を楽しく鑑賞しようとする私の心がかき乱されるんですよね、怒気をはらんだお客さんがそこに存在するだけで。
お通夜のように静かに鑑賞しなければいけない、という「謎のルール」は少なくとも欧米には存在していません。だから、私は欧米のミュージアムに足を運ぶと、心が晴れ晴れとしますし、「心底から楽しいな」と感じられるわけです。
国内外の旅行に頻繁に出かける筆者は、2025年の1月に、ノルウェー(オスロ)、スウェーデン(ストックホルム)、フィンランド(ヘルシンキ)の北欧三か国を回ってきました。その旅の中でも、「にぎやかな美術館」のメリットを享受してきましたので、本稿では、その具体的な事例を一つ一つ紹介していきましょう。
そして、後編では、再び国内美術館の静けさを巡る問題点への論考に戻りたいと思います。
あらかじめ断っておきますが、北欧が「にぎやか美術館先進国」というわけでもなんでもないです。スペインのバルセロナだろうが、イタリアのナポリだろうが、アメリカのロサンゼルスだろうが、欧米では「にぎやか美術館」は割と当たり前の風景です。
たまたま筆者が直近に訪れたのが北欧なので、ご当地の事例を紹介しましょうという趣旨なので、その辺、誤解なさらないでください。それでは、楽しくてにぎやかな美術館の旅に出かけましょう。
【はじめに】

東京都新宿区にある美術館の館内掲示。下列の右端に、静粛さを求めるサインがある
まず、結論から申し上げます。今回、北欧3か国15か所のミュージアムを鑑賞してきましたが、静謐さを求める声は館内のどこにも存在しませんでした。日本では、ほとんどすべての館にこんな掲示があるのですが……。
- 他のお客様の迷惑にならないよう、静かにご鑑賞ください
- 静かに見学しましょう
- Quiet Please
それでは北欧にはどんな掲示があるのか? 筆者がすべての館を見て、まとめた結果を披露しましょう。
- 食べ物や飲み物は持ち込まないでね
- 写真撮影はしてもいいけど、フラッシュはダメよ
- 作品には触らないでね
- 濡れた傘は持ち込まないでね
- リュックサックを背負って入場しないでね
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アテネウム美術館(ヘルシンキ)の館内掲示
大体、この5つですべてです。要するに作品を壊したり、汚したりする恐れのあるものは館内の展示スペースから排除しよう、とこういう趣旨でしょう。ごく真っ当な要求と言っていいでしょう。
一方、館内において、話し声は特段、作品を毀損する恐れはありません。だから、「静かに見ましょう」なんて掲示があるわけもないのです。そして、来館者は皆、楽しそうにおしゃべりをしています、まぁまぁ大き目の声量で。
【赤ちゃん大歓迎】
北欧の美術館を回っていると、ベビーカーに赤ちゃんを載せて鑑賞している姿をよくみかけます。1歳未満のお子さんを抱っこしながら鑑賞している方もいらっしゃいます。赤ちゃんですから、当然、「あ~う~」「パッパ」「バ~ブゥ~」のような喃語(なんご)を発しています。
日本であれば、「周りの人から白い目で見られてしまう」ことを恐れて、なかなか赤ちゃんと一緒に美術館に行くのは、はばかられるでしょう。特別の幼児向けイベントの日などにしか、安心して美術館を訪問できないのが、残念ながらわが国の現状です。
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赤ちゃんを載せたベビーカーと一緒に芸術鑑賞する来場者(アテネウム美術館で)
ヘルシンキのアテネウム美術館でコレクション展「A Question of Time」を鑑賞していると、赤ちゃんをベビーカーに乗せた親御さん3人がやってきました。3人は知人のようで、楽しく語り合いながらヘレン・シャルフベック(1862~1946年)やアクセリ・ガッレン=カッレラ(1865~1931年)らフィンランドを代表する名作を満喫していました。
よほど大きなベビーカーでなければ自分がいつもわが子のために使っているものを持ち込んでも構わないのです。仮に大きすぎた場合も館側が無料で適切なサイズのそれを貸し出してくれます。このベビーカーの無料貸し出しは、ヘルシンキ市立美術館でも見かけました。

アテネウム美術館(ヘルシンキ)のパンフレット
そもそもアテネウム美術館の場合、館のパンフレット(16ページ)の表2(表紙の裏)には、赤ちゃんを抱っこした笑顔の母親の写真が採用されています。「ウーウー」とか「バッブー」とか呟いていたとしても赤ちゃんやその親御さんはウェルカムなわけです。
【足腰の弱ったお年寄りにも優しい】
北欧3か国、すべての美術館で確認できた、大変すてきな取り組みもご紹介しましょう。館内の目立つ場所に黒っぽい謎の物体が置かれているのです。上部が三角形でその下に細長い長方形が続き、最下部には脚が生えている黒い物体です。これなんだろうと最初に見た時に筆者は思いました。
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キアズマ(ヘルシンキ)で無料貸し出ししている折り畳み式のイス
来場者でも足腰の悪そうなお年寄りが、ストックホルムでもオスロでもヘルシンキでも、この物体を持って展示会場に入っていきます。彼らが実際に使っているのを見て、鈍い筆者はようやく意味が分かりました。折り畳み式のイスだったのです。
会場内で、単純に休みたいとき、あるいはじっくりと腰を据えて鑑賞したいときに、この無料貸し出しのイスを使うことが許されているのです。大変、良いアイデアです。来場者は思い思いのお気に入りの作品の前で寛いで鑑賞できるのですから。
日本なら、狭くてしょぼいソファが展示会場内に数か所あるくらいです。腰が痛いな、どこか座りたいな、と思ってもなかなか休めません。鑑賞行為が苦行と直結しているのがわが国の美術館です。
折り畳み式のイスは今すぐにでもまねできそうではありますが、「避難経路の動線を妨げる恐れがあるから」とか何とか言って、わが国ではなかなか実現しなさそうな気がします。とにかく、ルールやマナーが大好きなのが日本人ですから。快適に楽しく鑑賞することよりも、気難しく、冷たい規則ばかりが幅を利かせています。
筆者も実際に、このイスを手に持ってみました。全体的に真っ黒で重そうなのですが、実際に持つと意外と軽いです。直感的に三角部分をパッと開くと、メッシュ状の座面を持った椅子に早変わりしました。なるほど、このイスさえあれば、じっくりと何時間でも鑑賞できそうです。たかがイス、されどイスです。足腰の悪いお年寄りには「福音」としか言いようのない、粋な取り組みだと思いました。
【トイレも多様性】
美術館内のトイレでも驚きました。複数の美術館で、男性用、女性用と分けていないトイレが存在していました。自分が小用をたそうと思い、扉を開けると、中から女性が出てきてびっくりしました。あわてて扉を閉めて、男女の別を確認したところ、女性も男性もセクシャルマイノリティーもすべて共用のトイレだったのです。

ヘルシンキ市立美術館のトイレ出入り口の掲示
「ああ、じゃあ自分も使っていいんだ」と頭では理解しましたが、やはり、「痴漢と思われたらどうしよう」という不安が上回り、結局、筆者は小用を我慢してしまったのですが、ご当地の人は「女性の後で男性が入る」もその逆もまったく気にしないでトイレを利用していました。マイノリティーの方への配慮が、トイレ一つにも表れているのは立派です。このタイプのトイレ、日本でもまれに見かけるようになってきましたが、北欧での出現率は日本の5倍以上はありそうな気がしました。
幼児、子育て中の親御さん、お年寄り、性的少数者らに不利益が生じない「A MUSEUM FOR ALL」精神に満ちているのが北欧です。前出、アテネウム美術館のパンフレットの14ページに「OUR SAFER SPACE POLICY」なる宣言が記載されていました。拙訳でご紹介します。
「私たちは、アテネウム美術館ですべての人々に『安全な空間』を感じてほしいと思っています。私たちは、利用者すべての人に思いやりをもって接します。誰もが自分らしくいられます。いじめ、ハラスメント、差別はいかなる形でも(館内では)許されていません。美術館スタッフはあなたの味方です。いつでも、どこでも、何でもお気軽にご相談ください」
この文章を読んだ時、筆者は感動しました。美術館が、どんな立場の人間に対しても寄り添い、サポートしようとする姿勢を前面に打ち出していたからです。
赤ちゃんが堂々と入館できる。いや、むしろ美術館側として「赤ちゃんの入場は大歓迎」という姿勢が前面に出されている、ということは、つまり、過度な静けさよりもわいわいと楽しく鑑賞することが推奨されていると言ってもいいのではないでしょうか?
(2025年1月26日11時10分脱稿)
*「【後編】静けさを巡る闘争」もご一読いただければ幸甚に存じます。静けさ至上主義者にどう向き合えばよいのか? その処方箋を示しています。