ペンは酸よりも強し#4 市原尚士評

「ペン禁止は思考停止」という筆者の意見を縦横無尽に繰り広げてきたのですが、ここで、あえて筆者への反論も紹介しておきましょう。そうしないとバランスが悪い感じもしたので、東京都内で某有力ギャラリーに勤務する展示担当者Aさんの意見も紹介しましょう。

Aさんは結構、有名でお立場もある方なので匿名にします。ただ、書いてあることはすべてAさんが本音で語ってくれたことです。本稿では、掛け合い方式を採用します。市原の「)」とAさんの「)」で進めます。

)美術館や博物館のペン禁止って本当にあほくさいよね。禁止の理由がまるでオカルトだし。
)まぁ、確かに市原さんの言う通り、ペン禁止っていうのはくだらないかもしれない。でもねー。

)でも、何でしょうか?
)市原さんは、見る側でしょう。私たちは見せる側でしょ?
)うん、だから?
)市原さんみたいにマナーの良い方たちばかりじゃないの。普通の来場者って。例えば、絵がどこかのギャラリーに飾ってあるとして…べたべた素手で触っている人をこれまで何度も見てきたんだよね。
)えっ、そんな馬鹿がいるの。
)いるいる、たくさんいる。自分のギャラリーでも出会うし、よそのギャラリーでもよく見る。私は「作品が傷つくー」と心の中で悲鳴を上げて、たとえよそのギャラリーであっても、すぐに「触ってはいけません」と注意するくらい。

)でも、触る程度でしょう?
)あのねー、市原さんって本当に無邪気だね。触る程度じゃすまないよ。ガムや飴を口中に含みながら鑑賞している人もいるし、ひどいとギャラリーの中でペットボトルの飲料をごくごく飲みだすバカもいる始末。
)えっ、そんな馬鹿、本当にいるの?
)だから、いるんだってば。大きなバックパックを背中にかついだまま鑑賞している人が、急に姿勢を変えて、そのバックパックが作品に直撃したりなんてこともしょっちゅう。だから、バックパックを背負ってきた方には、必ずバックパックを背中から外して床に置いてもらうようにお願いしている。ただ、小ぶりのカバンであっても、作品にぶつけられてしまったことは何度もあるから、手荷物の扱いは本当に難しいな。

)でも、もうそれくらいでしょ、ヤバイ人は。
)まだいる。作品にすごく近寄りながら、大声でべらべらしゃべる人。口角から飛ばした“泡”が作品につきそうで冷や冷やする。美術品はまぁまぁ高額なものだから、「お前の汚い、汚い唾が1ミリグラムでも作品についたら、損害賠償請求してやるぞ」って言いたくなる。
)確かに、作品のすぐ前でべらべらしゃべっている方いるね。
)市原さんはさー、ペンのことでどうこう言っているけど、展示を担当する私たちから言わせてもらえば、もう、「ペン以前」の人たちが多すぎるの。

)そりゃそうかもしれないけど、だからといってペン禁止はおかしくない?
)だから、市原さんも頭が鈍いねー。「ペン以前」の人たちがあまりも多い、多すぎる以上、そんな人たちのこと信用できないでしょ?
)うん、まぁ。
)そういう信用できない人たちにペンを持たせたら、どうなるかな?
)確かに観光地の落書きみたいに、カップルの名前を相合傘で書く古典的なやつをピカソやモネの絵に書こうとする輩も出てくるかもしれないね。
)そう。落書きするかもしれないし、あるいは政治的な主張を目立たせようと、作品を破壊するかもしれないでしょ。
)そうか、美術館側がペンを禁止する本当の理由は「インクが飛ぶから」ではなくて、レベルの低い来場者が「落書きをしたり、とがったペン先で作品を破壊する」かもしれないってことか。

)その通り。インクが飛ばないことくらい、ミュージアムの人だって百も承知しているはず。レベルの低い来場者が思いのほか多くて、その来場者がペンという“凶器”を手にしたら何しでかすかわからないから禁止しているんだと思う。
)確かに僕くらい教養が高くて、鑑賞マナーをわきまえている人間なら、仮にペンと万年筆と硝酸とジャックナイフと爆弾を持っていたとしても、礼儀正しく鑑賞できるけどね。

)まぁ教養はそれほど高くないと思うけど、一応、ちゃんとしたマナーはあるのかな、市原さんには。要するにね、来場者のレベルが低いから、何をするんでもあまり信用できなくなっているの。
)どうしたら、いいだろう?
)学校教育の中で、小学生くらいから高校生までの間に、きちんと鑑賞のマナーやルールを学ぶことがまず一番大事かな。その上で、年に最低でも2~3回は美術館を訪れ、作品鑑賞の楽しさも知ってもらうことも大切かも。「この作品は面白い」「この作品は大切な宝物だ」という気持ちを子供たち一人ひとりが持てば、自然に「作品を大切にしよう」という気持ちも湧いてくるでしょ。日本は、あまりにも美術作品に触れてきていない人たちが多すぎるのが一番の問題点だと思う。
)まったく、同感。美術作品の面白さを知れば、自然にリスペクトも湧く。当然、大事にするし、鑑賞する際のマナーだってよくなるよね。

)基本的なマナーがしっかり身に付いた人たちばかりであれば、ペンなんか全然使ってもらって結構なんだよ。
)なるほどー、やっとわかった。日本人全体の美術作品へのリテラシーがきちんとあれば、ペンの持ち込みだって、全然問題ないってことね。
)そう、その通り。市原さんが主張する「ペン解禁」も頭では分かるんだけど、展示に日常的に携わっている人間としては、わが国のミュージアムでのペン解禁なんて「夢のまた夢」だと正直、思うなー。
)まぁ、あなたの言うことは分かっても、やっぱり僕は「ペン解禁論者」だけどね。

)えーっ、どうして、そんな暴論が吐けるの?

ここで率直な掛け合いは終わりになります。Aさんは日本人の鑑賞マナーが悪いから何も信用できない、と主張しましたが、筆者はそれに反論したいわけです。さて、その反論の内容は? 次回、乞うご期待あれ。(2026年2月17日15時06分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。