漢字と展示、いい感じ#2 市原尚士評

漢字はそもそも難しい

漢字と展示、いい感じ#1」では、美術館のキャプションに記載された漢字が読めないのは鑑賞者側の教養不足によるものと断じました。漢字が読めない筆者も猛省し、ハンディー版漢和辞典「角川新字源」のページを繰りながら、ボキャブラリービルディングにまい進しております。ただ、個人個人の努力ではいかんともしがたい限界も正直、感じています。

文字が意味ではなく発音や音節を表す、いわゆる「表音文字」であれば、話しは非常に簡単ではあるのです。個別の音が組み合わさるだけで単語ができていますから、英語の「cat」は、キャットと発音し、意味は「猫」と確定させることが容易なのです。アルファベットは文字数が少ないですし、文字を見れば、大体、その発音も分かります。まぁ、文字数が多くなりがちになるという欠点はありますが。

一方の漢字は、文字が音と意味との両方を表す「表語文字」です。だから、非常に複雑きわまりない話しになってきます。例えば、わずか3画の「下」という漢字を例にとって考えてみましょう。読み方は、こんなにあります。「カ」「ゲ」「した」「しも」「もと」「さげる」「さがる」「くだ」「くだ」「くださる」「おろす」「おりる」。いかがでしょうか? こんなに読み方があれば、覚えるのが大変です。

実は筆者は、大学に通っていたころ、東洋哲学を専攻しておりました。仏教にせよ老荘思想にせよ、大陸を経由して我が国に入ってきた最先端の思想哲学は、漢文という形式で受容していました。それを学ぼうというわけですから、当然、筆者も漢文と向き合う日々が続いた訳です。漢文といっても、句読点、訓点のついていない「白文」です。ただただ漢字がわーっと並んでいるだけなので、読むのはとても難しかったです。

指導してくれた大学教授が、ある日、にやりと笑いながらとっておきの「裏技」を教えてくれました。「いいかい、君たち。人前で漢文を読み下す機会があったときにまったく歯が立たなかったら、漢字は音読みにしなさい。そうすれば、『当たらずといえども遠からず』ということになるから。決して間違いではないことにはなる。とにかく堂々とした感じで音読みしなさい」

今になって、教授の真意が分かります。漢字の「表音」部分にフォーカスして読めば、正解ではなくても間違いでもない、というのは当たり前のことです。訓読みしようとすればするほど、頭がごちゃごちゃになるわけです。もちろん中国人の漢字の読み方と日本人のそれとはかなり異なるので、日本人の音読みは中国人には伝わらないとも思いますが…。

表語文字である漢字の難解さが頻繁に取り上げられるようになったのは、幕末の頃までさかのぼります。官僚・前島密(1835~1919年)の「漢字御廃止之議」が1866年、将軍・徳川慶喜(1837~1913年)に提出されました。西洋のように表音文字、つまり平仮名を採用し、漢字の使用を廃止することを前島は主張しました。思想家・福沢諭吉(1835~1901年)は1873年に出版した「文字之教」で漢字の使用を制限することを主張しています。

漢字の廃止、もしくは制限を主張する論調が再度、盛り上がりを見せたのは敗戦直後になります。1945年11月12日付けの「読売報知新聞」では「漢字を廃止せよ」という社説が掲載されました。また、小説家・志賀直哉(1883~1971年)は1946年に雑誌「改造」に「国語をフランス語にせよ」と訴える「国語問題」を寄稿しています。その論の正否は、2025年の現在でもはっきりさせるのが難しいと思います。ただ、とにかく日本語の漢字表記を巡る難しさは、知識人や官僚らが繰り返し論じてきたことだけは確かです。

もっとルビを活用しよう!

漢字の難しさ、つまり日本語の難しさをルビを振ることによって解決しようと取り組んでいるのが、2023年5月に発足した一般財団法人「ルビ財団」です。ウェブサイト上のすべての漢字にルビを振るソフトウェア「ルビフルボタン」の開発・普及を行っています。書籍にルビを振ってもらうことも推進させようと、「ルビ付き本」のリスト化も進めています。

ルビ財団が丸善丸の内本店で実施した選書フェア「ルビで広がる本の世界」

ルビ財団ファウンダーの松本大さん(1963~)のメッセージを公式ホームページで読み、共感を覚えました。大のアート好きである松本さんは、私と同様に、長いこと、美術館のキャプションで悩んでいたというのです。一部分を引用してみましょう。

美術館に行って日本の室町時代や江戸時代の作品を見る時、 横に貼ってある説明文の多くの部分が、伝統的な工法だったり、材料だったり、 或いは作品の名前自体が、漢字で書かれていて、私でさえ音読することが出来ず、 そうすると全く頭に入らなくて、理解することも覚えることも出来ません。 英語の説明も付いていることが増えたので、そちらを見て、読み方を知る始末です。

私の場合、仮に英語を見たとしても、読み方や意味が分からないケースもちょくちょくあるので、松本さん以下ですね。松本さんは、表音文字であるアルファベットを用いる英語圏の国々と表語文字を使う日本とを比較して、こうも綴っています。

英語圏では、この問題はありません。アルファベットという、全部ひらがなで書かれているようなものですから。音楽家は小学生や中学生でも、世界のトップクラスになり得ます。或いはそのための教育を受けられます。しかし日本では、科学・政治・社会・文化の世界では、先ずは漢字が読めるようになってからでないと、学習を始めることすら出来ません。しかし英語圏の子供は最初から好きな本を読みに行くことが可能です。

松本さんの指摘は100%正しいと思います。そして、日本人でさえ読むのが難しい漢字です。外国にルーツを持つ人々にしてみたら大人も子供もまったくお手上げでしょう。美術館を訪れるのは日本人だけではありません。誰でもが平易に読める表記を採用するのは、美術館として当然ではないでしょうか?

作品キャプションがきちんと読めないのは、来場者(の頭が)悪いから、と前回の原稿では結論づけてしまいましたが、訂正してお詫びいたします。「きちんと読めない作品キャプションを放置し続けている美術館が悪い」のです。

うらわ美術館の展示で出品されていたボナール「室内の裸婦」

もちろん、美術館側も手をこまぬいている訳ではありません。埼玉県の「うらわ美術館」では「やさしい日本語」で鑑賞できる展覧会を以前より実施しています。現在開催中の企画展「フランス近代絵画の巨匠たち:モネ、ルノワールからピカソ、マティスまで」(会期:2025年4月19日~6月15日)でも、「やさしいにほんご」と冠した総ルビのキャプションとルビの付いていない、通常のキャプションを両方並べていました。これなら、漢字が苦手な方でも安心して鑑賞できます。また、東京都写真美術館は、「やさしい日本語」の利用案内パンフレットを作成・配布しています。

ボナール「室内の裸婦」に付けられたキャプション。上部2枚が通常のキャプション。下部1枚が「やさしいにほんご」で書かれたもの

漢字が読めない人間に対してフレンドリーな美術館が登場してはいますが、まだまだ少数です。東洋哲学を学び「白文」読解に日々取り組んでいた筆者でも読めないようなキャプションはもう全面的に廃止してほしいです。松本大さんの指摘は鋭いです。漢字が音読できないと「理解することも覚えることもできない」のですよ。

音読するためには、どうしてもルビが必要ですから、キャプション類は総ルビにしてほしいです。そして、会場内で配布される紙の出品リスト、館の公式HP、さらに国立美術館の「所蔵作品総合目録検索システム」、リサーチポータル「アートプラットフォームジャパン(Art Platform Japan、略称APJ)」などのデータベース内の記述もルビを使ってほしいと切に要望いたします。音読ができて初めて人はしっかりと理解できるのですから。

美術館の皆さまが頭脳明晰で漢字も英語もフランス語もすらすら読めることは私も存じ上げております。でも、一般の来場者にまで、そのような高い、いや、高すぎる知的レベルを求めるのは、やはり無理なのではないでしょうか? 日本人も外国人も、漢字が読める人も読めない人も、多くの方が楽しみながら学べる美術館になってほしいです。(2025年5月31日21時31分脱稿)

*「漢字と展示、いい感じ」は連載です。次回は、実は美術館の人も漢字が読めていないのではないか?という疑惑に迫ります。お楽しみに!

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。