彼らにも考えがある 市原尚士評

背中合わせの状態を向かい合わせるために、何ができるのか?

チリ・サンティアゴ出身のアルフレド・ジャー(1956年生まれ)の「あなたと私、そして世界のすべての人たち」を東京・初台の東京オペラシティ アートギャラリーで鑑賞した際に、冒頭の問いかけが筆者の頭に浮かびました。

人間関係でも国際関係でも何らかの不調が生じているのは、お互いが背中合わせになってしまっており、視線が合っていないことに起因するケースが多いです。こじれにこじれてしまった関係性を解きほぐすことに最も重要なのが、互いに向き合い、視線を合わせることだと思うのです。

ジャーの作品には、この「背中合わせ→向かい合わせ」という運動・構図がしばしば見られると思います。

「ゴールド・イン・ザ・モーニング」はその典型例かもしれません。壁から近い距離に置かれたライトボックスから、その壁に向けてセーラ・ペラーダ金鉱を撮影した写真群が投影されています。観客はライトボックスからの映像を直接、見ることはできません。

それでは、どうやって、見るのか?
壁に設置された横長の鏡に反射した映像を斜め方向でのぞき込むことになるのです。このように面倒な見せ方をあえて行うジャーの意図は明らかでしょう。金鉱の厳しい労働状況とはまるで無縁であるかのように振る舞う先進国に生きる私たちを心理的に金鉱の労働者と同じ次元に引きずり込むための装置、それこそが、ジャー作品の持つ特徴なのです。

厳しい労働(マイナス)×わざと見えにくい構造にした作品(マイナス)=プラス
そんな方程式が頭に浮かびます。遠い国の金鉱での厳しい労働に目を背けて、豊かさを謳歌する人々を心理的に鉱山内に引きずりこんで、向かい合わせの状態にしようとジャーは試みているのです。

向かい合わせの暴力から逃れるために、何ができるのか?

「明日は明日の陽が昇る」と題された新作は、そのような問いかけに満ちています。
大きな2つのライトボックスが向かい合っています。床に置かれた日の丸の真上に、天井から吊り下げられた星条旗が煌々と光っています。日本が下部、アメリカが上部で向かい合わせの状態になっているわけです。

「明日は明日の陽が昇る」

上部に吊り下げられた星条旗は、いつ日の丸(日本)の上に落下してくるか分かりません。仮に落下してきたら、ただじゃすみません。日本という肉体は大きく傷つき、運が悪ければ、死んでしまうかもしれません。それくらい不安定、かつ恐怖感を覚えさせる位置関係です。アメリカが日本にのしかかっているようにも見えてしまうのです。

たかだか81年ほど前に、広島市と長崎市に米軍のB‐29爆撃機がそれぞれたった1発の原子爆弾を落としました。その、たった1発で、どれほどの惨禍が生じたのか。その無惨な歴史をこの2つのライトボックスが静かに告発しているようにも見えるのです。

上(アメリカ)から下(日本)に投下された原爆の軌跡が見えるような気がするのです。アメリカでは今も「原爆のおかげで戦争が終わった」と主張する人々がいます。また、アメリカ政府は広島・長崎の被爆者への賠償を行わないまま、この80年という時日を経過させたままにしています。

もちろん、日本政府がサンフランシスコ講和条約で賠償請求権を放棄したせいで、アメリカは堂々と賠償しない態度を貫いているわけですが…。しかし、アメリカ政府が自身の非を認め、全面的な賠償を行わない限り、原爆を巡る問題が根本的な解決をしないことは火を見るよりも明らかです。

あろうことか、日本政府は全面的な対米従属の姿勢を戦後80年間、貫いています。被爆者への補償を迫るどころか、思いやり予算をたっぷりと米軍に与え、アメリカから大量の戦闘機やミサイルを売りつけられています。

アメリカ製の兵器を爆買いしている状態が続いておりますが、これがどのくらい「世界の平和」を棄損するものか、少し考えれば分かるはずです。税金の無駄遣いと批判されるのは誰だって嫌です。となると、他国の脅威を必要以上に煽り、武器をたくさん買うのは無駄ではないと言い募らなければならないわけです。さらに、税金の無駄遣いと批判されないためには、実際にミサイルを打たなければならないわけです。他国の脅威が実際にあるというよりは、自国が軍備を増強するための理由として、「他国の脅威」を無理やりにでも生み出さなければならないのです。典型的な原因と結果の取り違えが、ここに生じているわけです。

ジャーの作品は、シンプルな構造でありながら、日米両国が置かれた関係系を深く考えさせてくれるのです。

暴力に向かい合わせることによって平和への思考を生み出す

「平和」でもなんでもないのに「平和ボケ」している、ただのぼけた日本人に強烈な反省を迫る作品が「ヒロシマ、ヒロシマ」でした。ドローンが広島の上空を滑らかに移動しながら、市内の様子を映し出していくのです。

「ヒロシマ、ヒロシマ」(部分)

カメラはやがて、原爆ドームの真上にやってきます。そして、真下へ、真下へと、垂直に降下していきます。カメラがドームにぶつかりそうになった瞬間、スクリーンの背後から産業用送風機20数台による強烈な風が振動を伴って、鑑賞者に襲い掛かってくるのです。

「ヒロシマ、ヒロシマ」の終盤。スクリーンの向こう側から強風が鑑賞者に吹き付ける

このカメラの動き方は、要するに原爆の動きと同じです。つまり、私たち鑑賞者は原爆の先端に付けられた目のようになって広島の街に落ちる原爆から見えたであろう光景を見るのです。言い換えれば、ジャーは自身の作品によって、鑑賞者に「原爆の目」の立場で広島を見るよう強いているわけです。そして、原爆が落ちた直後に、鑑賞者に強い振動と爆風が到達するわけです。ジャーは原爆の恐ろしさを鑑賞者に味わわせます。わざと暴力と向き合わせることによって、「平和な世の中にするためにはどうしたらいいのだろう?」という問いかけが見る者の中に自然に芽生えることを促しているのでしょう。

彼らにも考えがある

もう一度問いかけたいと思います。

背中合わせの状態を向かい合わせるために、何が必要か?
ジャーの「彼らにも考えがある」をじっと見ていると、他者の考えに耳を傾ける重要性を改めて知ります。「あいつは異民族だから」「あいつとは宗教が違うから」「肌の色が違うから」などなど対立の原因となりそうな要因はいくつでも数え上げられます。

しかし、「OTHER PEOPLE THINK(彼らにも考えがある)」という言葉が最大の真理であるのは間違いないのです。正義や正当性や倫理感は当然、「彼ら」にもあるのです。そこに目をふさいで、「あいつらは鬼畜だから皆殺しにしてしまえ」と単純化した思考様式で戦闘をしかけるのは愚の骨頂でしょう。

「彼らにも考えがある」

安易に他国侵略の道を進もうとしている政治家が我が国にもたくさん存在しています。彼らが敵国、脅威を日本に与える国と認定していたとしても、やはり、戦争の道に進む前に「彼らにも考えがある」と自省する必要性があるでしょう。

戦争は最低の外交手段です。戦争にならないように努力するのが政治家の一番の仕事のはずです。にもかかわらず、他国の脅威を政治家自身が煽り、いかにも勇ましい様子で軍事費をうなぎ上りに上らせていこうとするさまは、まさに愚の骨頂です。

「OTHER PEOPLE THINK」をアメリカや日本や中国や北朝鮮やロシアやイスラエルやイランなど多くの国のトップに筆者からプレゼントしたいくらいです。そうすれば、もう少し、ましな政治が実現するかもしれません。

最後に、本展のカタログ2ページから、ジャーの作品世界の持つ意義を記した素晴らしい言葉を引用します。

誰かを糾弾するのではなく、世界を検証する詩的なモデルをつくり出すーージャーの制作に通底するこの態度は、戦禍や不平等といった悲劇をはじめ、日常の諸問題に直面する私たちに、静かに、力強く訴えかけます。善悪は単純に決められるものではなく、ときに反転することがあること、遠く離れた国の惨事にも私たちが関わっている可能性があること。異なる価値観を持つ他者の存在を否定せず、それでも幸せになるために、一人一人がよく見て、考えることをうながします。

この言葉、実際に展示会場で作品と静かに向き合えば、100%、同意できる内容です。すべて素晴らしい言葉です。世界中のアホな政治家たちに拳拳服膺してもらいたい内容だと確信しました。

展示を企画運営し、素晴らしい章解説を執筆された東京オペラシティ アートギャラリーの野村しのぶ氏もまた筆者と同様、背中合わせになってしまっている世界をいったん向かい合わせようと考えていらっしゃるのでしょう。展示の端々から、野村のそんな熱い思いを受け止めました。芸術を愛する人=平和を愛する人のすべてに鑑賞をお勧めしたい展示でした。(2026年2月1日16時29分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。