彩字記#20(採取者・市原尚士)

自己矛盾広告

電車に乗っている時、川崎鶴見臨港バス株式会社の広告を見て、びっくりしました。
広告は上下に分割された内容です。まずは上部からご紹介しましょう。同社のキャラクターである「りんたん」の仲間が増えたことを寿いでいます。りんたんが左端にいて、その横に「りんすけ」「ぎんたろう」「ていぼー」の3人が並んでいます。

これは、よくある内容の企業広告です。かわいいキャラクターが増えたので、「皆さん、これまで以上にりんたんとその仲間たち(=川崎鶴見臨港バス)に親しんでくださいね」というメッセージですよね。まぁ、当たり前の内容でしょう。

ところが、この広告の下半分が、実はキャラクターが増えたことよりもよほど重要なようです。当のりんたんが少し眉間にしわを寄せながら、「そんなことより!バス運転士が増えてほしい」と訴えているのです。「そんなこと」、はもちろん増えたキャラクターのことです。

キャラクターが増えたことも同社にとっては大事なニュースだけど、もっと大事なのは、運転士を一人でも多く、増やしてほしいという痛切な願いだったのです。きっと労務難で大変なことになっているのでしょうね。人の命を預かる公共交通の運転士ですから、たっぷりと休憩・休息・休暇を取って、居眠りなどは絶対にしないような職場環境が必須です。

しかしですね、多分、同社では、労務難から運転士の数が非常に減少してしまい、厳しいローテーションになってしまっているのでしょう。企業の経営を圧迫するのは、人件費です。なので、多くの運転士を雇いたいのはやまやまでも、人件費増を考えると、そうもできない経営陣の苦悩が透けて見えるようです。しかし、このまま手をこまぬいていれば、運転士の肉体的・精神的疲労はどんどん蓄積し、その結果、いつか重大な事故を招いてしまう恐れもあるかと思います。バス利用者にとっても他人事ではない問題です。

りんたんが、「そんなことより!」というのももっともな話なのです。キャラクターを増やす暇があったら、運転士を一人でもいいから増やしてほしいという従業員たちの悲鳴が聞こえてきます。そして、同社の公式HP内をのぞくと、運転士を増やしてほしいという願いに基づいた記事があちこちで見られました。さらに驚いたのは、キャラクターを増やしたのは、どうやら「バスの運転士を増やす」ためだったということが分かった瞬間でした。

もし、そういう方向性の広告だったとするなら、広告上部に、「運転士を一人でも多く増やすために新たな仲間が誕生しました」旨を書き入れ、りんたんのセリフも「みんなで頑張ってバス運転士を増やそう」にしないと意味が通じにくいです。

ただ同社も、そんな矛盾は当然、分かっていたはずです。でも、自己矛盾をきたしてしまうくらい、緊急度が高く、切迫感のあるテーマなのでしょうね、運転士の労務難は。筆者が子どものころ、公共交通の運転士さんと言えば、「将来なりたい職業」の中でも大人気だった記憶があります。飛行機、電車、バス…どの乗り物でも、その運転士さんは少年たちから憧れの目で見られていたものですが、今のバス業界はかなりの苦戦を強いられているようです。

広告内に登場するキャラクターが、いっぺん訴えた内容(キャラの増加)をあたかも否定するかのように「そんなことより!」と訴える広告は、極めて珍しいと思い、ご紹介した次第です。同社のHPを拝見すると、なかなか良い会社のように思えます。運転士になる夢を封印してきたけど、現在、求職中の方には、ぜひともHPをご覧になってみることをお勧めします。

自己矛盾アート

ヘルシンキのアモス・レックスでアルゼンチン出身のアーティスト、レアンドロ・エルリッヒ(1973年生まれ)の大規模な展示が催行されています。世界中、どこでも大人気ですよね。鏡を中心とした視覚的トリックを鑑賞者が実際に参加して楽しく、明るく体感できるので、老若男女を問わず、誰からも愛されるわけです。

レアンドロ・エルリッヒ「建物」@アモス・レックス

ただ、彼の代表作ともいえる「建物」を見て、「ちょっと待て、待て」と自分に問いかけていました。「建物」は皆さんもご存じですよね。床に置かれた建物のファサードを巨大な鏡に映す構造です。鏡の方だけを見ると、人が窓からぶら下がっていたり、建物の頂上から片手でぶら下がっているように見えたりとかなりスリリングです。実際は、床の上のファサードの上に横たわっているだけなのですが。つまり、鏡のおかげで、横位置のものが縦位置に見えるという視覚的効果が生かされているわけです。

もちろん、文句なしに面白いのです。それは否定しません。しかし、自分が床の上に横たわって、鏡を見ても、そこまで面白くないのです。わざわざ、作品の中に参加し、没入しているはずなのに、それほど面白くはない。自分が横たわり、鏡に映ると縦方向に見えているという“からくり”を自分は熟知した上で参加しているからです。

それでは、この作品を面白いと感じるのは誰でしょう?
作品に参加している人の家族、恋人、連れの仲間にとっては面白いのです。彼らがスマホ等を鏡に向けて撮影しているが、この作品の面白さのクライマックスかもしれません。作品で横になっている人は、あくまでも添え物で、写真を撮る人こそが主役になってしまっているのです。

エルリッヒ作品の大きな特徴かもしれませんね。金沢21世紀美術館の「スイミング・プール」もこの「建物」と全く同じです。深く水で満たされたかのようなプールですが、実際は透明なガラスの上に深さ約10センチの水が張られているだけです。ガラスの下は水色の空間になっていて鑑賞者は内部に入れるようになっているわけです。さて、ここで筆者がプールの中に入った時のことを思い出します。「なんだ、中に入っても特におもしろくないじゃん」と率直に思ったわけです。

この作品を面白いと思えるのは、プールの上からプール内を見下ろす側の方たちです。中に入ってもそれほど面白くないのです。エルリッヒ作品には、あまり双方向性がないのです。ある特定の位置、場所から鑑賞する人は面白いのですが、それ以外の場所から鑑賞してもそれほど面白くはない。

また、リアルに肉眼で鑑賞するよりも、作品体験者が面白おかしく参加している様子を連れの方が写真撮影することによって、はじめて鑑賞の質が担保されるような特徴があるのです。これは、意地悪な言い方をすると、作品が添え物で、「作品+観客参加を撮影した写真」こそが主人公とも規定できる気がします。

逆に言いますと、作品そのものよりも、作品と戯れる人々の姿を写真撮影して初めて“作品”が完成するという仕組みをエルリッヒが発明したともいえます。ただ、この発明は、まさにすべてがスペクタクル(見世物)化された社会そのものから生まれてきたものであって、決して、このスペクタクル社会を批判するものではない、という点が非常に弱いです。

実際、エルリッヒの生み出す視覚的スペクタクルには、社会批判の要素がほぼ感じられません。拙稿「彼らにも考えがある」では、視覚的なトリックを活用したアルフレド・ジャーの仕事が社会批判をしている点を記述しました。同じく、視覚的なトリックを用いていても、そしてチリ(ジャー)、アルゼンチン(エルリッヒ)と同じ南米出身でも、両者の仕事には大きな差異があります。どちらが良い悪いではないのですが、エルリッヒ作品の無邪気さは他のアーティストと比べても群を抜いていると思います。

社会をそこまで批判しない、出来の良いスペクタクル・アートは、作品参加者が一番、つまらなく、横で傍観しながら写真撮影している人が一番、面白いという大きな矛盾を抱えています。いや、写真を撮る傍観者よりも、そこで撮られた写真が一番面白いのではないかという疑念すら湧いてきます。つまり、「SNS映えは抜群。でも中身は空っぽ」という感じが漂うわけです。人畜無害で、誰からも愛されやすい娯楽としての出し物、それこそがエルリッヒの抱える限界なのかもしれません。

まぁ、偉そうなこと書きましたけど、エルリッヒの作品、理屈抜きに面白いことは面白いんです。もう、それで十分じゃないか、とも思えますので、もうこれ以上の論評はやめましょう。

自己矛盾通路

東京・銀座の高級クラブ等が入居しているビルには、ゴージャスさを演出する意味合いで、ビルの内部を貫通する通路の片側から噴水が落ちていることがあります。絶え間なく落ちる水の流れが音を立てて、ちょっと凝った天井の照明を噴水の水面が反射しています。

殿方が行ったり来たりする銀座の高級クラブへと至るゴージャスな通路

この通路をお客さん(=男)はわくわくしながら通過し、お店に向かいます。そしてお店を出て、この通路を歩くときは、やるせなく寂しい気持ちを抱えながら、帰宅するわけです。

クラブの女性たちの「あなただけが好き」はただの“三枚起請”にすぎません。彼女たちは、鼻の下を伸ばしているあなたには全く興味を持っていません。彼女たちが興味を持っているのはあなたのお財布の中に入っている札束だけです。お金を気前よく使っているうちは、ちやほやしてくれますが、お金が無くなれば、それが縁の切れ目、です。

クラブの女性とのお付き合いを夢見ている方は、あるいは、自分がクラブの女性から「もてている」と思い込んでいる方は、本当におめでたいです。

お金、お金、とにかく、一番重要なのはお金なんです。たくさんのお金をつぎ込むことによって、はじめて彼女たちは笑顔を見せてくれるし、話しかけてもくれるのです。お金がないあなたには、何の価値もないのです。

まぁ、男性客も、そんなことくらい百も承知でクラブに通っているのです。「もしかしたら、お金とは関係なく自分のことを好いてくれているんじゃないか」という一縷の望みを持って、片側の噴水を見ながら、高級クラブの窓を開くのです。

しかし、店を出て、また、噴水の横を通るとき、こう苦々しく思うのです。「こんなくだらないことに、18万円も使っちゃった。どうしよう、消費者金融の借金、返さないといけないのに……」と。

希望と絶望が交差する自己矛盾通路、それは銀座のあちこちに点在しています。

こんな通路を何度も行ったり来たりしないようにするための予防策はたった一つしかありません。

汝自身を知れ」(byソクラテス)

以上、本稿は自己矛盾三連発でした。(2026年2月1日19時06分脱稿)

*「彩字記」は、街で出合う文字や色彩を市原尚士が採取し、描かれた形象、書かれた文字を記述しようとする試みです。不定期で掲載いたします。

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。