レシートも立派なアート 市原尚士評

東京・六本木の国立新美術館で「テート美術館 - YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」を見に行ってきました。大変、充実していますね、この展示内容は。筆者の大好きなフランシス・ベーコンを冒頭にどかんと置いているのは、インパクト十分です。ダミアン・ハースト、ギルバート&ジョージ、ヴォルフガング・ティルマンスからトレイシー・エミン、サラ・ルーカスまで、1969年生まれの筆者が高校3年生くらいから30代前半、つまり感受性が豊かな頃に、出会った作家が多く、見ていてとても懐かしかったです。

共通するのは、社会制度への疑問や怒りを前面に打ち出した作品が多いことでしょうか。あえて個人的な物語や歴史にフォーカスして、それが大文字の歴史の中にどのように介入していけるのかを実験するような手触りの作品も目立ちます。

約60名の作家によるおよそ100点が出品されていますが、駄作はほとんど見当たりません。クオリティーの高い作品が目立つ好展示だと思います。「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)」と称された作家たちを中心に紹介していますが、かつて国内で、これほどの規模でYBAの作家が紹介されたケースはないのでは?

2014年の「プライベート・ユートピア ここだけの場所ーブリティッシュ・カウンシル。コレクションにみる英国美術の現在」展も充実した展示でしたが、今展はそれを上回るほどの質と量だと思います。両展とも主催には朝日新聞社が入っています。日本では定番の印象派ではなく、あえて、イギリスの現代美術を紹介しようと試みる朝日さんの心意気を買いたいです。

マーク・クインの作品を見た瞬間、「あっ、百済観音」と思ったのはなぜ?

さて、展示を見ている時に、「あれっ、これ仏像ですか?」と戸惑ったのが、マーク・クイン(1964年生まれ)の作品「逃げる方法が見当たらないIV」(1996年)でした。展示会場のキャプションには、こう書いてありました。

身体の流動性や変容がテーマとなっており、クイン自身の裸体をポリウレタン・ラバーで型取りして制作されました。作家はこれを「変容の究極の瞬間、暴力的な脱皮」であると表現しています。

身体の裏側がメリメリっと、上部に向かって引きはがされ、足首は天井からのロープに引っ張られ、宙づりになっています。つまり、頭部を中心に、「アジの開き」ならぬ「人間の開き」を縦方向に展開した作品なのです。

筆者は、この上半分に伸びた背中側が仏像の光背に見えたのです。トランプのスペードにも形は少し似ています。奈良・法隆寺の国宝である「百済観音」をクインの作品から想起してしまったのです。来場者はたくさんいましたが、クインの作品と百済観音を結びつける方がいたとは思えません。完全に筆者の一人合点による、何かの錯覚だとは思うのです。

しかし、筆者にとっては、「これは確かに、間違いなく百済観音」だったのです。観音様は、時と場所に応じて、様々な姿に変化(へんげ)する「普門示現」という能力をお持ちです。法華経では33もの姿に変身すると説かれています。つまり、クインが言うところの「変容の究極の瞬間」は菩薩様にも共通する特徴なのです。

もしかすると、クインも東洋思想や仏教に親しんでおり、その成果が、あの暴力的にも見える作品の奥底に眠っているのかもしれないと想像しました。とりあえず、筆者は、クイン作品を菩薩様の変化と考えたので、お寺に行ったときと同様、祈りをささげておきました。

コーネリア・パーカーの「コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ」(部分)

コーネリア・パーカー(1956年生まれ)の「コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ」(1991年)も圧巻です。爆破した庭の物置小屋の残骸を天井から紐でつるし、中央に電球を設置しています。ぱっと見たとき、電球の光を浴びたシルエットは、クリスチャン・ボルタンスキー(1944年生まれ)の有名な作品「影」を想起します。また、破壊された室内空間の方は、ジェフ・ウォール(1946年生まれ)の「破壊された部屋」を思い出しました。

パーカーがボルタンスキーとウォールの影響を受けた可能性は否定できないものの、その作品にはしっかりと独自性が刻印されています。爆発の過程を経て、生み出されたイメージの何と清新なこと。暴力というと恐怖に結び付けられがちですが、その一方で、新たな世界を生み出す、世界を更新する力強さを表象することもあります。パーカー作品には、そういった暴力のプラスの側面が感じ取れました。

シール・フロイヤーの「モノクロームのレシート(白)」

シール・フロイヤー(1968年生まれ)の「モノクロームのレシート(白)」(1999年)には、感心しました。ファミリーマートの地下鉄六本木駅店で2026年1月26日14時50分に買い物した1万921円分のレシートが展示されているだけ。「なんじゃこりゃ」と最初は思いますが、購入している品々をよく見ると、大きな共通点が一つありました。どれもこれも白色のもの、あるいは商品名に「白」が含まれる商品ばかりだったのです。「なるほど、だからレシート(白)なのか!」「こいつは一本取られたわい」と思わず、頭をかきかきしてしまいます。

「くだらない」「ただの思い付きだろ」と思いますか?
筆者は、そうは思いません。こんなのなかなか考え付かないですよ。よくぞ、こんな面白いことを考え付いたものです。感心しました。レシートには日付や住所も記載されているので、もしかしたら、この作品は河原温(1932~2014年)の「日付絵画」へのある種のオマージュなのかもしれませんね。

濱﨑道子の「HINOE UMA2026」(部分)

さて、YBAの会場を出た後、同じ国立新美術館内で開催中の「第24回 NAU21世紀美術連立展」を鑑賞しました。多くの力作が並ぶ中、筆者が最もひかれたのは書道家・濱﨑道子(1942年生まれ)の「HINOE UMA2026」でした。2025年5月東京・六本木のストライプハウスギャラリーで大規模な個展を催行されていた際、会場で色々とお話をしました。彼女は「2026年は午年。天馬のごとく躍進していきたいです」と明るく語っていました。

まさに天馬の勢いそのままの大作を本展でも披露していました。言行一致とはこのことです。今年で84歳になる濱﨑ですが、とにかくパワフルで、疾走感がオーラのように漂っています。海外での作品発表も多く、日本の書道の融通無碍な魅力を力強く発信し続けている姿は、頼もしいです。濱﨑と比べたら、「鼻たれ小僧」のような筆者も大いに頑張らねばと刺激を受けました。

ということで、本日は六本木周辺を経めぐった筆者でした。(2026年2月11日22時06分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。