【茶畑のある東京】
歴史好きの筆者が、よくやる遊びをご紹介しましょう。今、歩いている街並みに明治時代は何が建っていたのか? 江戸時代はどのような場所だったのか? そんなことを考えながら、遊ぶのです。もちろん、適当に空想するわけではありませんよ。大昔の地図や史料類を読み込んだ上で、そこで得られた知見を2026年の街並みの向こうに透視するのです。
例えば、「わが国黎明期の牧場」という文章を読むと、明治初期、失業武士たちが東京に7軒の牧場を開いていたことが分かります。竹橋、芝桜川、下谷、麹町五番町、木挽町などの町です。
筆者はいったん資料を調べます。具体的に竹橋のどのあたりに牧場があったのかを確定させると、現在、発行されている東京の地図の上に、うっすらと牧場の位置を書き込み、記憶するのです。そして、竹橋にある東京都近代美術館にでも美術鑑賞に行ったついでに、牧場があった周辺を歩き回り、明治初期のころの風景を幻視するわけです。少しイメージすれば、牛の姿も見えてきます。大きな糞がぼとりと落ちている様子まで見えてきます。
そのようにして空想をしていれば、どこを歩いていても楽しめます。イメージトレーニングにもなりますし、ほとんどお金がかからないのも利点です。

1880年代の東京府にあった茶畑を記したマップ
先日、都内某所で1880年代の東京府で茶畑のあったエリアを示した地図に出合い、あまりの多さにびっくりしました。北から南に向かって、代々木→原宿→渋谷→恵比寿→目黒に至るエリアが地図の中に収まっています。代官山や中目黒の周辺も入っています。青い四角で囲ってあるのが茶畑です
さあ、地図を細部までよく見ると、茶畑があるわあるわ。渋谷駅の周辺は大量の茶畑があります。高級住宅街として知られる、松濤エリア(緑の大きな正方形で囲ったエリア)にも茶畑はまとまった形であります。
おしゃれなショップが立ち並ぶ代官山や猿楽町も茶畑だらけ。表参道駅周辺も茶畑につぐ茶畑、です。茶畑のない、大部分のエリアは「畑」、「竹林」、「杉林」などなどで、住宅はまばらです。要するに、畑と茶畑以外はほとんど何もない、のどかな雰囲気漂うエリアだったということですね。
渋谷区立松濤美術館にしばしば足を運ぶ筆者は、早速、この地図の茶畑を想像しながら、渋谷駅から歩き始めます。渋谷駅は、すり鉢状の底の部分に位置しています。そのすり鉢を、上方に向かって天才建築家・白井晟一(1905~1983年)が設計した松濤美術館の方へ歩いていきます。
「ふむ、この辺りかな、茶畑のあったのは?」などと独り言ちて、当時の風景に思いを馳せれば、無上の楽しさです。
あの、いかにも硬そうに密集したチャノキの枝や茎や葉を想像しながら、街歩きしているだけでも楽しいのですが、新葉の芽先を摘み取っている労働者の姿まで思い浮かべます。労働歌でも仲間とみんなで合唱しながら、茶摘みをしていたのでしょうか。それとも、それなりに機械を使っていたのでしょうか?
無知な筆者には1880年代の東京での茶摘みが主として人力だったのか、機械だったのかもよく分かりません。多分、人力中心だったとは推測しておりますが…あまり自信がありませんね。
それにしても、いったい、あの茶というやつは、あんなに硬そうな感じの植物なのに、どうして、あそこまでふくよかな味がするのでしょうか。甘みと渋みが絶妙にまとまっていて、飲んだ後も口の中がべたつかず、スッキリします。こんなに素敵な嗜好飲料はなかなかありません。
筆者が尊敬する岡倉覚三先生の聖典「茶の本」の第一章「人情の碗」に有名なくだりがあります。
茶にはワインの倨傲やコーヒーの自意識がなく、ココアの無邪気な作り笑いもない。
うーん、実に描写が的確です。確かにワインは倨傲(きょごう)なところがあるし、コーヒーは自意識過剰な感じがしますし、ココアは無邪気に作り笑いをしています。茶だけですよね、傲慢さも過剰な自意識も持たず作り笑いもしない飲料は。
もちろん、筆者は大のコーヒー好きなので、「コーヒーにだって、オールドビーンズの25年物なんかだと松籟を響かせるがごとき枯れた香りと味わいの逸品はありますよ」と反論したい気持ちもあるにはあります。しかし、ほとんどのコーヒーが自意識過剰なのは否定できません。岡倉先生の言う通りなのです。
読者の皆さんも、表参道や渋谷や原宿や代官山を歩くとき、「この辺りは大昔、茶畑があったのかも」と想像しながら、歩いてみてください。遠くの方から、「茶摘の歌」(1912年、文部省唱歌)の歌声が響いてくるかもしれませんよ。
【紙に刺青された文字の魅力】
和光大学表現学部芸術学科の卒業制作展に先日、足を運んだ際、谷崎潤一郎(1886~1965年)のデビュー作「刺青」(1910年)を巧みに生かしたインスタレーション(?)と出合いました。
それはまだ人々が「愚」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった。
有名な書き出しですよね。「愚」と云う貴い徳、という部分が筆者は好きです。自分も愚か者なので、谷崎が肯定してくれたような気がして、心が落ち着きます。

文豪の書斎のような雰囲気を漂わせる
いけない、展示に戻りましょうか。この書き出しが巨大な文字で印刷された壁面状のものが衝立のように会場内に置かれています。この壁面が包むのは、畳敷きの空間、座布団、文机などです。文机の周りには、書き損じた原稿用紙がぐちゃぐちゃに丸められています。典型的な文豪の書斎風景です。
たいして長い小説ではないことを筆者は知っていますから、巨大な文字の「刺青」を読んでみることにしました。いったいぜんたい、この小説、何回、読んだことでしょうか?

鏡に映り込んだ反転した文字を読むのも一興だ文章が映像的なんですよね。読んでいると、自然に頭の中にビビッドな映像が浮かんでくるんです。映画監督・増村保造(1924~1986年)の大映京都作品「刺青」(1966年)も非常に素晴らしい映画なのですが、谷崎の文章を読みながら頭に浮かぶ“映画”の方が、筆者にとってはよほど名画なのです。
若尾文子(1933年生まれ)や山本学(1937年生まれ)ら実際に存在する俳優が演じるのには、どうしても限界があるんですね。文学の方が、自分の思う通りのビジョンを追求できるので、時には映画よりも映画的に読めるわけです。
「美しくさえなるのなら、どんなにでも辛抱して見せましょうよ」
娘のこの言葉にゾクゾクします。唯美主義、耽美主義、芸術至上主義…なんと名付けても、まだ足りない。「~主義」と名付ける前の感動、興奮が、確かに谷崎の文章がしかと捉えているのです。
和光大学の学生さんは、作品のタイトルを「文身」としていました。刺青の別称ですね。筆者は、書籍において、紙が皮膚で、活字は刺青そのものだなと改めて感じました。
谷崎作品を読むこと、それは、谷崎が紙の上に彫った刺青を読むことと同義なのだと。電子書籍の中の文字は刺青っぽさがやや薄れているのが難点です。やはり、気合を入れて読みたい本は、紙の本で読むのが一番なような気がしました。
あっ、そうそう。谷崎とは何の関係もありませんが、鈴木清順監督の日活作品「刺青一代」(1965年)も名画中の名画ですよ。何しろ、美術をあの名匠・木村威夫(1918~2010年)が担当しており、そこに清順美学が掛け算で入ってくるわけですから、これはもう誰にでもお勧めできる名作なのです。
考えてみれば、清順も、「刺青」の娘さんと同じかもしれません。「美しくさえなるのなら、どんなにでも辛抱して」製作した監督さんですから。やはり、人の心を打つ作品を後世に残そうと願うなら、谷崎や清順なみの精進が欠かせないのでしょうね。(2026年2月12日20時57分脱稿)
*「彩字記」は、街で出合う文字や色彩を市原尚士が採取し、描かれた形象、書かれた文字を記述しようとする試みです。不定期で掲載いたします。

