留学生限定の学費値上げに正当性? 市原尚士評

あなたは芸術の道を究めようとする、一人の学生です。
特に裕福な環境に育ったわけではない。
特に才能に秀でているわけでもない。
でも、だからこそ、海外の大学(たとえばアメリカ)に留学して、もっと自分の可能性を追求してみようと、ある日、一念発起しました。
どうにかこうにか、合格して異国のキャンパスに通えることになりました。
日々の生活は大変です。
仕送りが仮にあったとしても少額です。
なかったら自分で生活費やら学費やらを稼がなければいけません。
アルバイトを掛け持ちして、ようやくお金を得るしかない。
アルバイトに励めば励むほど、芸術の制作時間、学問を研究するための時間は削られていきます。
また、同じ大学の友人と交流する余裕なんてなくなってしまいます。
芸術の蘊奥を究めようとして、海を渡ったのに、正直、バイトをするために留学したみたいな惨めな気持ちになります。
そんな厳しい暮らしをしているあなたの耳に、目に、恐ろしい知らせが届きます。
「来年度から留学生は、1人当たり年間で36万3000円の追加負担を課します」と。
えっ、聞いていないよ、です。あなたの立場からすると、です。
そんな、重要極まりない内容であれば、事前に当事者である留学生と十分な話し合いをするのは当たり前です。
しかし、この大学は、こそこそと説明会らしきものを陰で行っただけで、すべての手続きを済ませてしまいました。
だから、あなたを含めて多くの留学生にとっては、「寝耳に水」のような“決定事項”になってしまったわけです。
大学側は、色々と屁理屈を述べています。留学生だけに追加負担を求める理由について。
いくら彼らの主張を精読しても、追加負担されるいわれがまったく理解できません。
海外の大学で、留学生の学費が大幅に高額に設定されているケースは散見されます。
それは、大概が「●●市立大学」「●●公立大学」に限定されています。
つまり、●●市が●●市民のために創立した大学なので、申し訳ないけど●●市民でないあなたは、まして異国から留学してきたあなたは高額な学費を課しますね、ごめんあそばせ、という意味合いなのです。(筆者は、このような●●市立大学の説明をも受け入れがたいものと感じていますが)。
ところが、あなたが通う大学は私立だったのです!
●●市の、●●市による、●●市のための大学であれば、百歩譲って、留学生の学費を高くしてもいいかもしれません(いやいや、筆者はそう思いませんが)。
私立大学が、国籍を理由にした一方的な学費の値上げを行うというのは言語道断です。
大学側がごにょごにょ言っている値上げの説明を見ていると、どうやら「留学生たちは英語が下手くそすぎて、彼らのケアをするのに職員の負担が重すぎる」と主張したいようです。
「はぁー、何ですかそれは」とあなたは怒っています。
英語が下手すぎるなーと大学当局が判断しているなら、そもそも合格させなければいいんです。
ところが、この私立大学には大量の留学生がいます。英語がうまい学生ばかりではありません。でも、大量に合格させているのはなぜ?
少子化が進み、若者の数が大幅に減っている中、留学生を受け入れるのが、彼らにとって「貴重な収入源」だからです。
そして、留学生のごく一部ではありますが、高額な仕送りを親から受け取り、優雅な生活をしている人も少数ですがいるにはいます。
でも、大半の留学生は、あなたと同様にバイトを掛け持ちして、苦学生として生きる日々を強いられているわけです。
それなのに、年間36万3000円の負担増、ですか。12で割ると、3万250円の負担増です。
時給1000円のバイトを毎日しているあなたにとって、ちょうど1日あたり1時間バイトを増やさないと、3万円は捻出できないということです。
これは、あなたにとって「Last Straw(我慢の限界)」です、もはや。
研究や制作に充てる時間が大幅に失われてしまいますから。
もう、これ以上、この大学にいる意味なんてありません。無念ですが留学生活を断念するしかないです。
夢を抱いて、留学したのにすべてが台無しです。大学も、この国のことも大嫌いになりました。

留学生限定で学費値上げが表明されたことに抗議する作品の一部

さて、賢明な読者の皆さんは、ここまで読めば、年間36万3000円も負担増を課した大学がアメリカの大学ではなく、日本の武蔵野美術大学であることはお分かりになったかと思います。

伝統と実績を誇る、天下のムサビが2024年7月11日に「留学生の修学環境整備費の新設」をほぼ唐突に発表しました。2025年度、つまり2025年春から留学生に大幅な学費の負担増を課しているわけです。留学生も、留学生でない日本人学生も抗議活動を続けてきましたが、大学側は負担増を撤回する意向はないようです。

在学生と関係者から構成された「武蔵美修学環境整備費反対の会」が2025年4月5日付けで「留学生修学環境整備費に関する要望書および公開質問状」をムサビの理事長、学長宛に提出しました、4月24日締切でです。この質問状に対して、大学側がメールで回答した全文を「武蔵美修学整備費反対の会」が明らかにしています。その文章を読んで、筆者は驚きあきれました。誠実さなんてかけらもない、木で鼻を括ったような回答だったからです。いつから、大学はお役所になってしまったのだろう?と感じるような冷たい、冷たい「お役所回答」でした。

私立大学の経営を取り巻く環境が非常に厳しいことは、はっきりしています。政府による私学助成金の減額が当たり前のように行われております。少子化傾向に歯止めもかからないなか、入学する学生の数を確保するためには「(学生とその保護者から)選ばれる大学」にならなければいけません。さらに「お金を儲けることができる大学を目指せ」という圧も年々強まっています。このような動きは国公立大学にまで広がっており、金持ちの子供だけしか大学で学んだり、留学したりすることができない世の中になってきています。

私が今さら言うまでもなく、学びたい人が自由に学べることは、特権階級のみに占有されることではなく、すべての人間に開かれた権利です。人には、学ぶ権利があります。世の中をより良くするために、最も必要なのは「学ぶ」という営みです。

他者を蹴落とし、激しい競争に勝ち抜くための学びを筆者は明確に否定します。そんなのは、「学び」の名に値しません。裕福な人も、そうでない人も、すべての人が自分の可能性を自由に追求していいはずなのです。もちろん、それが困難であることは、筆者も重々、承知しています。

しかし、困難だからといって、諦めていいわけがない。そして、国籍を理由に、差別をしていいわけはありません。どんなにもっともらしい理由を捏造しようが、留学生だけ年間36万3000円も負担を増やすことは、差別にほかなりません。ムサビの当局者は、自分たちが差別主義者であると天下に恥をさらしているわけです。恥ずかしくないのでしょうか?

どうしても、留学生の学費を値上げしたいのであれば、日本人の学生も含めて、全学生で負担を等分するべきです(いやいや、筆者は安易な学費値上げそのものに反対ですが)。常識的に考えて、全学生で負担すれば、せいぜい年間で数万円以内の値上げで収まると思いますが、なぜ、ムサビはそうしなかったのでしょうか?

留学生は立場が弱いと思ったの?
留学生は声があげにくいと思ったの?
日本人の学生たちよりも。
こういうの典型的な差別と言うんですよ、ムサビ当局者の皆さん、分かっていますか?

政治が悪いから、私学がひどい目に遭っています。国公立もひどい目に遭っています。だから、ムサビだけでなく、国公立も私学も毎年のように値上げ、値上げ、値上げ、です。こんなことを続けていたら、一番損するのは、日本という国家そのものですよ。高等教育を受けられる人間の数が減少していけば、国力が低下するのは自明の理だから、です。筆者は、国力を増強するために学問芸術が存在しているとは全く考えていません。とはいえ政治家や官僚たちは非常に愚かだな、とは思いますが。

gallery αMで行われた展示の一部

武蔵野美術大学が運営するノンプロフィット(非営利)ギャラリー「gallery αM」で2024~2025年、「Multiple Spirits|いつでもルナティック、あるいは狂気の家族廃絶」展が開催されました。私は3回も鑑賞しに足を運びました。なぜか?

ムサビが2024年7月11日に発表した「留学生の修学環境整備費の新設」に対して、学生たちが行った抗議活動を受けた大学側の2024年7月17日のコメントをrajiogoogooがTシャツにプリントし、壁に鉛筆で補足情報を書いた作品《Re: 構内での器物破損行為について》を見たかったからです。

rajiogoogooによる作品の一部

この作者は、「抗議文」をプリントしている訳ではありません。大学が発出したリリース文をスクリーンショットしてプリントしているだけ。これが、痛烈な抗議文として機能しているのです。ムサビは天に向かって吐いた唾(留学生限定の学費値上げ、という恥辱)がそのまま自分の顔に落ちてきたわけです。

天下のムサビの当局者の皆さん、今からでも遅くないから、留学生限定の学費値上げを撤回されたらいかがでしょうか?

大学として、本当に恥ずかしいですよ。(2025年5月3日19時10分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。