北極圏アート 市原尚士評

ノルウェーの北極圏にある街・トロムソに行ってきました。主な目的は、①一日中太陽が昇らない「極夜」を体感すること②オーロラを見ること③北極圏のアートや文化的な建造物を見てくることーーの3つになります。極夜とオーロラは、本稿とは別にご紹介します。ここでは、アートや建築に焦点を絞っていきましょう。

街の中心部にあるNNKM(北ノルウェー美術館)が大変、立派な施設でちょっと驚きました。建物はそこまで大きくないのですが、展示されている品々のレベルが高いです。

ドクメンタやヴェネツィア・ビエンナーレなど世界各地で大活躍の芸術家マレット・アンネ・サラ(1983年生まれ)の大作が、最初の展示室にどかんと置かれていました。ノルウェー北部のトナカイ遊牧民の家庭に生まれ、現在もそこで暮らし、活動しているサラの作品は、先住民族、特にトナカイ遊牧民であるサーミ人をめぐる政治的・社会政治的問題を扱っています。

マレット・アンネ・サラ「Gielastuvvon/Snared」

「Gielastuvvon/Snared」と題された2018年制作のインスタレーションです。首吊りの縄がたくさんぶら下がっているように見えますが、もちろん、そのような用途のものではありません。トナカイ遊牧民から収集した、サーミの投げ縄を構成した作品なのです。この投げ縄、よく見ると、元所有者の印が刻まれているだけでなく、実際に使用した痕跡も残っています。牧畜という過酷な労働を今に伝える“証言者”として、そして同時にサーミの生業であるトナカイ牧畜権を守る闘いを象徴しているのです。ノルウェー政府はトナカイの頭数制限をサーミの人々に強制し続けてきましたが、それがサーミの人々の魂や生活を破壊するものであることに対する強烈なレジスタンスとして、本作は提示されているのです。

いわば、極めて政治的な作品、です。サーミの文化や彼らが味わわされてきた辛酸にほとんど無知な筆者ですが、鑑賞した瞬間、「首吊りの縄」と感じてしまったのも、そこまで見当違いではなかったようです。生業を続けることを国家権力によって制限・弾圧される少数民族にとって、トナカイを捕える投げ縄は同時に自身の首を縛る縄にもなっているわけです。じっと作品を見ていると、首吊りにされたサーミの人々の幻影が出現してくるようで、背筋が寒くなりました。

常設展示では、ノルウェー絵画の刷新者、ヨハン・クリスチャン・ダール(1788~1857年)の風景画が飾られていました。ドイツ・ロマン派の代表的画家、カスパー・ダーヴィド・フリードリヒ(1774~1840年)の影響を強く受けていた時期の作品です。ダール以外の作家の風景画もフリードリヒと雰囲気が非常に似通っており、ドイツ圏の画家が北欧に与えた影響力の大きさを改めて感じました。

ビルネ・ホルスト「無題」

筆者がひかれたのは、シュールレアリスムの作家ビルネ・ホルスト(1944~1993年)です。ホラー映画から材を取ってみたり、トランスジェンダーの問題を描いてみたりしたことで知られる作家ですが、どこか不気味で不安感の漂う世界観が今日的だと思いました。1993年に描かれた「無題」は氷海の下に仮面(マスク)が描かれております。海水は黒く、非常に冷たそう。その冷たそうな海水の中央にほの白く浮かび上がる仮面はおそらく作者の自画像なのでは? この作品で何を訴えたかったのでしょうか。どこか謎めいた印象です。

ビルネ・ホルスト「煙草のある静物画」

同じくホルストの「煙草のある静物画」と題した1973年の作品は、煙が立ち上るタバコ(左)と人形の頭部(中央)と半透明の全裸男性(右)の取り合わせが不安感を抱かせます。とりわけ、画面右側のドアは要注目でしょう。開かれた扉の向こうにはびっしりと岩石の群れが詰まっており、いかなる空きも見受けられません。全裸男性は、苦悶の表情を浮かべていますが、その体の一部分は岩石と一体化しているように見えるのです。画面左側にある窓の向こうにもびっしりと岩石が詰まっているようです。

つまり、外部が一切ない、完全に閉じ込められた空間内で生きざるを得ない人間存在が描かれているわけです。現代社会における「疎外」の問題を告発しているように筆者は解釈しましたが、ホルストが描きたかったのは、そのようなことではないのかもしれません。

ビルネ・ホルスト「男性V」

「男性V」と題された1976年の鉛筆で描かれたドローイングも見てください。「男性」と言いながら、その体躯は細く、まるで女性を描いているようです。両性具有的な存在を理想化して描くことによって、マチズモ(男性優位主義)を乗り越えようとしているのではないでしょうか?

我が国での知名度はほとんどないと思われますが、筆者はホルストの作品を高く評価しました。

「GBR」と描かれたグラフィティ

閑話休題。美術館を出てマイナス15度くらいの寒い街中を歩き回りました。グラフィティやステッカーを探すためです。しかし、あまりにも屋外は寒く、どこもかしこも雪が積もっているせいで、グラフィティも不発気味です。Great Britainの省略形「GBR」(英国の国名コード)を描いたと思われるものを発見しましたが、なぜ「GBR」を描こうと思ったのか、その動機がよく分かりませんでした。「G」が耳に見えますし、GとBとで人の顔面のようにも見える点は面白いのですが、このような描き方は類例をどこかで見たことがある気がしました。

駐車場のシャッターに描かれた名前

駐車場のシャッターに自身の名前を書いた作品もありましたが、グラフィティというよりは、可読性の高い、ただの署名にしか見えず、作品になっていない気がしました。とにかく屋外は寒いのです。

中途半端なグラフィティ

ノルウェーの人々もスプレー缶を持って屋外で描く気にならないのでは? 中途半端に描きかけのまま放置された作品も散見されました。

コミッション・ワークと筆者が推測した、やけに色彩豊かなグラフィティ

唯一、エビや魚や鳥の頭部などが描かれたある程度の水準を越えた作品を発見しましたが、これはイリーガルなグラフィティというよりも、店舗等が宣伝用に委託して描いてもらった作品に見えました。いわゆる「コミッション・ワーク」というやつですね。まぁ、極寒の地において、この作品の明るさは、一種の救いになっている気がしました。

トロムソの観光名所の一つとして知られる、「北極聖堂」にも行ってきました。1965年、ヤン・インゲ・ホーヴィが設計した巨大な三角テントの形をした彫刻的な外観の教会です。約140平方メートルに及ぶ三角形のステンドグラスが著名です。建物と同じホーヴィがデザインしたパイプオルガンを使ったコンサートがしばしば開催されます。

北極聖堂

2025年12月31日の21時から開催された「NEW YEARS EVE」のセットリストが教会の長椅子の上に落ちていました。拾い上げて、その紙片を見ると、ガース・エドムンドソン(1892~1971年)、フランスのアレクサンドル・ギルマン(1837~1911年)、アメリカのルロイ・アンダーソン(1908~1975年)などなどのお名前がありました。皆さん、有名な方ばかりですが、やはり真打ちは、J.S.バッハ(1685~1750年)大先生による数々の名曲です。「トッカータとフーガ ニ短調」(BWV565)、「クリスマス・オラトリオ」(BWV248)からシンフォニア10番が演奏されたようです。

「トッカータとフーガ ニ短調」といっても「何ですかそれ?」という方もいらっしゃるでしょう。しかし、日本人であれば、あの嘉門タツオ(1959年生まれ)の「♪チャラリー 鼻から牛乳」は誰でもご存じでは? まぁ、嘉門先生のあの声をまさか思い浮かべたわけではありませんが、筆者は荘厳なBWV565のメロディーを頭の中で再生しながら、教会の中を歩き回った次第です。

ちなみにですが、画家の方々は、制作中に音楽を聴く人と聴かない人に二分されるのですが、「音楽を聴く派」の中で圧倒的な人気を誇るのがバッハです(筆者調べ)。絵描きさんはバッハ好きが多いと思います、正確な統計を取ったわけではありませんが…。もちろんパンクロックを聴く方も多くいらっしゃいます。音楽を聴きながら創作するのか、それとも音楽は一切聴かないのか、この両派には大きな違いがあるように思えてなりません。

ダース・ベイダーの頭部のような形状の図書館

教会に続いて、街の中心地にそびえたつ巨大な図書館も見学にいきました。映画「スター・ウォーズ」のダース・ベイダーの頭部のような形状でびっくりしました。そう、あの真っ黒なヘルメットのような形状なのです。この図書館を建築した方は、もしかしたらダース・ベイダーを意識していたのかもしれません。スター・ウォーズと言えば、「フォース(神のごとき力・エネルギー)」という言葉を巡る壮大なドラマです。ダース・ベイダーは、フォースで味方の首を絞めながら、こう言い放ちます。

I find your lack of faith disturbing.
貴様の(フォースへの)信頼の欠如が俺には到底許せんわ。

神のごとき力を駆使して闘うジェダイの騎士たちにとって、重要なのは目に見えないスピリチュアルな世界をどれだけ信じ切れるかということ。図書館という知の殿堂においては、目に見えない、心の中の感性や知性が最重要視されている側面もあると思います。その意味では、ダース・ベイダーの頭部のような形状というのも図書館建築として決して的を外したものではないのかもしれません。

ノルウェーの首都オスロの図書館は、トロムソの図書館の数倍も立派な陣容です。トロムソの図書館だって日本人の感覚から言えば、かなり立派なのですが…。ノルウェーという国が知的な環境を整備するのに公金を大量に使っているのが、とにかくうらやましく思えました。

北極聖堂も図書館も、三角形をベースにしている点が興味深いです。北欧ノルウェーでも最上部に位置する北極圏で生きる人々にとって、三角形は特別、好まれる形状なのでしょうか? 風土は好みの形状を持つものなのかどうか、今後も世界中の旅行を通じて探求していこうと思います。(2026年1月11日13時32分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。