このところ、T.S.エリオットの文芸批評などを少しずつ読んでいる。面白いし、勉強になる。T.S.エリオット『文化の定義のための覚書』(深瀬基寛訳 中公文庫 2018年)、フランク・レントリッキア『ニュークリティシズム以降の批評理論』(上・下、村山淳彦・福士久夫訳、未来社、1993年)、T.S.Eliot, Notes Towards the Definition of Culure, Faber and Faber Limited, 1962、To Criticize the Critic and Other Writings, University of Nebraska Press,1965等。恥ずかしながら、還暦を越えてから文芸批評の古典を勉強し直している感じだ。1980年代、構造主義やポスト構造主義は流行していたが、それ以前のT.S.エリオットの著作やニュークリティシズムの文献はほとんど読めていなかった。今更ながらの学習である。
柄谷行人『力と交換様式』(岩波書店2022年)。1980年代以降、柄谷行人だけは新刊が出るたびにできるだけ購入して読んでいるが、冷戦以後くらいからフランス現代思想の本(翻訳書)にはほとんど触手が伸びなくなってきた。美術あるいは鑑賞という制度を、「交換様式D」として考えることが出来るだろうか?
また、日々激動する世界の政治経済ニュースに触発されて、エマニュエル・トッドの本も何冊か読んでいる。冷戦以後の世界情勢に何が起こって、どう変わってきたのか。自分の無知をあらためて思い知らされる。マスメディアの情報を疑う視点、そして自分自身の日常社会の世界観や価値観を批判的に見る視点が、少しずつだが広がりつつあるように感じる。『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』(大野舞訳 文藝春秋、2024年)『我々はどこから来て、今どこにいるのか? 民主主義の野蛮な起源』(上・下 堀茂樹訳 文藝春秋 2022年)、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(堀茂樹訳 文春新書 2016年)等。
T.S.エリオット、柄谷行人、エマニュエル・トッドに共通しているのは、政治、経済、倫理、文化、歴史、グローバル、ローカルに垣根がなく、縦横に思考・試行しながら、批評的に文章を書いていることである。AIの急速な発展にせよ、米の高騰、インフレ懸念にせよ、ウクライナ、ガザ、台湾、ベネズエラをめぐる軍事的緊張と不安にせよ、自分が毎日具体的に係りうる世界の現実と理論・表現がかみ合わないとリアリティがない。リアリティのある本を読みたいし、リアルな美術に触れたいし、自分でも文章を書きたい。美術評論家を名乗るには、まったくもって無知で恥ずかしい限りである。

